第15話 決戦!プロポリスタワー侵入②
エレベータは、システムの中枢とされる最上階へと猛スピードで上昇していた。
窓から見える景色は、足が竦むほどの高々度であり、視線の下には米粒のような光が点々と輝いているだけ。
丸く蒼い星。地平線と大気圏が交わるおぼろげな部分も、ここからならば簡単に目視することができる。
もう後戻りはできない。これから向かうべき場所は大気圏のさらに上。宇宙に近い、システムの中枢、世界の理――。
なので、
「いいかよく聞け。ここからが正念場だ。おそらく統治者に雇われたハッカーが、システムの中枢に陣取っているはずだ。そいつらを否が応でも突破しなきゃならんだろう」
「そうなのですか? 噴水広場の前にいる方々で全部かと思ってましたが」
「んなわけあるか。統治者にとって一番に
だからこそ、統治者は一番に信用できるヴィジュアルハッカーを、最上階のフロアに配置しているはずである。爛狐のような思考の停止した殺人鬼などではなく、真っ当な思考回路を持つヴィジュアルハッカーに、指揮の全権を任せているはずだ。
「セキュリティ部門は動いているでしょうか? 軍も動いているかもしれませんです……」
「そればっかりは先生がうまくやってくれていることを願うばかりだが。まあ、先生のことだ。抜かり無いだろう」
「統治者本人も現れるでしょうか? あたしのことを叱りにきたり、するでしょうか? どんな人物なのか、まったく知りませんけど……」
ふと、シスタが見当違いなことを言った。
それを聞いて、蟲遣いは「ぶふっ」と吹き出した。その後ろでは、
「……え? なんで笑うです?」
「いやいや、物凄くありがちな勘違いをしてるみたいだからな」
「勘違い?」
「そうだよ勘違いだ。統治者の正体は、ただの偶像だろ。確かに昔は統治者と呼ばれるお偉い教祖様がこの世界を牛耳っていたみたいだが、ただの人間が、何百年も生きながらえるはずがない。とっくにお陀仏だっつーの」
それを聞いて、重戦車も言ってきた。
「統治者の残した莫大な遺産と意志、それがシステムの中に残留し、世界のルールを決めているだけですわ。そこに人間性などは欠片も残っていないのですわよ」
統治者に意志など無い。それはいわば、人類を導くためのスクリプトの一種。その正体こそが、融通の利かない古臭い手引書にすぎず、その思想を盲信する者が富裕層に大勢いるからこそ、この世界は荒み、終末を迎えたのだ。
つまり、統治者なんて人物は存在しない。
「そうだったのですか。あたしはてっきり、統治者という人が悪い人だと……」
「悪い人という考え方は間違っちゃいねぇよ。結局、その統治者が説いてきた歪んだ思想が、この破滅した世界を創りだしたわけだしな」
「だとしたら、だとしたら!」
「そうだ。シスタが新しいルールを示せれば、この世界は救われるんだ。なんならお前が、新たな統治者になってもいい」
「あたしが統治者に?」
時代は新たなリーダーを求めている。誰一人として切り捨てず、この世界のバランスを整えようとするシスタという慈母は、汚濁にまみれたこの世界の唯一の希望なのだ。
「お二人共、そろそろ最上階に到着しますわよ」
エレベータのパネルには、9999階の文字が浮かび上がっている。
「シスタ、お前は安全の確認がとれるまで物陰に隠れてろ。いいな?」
「は、ハイです!」
「腕がなりますわね。最終決戦ってやつですわ!」
肩を回して準備運動をする重戦車。
蟲遣いも、首の関節をボキボキと鳴らしてストレッチしながら、運命の時を待つ。
そしてエレベータは、ようやく最上階の10000階に到着した。
「行くぞっ!」
蟲遣いは扉が開くと同時に、身を屈めながら素早く外に出た。壁際にあったモニュメントの陰に身を隠し、敵からの総攻撃に備えて害蟲を待機させる。
重戦車もまた、車椅子に重火器の仮想現実を発現させ、連結させながら、戦闘に備える。
「……。……?」
が、しかし。
