第2章
第6話 逃避行の果てに奴はいる①
『私が隔離した
先程までの経緯と事の発端を、アバターのチャット機能を通じて先生に説明した蟲遣いだったが、さすがの先生も、今回の出来事には半信半疑のようだった。
『この話、誰にも傍受されてないわよねぇ?』
「大丈夫だと思うが」
蟲遣いは辺りをうかがう。
ここは路地裏を抜けた先、人目のつかないゴミ捨て場の一角であった。いるのは痩せ細った野良犬だけであり、仮想現実が周りで起動している気配は無かった。
いや、一つだけ、高濃度の仮想現実が、蟲遣いの足元に縋りついてはいたが。
それが、仮想生物のシスタである。
「ねぇぐぅちゃん。そのギザギザした人、誰です?」
シスタは先生のアバターを様々な角度から眺め観察している。今どきジャギーの目立つドット絵の仮想現実は珍しいのだろうから、かなり訝しげだ。
「この時代錯誤なアバターの主こそ、俺の先生だ」
「ああ、これがぐぅちゃんの言ってた人ですか。でもどうして先生です?」
「俺にハッキング技術を叩き込んでくれた師匠って意味だ。俺を育ててくれたという意味でも、こいつは俺の人生の先輩なんだ。だから先生ってハンドルネームで呼んでるんだよ」
蟲遣いは先生を紹介しつつ、そのアバターをシスタのほうへと向けた。
『あらあら、あなたがシスタちゃんね。こんにちは。私がぐぅちゃんの先生よん』
先生はシスタに優しく語りかけ、丁寧にお辞儀した。
シスタもまた、「こ、こにににちは!」と、舌足らずに頭を下げる。
『あらやだ。呂律が回ってないところとか超可愛いじゃない!』
先生の声が興奮気味である。鼻息だって猛牛のように荒い。
先生は子供が好きだ。若ければ若いほど、頭が悪ければ悪いほどに、母性本能がくすぐられるらしい。それだけ聞けば子供に対して面倒見のいい大人というイメージだが。
『ねぇねぇ、キスしていいかしら! ハグしていいかしら!』
「え……えぇっと……?」
『もう辛抱たまらない! ちゅう!』
先生はシスタの柔らかそうなほっぺたにキスをした。
シスタは「嫌です、嫌です」と逃げまわるも、その嫌がりように先生はさらにテンションをあげて、シスタを執拗におっかける。
「先生、今はふざけている場合じゃない」
蟲遣いは暴れ狂う先生のアバターの首根っこを掴み、自分の手のひらへと戻した。
『せっかくのお楽しみタイムを、邪魔しないでくれないかしらん』
「俺は先生にお楽しみタイムを提供したくて、連絡したんじゃない」
『はいはい、わかってるわよん……。我慢、我慢するわよ』
「わかればそれでいい」
ここからは真面目な話だ。
とにかく、シスタの処遇をどうするか。蟲遣いはこれからどうするべきか。
逃げるにしても、戦うにしても、蟲遣いには最善の方法がわからない。
どうするべきかは、先生に指南を受けるのが一番だ。今までずっとそうしてきたし、間違いは一つもなかった。もとい、これからもそうするべきだ。
『ぐぅちゃんはどうしたいの?』
先生の問いに、蟲遣いは少し迷いながらも見解を述べた。
「シスタはシステムの中枢へ侵入できる秘密鍵を握っている。だからシステムの中枢にパッチを適応した後、余分に集められた精神情報を報酬として頂くつもりでいる」
『お金儲けのために、シスタちゃんを利用するって腹積もりかしらん?』
「そうだよ。これは、俺のハッカー人生で初めて訪れた大きなチャンスだ」
蟲遣いは胸の前で小さくガッツポーズしながら、そう答えた。
『チャンスねぇ……。けれど、その話を全て鵜呑みにするとして、懸念材料はたくさんあるわ。シスタちゃんを狙ってくる刺客は、まだいるでしょうし』
「それがネックなんだよな。
『私だったら、この戦いはリスクが高すぎるし、シスタちゃんを他のハッカーに引き渡すわね。もちろん、それなりの見返りを要求してね』
先生はニタァと邪悪に笑ってみせる。
損得勘定を考慮して物事を冷静に判断する。それが例え大好きな子供であったとしても、先生は決してリスクを背負ったりはしない。この場合、シスタを護るというハイリスクを回避し、その状況を逆手にとって身代金を要求するのが、もっとも合理的な判断だと結論づけたのだろう。
蟲遣いも、その冷徹な判断は正しいと思う。
この街で裏の仕事に従事するヴィジュアルハッカーならば、ノーリスク・ハイリターンを狙うのが常套手段だ。
けれど……。
「シスタを引き渡すという選択肢はない」
蟲遣いはシスタの顔を
シスタの額には、一枚の絆創膏が張られている。先程の傷を塞ぐために、蟲遣いが即席で創りだした仮想現実だ。その上から、フンコロガシも「痛くないですか?」とぺろぺろ傷を舐めている。
するとシスタはその額の傷を撫でながら、申し訳なさそうに喋り始めた。
「無理しなくてもいいですよ? あたしをハッカーや統治者に引き渡しても、全然、恨んだりしませんです。はい……」
