第一章 女神アルテシア、大地に立つ

1.その名はアルテシア(1)

    1(アルテシア day185602/3000pt)



 寝心地の悪さが、その世界で感じた一番最初の感覚だった。


 むくりと上半身を起こすと、そこは――――岩場だ。ゴツゴツした、赤茶けた色に覆いつくされた岩の群れ。その合間に出来た小さな広場のような平たい場所に、俺は横たわっていたらしい。


 真上に陣取っている太陽が眩しい、暖かい陽気だ。絶好の顕現日和(?)って感じだな。


 頭を掻きながら立ち上がると、指先に絹のような指通りが感じられた。少し前まで毎日のように味わってきたゴワゴワの短髪とはまるで別物だ。


 異世界に神様として転生するにあたって、俺の身体は生前のものとは別物になっているとは聞いていたが、どうやら本当の本当に『別物』になっているらしい。


 陽光を反射してキラキラと輝く、宝石のようなプラチナブロンド。これまた生前の自分とは似ても似つかない細く白い指に引っかかったそれを見て、俺はにんまりとほくそ笑んだ。


 どうも生前より華奢なようだが、ここまでの流れは完全に俺=美形の流れだ。多分金髪ロン毛な感じのクールなイケメンだ。俺という人間がそんなクールな容姿に似合うかと言われるとちょっと微妙だが、悪くない。誰だって格好悪いよりは格好良いほうがいいに決まっている。


 と、不意に水音が俺の耳に飛び込んできた。周りは岩場だし、微かな音だったから『ひょっとして、神様なだけあって俺の耳がよくなったのか……?』と思いつつ音の方へ視線をやったが、違った。


 いや、水があったのは違わなかったんだが、水場は意外と近かった。視線の先、大体一〇メートルくらい。そこに、岩と岩の隙間から透き通った水があふれて水たまりを作っていたのだ。


 ちょうど良い、と俺は思った。あれだけ透き通った水が溜まっているなら、水鏡よろしく自分の姿を映すのに使えるはずだ。まぁこの身体がイケメンであることは多分もう疑いない事実だが、そうなってくると余計に確認してみたくなるのが人情ってもんだろ。


 というわけで、俺は水場の方に歩み寄ってみる。見てなかったが足元は裸足らしく、岩肌のゴツゴツした感触や太陽に熱されたほんのりとした温かさがダイレクトに伝わって来る……が、痛みはない。


 凹凸や小石の類が少ないからっていうのもあると思うが、これは神の基本ステータスも関係してるだろうな。あの女――結局最後まで何者かは分からなかったけど、アイツの見せたルールブックには、


貴神あなたの身体は基本的に同じ神以外のあらゆる干渉によって傷つかない。貴神あなた自身の行動による反動でも同じことが言え、高所からの落下や堅いものへの直接殴打でも負傷することはない』


 って書いてあったしな。いくら神様みたいな能力があるからといって、耐久力が人間並みじゃ話にならない。ルールブックによると魔物とかいるらしいし、なんてことない普通の現代日本人としてはこういう仕様はありがたい。


 ……ファンタジーっぽい雰囲気とはいえ、紛れもない『現実リアル』に仕様もクソもないけどな。


 っと、それはさておき俺の容姿だ。ぶっちゃけ前世の俺の顔は平凡を極めたうすしお味だったからな。願わくばハリウッド俳優みたいな掘りの深いイケメンが……いや、それだとこの華奢な身体に似合わないか。じゃあ中性的っぽい感じのイケメンがいいな――、と。


 そんなことを考えていた俺は、次の瞬間思考が止まった。



 水たまりを覗くと、そこにいたのは金髪美少女だった。



 いやいやいやいや。


 待て待て待て待て。


 俺は今しがた抱いた自分の認識を疑う。


 確かに、目の前にいるのはパッと見美少女だ。


 胸のあたりまで伸びた艶やかな金髪と言い、きめ細やかな白い肌と言い、クリリとした宝石のような碧い瞳と言い、すらりと通った美しい鼻梁と言い、丸みを帯びた輪郭と言い、どこからどう見ても美少女だ。年齢は……背格好からして高校生くらい? うん、全然守備範囲内。正直、男のときに出会ってたら求婚していたと思う。