電子戦を仕掛けらることはなかった。ハッカーが放つ独特の殺気も無い。
おかしい。あまりにもフロア全体が静かだ。
「……なんだ、もぬけの殻なのか?」
蟲遣いは現状を探るため、物陰から顔を覗かせた。
そこには、敵どころか警備用ドローンの姿すらもなかった。
代わりにそこにあったのは、純金製の銅像や有名な絵画である。天井からは宝石が散りばめられたシャンデリアが吊るされていて、床にはフカフカのペルシャ絨毯が敷かれていた。
何とも成金趣味な部屋の装飾であったが、それらは全て仮想現実で創られた贅沢品の数々であろう。子供たちから奪った綺麗で無垢な精神情報で創られているようだ。
「シスタ、もう出てきても大丈夫だ。敵はいないようだからな」
害蟲を部屋に放って隅々まで安全確認をとるが、敵の気配はやはり無い。罠が仕掛けられている様子も無かったし、降りる階を間違っているはずもない。
「あれれ? ぐぅちゃんの言っていた敵は?」
「さぁな。敵は朝寝坊でもしているんじゃないか?」
蟲遣いは最上階フロアをぐるりと眺めながら言った。
一つの可能性として、雇われたハッカーよりも早くシステムの中枢に辿りつけたのだろう。それか、噴水広場にいた連中で敵は最後だったのかもしれない。
セキュリティ部門の警備隊や軍も、先生が情報を撹乱させてくれたおかげなのか、到着していないようだ。警備ドローンによる巡回すらない。
とにかく、拍子抜けである。
「つまんないですわ。もっと派手な最終決戦を期待していたのに」
戦うことができず、がっかりとする重戦車もいる。
「いいじゃないですか、何事も無かったのなら、それに越したことありませんです」
シスタは触覚を交互に動かしながら上機嫌でいる。なるべく血が流れるのを避けようと考えてきたのだから、そのリアクションも頷けたが。
「とにかく目的地には到着した。敵の気配が無いのなら好都合だろう。さっさと仕事を終わらせちまおうぜ」
蟲遣いはシスタの手を引いて、フロアの中央へと早足で急いだ。
そこには、白く発色した光源を放つ、地球儀程の大きさを持った球体がある。装飾された祭壇の上にそれはあって、反重力装置によってぷかぷかと浮いていた。
どうやらこの小さな球体こそが、システムの中枢のようだ。ほんのわずかだが、表面からは純度の高い精神情報がゆらゆらと沸き出しているのがわかる。
「ついにきましたわね、ここまで」
重戦車は手汗を拭いながら、これから始まるであろう奇跡に胸を躍らせている様子だ。
「まったく大変な一日だったぜ。だが達成感はひとしおだ。ようやく、俺の目標も成就されることになる」
蟲遣いの目的こそ、自分が弱い虫ケラではないことを証明することにあった。シスタをこの場所に連れてきたことで、ようやくその義務は達成される。
自分は役立たずではなく、強く逞しい人間である。
そう納得し、改心することができる。
そしてこの街は救われるのだ。傲慢な大人たちの手から子供たちは解放され、誰もが手を繋ぎ、笑って過ごせる、そんな穏やかな
「シスタ、最後はお前の出番だ。このシステムの中枢、その扉を開けられるのは、シスタが持つ秘密鍵だけだ。扉の先には精神情報の海が広がっていて、ネイル端末なんかじゃ、制御しきれないだろう」
「わかってます。わかってますけど……」
「怖いのか? 大丈夫だ、お前にならできる。さあ、パッチを当ててこい」
蟲遣いは、震えるシスタの背中をトンと押し、見送った。
「わかりました」
シスタは眉根を寄せて力強く頷くと、確かな足取りで球体に近寄った。
そして、シスタは胸にそっと手をやり、唱え始めた。
「――ヴァーチャル=ネスト、最高管理者権限に則って、扉の開放を命ずる。アップデート適応プログラムvar.1.1、各シーケンス開始。システムドライブへのアクセスを申請。――マスターコードの入力開始。01-N5882-T1」
呪文の後、シスタの胸から鍵を模した仮想現実が生み出された。
