第5話 致命的な脆弱性④

「ったく……なにがなにやら、さっぱりだぜ」


 蟲遣いグリッチャーは道の縁石にどかりと腰を下ろし、シャツのネック部分をパタパタと動かして風を取り入れながら、ぼやいた。

 視線の先には、真っ黒に焼け焦げた映画館がある。その焦げた部分は仮想現実によるエフェクトの一種ではあったが、ペンキを塗り直して改装を施し、視覚的に補強すにはそれなりに時間がかかるだろう。


「しばらくは、この映画館で映画を観ることはできねぇな……ちくしょー……」


 項垂れながらも視線を横に移動させれば、そこには手を合わせて黙祷しているシスタがいた。

 おそらくは、死んでいった五人のハッカーを追悼しているのだろう。表情はとても暗く、哀惜の念あいせきのねんに堪えないといった様子だ。


「おい、辛気臭い顔してんじゃねぇよ。怪我は大丈夫なのか」


 シスタの広い額には、未だに切り傷が目立ち、血が滴っている。その血を拭きとってやろうと、蟲遣いは手を伸ばした。

 けれどシスタは、蟲遣いの手をおもいっきり叩く。そして羽織らされていたトレンチコートをぐちゃぐちゃに丸めて、蟲遣いの顔めがけて投げつけてきたのだ。


「……な、なんだよ」


 どうしてコートを投げつけられたのかと疑問に思っていると、シスタは涙腺にたくさんの涙を溜めて怒鳴った。


「ぐぅーちゃんは馬鹿です。世界一のお馬鹿さんですよ! ぶぅ!」

「な、なんでそんなに怒ってる?」

「争うことなんてなかったです……。あの五人のハッカーさんたちときちんと和解できていれば、殺されることはなかったはずのに……可哀想です……」

「おいおい、まずは自分の命が助かったことに、感謝するべきだと思うがなぁ」

「するもんですかぁ! ばかぁー!」


 ぽかぽかと頭を叩かれる。痛くは無かったが、疲労が蓄積した身体には堪えるものがあった。


「いつつ……おい、やめろ! 落ち着けって!」

「う、ごめんなさいです。争うことはダメって言いながら、おもいっきりぐぅちゃんを殴っていたです。あたしってば未熟です。猛省です……」


 申し訳ないと力無く頭を下げるシスタ。

 どうもシスタは、他人が傷つくことに関しては、我が身のように心配する性格のようだ。

 仮想生物は、本来なら喜怒哀楽が希薄なのがほとんどだ。むしろ愛玩用に創られたならば、ご主人様に仕えて、空気人形のように振る舞うものである。

 そう考えると、やはりシスタは普通じゃないのかもしれない。

 そもそもヴィジュアルハッカーがシスタの命を狙ってきたのだ。統治者の影もチラホラと見え隠れしているし、暗殺を専門とする爛狐バンフォックスが動いているのなら、話は穏やかではない。

 とにかく、タダ事ではないことだけは察することができる。


「おいおい、いつまでクヨクヨしてんだ、顔をあげろ。今はなによりお前の正体だ。ここまで首を突っ込んだんだぞ? 俺には秘密を教えてもらう権利がある」

「……むう」


 シスタはしかめっ面のまま意気消沈していたが、そのうち小さく「……はぁ」と溜息を吐き、何かを決心したかのようにして顔を上げた。


「……じゃあ見せてあげますですよ。ぐぅちゃんには特別ですよ?」


 シスタは両手を組んで瞑想し始める。そして頭の触覚をくるくると回したかと思うと、シスタの平らな胸がほのかに光り、そこから鍵のようなモノが浮かび上がった。

 それはまるで博物館に寄贈してある骨董品のように、細部まで洗練されたデザインの、とても古めかしい装飾鍵だった。


「それは?」

「これはヴァーチャル=ネストのプログラムを統括するシステムの中枢、それにアクセスするための特別な秘密鍵です。あたしはヴァーチャル=ネストによって正式に選抜された、システムの管理者なのです」

「……あ?」

「えっと、だからあたしは、システムの管理者なのです! 比類のない存在!」

「……あぁ?」

「だからシステムの管理者! この世界を見守るとっても偉い神様なんです!」


 シスタは無い胸をさらに前に出し「どうだ!」と言わんばかりの態度をとる。


「ふ……くはっ……。ふはははははは!」

「ど、どうして笑うですか!」

「いやだって、ふはははは!」


 蟲遣いは笑った。腹がよじれて涙がちょちょぎれるほどに。こんなに笑ったのは数年ぶりだ。

 同じようにフンコロガシだって「バカな話ですねー!」と言わんばかりに笑い転げている。本当に、ちゃんちゃらおかしい戯言だ。


「はぁはぁ……。えっと、ヴァーチャル=ネストの管理者……だったか?」

「そうですよ。誰が何と言おうとそうなんですよ」

「そうか。なら反論させてもらうが。システムの中枢ってのは、この街の中央に聳える、あの電波塔、プロポリスタワーの天辺にあるメインフレームのことだ。そこには誰も近寄れねぇし、アクセスもできねぇよ」


