第3話


 数ブロック歩くと、その店があった。オリヴィアという名前だった。黒い看板に、白の文字でその名前が書いてあった。小さな黒板には、白のチョークでメニューが書いてあった。ガラス張りの店で、その前に木製の床板とテーブルと椅子とパラソルが出張していた。硝子の奥に見えるカウンターも木製で、カウンターの中には、プラスチックケースの中に入った豆が置いてある。

 日差しは暖かく、柔らかい色をしていた。風は眠っていて、寝息のように静かで、ささやかだった。

 その店の軒先の緑のパラソルと、木製のテーブルと椅子のあたりには高校生ぐらいの女達と、大学生の男女、ノートパソコンを開きながら座る男などが座っていた。私はその間をすり抜け、店に入った。

 エスプレッソとハムのサンドイッチを注文し、金を払い、軒先に座った。

 そのうちにそれらが運ばれてきて、私はそれを飲み干した。サンドイッチを胃に詰め込んで、店を出ることにした。味はよく分からなかったが、客の表情を見ていれば悪くない味と見える。馴染みの店員は、今日はいないらしい。

 高校生ぐらいの女達がこちらを見て、何か言っていた。ウィンクをして、立ち去ろうとした。そのうちの一人が、ためらいがちな顔で、私に近づいてきた。

 上は紺色のブレザー、下にはスカートを着ていて、髪を茶髪に染めていて、肩のあたりまで伸ばし、メイクをした、今時の女子高生という感じの少女だ。おとなしそうな顔をしていて、体はしまっていた。

 運動部に所属しているのだろう。右手に筋肉がついている。テニス部だろうか。

 いいえと言えないような、気弱で優しそうな人間に見えた。しかし、文学少女のように、ずっと本を読んでいたり、裁縫をしているようなタイプには見えなかった。

「高校で友達に聞いたんですけど、あなたって探偵なんですよね」

 彼女は私に目線を合わせようとはしなかった。真面目そうな顔つきだった。いいところのお嬢さんのようだ。

「英語だと、プライベート・アイ、またはシェイマスと言う。のぞき見男に何の用だって?」

 私もこの辺りでは顔が知られているらしい。女の子の小間使いは勘弁願いたいのだが。

「のぞきしてるんですか」と、彼女は眉を上げた。

「冗談だよ。正真正銘の探偵だ。腕っ節が必要な仕事にも、対応は出来る」と、私は言った。

 彼女は息を吐いて、片方の眉を少し下げた。

「親戚に、札付きの不良と付き合ってる人がいるんです」

「君の名前は?」

「浅井です。浅井ユミ」

 彼女は浅井と名乗った。名乗りかたは、雀と人間の距離感のように遠慮がちだった。

「その子の名前は?」

「木村佳奈って言います」

「その子の父親は木村忠征という名前かな?」

「えっ、なぜそれを?」

「その件でその人に呼ばれていてね。今から車で向かうんだ。来るか?」

「わかりました。じゃあ乗らせてもらうけど、いいですか」

「どうぞ。後部座席に乗るといい」

 高校生の集団はひな鳥のように色めきだった。車に乗せるだけだ。

 私は苦笑いをした。

 浅井は鞄を持って立ち上がり、私の後ろについてきた。

 どうやら、木村という老人の依頼は、その不良と自分の娘が付き合っているから探れと言うことなんだろう。人の色恋沙汰に首を突っ込むのは好きではないのだが。

 事務所までほんの少しの距離を歩き、ガレージに入った。

 車のキーをインプレッサに差し込み、回した。

 そして運転席に座り、エンジンを掛けた。マニュアル車の単純すぎない所が好きだ。車をガレージから出して、路上で止めた。

 車のドアが開かれ、閉められた。

「札付きの不良と言っていたが、たとえばどんなことをしているんだ?」

 私はカーナビに地名を打ち込んだ。

「確かスリです。いつも折りたたみナイフみたいな武器を持ち歩いていて、気にくわないとすぐにそれを出します。小さくて痩せていて、新宿とかの繁華街のあたりをうろついてるみたい。あと、手の甲にナイフの傷跡が残ってる」

