第9話 逃避行の果てに奴はいる④

「コマンタレブー。お久しぶりですね、蟲遣い様」


 礼儀正しくスカートの端を持ち上げながら一礼する重戦車ジャガーノート

 だが、蟲遣いグリッチャーは不躾な態度で挨拶を返す。


「久しぶり? 昨晩、繁華街の裏路地で争ったばかりだろ!」

「だって、蟲遣い様とは三時間に一度、顔を会わせないと、寂しいんですもの」

「てめぇの顔なんぞ、頼まれたって拝みたくもねぇ! こちとらアレルギーで湿疹が浮き出てくるぜ!」


 この街のハッカーが、蟲遣いの懸賞金目当てに辺りを捜索し始めたことは、先生からの忠告で重々承知していた。最悪ハッカーに見つかって交戦することも視野に入れていた。

 しかし、一番やっかいな奴に見つかってしまった。

 いや、見つかったのではないのだろう。このストーカー女は、きっと蟲遣いの動向を最初からある程度把握していたに決っている。当然のことのように、ちくいち監視していたのだ。いつでも逢えるようにと。

 とんだ変態に目をつけられてしまった。蟲遣いは奥歯をギリギリと噛みしめる。


「あら、どうして怖い顔をしてらっしゃるの? ハンサムなお顔が台無しですわよ」


 桃色の薄い唇でニッと笑う重戦車。その笑顔には憎たらしいくらいに余裕がある。


「そりゃ怖い顔くらいするぜ。人のツレを、ヌイグルミみたいに抱えてんじゃねぇぞ!」


 シスタは重戦車の膝の上にチョコンと座らされていて、酷く怯えていた。

 そのシスタの髪をいい子いい子と撫でながら、重戦車は喋り出す。


「この仮想生物、蟲遣い様の所持品でしたの? 私はてっきり、的屋の棚に並べられた景品のテディべアかと思いましたわよ。可愛らしいヌイグルミは、クールな蟲遣い様には不要かと」

「余計なお世話だ! 今すぐシスタを離せ!」


 虎のように吠える蟲遣いだったが、重戦車は聞こえませんよと知らばっくれている。


「懸賞金が賭けられたと聞いてきてみれば、こんな脆弱な仮想生物を連れて逃げまわっていたなんて。どういう了見ですの? なぜ私に許可を得なかったのですか?」

「許可? お前には関係のない話だろ」

「……関係ない? 関係ない……ですって? え? え? え? どうしてどうして? プールコワ? まったく意味がわからないですわねぇ?」


 耳を向け、ぶつくさと呟く重戦車。その滑らかな巻髪も、わずかながらに逆だっていく。


「酷いですわ蟲遣い様。私という素敵な淑女がいながらに、こんな小さな女の子と街中でデートをするだなんて。羨ましい、妬ましい、絶対に許せない……絶対に……」

「お、おい、まて、落ち着け……」


 辺りには不穏な仮想現実が生まれ始めている。ヘドロのような負の瘴気。触れれば飲み込まれてしまう底なし沼のような、真っ黒な精神情報の渦。


「いやですわ、私ったら、こんな小さな子供に嫉妬してる……。蟲遣い様の隣にいて、手を握りあって……羨ましいなぁって……私も手を繋ぎたいなぁって……あわよくば、はぁはぁ……ベッドの上で一緒に……ふんぐほぐれつ一心同体に……」

「何をごちゃごちゃ言ってんだてめぇ?」

「私はこう言いたいのですわ。こんなにも気品あるイイ女がいながらに、どうしてこの幼女を選んだのですか! 逃避行するなら、私とでしょうがっ!」

「相変わらずトチ狂ってやがるな。クスリでもキメてんのかてめぇは」


 やっぱり、オチはそれだった。

 結局、嫉妬しているのだ。シスタと一緒に仲睦まじくしていることが気に入らないのだろう。だからわざわざやってきた。シスタと蟲遣いを引き離すために。


「ぐぅちゃん! この人、頭がクルクルパーですよ!」


 シスタが泣きながら助けを求めてくる。


「大丈夫かシスタ! イタズラされてないか!」

「気付いたら鎖で縛られてて。それだけですが、手も足もでないですよ……」


 シスタの細い身体はギチギチに縛り付けられている。フンコロガシがその鎖を断ち切ろうと牙を立てていたが、重戦車の創りだした仮想現実ならば、そう簡単に断ち切れるはずもない。


「重戦車よ、話を聞いてくれ。お前とは戦いたくない。俺は今、忙しいんだ。人生がひっくり返るほどの大仕事のまっ最中なんだよ。だから見逃してくれ」

「ノン、ノン、ノン……絶対に嫌ですわ」


 が、駄目。重戦車も大概に頑固である。


「蟲遣い様。貴方は情けないですわねぇ。目先の欲望に目が眩み、ヴィジュアルハッカーとしての矜持を忘れている、そんな遅鈍ちどんな男を好きになった覚えはありませんことよ」