その秘密鍵は、球体の中央に浮き出た鍵穴へと、吸い込まれるようにして透過していく。鍵がゆっくりと回ると、最後にガチャリとロックの外れる音がフロア内に響いた。
最後に、どこからともなく機械音声が聞こえてくる。
『全テノ認証ヲ完了。最高管理者権限、マスターコード01-N5882-T1ヲ確認。全ブロックヲ解放。アクセスヲ許可』
するとどうだ。
未知なる財宝が発掘された瞬間のように、部屋は黄金の光に飲み込まれた。球体はその形を巨大な門に変え、ギギギと擦れるような音を奏でながらじょじょに開いていく。
中からは、目が覚めるほどの煌きが漏れてくる。とても美しい、自然と溜息が漏れる七色の結晶。それはこの街の人間から吸い上げた、精神情報の集合体である。
「ブラヴォー、ブラヴォー……。これがヴァーチャル=ネストの心臓部……。システムの中枢、世界の果ての聖なるユートピアですのね……」
普段は口が達者な重戦車も、溢れんばかりの精神情報の数に見惚れてしまっている。
一体どれほどの精神情報が、一箇所に貯めこまれているのだろうか。
人一人の魂は、小さなイチゴ一粒ほどの思念体であり、貯蓄することは難しいとされているが、そこにあるのはまさに、どこまで続く大海原であった。
「は、ははは……。本当にシステムの中枢にアクセスしちまったぜ……」
蟲遣いは、自分がやり遂げた偉業に身を震わせた。
人類が苦悩と懺悔の末に、
その謎に包まれたシステムの一片を、今、蟲遣いは、その眼で確認しているのだ。
「蟲遣い様、感激している暇はありませんわ」
「……と、いけねぇ。俺としたことが魅了されていた。そうだったな、仕事を終わらせないと。シスタ! さっさとパッチを当てちまえ。それで全てお終いだ!」
蟲遣いが命令すれば、シスタは何度も何度も、ぺこぺことお辞儀した。
「本当に、本当にありがとうございましたです。ぐぅちゃんとジャガイモさんがいなければ、あたしはここまで辿りつけなかった。もう感謝の気持ちでいっぱいですよ」
「はんっ。感謝されるようなことなんぞ一つもしちゃいねぇ。俺たちは自分の信念に従い、目標を持って、ここまでやってきただけだ。そうだよな重戦車」
「もちろん。シスタさんと別れるのなんて、これっぽっちも寂しくなんてありませんわ」
と言いつつ、ちょっぴり感傷的になって鼻声になっている重戦車が案外と可愛かった。
いや、人のことは言えないのかもしれない。蟲遣いだって、今や映像の先が少し霞んでいる。
そんな二人を交互に見てから、シスタはヒマワリのように快活に微笑んだ。
「楽しかったですよ。ぐぅちゃんたちと一緒に現実世界を旅することができて。一緒にアイスクリームを食べたこと、一緒に夜空を眺めたこと。ジャガイモさんと協力して戦ったこと、全部が尊い思い出です」
「ふっ。俺たちにとっちゃ、とんだ災難だったがな」
「それでも楽しかったのは事実です! だから、だから……。あうぅ……」
蟲遣いは、シスタの言いたいことを何となく理解していた。
もう、これでシスタとは離ればなれだ。パッチを当てるため、精神情報の海に身を投じるであろうシスタは、もう二度と蟲遣いの前に現れるつもりはないのだろう。
それは旅を始めた当初から漠然とわかっていたことだった。
「お別れだなシスタ。寂しくなるぜ……」
「はい……。もうぐぅちゃんとは、一緒にお喋りできない……。うぅ……」
「あ? 何言ってんだよ。お前が統治者になったからって、俺はお前を特別扱いしたりはしないぞ。いつでも遊びにこい! いつまでも待っててやるからよ!」
「ぐぅちゃん……!」
シスタの表情に、ほんのちょっぴりだけ笑顔が戻った。
この戦いが終わったとしても、蟲遣いとシスタの絆が途絶えるわけではない。世界が再建されるのなら、一緒に遊べる機会などたくさんあるはずだ。
「さあ行けシスタ。いつまでもガキみたいにグダグダと駄々こねてんじゃねぇよ。管理者としての責務を果たせ! そして統治者に出世して、立派になってこい!」