 車を発進させた。なかなかのちんぴらだ。夜の路地裏で、ナイフファイトをやった痕だろう。ナイフは血が出すぎるし、殺しの武器だ。一歩間違えば人殺しになる。

「そんなちんぴらと大病院のご令嬢さんがどうして関わりになった?」

「クラブハウスで助けられたとか聞きましたけど、それ以上は知らないですね。大事ないとこではあるんだけど、そこまで深く知らない。あ、このことは私が言ったことにはしないでください。いとこが怒るので」

「わかった。じゃあ、木村さんに電話をしておいてくれるかな」

 陽射しはまだ、目を焼くような光だった。

 額をかいて、目をつむった。目を開けると、余計眩しくなった。

 血の色がフラッシュバックする。血と雨が混ざって、排水溝に流れ込むあの姿が。

だらりと垂らした左手が、永遠の眠りについたあの顔が。

 電話のコールが聞こえて、数回鳴った後に、彼女は話し始めた。

「もしもし、おじさん?あの佳奈ちゃんの件で私が勧めてた探偵の人呼んでたでしょ?今ちょうど、探偵の人に会ったから、その人の車に乗ってきてるんだけど。うん、うん。ケーキあった?あの冷蔵庫に入った苺のショートケーキ食べたかったんだ。うん、うん。じゃあ、たぶんそのうち着くから、よろしく」

 よろしく、の後に電話が切れた。要件だけを言って電話を切るやりかたは、彼女と木村のおじさんとやらの関係が想像できた。頻繁に会っているようだ。

「すいません、後でマックに寄りたいんですけど、大丈夫ですか?」

「マック?さっき食べたばっかりじゃないのか?」

「ええ、でも佳奈ちゃんが喜ぶんです。彼女、ファーストフードが好きなんですよ。木村のおじさんはそれをダメって言ってるんです。体に悪いからって」

 私は鼻で笑った。

「確かに体には悪い。しかし、医者をやってるほうがよっぽど寿命を縮めるものだがな」

「大変そうですもんね、レントゲン医師なんて自分から放射線浴びてますしね」

 刺すような気配を、背中に感じ取った。

 尾行の気配だ。

 バックミラーを覗く。背後にいた車は、黒のセンチュリーだ。男はサングラスを掛けて、黒のスーツを着ている。

 車を長く走らせたあと、信号で止まったとき、後ろの車の中にいる男がこちらを見た。

 ああ、あいつは昔、私に牛丼屋で因縁をつけてきたやくざだ。確か、山根とかいう奴だった。この町の、20人ぐらいの小さなやくざ、杉本組の若頭だ。5人は刑務所の中でおつとめとやらをしている。この町が20人も組織犯罪者を養うことが出来るのは驚きだ。

 山根を蹴り飛ばした数日後、10人ぐらいでバットを持って襲いかかってきたが、返り討ちにした。殴り倒したあと、丁重にお願いをしてシャンソンとあのコーヒーショップのオリヴィアに対するみかじめ料は勘弁してもらった。お願いと言っても、私が山根の拳銃を奪った後で顔に突きつけながら頼んだお願いだ。

 もうすぐでファーストフード店に着くだろう。

 すぐに店が見えて、ドライブスルーに入って、好きに注文させた。

「えっと、ダブルクォーターパウンダーと、ポテトのLとナゲットと、コーラのLで」

「それ全部木村ちゃんが食べる量なのか?」

「そうです」

 その令嬢さんはよく食べる子のようだ。

 注文が終わって、車を少し回すと、すぐにそれが来た。

 受け取った後、ドライブスルーを出て、その路地裏に車を止めた。

 センチュリーが後ろからついてきて、センチュリーも止まった。

 私は車を降りた。山根がじっとこちらを見据えた。

 山根はゆっくりとドアを開け、車を降りて、こちらへゆっくりと向かってきた。

 警戒の色は山根にはない。

「浅井ちゃん、車の中で鍵を掛けていろ」と、私は言った。

「えっ、えっ、何が起こったんです?」

 彼女は何が起こるのか理解できていないようだ。視線をそこら中に飛ばしている。私にもわからないから、警戒している。ろくなことにはならないだろう。

「古い知り合いだ。知り合うというのは、いつ、どこで、どんな奴かと、なぜとというのは選べないものだが」

 山根は首を回して、歩いてくる。サングラスを外して、右のポケットに入れていた。鋭い目付きの男だ。

 目線を一度、自分の左の脇の下にやった。ドスか拳銃か。

 二メートルほどの距離に近づいた。

「おい、お前探偵だろ」

 山根は顔に脂肪がない、黒のスーツを着ている痩せた男だ。身長は170センチぐらい、体重は50の後半だろう。細く鋭い目付きをしている。人殺しをしたことがある目だった。刃物の古傷が左のほお骨から下唇まで斜めに入っており、左手の小指の第一関節を失っている。多分、指を詰めたのだろう。銀の腕時計を左手につけている。彼は刃物使いだったが、今は拳銃も持ち歩いているようだ。左の脇の下が少し膨らんでいる。ドスの形ではない。

