第7話 逃避行の果てに奴はいる②

 当面の問題は、プロポリスタワーのセキュリティレベルが緩和される最善のタイミングまで、その余った時間をどう凌ぐか、ということだった。

 先生せんせーがセキュリティ部門や警備部隊を抑えてくれるという話だが、もとよりそんなことはどうでもいい。

 問題とすべきは、統治者に雇われたハッカーや、懸賞金目当てに動きだすフリーのハッカーである。彼らに見つかり、交戦することはなるべく避けたい。

 この街に非常用の隠れ家のような場所はいくつか用意してあったが、そこに隠れるというのはあまり賢い判断ではない。相手が勘の鋭いハッカーであるならば、この街全体をスキャンして、隠れていそうな場所を手当たり次第に調べるはずだ。

 そうなると袋小路。運悪く隠れ家を特定された時点で、ゲーム・オーバーだ。

 ならば、日が昇って辺りが明るくなった今、どこに身を隠すべきか。

 思案に暮れた結果が、繁華街をアテもなく彷徨い歩くという戦術だった。


「うわぁ! みてみてぐぅちゃん! ほら、凄い綺麗な花火ですよ!」


 今日も晴天。太陽がギラギラと日照る真っ昼間ではあったが、空には黒いスクリーンが映し出されており、そこには立て続けに花火が打ち上げられていた。その爆音と映像の華やかな共演に、シスタは目玉が飛び出んばかりに興奮している。


「シスタ、ちゃんと足元を見て歩け。すっ転んで膝小僧すりむいても知らんぞ」

「でもでも、ほら! あっちには怪獣が!」


 反対方向では、ビルよりも大きな怪獣が「ガオーッ!」と雄叫びをあげ、熱線を吐き出している。


「うひゃー……大迫力……」


 びっくりして、その場に尻もちをつくシスタである。


「言わんこっちゃない。ほら、手を貸してやる」


 蟲遣いグリッチャーはシスタの小さな腕を掴み、身体を引っ張り上げてから、服についた土埃を払ってやる。

 しかし、そんな献身的な世話もお構いなしに、シスタははしゃぎ続けている。


「凄い凄い! 右を向いても左を向いても、空を眺めても足元を見ても、そこかしこエンターテイメントです! 興奮度マックスです!」


 シスタはやはり幼い。こんな子供騙しの仮想宣伝を見て、本気で喜べるのだから。


「楽しそうで何よりだが、あんまり俺から離れるなよ。この街には、迷子センターなんてありゃしねぇんだからな」

「うんわかってるです。あ、アレなんだろう? ちょっくら見てくるです!」

「注意した側から離れようとするなっ!」


 蟲遣いはシスタの頭を鷲掴み、こちらに引き寄せた。好奇心をフルスロットルにして、アッチへウロウロ、コッチへウロウロとする子供の世話は、とても大変なものだと痛感させられる。


「せっかく繁華街に来たのに、遊ばないなんてもったいない! ですよね!」


 シスタの触覚はピコピコと跳ねまわっている。どうやらこの触覚は、喜怒哀楽を表す感情センサーのような役割があるようで。つまり今は、とても楽しんでいるということだ。


「あのな、俺らは遊びにきたわけじゃないんだぞ。少しは危機感を持てよ」

「なら何しに繁華街に? 遊ぶ以外に何の目的があるです?」

「繁華街は人でごった返している。昼も夜もそれは変わらない。ハッカーの監視の目から逃れるには、下手に隠れたりはせず、街を常に移動しながら逃げるほうがいい」

「どういうことです?」

「だからつまり、この大勢の一般人を隠れ蓑にするということだ」


 木を隠すなら森の中、というコトワザがあるように、群衆の中にまぎれて常に移動を繰り返していれば、一つのターゲットを絞り込むことも難しくなるし、もし見つかったとしても、群衆を盾にして即座に逃げ出すことができるだろう。

 この繁華街は、地理的にはプロポリスタワーの近辺に栄えている。大人も若者も、富裕層も一般層も入り乱れ、ただただ快楽を得るための療養所として、広く娯楽サービスが提供されている場所だ。この世知辛いご時世において、もっとも人口密度の高いオアシスである。