「でも……」
「行けったら行け!」
「うぅ……。うぅ……。バイバイです、ぐぅちゃん、ジャガイモさん、そしてフンコロガシちゃんも!」
フンコロガシは「待たねー!」と寂しそうに手を振った。
重戦車も、その時ばかりは笑顔でシスタを見送った。
「正しく共有化された次の時代で、また、また会いましょうね! かならずです! 約束です!」
シスタは最後にもう一度、丁寧にお辞儀をした。
そして、胸の前で小さく手を振りながら、扉の奥へ向かって後ずさっていった。
綺羅びやかな精神情報の光が、シスタの身体を包み込む。それに身を委ねる形で、ゆっくりとシスタは精神情報の中へ潜り、システムに
しばらくすると、重厚感のある扉も締まり始める。シスタの姿も輪郭すらついに見えなくなり、そして全ては終わった。
扉は閉じられた。システムの中枢はじょじょに球体の形へと戻っていく。ガチャリとロックがかかるような音が聞こえ、部屋は静けさを取り戻した。
残ったのは、溢れてしまった精神情報の
「行っちゃいましたわね。まるでおとぎ話に出てくる妖精のような子でしたわ」
重戦車の面白い例えに、蟲遣いは「ふっ」と口角の片方を釣り上げた。
「そうだな。俺らみたいな、薄汚れた人間とは違う。あいつはキラキラ輝く救世主だ。これからは新しい時代を創り、皆を導いてくれるだろう。それが楽しみだ」
「そうですわね。私、あの子のことを疑っていたけれど、最後まで綺麗な心の持ち主だった。シスタさんになら、世界を任せられますわ」
とても有意義な経験だった。だからこそ蟲遣いと重戦車は、そろって途方にくれていた。
今回の件は夢だったのだろうか?
シスタと名乗る仮想生物は、ただの幻想にすぎなかったのだろうか? と。
「さぁて、ボケっとしている暇はない。給料はきちんと貰っていかなきゃな。正義やら目標やら証明やらとカッコつけていたが、やはり金こそが一番の報酬だ」
蟲遣いは急いで害蟲を操り、溢れでた精神情報の残滓を回収する。その量は膨大であり、純度も混じりっけなしの特級品だ。しばらくは遊んで暮らせるだけの、価値のある精神情報である。
「重戦車、お前はこれからどうする?」
蟲遣いは精神情報をかき集めながら、重戦車に訊いた。
「私は蟲遣い様と一緒に余生を過ごしますわ。逃避行もご一緒させていただきます」
「あん? 一緒に来るのかよ。お断りだぞそんなの」
「いいじゃないですか。ハネムーンも兼ねて、南の方にでも一緒に」
「いつ結婚したんだよ俺らは。寝言は寝て言え、そして一生起きてくんな」
全てが終わり、蟲遣いと重戦車は他愛もない雑談を交わしていた。一件落着し、もう敵はいない。そう考えて気が緩み、油断していたのかもしれない。
と。
「……?」
蟲遣いは肌が粟立つような妙な違和感に気付き、精神情報を拾うその手を止めた。
警戒用に放っていた害蟲をなんとなく見てみれば、どいつもこいつも羽を逆立てている。
いや、正確には蟲遣いの操る害蟲が、何かを察知し逃げ惑っていた。羽を縮こませ、首を忙しなく動かし、目視できぬ恐怖の対象に怯えていたのだ。
「どうした? フンコロガシまで怯えているじゃないか」
蟲遣いはフンコロガシに言葉を投げかける。
普段は陽気なフンコロガシは、どうにも重戦車の方向を気にして怯えているようだ。
「蟲遣い様……?」
重戦車はただただ、その小さな顔を少しだけ傾けている。
その時、蟲遣いは気づいてしまった。
「おい重戦車。お前、その傷……」
「へ?」
重戦車の着ているドレス。その心臓部分に、深緑色の精神情報が滲んでいた。
それは噴水広場で戦った時の返り血ではない。ドレスの生地に漏れた精神情報がじわじわと滲んで広がっている。
「ごほっ……! がはっ……!」
重戦車は不規則に咳をする。そして胸部の傷を両手で抑えた。
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