第4章
第14話 決戦!プロポリスタワー侵入①
トンボの複眼は目に見えて大きく、280度という広視野を確保することができる。空を縦横無尽に飛び回ることもでき、諜報活動を行う斥候には十分な役割を果たす。
送られてくる映像には、東西南北にわかれて、幾人かのヴィジュアルハッカーが潜伏しているようだ。一番近い場所にいるハッカーは、蟲遣いたちが隠れている茂みの先より、数百メートル離れた距離にいる。
小競り合いに生き残り、ここまで辿り着いたハッカーたちは、どいつもこいつも人相が悪い。生き血に飢える怪物じみた目つきで、蟲遣いとシスタが現れるのを
「奴ら、どう思う?」
蟲遣いは、目の前にある映像を停止させ、訊いた。
「ピュタン……。難儀ですわね……」
眉を八の字にして困り果てた顔をしながら答えたのは、
「だな。まったく、待ちぶせとは肝っ玉が小せぇ奴らだぜ」
「まあそれも当然ですわね。私たちを草の根わけて探すより、巣穴から出てくるのを待ったほうが効率的でしょう。プロポリスタワーは一つしかないわけですし」
プロポリスタワーは、頂上を目視することもできないほどの高々度建築だ。システムの中枢となる最上階ブロックへ昇るには、内部に併設されている高軌道エレベータを使用する他ない。
普段は強固なセキュリティによって、その高軌道エレベータに乗り込むことすら困難であったが……。
先生は言っていた。
システム全体のバックアップを取る一瞬のタイミングに限って鍵穴は緩くなる。その一瞬にハッキングを行い、高軌道エレベータを乗っ取れれば、システムの中枢へと一直線で向かうことができる。と。
問題は、その高軌道エレベータに至るまでの道が一本しかないということだ。隠れる場所も無いような、見晴らし抜群の噴水広場を突破しなくてはならない。
そこを通ることを見越して、すでにヴィジュアルハッカーが待ち伏せしているのだ。彼らを倒さない限りは、高軌道エレベータにたどり着くことすらできない。
「くそ。体内の精神情報を完全に癒やすのに手間取りすぎた。もう少し余裕があれば、敵を回避して高軌道エレベータに乗り込むような、穏便な方法も準備できたんだがなぁ」
蟲遣いは嫌味ったらしく呟きながら、重戦車を睨んだ。
「私の責任ですか?」
長いまつ毛の似合う瞳をパチクリさせながら、あざとくとぼける重戦車である。この女に邪魔されなければ、もう少しスマートに仕事をこなすことができたはずだ。そう考えると、腹が立って仕方がない。
「ぐぅちゃん、ジャガイモさん、どうやってタワーに近づくのです?」
相談していた蟲遣いと重戦車の、その背後からひょこっと頭と触覚を覗かせながら、シスタが訊いてきた。
「そうだな、やはり噴水広場を抜けるしか方法はない、が……」
「何か問題でもあるです?」
「ある。今、噴水広場にいるヴィジュアルハッカーは、ひと曲もふた曲もある難敵ばかりだ。おそらくは、ウィザード級の上位ランカーだろうな」
すると、シスタは首をかしげながら再び訊いてきた。
「ときどきウィザード級とかデミゴッド級とか耳にしますけど、それって何かの暗号です?」
「ヴィジュアルハッカーの格付けみたいなもんだな。ちなみにウィザード級ってのは、高度なハッキング技術とストレス=アビリティを保持するハッカーを指していて、この世界には100人もいない。かなりの強敵ってこった」
「ふえぇ……。そんな強いハッカーが勢揃いしていて、あたしたちを包囲しているんですか? それってかなりまずいじゃないですか」
「いいや、ウィザード級なんぞ些細なことだし想定内だ。それよりも強い、俺たちと同格で、この世界に三人しかいないデミゴット級が一人、エレベータの入り口付近に陣取ってる。それが一番の問題だ」
映像の中央に映しだされた痩せ型の男は、焼け焦げた