 だが、それだけで美少女と断ずるのはあまりに早計ではないか? 世の中には男の娘という人種も存在する。……いや、二次元にしかなかったが、こっちはファンタジーだし、いてもおかしくはない。


 そんな望みを込めて、俺は視線をさらに下へと移していく。華奢な身体を覆うのは、ギリシャ彫刻みたいな布をベルトで縛る形で構成された……白いケープつきのワンピースだ。そして、その胸部には――――やはり、膨らみがあった。


 それも、偽乳とか服の余裕とかそんな次元ではない……少なくとも並以上はあるOPPAIの膨らみが。


「ホワ↑ッツ!? なんで!? どうして俺女の子になってんの!?」


 思わず声が裏返りながらも、俺は頭を抱えて叫ぶ。それに呼応するように、水溜りの中の金髪美少女も頭を抱えて叫ぶ。


 異世界に来て初の台詞がこれとは、我ながら悲しいが……今はそれより、妙にすっきりした股間の感覚の方が悲しい。


 どうして…………どうしてこうなった!? いくら別物って言っても、そんな性別が変わるようなランダム性があるんだったら言うよな普通!?


 神様になったら性別が逆転するルールでもあるのか!? それとも何か能力の都合とかか!? でも俺別に異種変身メタモーフとかとってないぞ!? 俺は普通に難題求婚リフューズを……、


 と、そこまで考えた時、俺の脳裏に電流が走った。


 難題求婚リフューズの説明……、



『14.難題求婚リフューズ(消費度:中)』

神話類型テンプレート

『条件に合致する相手以外の対象からのあらゆる干渉を無効化する』

『ただし、条件に合致する相手からの干渉はたとえ神以外でも受ける』



 これ……性別を限定して、る……? 思い返してみろ。同じように婚姻が絡んでる人外婚姻マリッジの説明には『人間以外の生物と婚姻する神話類型テンプレート』としか書かれてなかったはずだぞ。


 此処で男女を限定しない書き方をしているのにわざわざ難題求婚リフューズのときだけ性別を指定しているってことは、この神話類型テンプレートを選んだ時点で性別は『難題を提示して干渉を拒絶する側』……つまり女性に固定されるってこと、に……………………。


 わ、


「分かるかこんなもォォおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!」


 俺はその場に膝を突き、全身全霊を込めて地面を殴りつけた。びしゃ! と気の抜けるような音と共に水たまりの水が飛び跳ねたが、それだけ。神様だから拳が痛くなったりはしないが……虚しさだけが残った。


 あと、俺の可憐な声の残響か。


「くそう……聞いてないよこんなの……。確かに選ぶとき、『ちょっと女っぽい感じの説明だな』って思ったりもしたけど、防御力と燃費の良さに釣られちゃったよ……。これって詐欺の手口だよな? 卑怯だよな……?」


 う、胡散臭いとは思ってたんだ。あの女、なんか終始馴れ馴れしいし、ルールブックとか渡してきて凄い親切だったからつい信用しちまったが、絶対あれは悪魔の類だよ。


 いや、俺は神様だから悪魔より格上だし、そうなるとあの女はさらに格上なんだけど……なんだ? 大悪魔神? ……なんか頭悪い肩書だな。


「…………まぁ、いっか」


 一通り頭を抱えてから、俺はふと我に返った。考えても仕方ないことをいつまでもぶちぶち言ってたって仕方がない。実際に俺は女神様になっちまったんだし、それに女神様になったからと言って消滅したいわけでもない。つまり、やること自体は変わらない。


 とにかく、生きていく(信仰Pを集める)為にはこの場で留まり続けることはできないんだ。アテなんかこれっぽっちもないけど、とりあえず歩き出さなくちゃ話が始まらない。


 まぁ……ご飯とか要らないらしいし、一応時間は一か月あるし、適当な村に行って人助けとかすればしていけば普通に生きていくのには困らないんじゃないかな。多分。


 だが、積極的に誰かを助けようとアンテナを張って生きていくつもりはない。神様になってまでポイント稼ぎに追われて生きていくのはごめんだし、その為に試行錯誤して死に物狂いで頑張るっていう気分には…………正直、なれない。