 つまりプロポリスタワーこそが、この世界の仮想現実を運用している。街の人々から精神情報を収拾し、それをサーバに蓄え、共有して、街全体にサービスを提供しているのだ。

 そのプロポリスタワーに侵入し、システムの中枢をハッキングできれば、巨万の富を手に入れるどころか、この世界をも牛耳ることができるだろう。

 その夢を叶えるために、幾多ものヴィジュアルハッカーが意地とプライドを懸けてプロポリスタワーの侵入に挑んできた。だがそれを成し遂げられた者は過去、一人もいない。

 唯一その中身を手に入れる方法があるとすれば、正規の手段しかない。

 その手段こそが、管理者権限をのっとってシステムの中枢にアクセスするということ。

 つまり。

 システムの中枢にアクセスできる唯一の管理者ならば、統治者の庇護のもと厳重に警備されていなければおかしい。なのにその管理者が街を一人でうろつき、扉を開けることのできる秘密鍵を首からブラ下げているのは、有り得ない話なのだ。


「その目は、信じていないようですね?」


 シスタにじろりと睨まれたが、蟲遣いはヘラヘラと笑い続ける。


「当たり前だろ。どこの世界に、お前みたいな間抜け面した管理者がいるってんだ」

「なら、どうしてあたしはハッカーに狙われたでしょーか?」

「……う」


 シスタの言葉に、蟲遣いは笑い声を止めた。

 確かに、あの五人のハッカーは命懸けで蟲遣いからシスタを奪還しようとしていた。その理由はシスタに十分な資産価値があると知っていたからだろう。

 爛狐がやってきたのも、知られてはまずい不都合な事情を隠そうとしていたからに違いない。

 そうなれば、あながちシスタの言っていることは嘘ではないのかもしれない。


「うむ。なら、いくつか質問させてくれ」

「いいけど、スリーサイズは教えませんですよ。内緒なのです」

「ここにきてボケるのか。場を和ませようとしてるようだが、滑ってるぞ」

「ああ、酷いんだ!」と、シスタに足を踏まれた。


 蟲遣いは怒るシスタの首根っこを掴み、引き上げた。


「まず一つ。なぜお前は、ヴィジュアルハッカーに狙われた?」

「それには理由があるです。ていうか、下ろしてくださいです。暴力反対です」

「下ろすから理由を教えろ。もう足を踏むなよ。暴力反対だ。わかったな」


 蟲遣いはシスタを下ろす。

 シスタは乱れた服を丁寧に直した後、不機嫌そうに喋り始めた。


「ぐぅちゃんもハッカーという立場なら、薄々気付いていると思うです。プロポリスタワーが、街の子供たちから精神情報を搾取していることを……。バランスが崩れているです」

「ああ、みたいだな」


 蟲遣いは堕落街の若者や、学校に棲む子供たちの姿を思い出した。

 若者や子供たちが精神情報を過度に枯渇させていたのは、プロポリスタワーからの情報搾取が異常に強行されていたからだ。その膨大な量の精神情報は繁華街へと流れ、無駄に利用されているのが現状である。

 そのバランスの乱れは、誰がどうみてもおかしい。

 このままでは経済が破綻し、世界は終焉を迎えてしまう。

 けれど誤りを正そうとする物好きはいない。そもそもこの世界で幅を利かせているのは特権階級を有する大人たちだ。自らが不利益を被るような訂正作業はしないはずである。


「その崩れたバランスを、管理者であるあたしが、パッチを当てて直すつもりでいたです。だから秘密裏にシステムの中枢に侵入しようと試みて、この夢現狭までやってきたわけです」

「なるほどな。そんなことをされちゃ、大人たちはたまったもんじゃねぇ。その崩れたバランスが正されれば、もう甘い汁を吸ってお気楽に生きることができなくなる」

「そうです。だからそうはさせまいと、大人たちや、この世界の秩序を護ろうとしている統治者に雇われたハッカーに、命を狙われたのだと思いますです」

「ふーん」


 やはり物騒な話になってきた。

 まとめるとだ。システムを正常に戻すためにやってきたシスタの足取りが統治者によって割れてしまい、シスタはハッカー共に狙われている。

 シスタがハッカーに捕まってしまえば、ヴァーチャル=ネストのバランスは崩れたまま。パッチを当てることができず、子供たちの精神情報は奪われ続ける。そして共有できる精神情報はいずれ枯渇し、世界は終末を迎える。そういうことだろう。


「だとしてもおかしいだろう。なら誰かに援護を求めるべきだ。もはやお前一人でどうにかなる話じゃない。不具合の生じたシステムにパッチを当てるなら、それ相応の味方を引き連れて、自分を護衛させるべきだ。そうだろう?」