「ああ、そうだ。また喧嘩をふっかけて私に蹴り飛ばされにきたのか?」

 山根は左手をあげ、膨らんでいる脇の下を右手の人差し指で、モールス信号を打つときのようにつついた。

 私はせせら笑った。

「お前がそのボタンを閉じたスーツの中から銃を抜くのと、私の蹴りのどちらが早いか試してみるか?この距離なら、私は一歩踏み出すだけで充分だ」

 山根は横に首を振った。昔、同じ事をやった。私の蹴りのが早かった。

「顎に蹴りを食らうのは勘弁だ。この前のドンパチの話だよ。お前と誰かわからん奴らがチャカを持って走ってて、銃声が聞こえたというのを聞いた。俺らのシマでドンパチするのは感心しねえな」と、山根はにやりとして言った。

「じゃあどうすればよかったんだ?お前らを呼び出せばよかったのか?」

「言ってくれりゃあ、駆けつけたものを。どんな奴だった?」

 やくざは口を釣り上げた。目は冷たいままだった。人殺しの、金属のような目だ。

 やくざに物を頼めば、下手をすれば死ぬまでむしり取られる。このやくざはそういう性格ではないが、やくざはやくざだ。警戒を怠ってはいけない。

「たった10人と少しであの殺し屋を殺せると思うのか?私にバットにドスに拳銃を使って勝てなかったお前らが?五メートルの距離でマカロフを全弾外すお前らのとこの鉄砲玉がか?あいつが本気で銃を使ったら、アサルトライフルと拳銃と手榴弾と防弾チョッキとヘルメットを装備してようが全員皆殺しにされる。パリで50人のマフィアを一人で皆殺しにしたこともあるらしい。それに、もう二人の方は刑事だ。警察と全面戦争したいなら別だがな。お前の大親分も上部団体も揃って全員ムショ行きだ」

 山根は顔に皺を作って、首を横に振っていた。

「なんて奴を敵に回してたんだ。いかれてるぜ。俺だったら諦めてるな」

「諦めるのは嫌いなんだ」と、私は言った。

 山根が、段差のついた唇を釣り上げて笑った。

「お前、杉本組に入らないか?お前一人入るだけで、うちの組の戦闘力は二倍以上に跳ね上がる。肝っ玉もすわってるし、頭もキレる。金ははずむぞ」

「そっちの気はないんでね。そういう所帯に入るのは勘弁させてもらおう。話はそれだけか?」

 山根はうなずいた。

「ああ、そうだ。辻は気の毒だったな。デカに撃ち殺されちまったんだろう。それじゃあな」

 彼は背中を向けて、歩き去った。

「待て、一つ聞きたいことがある」

 山根は足を止めて、振り返った。私は山根へ近寄った。銃を抜かれたときに、もし距離を取っていたら話にならない。

「なんだよ、聞きたいことは自分の足で探すのが探偵じゃねえのか」

「撃ち殺した刑事は、菊知という名前だ。何か知っているか?」

山根の左の眉がぴくりと動く。こいつ、知ってるな。

「しらねえな」

「本当に知らないのか?顔も見たこともないか」

 山根の目線が右上へ向いた。こいつの利き手は右手だ。行動心理学は統計学だ。必ずそうとは限らないが、役に立つことはある。山根は嘘をついているだろう。

「ああ」

「嘘をつけ。それは知っている顔だぜ」と、カマをかけた。

 山根は舌打ちをした。

「わかったよ。知ってる。奴は本気だとナイフを使う。拳銃とナイフ以外はあまり強くないが、めちゃくちゃナイフが上手い。俺の頬の傷はあいつにつけられた」と山根は言って、傷を右手の人差し指と中指の二本指でなぞった。