 それを利用するのだ。


「あーっ! あっちで露天販売やってるですよ! 美味しそうな匂いがするです!」

「……話をきけよ」


 シスタはぺたぺたと足音を鳴らし走り去っていった。小難しい話は苦手なようだ。

 とにかく、今は一般人を装う。例えば繁華街に観光しにきた兄と妹を演じる。きたるべき戦いの前に、なるべく体力を温存させておくことも大切だ。


「……美味しそうぅ……うじゅるるる……。あの白い塊なんでしょー?」


 シスタは指を咥えて涎を垂らしつつ、大通りの端に設営された露店に目を奪われている。

 その露店には、とぐろを巻いた白いお菓子のディスプレイが並んでいた。


「あれは人工の乳汁で作ったアイスクリームだよ。サプリメントだけじゃ腹は膨れないからな。デザートとして、一般市民に振る舞われている食べ物だ」


 人類はもはや仮想現実に衣食住を依存させている。食文化も、今はサプリメントを飲んで栄養を補給するだけの質素なものだ。このアイスクリームは、その中でも味と食感を楽しむためだけに提供されている、一種の娯楽だ。


「アイスクリーム! あたし、アイスクリーム食べたいです!」

「仮想生物のお前が?」

「あ、無理ですね……。匂いとかは判別できるけど、食べることはできないですもんね……」


 仮想生物は、しょせんは人間の姿を象った一つのオブジェクトにすぎない。クオリティの高いシスタのような仮想生物であったとしても、さすがにリアルの食料を胃袋に運び、消化することは不可能だ。

 けど今の時代、その逆の発想ならば容易に実現可能だ。


「無理じゃないぞ。ちょっと待ってろ」


 蟲遣いは露店でアイスクリームを一つ購入した。

 とても美味しそうだ。表面がてかり、細かな氷の欠片が輝いている。


「そのアイスクリーム、どうするです?」

「もちろん食べる。俺がな」

「えー! ずるいずるい! 一人だけずるいですよ!」


 シスタは頭からプンプンと湯気を吹き出して怒っている。その頭の上では、フンコロガシもまた「貴様は鬼かっ!」と言いたげに、地団駄を踏んでいる。


「ふん。これはリアルに生きる人間様の特権だ」

「美味しそうです。ごくり……」


 シスタはそのアイスクリームを覗き見してはグゥーっと腹の虫を鳴らし、触覚をだらしなく垂らしている。空腹加減まで貪欲にシュミレートされているのは、驚くべきことだ。


「いただきます」


 シスタの物欲しい眼差しを横目に、蟲遣いはわざとらしくアイスクリームを頬張った。

 柔らかいクリームの触感の後、追いかけるようにして砂糖の甘みが口内に広がった。冷たさがキーンと頭に突き刺さるのもクセになる。


「うん。美味い。こういう味か……なるほど」

「いいなぁ。甘さってどんな味なのでしょう。気になって気になって、お腹の虫がグーグーグーグー止まりません」

「なら、お前にも食わせてやるよ」

「本当に? でも、どうやって? あたしは仮想生物ですよ?」

「この世界は、夢や希望、記憶や記録、どんな精神情報をも具現化させ、デジタル化させることができる。それは食べ物だって例外じゃない。だから……」


 蟲遣いはネイル端末にハンドシグナルを送り、クリエイトモードを起動した。

 そして粘土のような形をしたクレイオブジェクトを取り出し、その塊に自分が持つ精神情報を反映させて、一つの仮想現実に形成させていく。

 次いで先程食べたアイスクリームの味の記憶情報を、その粘土に埋め込む。

 最後にファイルをフォーマットして、アイスクリームの仮想現実を創りだした。

 冷たさから空気が凍り、白煙を漂わせる姿はまさに手作り感満載のお菓子だ。

 それを口に含めば、きちんと甘みがあるはずだ。満腹感だって擬似的に得ることができる。それが、仮想現実によって創られた、仮想食物と呼ばれるモノだ。

 食料が入手困難な今の時代、ほとんどの人類がこの仮想食物を摂取し、食欲を満たしている。精神情報の共有化とは、これほどまでに便利なのだ。


「ほら、食べ物も同じ仮想現実なら、お前も食べられるだろ」


 蟲遣いは出来上がったアイスクリームの仮想食物を、シスタの鼻先に差し出した。


「わぁ! ありがとうです! ぐぅちゃんは神様ですね!」


 シスタはアイスクリームを意地汚くぶん取り、「いただきます」とかぶり付いた。

 ムニムニと美味しそうに咀嚼する姿に、蟲遣いも満足気に頷く。


「うんうん。どうだ? うまいだろ」


 美味しい。ありがとう! 料理上手なぐぅちゃん!