その悍ましい姿を見て、トラウマが蘇ったのか、シスタの顔がぎょっと青ざめた。
「この映像に写っているハッカーさん、見覚えがあるですよ……」
「そうだ。デミゴッド級第三位、ハンドルネームは
一口にヴィジュアルハッカーと言っても、仕事を請け負う仲介人によっては、まったく異なる行動原理を持つ。蟲遣いや重戦車のような、自分一人で仕事を見つける者もいれば、統治者からの仕事を専門に請け負うハッカーもいる。
爛狐は後者だ。統治者の命令を口実に人殺しを愉しむ、暗殺専門のド畜生だ。
「あの男は、私たちを除いて考えれば、現状のヴィジュアルハッカーの中で一番やっかいな相手ですわね。死を恐れずに死を与える男……。まさに狂気ですわ」
「それに仮想現実を炎上させる特殊能力も厄介だ。害蟲は炎が弱点であるし、重戦車の火薬だって誤爆させられる可能性があるしな」
重戦車と蟲遣いの過度な煽りに、シスタは「ごくり」と息を呑んだ。
「彼を倒せるのですか? 凄くラスボス臭がするです……」
「安心しろ。一対一なら足止めを食っちまうだろうが、今は一人じゃねぇからな」
蟲遣いは、いつの間にやら自分の二の腕にすがりつく重戦車に目配せした。
すると、重戦車の頬が、ぽっとサクランボ色に染まった。
「ですわ。私と蟲遣い様との愛の共同作業なら、あんなブ男など恐るるに足らず!」
「……いいから離れろよ。暑苦しい」
蟲遣いは重戦車を蹴飛ばした。
重戦車は「きゃん……」と子犬のような声を漏らした。あざとい。
「ったく。お前が俺らの仕事を手伝うと言い出した時はびっくりしたぜ」
「私の精神情報はすでに蟲遣い様の所有物。地獄の果てまで一緒ですわ。ジュテーム! ちゅっ! ちゅっ! ちゅっ!」
「……。ハートマークの仮想現実なんて飛ばしてくるなよ」
フワフワと飛んでくる目障りなハートマークを手で握り潰し、蟲遣いは無愛想にする。
本来ならば、こんな押し付けがましい愛からは裸足で逃げだすものだが、重戦車を利用するためならば我慢するしかない。この有様でも一応は、デミゴッド級第一位、最恐の冠を持つヴィジュアルハッカーを担っているのだから。
それに爛狐を倒すには、やはり重戦車の暴虐な戦力を借りるしかない。これ以上は敵として対立することは避けたいという部分もある。
「わあ! ジャガイモさんがいれば百人力ですね! 宜しくお願いしますです!」
シスタは友達に挨拶するがごとく、重戦車に馴れ馴れしく語りかける。
「はあ? 貴方みたいな小さく弱い仮想生物なんて、本当は踏み潰してさしあげたいものですが。あまり蟲遣い様に近寄らないでくれませんこと。この泥棒猫!」
「あう。そんなこと言わずに、仲良くしましょうよぉ。ほら、握手しましょう」
手を差し伸べるシスタだったが、重戦車はフンと高い鼻頭を明後日の方向に突き立てるだけ。
「汚らしい。その頭に乗っているフンコロガシも、より一層に汚らしいですわ!」
シスタの頭の上でぴょんぴょんと飛び跳ねるフンコロガシをビシビシと指差しながら、重戦車はヒステリックに叫ぶ。
「フンコロガシちゃんも私の友達です。それにぐぅちゃんも、ジャガイモさんも、みんなみんな、あたしの友達ですよ!」
「友達ですか。ふざけたことをおっしゃります。貴方は本当にプログラムで構築された仮想生物なのですか? どうも信用できない。綺麗事ばかり並べてスクリプト臭いですわ」
「そ、それは……」
「やはり何か隠している……。そのうち化けの皮を剥いでさしあげますわよ」
やはり重戦車はシスタの素性を疑っているようだ。頭から足まで舐めるように観察しながら、本性を暴こうと探りを入れていた。
「くだらん口喧嘩はそのくらいにしておけ」
喧嘩する二人を引き離す蟲遣い。ここにきて仲間割れはまずい。現状の敵はこの場の誰でもなく、噴水広場にたむろするハッカーたちと、難敵の爛狐なのだ。