「そうだね。それが普通ですよね。でも無理です」

「どうして?」

「ヴァーチャル=ネストによる過度の情報搾取は、統治者によって意図的に仕組まれたこと。だから本来はパッチを当てる必要はないです。あたしには味方なんていないです」

「だから一人でこの街にきたってのか? 統治者の目を盗んで、裏切って、正しいバランスの世界を取り戻すためにと、孤軍奮闘、戦いを挑みにきたって言うのか?」

「そうですよ。あたしはシステムの均衡を守護するために選ばれた存在ですから。でもね、とっても弱い立場ですから……。もっとあたしに力があれば……」


 シスタは先程から何かを諦めたような言い回しをしている。その意味が、ようやくわかった。

 言ってみれば、シスタもまた、ヴァーチャル=ネストのなのだ。

 この崩れた世界のバランスを正そうと、シスタ自身が決断し、シスタ自身が行動し、その目的のために、単身この街に乗り込んできたのだ。

 それは、統治者が命令し、実行させた矯正プログラムではない。システムを運営している統治者視点で見れば、これは想定外の裏切り行為であり、不具合そのもの。

 昔のSF映画で言うところの、マザーコンピュータの暴走、みたいな状況なのだろう。


「わかった。その話をひとまず信じてみよう。どちらにせよ、お前のような高度な情報を処理する仮想生物はそうそういない。管理者権限を保持している特別な仕様だと説明されたほうが納得できるし、現実味もある」

「信じてくれてありがとう!」


 シスタは笑ったが、すぐに暗い表情に戻った。 


「でもね、これでバイバイです。あたしは一人でプロポリスタワーに向かうです。じゃないと、ぐぅちゃんがあたしを連れ去った悪者だと誤解されちゃうから……」

「そうなっちまうな。じゃなくとも、俺の顔は極悪人面で誤解されやすいしな」


 ヴィジュアルハッカーとしては致命的だ。絶対的な権力を行使する統治者に睨まれてしまえば、もう仕事なんてしている場合じゃなくなるだろう。全国的に指名手配を受け、逃亡生活に明け暮れることになる。

 だが、考えようによっては逆の発想もできる。


「一人で答えを導き出すのは間違っているぞ」

「え?」


 蟲遣いの言葉に、シスタは呆然と口を半開きにさせた。


「迷惑? 違うな。これは千載一遇のチャンスだぜ。お前の正体が本当に管理者だって言うのなら、俺はお前を拉致らせてもらう。一緒にこの街を逃避行させてもらう」

「え? え? あたしのこと、助けてくれるのです?」

「助けるだなんて誰が言った。耳クソ詰まってんのかてめぇは」

「違うです?」

「俺が救世主に見えるか? 正義の味方に見えるか? 違うね。俺はいつだって合理性を求めている。利益があるならそれに食いつくのがヴィジュアルハッカーだ」

「意味が……わからないです。です……」

「だからつまり、お前を助けるんじゃないって意味だ。お前と一緒にプロポリスタワーへ向かい、システムの中枢から精神情報を奪ってやるって意味だよ!」

「なっ! それって犯罪ですよ!」

「だからなんだよ。俺はな、犯罪に手を染めることでしか、自分の価値を表現できない半端モンなんだぜ? だから今回の件に関しちゃ、餌に食いつくのが自然な流れってもんだろ」


 それは行き場の無い子供たちを、解放ことにも繋がる。

 システムのバランスが整えば、学校で死を待つ幼女も、命を助けることができる。

 そして精神情報がきちんと共有されれば、大人たちから実権を奪い、この世界の誰もが平等に生きていける。

 今の話、全てを信じるわけにはいかないが、賭けに乗っかるだけの見返りはあるし、この降って湧いたチャンスに、挑戦するだけの価値もある。


「おいシスタ。お前こそが救世主なんだろ? 子供たちを救うためにやってきたんだろ?」

「救世主だなんて大それた者ではないですが、助けたいと思う気持ちはありますです。狂ったシステムを直して、世界をよりよい姿に戻したい。皆が平和に手を繋いで、踊って歌える優しい世界にしたい。その気持ちでいっぱいです」

「なら遠慮するな。さっき観た映画の子犬みたいに、俺の後についてくればそれでいい。俺は片手間程度に、この世界を救ってやるよ。だからお前は、俺にそれなりの報酬をよこせ」


 蟲遣いは手を伸ばす。握手しようぜと、せがむ。


「……うぅ……でも……」


 指をもじもじとさせるシスタ。

 他人を傷つけたくない。巻き込みたくない。そう考えて臆しているのだろう。

 だったら手を取り合って仲良くする必要なんてない。そもそも蟲遣いはシスタを利用しようとしているのだ。プロポリスタワーに侵入し、システムの中枢を牛耳って、富を得て。

 だから蟲遣いは、シスタの手を強引に掴んだ。


「じれったいな。お前は毛の生えたワカメか! いいから黙って拉致られてりゃいいんだよ! それで世界が救われるのなら、万々歳だろうがよ!」

「え、えーっ! うー……。うーん……」


 シスタは蟲遣いの誘いに混乱しているようだったが。

 けれど、その次の瞬間には、彼女は少しだけ身体の緊張をほぐしたのだった。


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