 もちろん、そういった感謝の意が返ってくると、蟲遣いは都合よく期待していた。

 けれど、


「……な、なにこれっ」


 シスタの眉間に、二重、三重の皺が寄った。


「どうした? 狐につままれたような顔をして」

「いや、だってこれ、凄くまずいです……。ダンボールを齧ってるみたいな食感がするし、味は炭を口に入れたみたいに苦くて……。おえぇ……げろまずぅ」


 シスタは嗚咽し、口の中身を吐き出してしまった。

 その残飯を拾い食いしようと、フンコロガシもまた近づいたが、「こんなもの食べられませんよ」とばかりに、鼻を摘んでしまった。


「そんなにまずかったか?」

「アイスクリームってこんなにまずいのです? 大人のビターな味なのです?」

「いや、俺は美味しかったのだが。その記憶情報を、そのままクレイオブジェクトに埋め込んだはずなのだが」

「じゃあ、ぐぅちゃんの料理の仕方が下手クソだったってことになりますですね」

「かもな。俺はプログラムを破壊するのは得意だが、何かを生み出すのは下手だし」


 これもバグによる弊害だ。

 一般人ならば、アイスクリームの味を元に仮想食物を精製することなど容易だ。その記憶情報を、専用の料理アプリケーションを使って、そっくりそのままクレイオブジェクトに埋め込めばいいだけの話だからだ。

 けれど蟲遣いは、自分の持つストレス=アビリティ『グリッチ=ノイズ』の影響により、自らのインストールしたアプリケーションソフトが意図せずともバグってしまうという欠点を持っている。美味しいと感じたアイスクリームの味も、粘土に埋め込む直前に自然とバグってしまうのだろう。

 結果、仮想食物自体に不具合が生じ、マズイ料理に変質してしまったのだ。


「期待したらこれですよ。美味しいアイスクリームが食べられると思ったのに……」


 がっかりと落胆するシスタ。その瞳も生気を失い虚ろだ。


「よし待ってろ。もう一度創る」


 蟲遣いは頑固である。一度やろうとしたことは、成功するまで続ける性分だった。

 だからこそ、蟲遣いはもう一つアイスクリームを購入し、それを食べた。

 濃厚な牛乳の味。舌に残る食感。冷ややかな喉越し。比喩するなら、子供の味。

 今度はきちんと味の隅々までを解析し、それを強く念じて記憶する。

 最後にクレイオブジェクトに記憶情報を埋め込み、もう一度アイスクリームの仮想食物を創り出した。


「ほらよ、会心の出来だぜ! 食ってみろ!」

「う、うん」


 シスタは恐る恐るアイスクリームの端っこを舐めた。

 けれど顔色は優れないままだ。「うぇっぷ」と嗚咽を飲み込みながら、顔を紫色にしている。


「さっきよりマズイ……です……。もはや口に入れちゃいけないレベルです……」

「な、なんだと……?」


 さっきよりも丹精込めて創ったアイスクリームは、より一層まずく仕上がっていたというのだ。

 そんなの嘘だ。蟲遣いは腐ってもこの街のヴィジュアルハッカー。プログラミングの才能はピカイチであるし、ミスを改善するための学習能力だってある。

 なのに、たかがアイスクリームの仮想食物が創れないなど、言語道断である。


「よし待ってろ。もう一度創る」

「ええ? もういいです。別にそこまでしてアイスクリーム食べたくないですよ」

「いやダメだ。これは俺のコケンに関わる問題だ。ヴィジュアルハッカーなのに、料理一つ提供できないなんて……ダサすぎるぜ。ダサすぎて切腹モンだ!」


 蟲遣いはヤケになっていた。

 このままでは終われない。ハッカーとして、仕事はスマートにこなさなければ気が済まない。たかがアイスクリームを創るくらいで、馬鹿にされてたまるかと。

 だから蟲遣いは、今度はアイスクリームを3つ購入し、それを全てたいらげた。

 今度こそ抜かりなし。

 酷い満腹感と、甘さによる胸焼けに襲われながら、味を幾度も上書きし、その記憶情報をクレイオブジェクトに対して丁寧に埋め込む。

 出来上がったアイスクリームは至高の出来だ。

 これでマズイと言われるのならば――


「超絶マズイです……」

「畜生ォォォォォオオ!」


 蟲遣いは四つん這いになって地面を叩いた。何度も何度も拳を地面にぶつけた。拳に切り傷ができ、深緑色の精神情報が飛び散るほどに悔しがった。ここまでの完全敗北は人生で初めてである。