 思えば俺の前世は、我ながら慌ただしい人生だった。


 社会人になったと思ったら、親孝行する間もなく病気でころっと逝ってしまった両親に代わって、歳の離れた可愛い妹を養おうと上司の機嫌を伺ったり、業績を気にしたり、色々神経をすり減らして一〇年弱。


 職場の人間関係のこじれを胃潰瘍になりかけつつどうにか取り持ったり、お得意先の家庭事情にクビを覚悟で首突っ込んだり……。


 多分、俺は要領が悪かったんだと思う。


 ……お蔭で退屈しない人生だったが、それまでの一〇年で力を使い果たしたのか、俺は妹の結婚を見守ってから両親と同じように病気でころっと逝ってしまった。


 そんな自分の人生に、後悔はない。概ね。だが、それは『歳の離れた可愛い妹』っていう守るべき存在がいたからだ。この世界に、可愛い妹はついて来ていない。アイツは旦那と一緒に幸せに暮らしているはずだからな。


 だから、そういう守るべきもののない今回の人生は…………変に何かに首を突っ込んだりせず、自分の好きなように、気楽に、マイペースな人生を送りたい。


 せっかく神様っていう、不老不死の存在になったんだ。前の人生じゃやりたくてもできなかったことを、時間をかけてやってみるのも良いだろう。


 それより……心配なのは、多分俺以外の神様も今頃顕現しているだろうってことだな。


 あの女は俺以外の神様の存在を隠そうともしていなかったし、そもそもルールブックや複数の神話類型テンプレートが出てきている時点で他にも神様が出てくるのを想定しているようなもんだ。


 俺だけならともかく、起源創造オリジン建国始祖パイオニアみたいな大規模な『権能』持ちが一気に大量に現れれば…………この世界に混乱が生まれるのは想像に難くない。


 一応、そのへんのも考慮されてる可能性はあるが……ルールブックには段階的に顕現が行われるなんてことは書かれていなかったし、多分一斉に顕現する、で間違いないだろう。


 それに、仮に段階的に顕現するんだったら先発の神様プレイヤーがさっさと地盤固めをするから、後続の神様プレイヤーは不利すぎる。ここまで散々ルールに関してはゲームライクだったのに、此処で理不尽を発動することもないだろう。


 気になることと言えば、この世界に関する情報の末尾に『』なんてわざわざ明記されていた部分だが……まぁ、常識的に考えれば色んな神様が色んな場所で各々の活動をするからルールブックにある内容が最新とは限らないってことだと思う。


 まぁつまり、これから世界はいきなり現れた多数の神様でそれなりに混乱するはずってことだ。


 そうなったとき、俺まで厄介事に巻き込まれるのはちょっと御免だな。ただでさえ、俺は厄介事に首を突っ込みやすい性分なんだし……。……それに、今の俺の身体は下手をすると厄介事の方から向かって来そうだし。


 俺はそういう厄介事からは距離を取って、のんびりまったりと過ごしていたいのだ。


 ……その為には、まず自分のことを色々確認しないとだよな。『権能』も、顕現したら自分で能力の確認しろってルールブックにも書いてあったし。


 そう考え、俺は改めて自分の姿を観察する。


 まだ微妙に自分の身体であることは受け入れがたいが…………それを抜きにすれば、文句なしの美少女だ。ケープの下はノースリーブの上着になっているらしいが、ケープから覗く二の腕が我ながら何ともセクシーだった。


 ……それから、ミニ丈なワンピースの裾から見える太腿も。


 ………………やりたくても、できなかったこと。


 今は女になっているとはいえ、俺も元は男。しかも童貞だ。目の前に自由に使っても誰も怒らない女体があったなら…………そりゃ、色々と、確認してみたいことはあるよなぁ? これって、別におかしいことじゃないよなぁ?