そんな惨めなことを言うもんだから、蟲遣いは苦笑いするしかない。
「言ったろ。俺はお前と一緒に行動を共にして、ひと財産築くつもりなんだ。このチャンスは決して逃さない。そのついでに……」
蟲遣いは、配管と配管の隙間、廃ビルと廃ビルとの隙間より見える遠くの空を指さした。その先には、色とりどりの奇妙な動物が、羽をはばたかせて空を駆けている。
「堕落街の外へ連れてってやるよ。その先の繁華街には楽しいモノがたくさんあるぜ?」
それを聞いて、シスタに明るい笑顔が戻った。
「楽しいモノ!?」
「ああ。世界を救うついでに楽しんでけ。この夢現狭は、娯楽だけなら一級品だ」
「娯楽ですか。遊んでる場合じゃないですけど。でも、ちょっと楽しいそうですね」
「だろ? だったら一緒についてこい。後悔はさせないぜ?」
「う、うん……」
年端も行かぬ子供を言いくるめるには、目の前に甘いお菓子をチラつかせればいい。それで言うコトは何でも聞くようになる。それはシスタとて例外ではない。
シスタをまんまと口車に乗せたあと、蟲遣いは表情を強張らせ、気合を入れなおした。
「さてと、そういうことだ先生。プロポリスタワーまでシスタを護衛する。たとえこの街のクソハッカーや、統治者のクソ豚共を敵に回したとしてもな」
『あら、そう……』
先生は残念そうに声のトーンを落とした。出来の悪い生徒のわがままに、さぞ落胆させてしまったようである。
『でも、そういうことなら私は協力できないわよん? 統治者を敵に回すわけにはいかないし、他のハッカーに、学校の子供たちが襲われてしまうとも限らないから』
「承知はしている。先生や学校の子供たちには迷惑をかけない。この仕事は俺一人で遂行する。俺はただ、助言がほしいだけだ。プロポリスタワーへ侵入する最善の方法と、そのタイミングを知りたい」
『最善の方法とタイミング……ね』
「さすがの先生も、難攻不落なプロポリスタワーへのフリーパスポートは手に入らないか?」
『いや、そんなことはないわよん』
先生は一つのフォルダを目の前に展開した。
そのフォルダには複数のデジタル文書が封入されている。それぞれの文書にはこの街の見取り図が精密に書き込まれており、いくつかのポイントに星マークが記入されていた。
「そのファイルは?」
『プロポリスタワーが、この街の精神情報を収拾するに当たっての行動パターンをまとめた履歴データよん。だいたい十年分の極秘資料かしらね。それを利用して、セキュリティホールを見つけようってワケ』
「極秘資料だ? そんなもんどこから……」
『ふふふのふ。私だってヴィジュアルハッカーよん? 常日頃から大きな獲物を狙っていても、おかしくないでしょう?』
先生はペロリと舌舐めずりしながら、グラフ化されたデータをいじり始めた。
「先生よう。あんたもやっぱり、生粋の犯罪者だったんだな」
『幻滅した?』
「いいや。改めて見なおした」
いつもは子供の世話に手を焼いている先生だが、その裏で汚い仕事をコツコツとこなしていたのだろう。まあその件に関しては、蟲遣いもさほど驚かされることではなかったが。だって先生は、蟲遣いの知る限りは、本性は誰よりも利益に忠実であるからだ。
「で、セキュリティホールはどこにあるんだよ」
『そうねぇ……。システムの中枢は巡回型の検索ロボットみたいなものと推測できるわ。プロポリスタワー内部の最上階、高度50kmの場所にそれはあって、この世界を成層圏から監視している。タワー内部には警備ドローンも配備されているし、まさに要塞のような施設よん』
「ネズミ一匹入り込む隙間もないのなら、どうやって侵入する?」
『そりゃ、システムもしょせんはプログラムに添って動いているはずだから、今までの情報集積パターンから逆算して辿り、セキュリティホールを解析できれば、あるいはプロポリスタワーに取り付くための一瞬の綻びが特定できるはずよん』
先生はその履歴データに対し、即席のアルゴリズムを参照させる。そのデータをお手製のハッキング用スクリプトに流し込み、もっとも成功確率の高い侵入のタイミングを絞り込んでいく。
「わぁ……数字やアルファベットがいっぱい並んでます。凄い凄い!」
先生の手際の良い仕事を目の当たりにし、シスタは拍手を交えて感心している。
「寸分の狂いもないだろ? 先生は俺が唯一認めるヴィジュアルハッカーだからな」
「ぐぅちゃんよりも天才なのです?」
「俺は天才じゃない。だが先生は本当に天才かもな。その歳になるまで現役でいられるだなんて普通じゃ有り得ねぇ。確固たる夢や目標があるからこそ、成せる業なんだろうよ」
ヴィジュアルハッカーとしての寿命は、せいぜい二十歳までが限界だ。
それ以上は、夢や希望や記憶など、そんな若くて純粋な魂が衰退してしまい、精神情報をうまく操ることができなくなってしまう。普通ならばそれ以降、大人向けの介護サービスを受けることとなってしまうはずだ。