「俺は俺のやりたいようにやる。てめぇに指図される筋合いなんてない」

「だとしても、私と一戦交えていただきますわ。私に勝てれば、この子娘は解放してあげますわよ。単純なゲームでしょう?」


 言いながら、重戦車はネイル端末を煌めかせ、臨戦態勢の構えを取り、挑戦状を叩きつけるがごとく、指の先端を蟲遣いに向けてきた。


「やるしかねぇか……」


 蟲遣いもまた、トレンチコートの裏地に潜めていた害蟲を解き放つ。重戦車の重い攻撃に耐えられるようにと、防御を徹底するために、皮膚の表面に鎧虫を貼り付けていく。


「ま、待ってくださいです! 喧嘩はよくないですよ!」


 今から血で血を洗う決闘をしようというこの状況で、シスタが場違いな事を言い出した。


「あら、シスタさんと言いましたか? 蟲遣い様への愛を捧げた聖戦に、口を挟まないでくれませんこと?」

「挟むですよ! この戦いに意味はないです! だからお願いしますです。ぐぅちゃんと喧嘩することだけは、やめてください……。ね? ジャガイモさん」

「ジャガーノートですわよ……」


 眉間に皺を集める重戦車ジャガーノート

 シスタは重戦車を無意識のうちに挑発してしまっている。


「ジャガイモさん! お願いですから、あたしたちを見逃してください! この街のシステムを正常に戻すことは、ハッカーにとっても利益のあることだと思うです!」

「言いたいことはそれだけですか?」

「……え?」


 きょとんとするシスタ。

 そのシスタの顎を優しく掴みあげながら、重戦車は語りかけた。


「知っていますわ。あなたこそがヴァーチャル=ネストの管理者らしいですわね。たいそうなご身分ですこと。あなたを連れ戻すか、難しいようなら殺してしまえと、私は統治者に仕事を請け負ってきた」

「やっぱり……統治者があたしのことを……」

「でも、それは仕事上の建前にすぎませんわ。それに私、シスタさんを身代わりにして蟲遣い様の行動を制限するような、卑怯な真似をするつもりもない。ただ、貴方が、このバトルフィールドにおいて、お邪魔虫なだけですわ」


 重戦車はシスタの髪を雑に掴み、背後へと放り投げた。


「うにょにゃぁ!」


 シスタは顔面から地面に墜ち、沈黙した。頭の上には星がいくつか旋回している。

 そして重戦車は、蟲遣いを上目遣いで睨み始める。


「嗚呼ぁん……。やっと本気で殺しあえる。この瞬間を、私はいつだって流れ星に祈ってきたっ! 仕事なんてどうでもいいですわっ! 私はただ、蟲遣い様と全力で愛しあいたいだけっ!」


 ついに重戦車は、周囲に仮想兵器を創り始める。

 右手にはガトリング砲が召喚され、左肩にはマスケット銃のようなモノがいくつも召喚され、背中には弾薬庫のような、ゴツゴツとした機械が召喚される。それらが全て、重戦車の座っている車椅子に、次々と連結されていった。

 そして重戦車は、自分が今回の舞台の主演女優と言いたげに腕を広げて、声を高々に張り上げた。


「『エクスプロージョン=エクスプローラッ』この勇姿こそが、私のストレス=アビリティ! 爆発物の材料となる『火薬』を具現化する、誰にも太刀打ち出来ない最強の特殊能力ですわっ!」


 その姿は、火がつけば爆発するであろう、動く火薬庫だ。

 爆発物となる火薬を具現化するということは、圧倒的な攻撃力を誇るということでもある。目の前にあるオブジェクトを全て爆散し、消し炭一つ残さず破壊し尽くす。それこそ、重戦車が最強のヴィジュアルハッカーと恐れられる所以だ。

 そんな重戦車の重厚なフォルムから目を離さず、蟲遣いは端的に言う。


「……っち。そういうことだシスタ。やっこさんはやる気マンマン。この戦い、もはや逃げ道はねぇぜ。戦って勝って、シスタの鎖を俺が解いてやるしかない」

「でも!」


 シスタは必至に食い下がる。どうにか血を流さずにこの場を鎮めようと考えているようだが。

 ヴィジュアルハッカー同士の戦いは、常に生きるか死ぬかだ。平和ボケした生温い言葉を真に受けているようでは、命が幾つあっても足りやしない。


「シスタは黙ってろ。お前は観客席から、俺が勝つことだけを祈ってりゃいい」

「祈るだけじゃ嫌です! あたしにだってできることはありますです!」

「てめぇは足手まといだっつってんだよ! いいから、俺の邪魔をするな!」

「うう……足でまといとか……ちょっと傷つきますです……」

「ふんっ。俺は強いんだ。それを証明するいい機会にもなる。デミゴット級第一位の座は、いずれ俺が奪うつもりでいた。そして今がその時……」


 重戦車はこの業界において、『デミゴット級第一位』の称号を持つヴィジュアルハッカーだ。蟲遣いは、その後に次ぐ第二位と呼ばれている。1と2は数値で見ればわずかな誤差ではあるが、けれどその戦力の差は歴然としていた。

 だから蟲遣いは、今まで重戦車のストーカー行為から逃げ続けてきた。自分のプライドを捨てざるを得ないほどに、彼女は本当に強いのだ。

 けれど、その伝説も今日までだ。


「……準備はいいか害蟲バグよ。ひとつ下克上と行こうじゃねぇか」

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