第17話 決戦!プロポリスタワー侵入④

 羽毛布団の上に落ちたかのような柔らかい衝撃を得て、蟲遣いグリッチャーは目を覚ました。

 目の前には、夢のような世界が広がっていた。

 空を翔けるペガサス。琴を奏でて美声を披露する女神。潮を拭きあげるクジラ。どこまでもどこまでも続く宇宙の海が、そこにあった。


「ここは……」


 押し寄せては返す、さざ波のような落ちつく音色が、心に沁みわたる。

 空気も澄んでいる。深呼吸してみれば、身体に蓄積した毒素が抜けていくかのようだ。

 太陽の光も暖かい。戦いで負ってきた古傷までもが癒やされていく。

 天国があるとすれば、まさにここがそうだろう。


「そうか、俺は敗北したのか……。先生せんせーに殺されて……」


 怒りはおさまっていた。いや、怒りを通り越して悟ってしまったのかもしれない。

 敗北は当然の結果だった。

 先生に歯向かって勝てるはずがなかったのだ。技術の差だけでなく、目標を達成するためのの差が、まるで違ったのである。


「俺はやはり、弱い虫ケラだったのか……」


 蟲遣いは、紐の切れた風船のように、その宇宙を彷徨う。

 自分が何者だったのか。何を成すべきだったのか。記憶というものが、順を追って摩滅まめつしていくのもわかる。

 このまま情報の海に溶け込み、そしてひっそりと消えていくのか――。

 しかし、意識が消えかけようとしていた丁度その時、蟲遣いの耳に女性の金きり声が聞こえてきた。その声のおかげで、消滅しかけていた意識はかろうじて引き止められたのだ。


「この声は……」


 そこには次元の裂け目のようなモノができていた。

 その先には、とある映像が写しだされている。

 重戦車ジャガーノートであった。

 彼女は、赤く腫れ上がった眼をしたまま、歯を食いしばって叫んでいた。胸部の傷からは精神情報がだくだくと溢れ落ちていて、足元には血溜まりができていたが、そんなことはお構いなしに、拳を握って箱の側面を殴りつけていたのだ。


「蟲遣い様っ! 起きて! 蟲遣い様っ!」


 泣き叫ぶ重戦車。彼女もまた、箱の中では虫ケラ同然の扱いを受けている。


「どこまでもバカで直情的な女だ……。想い人はもうとっくに死んだっつーのに……」


 蟲遣いは無様な重戦車のことを、鼻で笑った。

 結局は人間の力にも限界がある。愛だとか正義だとか唱えたところで、それはただの言葉でしかなく、言魂が宿って力が漲り、奇跡が起きるだなんてことは有り得ないのだ。


「……でも」


 けれど何故だろう。重戦車の悪あがきを見ていると、何か鋭利なモノが、心臟付近にチクチクと突っかかる。蟲遣いは胸を手で鷲掴みにしながら、そのわずかな痛みに息を乱した。

 このざわめく気持ちは何だろう。むずむずと湧き上がる熱い感情である。それは怒りではない。もっと違う何か。諦めることのできない、口惜しさだ。

 それが重戦車の魂と共鳴し、かろうじて魂の摩滅を防いでいるかのようだった。

 次に見えてきた映像は、堕落街の映像だった。そこは街の中でも一際に汚染が進んだ、下水道の一角である。そこには、一人の少年が膝を抱えて蹲っていて、周りには本物のゴキブリが這っていた。


「こいつは、幼少期の俺の姿か……」


 まるで人間には見えないおぞましい姿だ。ダンゴムシのように身体をダンボールで覆い、ただ寒さと飢えを凌ぐだけの惨めな生活を強いられている。見るも痛ましい、今すぐにでも、安楽死させてやりたいと思うくらいに、その時の蟲遣いは、希望に見捨てられていた。


「今の俺と一緒だって、そう皮肉りたいのかよ! 誰だっ! こんな映像を見せるのは! やめろっ! やめてくれっ!」


 蟲遣いは不細工に吠える。

 ……もう、何も見たくない。

 ……何も感じたくない。

 ……殺してくれ――。

 蟲遣いは自暴自棄になり、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。

 そうやって、地の底にまで絶望しきり、心が荒んでどうにもならなくなった時。

 蟲遣いの身体の周りに、黒く醜い害蟲がたかりはじめた。


「害蟲がたかってくる……。そうだよ害蟲よ、こんな憐れな肉塊は喰ってしまえばいい。骨まで残らず、俺の魂を自然に還せ……。もう嫌なんだ、こんな生き方……」


 蟲遣いは真摯にそう願う。

 ――ギギギ。

 ――チチチチチチッ。

 けれど害蟲は、蟲遣いの側にたかったままだ。決して四肢を喰い破ろうとはせず、そこに身を委ねて小さく鳴いている。まるでそれは、害蟲が蟲遣いの朽ちていく魂を、何とかして蘇らせようとしているように、受け止めることができた。