『ちょと、歳のことは言わない約束でしょ? 気にしてるんだから』
先生がカミソリのように鋭利な目で睨んできた。目尻や眉間には、歳相応の深い皺ができているとも知らずに。
「いやいや、褒めてるんだぜ?」
蟲遣いは先生のことを尊敬している。
精神情報を盗む技術。街で生き残るサバイバル術。電子戦のいろは。身寄りが無かった蟲遣いは、幼い頃から先生にたくさんのことを教わり、それを実践してきた。常に先生の背中を追って、その大人としての生き様を模倣し、清く正しく成長してきたのだ。
そして今も、先生は蟲遣いのためにと尽力してくれている。
本当に親のような存在だったが。しかしそれは、恥ずかしくて今まで感謝の気持ちを伝えることはできていない――。
『――ビンゴ! セキュリティホールが特定できたわよ』
先生は導き出したデータを、こちらに弾き飛ばしてきた。
そのデータに目を通せば、とある時間が表示され、カウントダウンを始めていた。
「このタイムリミットは……?」
『今から20時間後、98%の確率で、システムは自動でバックアップを行うわ。そのさいに数分の間だけだけど、セキュリティレベルが著しく緩和される。そのタイミングならば、安全にプロポリスタワーへと侵入できるし、高軌道エレベータをのっとって、システムの中枢があるフロアまで直通で向かうことができるわん』
「で、システムの中枢に辿り着いたら、シスタの秘密鍵を鍵穴にぶっさして……」
『あとはパッチを、当、て、る、だ、け!』
丸眼鏡をクイッと正しながら、悪魔のように微笑む先生。
蟲遣いも同じように、ニヤリとした。
「さすがは先生だ。抜け目ない素行の悪さだぜ」
目標は全て理解した。後は行動に移るのみだ。
「よしっ!」
蟲遣いは顔を両手で叩くと、プロポリスタワーの方角を睨んだ。
まってろよ。心中でそう意気込みながら、指の間接をぽきぽきと鳴らしてみせる。
『ぐぅちゃん、一つ忠告しておくわん……』
先生が、少し浮かない顔をして話かけてきた。
「なんだ?」
『あなたのやろうとしていることは、かなりのハイリスクよん。今頃は統治者によって、あなたには懸賞金がかけられて、フリーのハッカーたちがその懸賞金目当てに動き出す頃合いでしょうし。そうなってくると、街の全てのハッカーも、あなたの敵に回るのよん』
「覚悟の上だ。敵に回った憐れなハッカーは、俺が全て排除する。それだけだ」
『おそらく統治者お抱えのセキュリティ部門も動くわよ。ぐぅちゃんにとっては警備部隊なんて大した敵ではないけれど、それでも障害にはなるはず……』
「軍がなんだ。警備がなんだ。いつも遊び呆けている大人たちに負けやしねぇよ」
『さっきから勇ましいわね。でもそれは勇敢ではなく無謀だわ。考えを改めなさい。もし全ての計画がうまく運んだとしても、その日から、あなたは大犯罪者として全国に指名手配されることになる。だから保護者としての立場からしてみれば、そんなことしてほしくないの……』
「何と言われようと俺はやるぜ。人生は一度きりだ。でかい仕事をこなし、俺は胸を張って男らしく生きていく! 札束の風呂に浸かって、大笑いしてみたいだろ? この街の子供たちみたいに、ただただ搾取されるだけの惨めな人生なんて、まっぴらごめんだぜ」
ずっと、ずっとずっとずっと、ずっと――。
蟲遣いは、それを願ってきた。
姑息な犯罪を繰り返し、その日暮らしの崖っぷちな生活などクソ喰らえだ。もっと大きな仕事をこなして、大手を振って生きていきたい。そんなチャンスが訪れるのを、息を潜めてずっと持っていたのだ。
それが蟲遣いの追い求めてきた、生きる目標でもある。
その目標を成就できるなら、例え虎穴であっても突入してみせる。
『そう……。なら止めやしないわ。若者が夢を追う姿……。教育者として、それは応援するに値するものねぇ』
「応援、してくれるのか?」
『そうさせて貰うわん。頑張る愛弟子のためにも、情報の
「そうか……」
『ん? どうしたの?』
「えっと……その……つまり……。先生にはいつも、世話になりっぱなしだ」
蟲遣いは歯切れも悪く喋った。本当は「ありがとうございました」と、感謝の気持ちを真摯に伝えたかったのだが、羞恥心からそれができず。
すると、先生は全てを見透かす母親のようにして温かく笑い、優しく肩を叩いてきた。
『私の生徒なら最後までやり遂げなさい。負けるのは許さないんだから』
「大丈夫。大勝してやるさ」
『それじゃ、通信を傍受される可能性もあるし、事が終わるまでは、会話することはできないけど』
「ああ。生きてたらまた会おう」
蟲遣いは先生のアバターをネイル端末でピンとはね、通信を終了させた。
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