第8話 逃避行の果てに奴はいる③
結局アイスクリームを十個もたいらげたが、満足のゆくモノは創ることはできなかった。創れば創るほどにオブジェクトは劣化していき、最後に完成したアイスクリームなんて、道端に放置された馬フンような出来になってしまった。
「料理の勉強をしておくべきだった……」
後悔先に絶たず。ここまでの失態を演じることは無かったかもしれない。
「ただいま……。結局うまいアイスクリームは創れなかった……。俺の負けだ……」
「おかえりぃ! 別に気に病むことはないですよ!」
シスタはベンチに浅く腰かけ、足を浮かばせてはパタパタと動かし、随分と上機嫌に笑っている。
「何がおかしい? 寒さに唇を蒼くさせる俺の姿が、そんなに滑稽か?」
「いやいや、むしろ逆です。そこまで熱心にアイスクリームを創ってくれて、あたし嬉しいのです」
「……別に、お前を喜ばせたくて熱心になったワケじゃない」
蟲遣いはプイと顔を背けた。
しかし、シスタは背けた視線に周りこんできて「えへへ」とニコニコ笑い続ける。
「あたしね、ぐぅちゃんにはとても感謝してるですよ。こんなに楽しい時間を過ごせたのは、生まれて初めてですから。街を気兼ねなく散歩できたのも、初めてです」
「ふむ……」
嬉しそうな言葉とは裏腹に、シスタの瞳の奥には、なんとも言えない悲劇が垣間見えた。まるで涙を必死に飲み込んでいるかのようでもある。
「お前ってシステムの管理者なんだろ? 別に俺が世話しなくても、システムの影響が及んでいる場所ならば、自由に行動できるんじゃないのか?」
シスタは特別な子だ。ヴァーチャル=ネストの基礎を理解し、きちんと鍛錬を積むことができれば、それなりに強いハッカーになれる素質を持っている。その力を行使すれば、どんな難題をも切り抜け、夢すらも叶えられるだろう。
けれどシスタは残念そうに首を横に振った。
「いいえ、あたしは弱く、そして役立たずな女の子です。管理者であるあたしの特殊能力、つまりぐぅちゃんたちの言うストレス=アビリティってやつは、パッチを生み出し、それを適応する権限だけ。シンプルにそれだけですから」
「シンプルにそれだけ? それ、だけなのか?」
「基本的に、あたしは暗くて狭い作業部屋にいつも居て、せっせとパッチデータを創っているだけ。ごくたまぁに外の空気を吸うことを許されていただけでした。つまりは、飼い殺しってやつですね……」
「お前のことだから、スキップ混じりに街を徘徊してると思ってたぜ」
「それは無理です。あたしの行動は、本来は一から十まで監察されてますですから」
「管理者のくせに管理されているのかよ。ならどうして、この街にやってこれた?」
「それは……たまたま抜け道があったから」
「たまたま……抜け道が?」
システムを運営する統治者が居眠りでもしていたのだろうか。だとしても、この世界の最重要機密であろう管理者のシスタを、みすみす脱走させてしまうなど、あってはならない不祥事である。
それ以前に、シスタのような仮想生物を創り出し支配すること事体、あまり効率的ではない。
「おいシスタ、お前はどうして創られた?」
「なんですか? ヤブカラボーに」
「だって道理に合わないだろ。パッチを適応できるシステムの番人が、力も能力も持ちあわせていないアホな子供の姿を晒しているだなんてよ」
番人と言えば、もっと
ならなぜ、幼女の姿を象っているのか? 自衛手段を持ちあわせていないのか?
「怖いのですよ。恐れているのですよ。人類は、夢と現の狭間にある、システムと呼ばれる不明瞭な概念に、魂が飲み込まれてしまうことを……」
シスタは、柄にもなく哲学的なことを呟いた。
蟲遣いが「なんのこっちゃ」と首を傾げていれば、シスタは補足説明し始めた。
「この夢現狭と呼ばれる街は、ヴァーチャル=ネストという、人間には本来、干渉できない概念に完全に支配され、統括されてますです。しかも人間が心の中に持ち合わせている魂すらも、機械に掌握されてしまっているです……」
「夢現狭に住む人間は、システムに自分の金玉を握られているようなもんだからな」
「……金のタマタマ、です?」
「……いいから話を続けろ」
シスタは頷き、話を続けた。
「だから、開発者はシステムに弱点を一つ埋め込むことにしたです。それが弱いあたし。もしヴァーチャル=ネストが暴走し、人類に対して悪影響を及ぼすことがあれば、あたしが創りだすパッチを当てて、すぐにシステムをリカバリィできるように設計したのです」
「なるほど。つまりシスタはヴァーチャル=ネストの抑止力であり、弱点でもあるわけだ。小さな子どもの姿をしているのは、その抑止力が、人類に楯突かないようにするためか」
子供を叱り、黙らせる。力でねじ伏せ、行動を束縛する。統治者がやっていることは、まさにそれだ。
幼女の姿をしているのは、命令に背かない従順なシステムを構築するためだ。
それがシスタという安全装置だ。どこはかとなく弱気な性格もまた、人類にとって都合の悪い考えを起こさないようにと躾けられたものだろう。
「だからもし、統治者に捕まったらと考えると……怖いです。きっと凄く凄く怒られて、お尻を叩かれてしまうです……。何度も、何度も、お尻が腫れ上がるまで……うぅ……」
シスタは自分の小さなお尻をさすりながら、ビクビクと震える。聞き分けのない子供は折檻を受けるものだと教わってきたのだろう。
「安心しろ。そうはさせない。俺にまかせておけ」
「……どうしてです?」
シスタが手を強く握ってきた。