「あいつは証人を突き落としたはずだ。ヤクザに関連する証人だ。知ってるか?」

「知らんね」と、長い間を置いて言った。山根の瞬きが増えた。

「知っている顔をしてる」と、私は言った。

 山根の顔が赤くなり始めた。

「うるせえ!黙れよ!だからネズミは嫌いなんだ」

 山根が電光石火のようにポケットから拳銃を右手でズボンの後ろから抜き、私の額に突きつけた。二丁持っていたらしい。

 ロシア製のマカロフだ。装弾数は8発。両手を挙げた。

 私は瞬時に左手で拳銃を外側へそらし、右手で手首の内側を叩いた。瞬時に拳銃がくるりと回転し、私の右手に収まった。

 山根のみぞおちを靴の裏で蹴飛ばした。痩せた山根は後ろへ吹っ飛んで、尻餅をついた。

 山根が咳き込んだ。山根と距離を詰めるために歩き出した。

 この銃はレンジでだが、撃ったことがある。

 セーフティはかかっていた。撃つ気は無かったか、馴れてないかどちらからしい。押し下げ、解除する。

 私はマカロフのコンチネンタル式のマガジンキャッチのレバーを左手の親指で押し、マガジンを引き抜いた。スライドを引き、薬室から弾丸を排出した。トリガーガードを左にずらして、押し下げた。スライドを前に押して、銃を分解して、捨てた。

 全てを行った後、立ち上がっていた山根の前へたどり着いた。

 山根はスーツに拳銃を引っかけて、抜けていなかった。

 抜くのを諦めて、左手で殴りかかってきた。

 拳を左の掌で受け止めて、握った。肘を右手で握り、一旦上へ押し上げた。そして引っ張って、肘を決めながら地面に倒した。

 背中を膝で押さえつけた。

「知っているだろう」

「うるせえ、何もしらねえよ」

 スーツをずり上げて、その中に下から手を入れ、ショルダーホルスターを探る。マカロフがもう一丁あった。同じ手順で分解する。

「一丁、百万も、するんだぞ、畜生」と、口から息を漏らしながら山根がうめいた。

「高価なおもちゃは大事に扱えよ。アメリカなら安いぜ。おもちゃを振り回したいなら、アメリカでシューティングレンジで的を撃てよ。人に向けたり、撃ったりするな。それに、後で部品を見つければいいだけの話だ。さぁ、話してもらおうか」

「うるせえよ、拷問されても話さないぜ」

 私は舌打ちをして、山根を離した。

 山根は膝に手をついて、息を切らしていた。

「くそっ、撃つ気はなかったんだ」

「そんなことを言われてもな。私には行くべき場所がある。せいぜい部品を拾ってろ」

 私は車まで歩いて行って、乗り込んだ。

「何の話をしてたの?」

「ちょっとラブレターをもらっていたんで、丁重にお断りをしていたんだ。そうしたら逆上されてな」

「へぇ、あの人ホモなんだ」

 彼女は少し頷いて、プレゼントをもらった少女のように唇を釣り上げた。

「冗談だよ」と、私は言った。

 インプレッサを一旦バックさせた。部品が砕ける音がした。

「おい、てめえなんてことしやがる」と、山根が叫んだ。

 親分にドヤされる山根の顔が浮かんだ。いい気味だ。

 私はにやりとして、前へ走らせた。

 また、道のりを走った。公立高校の前を通りかかった。

「あれが私の高校なんです」と、浅井が言った。

 事務所から、近くも遠くもない距離に、公立高校がある。時々通りかかると、部活動の声が聞こえてくる。そういうときは、昔を思い出す。いつのまにか、こんな年になっていた。高校を卒業して、大学に入り、その後知り合いの海兵隊員のツテをたどってロサンゼルスに行った。そこで私は人殺しの肩書きを手に入れて、この東京に戻ってきたのだ。いつの間にか探偵をはじめ、殴り殴られ、殺されかけ、辻という友人まで失った。さっきもやくざに拳銃を向けられた。

 溜息をついた。

「おじさん大丈夫?」と浅井が純真な顔で言った。

「まだおじさんなんて言われる年じゃない」と、私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 流れるビルの群れを眺めていた。陽射しももう、秋に変わり始めている。そろそろ穏やかな秋がやってくる。

 インプレッサをずっと、走らせた。

 もう少しで、老人の家までたどり着くことが出来るだろう。

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