 その時だ。害蟲のざわめきに混じって、とても落ち着く声が聞こえてきた。


「ぐぅちゃん、大丈夫ですか?」

「シスタ……」

「はい、シスタちゃんですよ」


 目の前に現れたシスタは、天使の羽のように腕を大きく広げ、蟲遣いを出迎えてくれた。


「お前、システムの中枢に向かったはずじゃ……」

「はい。ここがその、システムの中枢です」

「ここが?」


 蟲遣いは辺りを改めて見回す。

 まるで天国のようなこの場所こそが、精神情報が蓄えられているシステムの中枢であるとすれば、確かにそれはイメージ通りではあるが。


「だがなぜ、この俺がシステムの中枢にアクセスできているんだ?」


 その疑問に、シスタはすぐに答えてくれた。


「システムの中枢には、この世界の精神情報が詰まっているです。こうして会話できるのは、ぐぅちゃんの精神情報の本懐が、こちらの世界で彷徨っていたからです」

「それってつまり……」

「はい。ぐぅちゃんは残念ながら、精神の死を迎えてしまいました。塵と化した意識の断片は、この世界に溶け込み、そして浄化され、共有化されていくのです」

「なるほどな……。ここは魂の最終処理場てとこか……」


 ヴァーチャル=ネストと呼ばれるシステム、その全容が少しだけわかった瞬間だった。おそらくは人の魂が行き付く終着駅こそが、この場所なのであろう。その魂が溶け込む間際のエネルギーを、人類は現実世界でリサイクルしていたのだ。


「なら、後は安らかに眠るだけだな。俺はもう疲れた……。休ませてもらうぜ……」


 蟲遣いは穏やかにそう言って、害蟲の群れに身を預けた。

 けれど、シスタは首を横に振って、こう言い返してきた。


「それは認められませんですよ、ぐぅちゃん」

「んなっ!」


 あまりにも一方的に言われたもので、蟲遣いは意表を突かれてしまい、飛び起きた。


「ふざけるな! 俺を浮遊霊にするつもりか! 成仏させろよ!」

「だめです。ぐぅちゃんを連れていくわけにはいきませんですよ」

「なぜだ!」

「あれを見てくださいです」


 シスタが指差す先には、黒く淀んだ空と、ネバネバと糸をひく海がある。その様相は、じょじょにこの世界を蝕んでいるようだ。


「あれは?」

「先生の放ったウィルスですよ。この世界はあとほんの少しでウィルスに飲み込まれ、完全に掌握されてしまうです。そうさせないためにも、あのウィルスを駆除しなければならない。駆除する方法は一つだけ。ウィルスを遠隔で操っている先生を倒すこと……」

「でも、先生は子供たちのためにシステムを掌握しようとしているだけだ。統治者の支配から、自由を奪還しようとしているだけだ。結末は少し違っちまったが、それも正しい選択なんじゃないのか?」

「そうでしょうか? あたしには、そうは思えませんです」


 シスタの拳に力が篭った。


「あたしは悲しいです。人類はもう手を取り合って生きていくことはできないでしょうか? 肩を並べて、心を通わせて、大人と子供が一緒に歌を歌って、踊って回って。それって、そんなに難しいことです?」

「わからねぇよそんなこと。俺に聞くな!」

「でも、ぐぅちゃんはあたしを慰めてくれたです! あたしのやっていることは、無駄じゃないって慰めてくれたです! あたしにとっては、それが何よりの支えになった!」

「それは、口からでまかせってヤツだ……。俺の本心じゃ……」

「ジャガイモさんとも、最初は歪みあっていたのに、きちんと仲良くなれたじゃないですか! 仲間だって、そう言ったじゃないですか!」

「それは、成り行きで口が滑って……」

「ぐぅちゃんはこうも言いました! 最後まで諦めるなって! 結果よりも、自分が納得できたかどうかが大切だって! この戦いの結末は、本当にぐぅちゃんが納得した終わり方なのですか?」

「……俺は、俺は」

「あたしは嫌です。最後まで抗います。でも実際、弱いあたしには、もうウィルスが感染するまでの時間を遅らせることくらいしかできない……。だから頼るしかないんです! ぐぅちゃんが強い人だって、知っているから。知っているからこそ、ジャガイモさんも、害蟲さんも、ぐぅちゃんを頼って、最後まで抗うんです! です!」


 腹の底から叫び、咽び泣くシスタ。

 先ほどからどうも、シスタは切羽詰まった台詞ばかりを口にしている。


「……どういう意味だ?」

「それは――」


 シスタは言葉の後に、くらりと頭を揺らし、その場に倒れこんでしまう。

 顔色がすこぶる悪い。唇も乾燥し、息も浅い。

 下半身は半透明になっていて、今にも消えてしまいそうだ。


「シスタッ! 大丈夫か!」


 蟲遣いは慌てて駆け寄り、シスタの背中を擦ってやる。シスタの身体は氷のように酷く冷たい。皮膚にはヒビのようなモノが入っていて、今にも粉々に砕けてしまいそうだ。


「ごめんなさい。本体のほうが、もう限界みたいです……」

「本体? 何の話をしている? お前は仮想生物だ。死とは無縁のはずだ。そうだろう? だから、この生死の境とも呼べるシステムの中枢にいられた。この場所は死を受け入れた者にしか訪れることのできない、そんな場所のはず――」