「…………うん」


 自己弁護を完了させた俺は、そのまま自分の胸のあたりに手を伸ばす。ふにょん、と柔らかい感触が手に返って来て、同時に自分の胸が何かに潰されるように押された感覚をおぼえた。


 ……お、おお……。これが胸を揉む感触か…………。別にきもちよくなったりはしなかったが、嬉し……くない。なんか、虚しい…………。


 っていうか、ノーブラなんだな、俺の身体。ちょっとおっぱいが垂れないか心配になったが、神様だし重力だの遠心力だのに負けて形が崩れるってこともないんだろう。神の身体は便利だなぁ。


 ……そ、そういえば下の方はどうなってんのかな? 流石に下着の感触はあるけど……い、いやいや。流石に外でそこまではちょっと痴女い(形容詞)というか、確認するのはマズイよなぁ。し、しかし気になる……。


 ……………………ちょ、ちょっとくらいだけなら!


 そう思って思い切って股間に手を伸ばそうとして、俺は寸前で思いとどまる。


 いやいや、落ち着け俺。確かに自分の身体なんだしいずれは避けて通れない道だが、今ここですることじゃないだろ。自分の身体にサカってどうする。ここは落ち着いて、


 …………………………………………まずは胸の方からだな……、


「おいテメェ! 何してやがる!!」

「ひぃぃすみませんすみません!!」


 と、突如背後から聞こえてきた怒声に、俺は飛び上がって謝罪を連呼した。


 み、見られてた? このあからさまな変態行為を、誰かに? う、うわあああああああああああ!!!! も、もう駄目だ、俺は駄目だ、恥ずかしさで生きていけない……死のう……今すぐ死のう……神様だから死ねないけど……。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 その場に丸まってうずくまっていると、まるで残響のように別の謝罪の声が聞こえてきた。……あれ? おかしいな? 俺もう謝ったりしてないんだけど……。


 と、怪訝に思って顔を上げてみると……ゴツゴツとした人間大の岩が転がっている地帯の向こう、一〇メートルくらい先にある山道みたいなところで一組の男女を見つけた。


 一組の男女、と言っても二人はとても対等な関係とは言えなさそうだ。


 男も女も身なりはみすぼらしいが、男の方はまだ『古代ヨーロッパでは普通』と言えば通りそうなのに対して、女の方はただのぼろきれを身体に巻いてるような状態。しかも女は首輪をつけて男にロープで引っ張られ、地面に這いつくばっている。


 紛うことなき奴隷、というヤツだった。


 歳の頃は、大体中学生くらいか? 栗色の髪は手入れがされていないせいでボサボサで、背中くらいまで伸ばし放題になっている。薄汚れてはいるが、可愛らしい少女だ。


 え? 何でそんなことが分かるか?


 それはな、這いつくばっている奴隷の少女と俺の目が、ばっちり合ってしまっているからだ。


 あとついでに男の方ともな。


「…………あぁ? なんだこのガキ」


 男は奴隷の少女を引っ張りながら、俺の方へ近づいてくる。……んー……客観的に状況を見ると、これは……なんか知らないけど目が飛び出るほどの美少女が、無防備な状態でならず者の目の前にいるという…………うん、完璧にカモだね、俺!


「え、えーと……俺はだな、」

「ハハ、こいつは良い! こんなところでこれほどの掘り出し物が見つかるとはなぁ!」

「いや、あの、掘り出し物というか神様というかだな……!」


 マズイ。


 マズイぞ……! 俺のとった神話類型テンプレート難題求婚リフューズ。条件に合致していなければ神様からの干渉だって余裕で無効化できる優れものだが、条件に合致してしまえばただの人間にだって攻略できてしまうっていう弱点も孕んでるんだ。


 そのへんは顕現してから一人で色々と実験して何がOKで何がアウトなのかじっくり判断しようと思っていたが、それができてないこのタイミングで戦闘って色々と危険じゃないか?


 もしも『条件』っていうのが『男からの干渉』とかだったら今の俺はただの可憐な美少女同然の戦闘力しかないし!


 だ、だが逃げるにしたって神様の身体能力って基本的に同じ体格の人間と同程度ってあの女が言ってたからどう考えても逃げ切れるはずがないし!


「おぉ? 逃げねえな。観念したのか? それとも迎え撃つつもりだってのか? 面白れえ、軽く捻ってやるからよぉ!」


 などと考え事をしていたら、ならず者の方からこっちに向かって突撃してきた。


 う、うおおおおおお……! こ、こうなったら、やるしかねえ!

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