「どうしてぐぅちゃんはあたしを助けてくれるです? プロポリスタワーが集めた精神情報が目当てなら、管理者権限を提示できる秘密鍵や、システムを更新できるパッチだけを奪っていけばいいだけ。あたしを連れて逃げるのは、ただの足手まといじゃないです?」
「まぁそうだな。金魚のフンみたいで、煩わしいったらありゃしねぇ」
「なら……どうして切り捨てないです?」
「そんなの、ついでに決まってんだろ。俺はお前を特別扱いなんてしないし、弱い生物だとも思っていない。邪魔者だったら消すが、利益があるうちは生かしておくべきだ。そうだろ?」
「それはつまり、友達って意味ですか?」
「どう解釈したらそうなる。だから、つまりだな……。そうじゃなくて――」
うまく反論することができず、蟲遣いは次第に口ごもった。
「――ああもう! しみったれた話はこれで終いだ!」
蟲遣いは大声を出し、気持ち悪く馴れ合っていた雰囲気を吹き飛ばそうとした。こんな姿を他のハッカーに見られたら、それこそ蟲遣いの株は大暴落であろう。
「ぐぅちゃんは優しいですね。なんだかんだ言って、心はあったかふわふわです!」
「……っち。褒めるなよ。ケツの穴がむず痒くなる」
蟲遣いは恥ずかしさを紛らわすために、掴まれていた手を払った。そして空いた手で後頭部をボリボリと掻きながら、辺り周辺に視線を泳がす。
この繁華街にやってきてから半日、まるで本当の兄妹のように、はしゃいでしまった。それもこれも、このお祭り騒ぎな雰囲気に呑まれてしまったからであろう。
恥ずかしい。穴があるならば、潜った後に誰かに埋めてほしい。
蟲遣いは、自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
「……クソったれ」
と、そんな自分の惨めさに反省していた時だ。
その恥ずかしさとは別の、一つの異常を、蟲遣いは感じとった。
「……妙に静かじゃないか?」
「え? ああ、そういえば雑音が無いですね」
「人の姿も消えている」
休憩のため座っていたベンチの周りには、たくさんの露店が軒を連ねている。しかし、つい先程まで「いらっしゃい、いらっしゃい!」と客寄せを行っていた店主の姿はそこになく、街を行き交う一般人の姿もこつ然と消えていた。
ひゅう、と木枯らしが公園を吹き抜けていく。
カラスがカーカーと鳴き、空き缶がカラカラと公園の中央を転がっていく。
この街を彩り楽しませるはずの仮想現実ですら、重苦しく剣呑な雰囲気を演出していた。
「しくじった……。俺としたことが、会話に夢中で油断していた……」
「え? どういうことです?」
「ヴィジュアルハッカーだよ。俺たちがこの場から逃げられないように、大規模な情報規制をしきやがった。この辺りの公園は、侵入禁止エリアに指定されている!」
ネイル端末で辺りの地域マップを参照すれば、半径300メートルという規模の範囲が『立ち入り禁止区域』に指定されている。そのせいで、人がこの公園広場から離れてしまったのだ。
なぜ、その規制にすぐに気付かなかったのか? シスタとの会話に夢中になっていたから、という失敗もあるが、それ以前に蟲遣いが気付かなかったのには大きな理由があった。
蟲遣いのネイル端末は、グリッチ=ノイズの影響により常にバグっている。なのでヴァーチャル=ネスト内で提供される無料サービスや一般コンテンツを常時利用することはできない。つまりは天気予報だとか自らの位置情報だとかの受動的なサービスを、無意識に遮断してしまう傾向にあるのだ。
立ち入り禁止区域に指定されたという勧告も、本来ならば即座に緊急メールで受信するところだが、蟲遣いの場合はタイムラグが発生してしまい、気づくのが大幅に遅れてしまうのである。
その脆弱性を突いて、ハッカーがサイバー攻撃を仕掛けてきた。まずは邪魔でしかない一般人を蟲遣いから遠ざけるつもりで、周囲の仮想現実をハッキングしているのだ。
そして、蟲遣いのその唯一の弱点を巧みに突いてくる人物と言えば、限定される。
「まさか……! よりにもよって、あいつが!」
「あいつって誰です?」
「デミゴット級第一位……。俺より強い最強のヴィジュアルハッカー……。腕前だけじゃねぇ。人としても、最低最悪最恐の危険極まりないクソ女だ……」
「最強のヴィジュアルハッカーって、ぐぅちゃんが最強じゃないんですか?」
「だとしても、関わりたくない人間はいくらでもいる! くそったれ……。シスタ、頭と腰をなるべく下げて、素早くこの場から離れろ! 死角からいつ狙撃されるともわからんぞ!」
シスタを突き飛ばし、逃げるように促しながら、蟲遣いは戦闘態勢の構えを取る。
敵はどこから攻めてくる? 辺りを注意深く目視しながら、不意打ちにも備える。
しかし、敵の最初の狙いは蟲遣いではなかった。
「きゃあ!」
シスタの叫び声。慌てて振り向くも、シスタの姿は見当たらない。
「助けて! ぐぅちゃん!」
シスタの声を辿っていけば――
「アビニョンの橋で~踊るよ踊るよ♪ アビニョンの橋で~輪になって組んでぇ~♪」
そこには、ミュージカル調の美声を陽気に披露する少女がいた。今日は一糸乱れぬドレス姿。小さな車椅子を自らの細い腕でリズミカルに漕いでいた。
そして、膝元には鎖で縛られたシスタを抱えている。
「
それが少女のハンドルネームだ。今回ばかりは絶対に顔を合わせたくない、ヴィジュアルハッカーだった。
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