「えへ。あたしの体内に眠る精神情報は、もう枯渇寸前。寿命ってやつです……。だから、あたしは……。つまり、そういうことです」

「寿命? 管理者の資格……?」


 おかしな話だ。プログラムによって創られた仮想生物のシスタに、寿命なんて概念はない。その生命は永遠に続くはず。ウィルスに侵されたとしても、自衛手段ならいくらでもある。


「ごめんなさい……。ぐぅちゃんには一つ、嘘をついていたです。実はあたし、仮想生物なんかじゃない。れっきとした人間でしたです……」

「人間だと……?」

「先生に隔離されたのは、どうやらあたしのココロの中にある記憶情報だったらしいですね。その情報体をベースにして、アバターとして生きながらえていたようです。つまり、ぐぅちゃんと一緒に手を繋いでいたのは、偽物の姿。ただの幻。ただの仮想現実……」

「ちょっと待て。なら、お前の本物の姿は……。本物の身体はどこに……?」

「えへへ。あたしとは、ちょっと前に学校で出会ってますよね……」

「……ッ!」


 蟲遣いは戦慄し、声を詰まらせた。

 シスタの正体は、学校で死にかけていた、痩せこけた瀕死の幼女だったのだ。


「お前、なぜそんな大事なことを隠していたっ!」

「だって、あたしは管理者ですから。パッチを当てて、世界のバランスを整えるのが最優先でしたから。だから、あたしは先生にわざと捕まった。外に出られるのは、それが最初で最後の機会でしたからね……。でも――」


 シスタは蟲遣いの胸の中で泣いた。鼻水をぐしゅぐしゅと垂らした。


「ごめんあさい……。先生の罠にまんまとはまってしまったですよ……。パッチじゃなくてウィルスを当ててしまったですよ……。とんでもない過ちを犯してしまったです……」

「シスタ……」


 シスタはただ、世界の平和を願っていただけだ。

 死にかけているのにそれを悟られまいと嘘をついていたのも、蟲遣いに無駄な心配をかけさせないためであり、最初で最後のチャンスをふいにしないためだったのだ。


「なんと健気なことを。そうとは知らず、俺は自分のことばかり考えて、カッコつけてた。シスタを護っていれば、自分が強い存在になれると、目標や夢が叶えられると、そう誤解していた……」


 なんて情けない愚かな行為。

 シスタを助け、世界の平和を護る、だ?

 それは偽善にも程がある。

 それはただ単純に、正義をかざして戦う自分の勇姿に酔っていただけ。


「ぐぅちゃん……あたしは……一人で寂しく死んでいってもかまわない……。この世界に住むみんなが……笑顔でいてくれるなら……自分一人の犠牲で全てが丸く収まるなら……この生命を捧げるくらい安いものだと思っていますです……」

「……」

「だから……ね? あたしのことは……ほっといて大丈夫。諦めずに生きて……戦ってください。ウィルスを止められるのは……強いぐぅちゃんだけ……」


 シスタの身体はいよいよもって精神の死を迎えようとしていた。その身体も半透明になっていき、今にもヴァーチャル=ネストから切り離されてしまいそうだった。

 ――蟲遣いは考えた。

 この世界を救うため、シスタの命を見捨てて生き返り、先生を倒してウィルスを止めるべきか。

 それとも孤独に死のうとしているシスタのために、せめて一緒に心中するか。

 どちらが正しい? どちらが納得できる道だ?

 そんなもの、そんなものっ、選べるはずがない!


「――どっちも納得できるはずがねぇ! 俺は頑固だ! この世界も救うし、シスタの命も救ってみせる! 運命と呼ばれるレールが目の前に敷かれているのなら、俺はそのレールから脱線して突っ走ってやろうじゃねぇか!」


 蟲遣いの無茶苦茶な宣言に、シスタは目を丸くさせた。


「世界も救うし、あたしの命も助ける? そんなの無理です! もう、なるようにしかならない! そんなワガママ、突き通せるはずがないです!」

「そうだろうよ、それがシステムのルールなんだろうよ。だがな、俺の精神情報は元々、そんなルールの外側にあるんだよ。害蟲バグを操る蟲遣いグリッチャー。それが俺の名だッ!」

「まさか……害蟲さんの力を使って……」

「ああそうだ。システムの中枢をバグらせる。確率は低いがやるだけやってみよう。だからシスタ、弱音を吐くな。みすみす見殺しになんてしねぇよ、安心しろ」


 蟲遣いはシスタの頭を撫でながら励まし、その手首を引っ張って強引に起こした。


「二人で力を合わせるんだ! 一緒に戦うんだ! 諦めずに、最後までっ!」

「ぐぅちゃん……」

「行くぞ! しっかり手を握ってろ!」


 蟲遣いはシスタの手を握ったまま害蟲を身にまとい、最後の切り札を発動させた。

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