「そんな露骨に落ち込むこと、ないじゃないですか……」


 背中をよしよしと撫でてくるシスタ。フンコロガシにまで頭を撫でられ、「どんまい」と同情されてしまった。その優しさが辛い。逆に屈辱的だ。


「まだだ、まだ終わらねぇぞ。勝負はこれからだ……」

「まだ懲りないのです?」

「懲りない。美味いモノができるまで何度でも創る!」

「いや、でも……」

「うっせぇ! 俺に指図すんなっ!」

「ひえぇ……。ぐぅちゃんってば、顔が鬼みたいになってますですよ」


 どうどうと、暴れ牛の機嫌をうかがうかの如く、シスタは蟲遣いを宥める。


「あの、アイスクリームですけど、ちょっとあたしが創ってみてもいいですか?」

「お前が? はっはっは。センスが無いお前に、仮想食物を創ることなんてできない。これは集中力が必要な繊密な作業でもある。お前には無理だ無理」

「やってみないとわからないですよ。ヴァーチャル=ネストは、人々の精神情報を共有し、具現化させるシステムです。それを応用すれば、なんだってできますですよ」


 シスタはそう説明したあと、蟲遣いの心臟付近に向かって両手を掲げた。

 すると蟲遣いの心臟付近から、深緑色の記憶情報がわずかに溢れていく。どうやらシスタは、その記憶情報とリンクし、アイスクリームの味覚データを辿っているようだ。


「ほう……。仮想生物でありながら、料理の真似事までできるのか」

「はい。力は弱いですが、これでもあたしは、世界の平和を監督する立場の、偉くて賢い管理者ですからねっ!」


 得意げに威張り散らすものだがら、蟲遣いは面白くない。


「ふん。ならやってみろよ、美味しいアイスクリームを創ってみろ」

「はい。クレイオブジェクト、借りますですよ」


 シスタは腕まくりをした後、クレイオブジェクトをこねくり回す。とても大雑把なやり方だ。こんな真心のこもっていない調理の仕方では、どうせ生ゴミしかできやしない。

 暫くして、やはりセンスの問題なのか、とても不細工なアイスクリームが出来上がった。


「ほれみたことか。何だコレ? 前衛的な芸術作品か?」

「うぅ……。見た目は悪いですが、美味しいはずですよ? 食べてみてくださいよ」

「ははーん。なら食って感想を述べてやる。吠え面かくなよ!」


 蟲遣いは料理の出来を猛烈に批判してやるつもりで、アイスクリームを一気食いした。

 すると、


「なめらかだ……。まるで雲を食べているかのような食感……。けれど噛むたびに甘さが舌に染みこんでいく……。まるで高級料亭のデザートのようだ。そんな料理食ったことないけど、なぜか視覚野にイメージさせられる!」


 完璧だった。もはやそれはアイスクリームじゃない。アイスクリーム以上の何かだった。というか、アイスクリームを創ると言ったのにアイスクリーム以上の料理を創ってどうするのだ。本末転倒である。


「ほらね。美味しいでしょ?」


 ドヤ顔のシスタに圧倒され、蟲遣いは「ぐぬぬ……」と下唇を噛んだ。


「お前、こういうの得意なのか?」

「一応はシステムの管理者ですので。ヴァーチャル=ネストに一度でも反映された記憶情報ならば、それを目で見てコピーするのは簡単! プログラムって基本的にコピペですからね。何かを真似て構築し、パッチファイルを生成するのは、得意中の得意なんです! えっへん」

「ふーん。真似て構築するのが得意ね。そうなのか……」


 シスタは、言ってみればこの世界の創造主だ。一見して何もできないグズのように見えて、実はそれなりに教養があって、基本スペックも高いのだろう。

 だからと言って、このまま納得したのでは料理対決に負けたことになってしまう。いつから料理対決になっていたかは定かではないが、蟲遣いはとにかく負けず嫌いなのだ。


「くそっ。このままじゃデミゴット級の称号に汚点を残すことになる。シスタ、お前は公園のベンチに座って待ってろ。俺は今から料理の修行に入る。至高の逸品を創って、貴様のアイスクリームを越えてみせる」

「ええ……。まだやるですか? いい加減にうんざりですが」

「うるさぁい! お前は首を洗ってまってろ! わかったか!」


 蟲遣いはツバが飛ぶほどに強く叫んだ後、どしどしと足音を慣らしては人混みをかき分け、アイスクリーム屋さんへと向かったのだった。


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