「とにかくだ、あの数のハッカーを真正面から相手するのだけは勘弁だ。ここはきちんと計画を練るべきだな」
「具体的にどうするです?」
「そうだなぁ。シスタを縛りあげて、餌として囮にする。ってのはどうだ?」
その計画を聞くなり、シスタは「ふえぇ……」と小声で唸り、涙目になった。
「冗談だよ。お前がいなきゃプロポリスタワーへ昇る意味が無い」
「……ほっ。なら、どうするです?」
「うーん。どうするべきか……」
さて、困ったものだ。どうやって噴水広場を抜けるべきか。
なるべく敵とは交戦を避け、精神情報を温存し、エレベータ前に辿り着きたいものだが。けれど、バックアップまでの時間が無いのも事実だ。
「重戦車、お前ならこの窮地、どう切り抜ける?」
蟲遣いは重戦車の意見を聞くことにした。
けれど声は返ってこない。
姿も消えていた。
「あの、ぐぅちゃん……。ジャガイモさんですけど……ほら、あれ……」
「まさか……」
シスタの向ける指の方をみれば、
「おほほ! 絶対女王の御成ですわよ! 頭が高いですわ、ひれ伏せ愚民どもぉ!」
とか叫びながら、噴水広場のど真ん中を突き進み、ガトリング砲やカノン砲を八方に乱発している重戦車の勇ましい姿があった。
重戦車の不意の出現に、噴水広場で張っていたハッカーたちは必死に応戦している。だが、その圧倒的なまでの火力に防御しきれず、放たれた榴弾の餌食になって吹っ飛んでいる。
その状況はまさに、多勢に無勢という言葉を、行動だけで論破していた。
「思考能力の停止したバカ女が! 一人で突撃しやがって!」
まったくもって計画性など有りやしない、過激なスタントプレイが、そこで披露されていた。
「でも、おかげで道ができてますです。屍だらけの道ですが……」
シスタは重戦車が通った後の、血なまぐさい死体の山を見て怯えている。
「まったく、敵に回すと恐ろしいが、味方に回しても恐ろしい奴だな」
「ですね……」
「とにかくだ。こうなっちまったら仕方ない。重戦車の後に続くぞ」
蟲遣いはネイル端末を戦闘モードに移行させ、害蟲の群れを呼び出した。
その群れを周囲に纏わせ防御しながら、シスタを背中に背負い、垣根から噴水広場へと飛び出していく。
不幸中の幸いとはこのことか、重戦車が大暴れしてくれているおかげで、噴水広場の敵の数はグンと減っている。これならば、なんとかエレベータまで到着できそうだ。
「結局、無計画に突撃するんですね、あたしたちも」
「だな。行き当たりばったりってやつだ……。ハッカーとしてあるまじき行為だぜ……」
蟲遣いは重戦車の暴れた後を追って走りだす。
すると、爆撃を逃れていた幾ばくかのハッカーが、こちらに気付いた。
「あっ! いたぞっ! 蟲遣いと小娘だ!」
「懸賞金は俺のモノだ! どけっ!」
「いいや、俺のモノだ! てめぇはアッチで死神と戦ってろ!」
お互いに罵りあい、肩をぶつけ合いながらも、敵のハッカーたちは各々にストレス=アビリティを披露し、こちらにサイバー攻撃をしかけてくる。
氷のトゲのような仮想現実が放たれる。雷を纏った雷雲が空に浮かんでいる。地面が割れて、そこから植物の根が飛び出してくる。そのどれもが、ヴィジュアルハッカーが発現させた特殊能力、ストレス=アビリティの一種であった。
「残念だが、雑魚にかまってる暇はないんでな」
蟲遣いは、クモ型の害蟲が創りだした鋼鉄の糸で、その攻撃を絡めとる。それだけでなく、ハッカーたちの足首にもクモの巣を張り巡らせ、行動を制限させた。
「ひるむな! ヤツを止めろ!」
それでも全ての攻撃を防げるわけではない。害蟲の攻撃をすり抜けてくる猛者もいる。さすがは、懸賞金目当てにここまで辿り着いたハッカーだ。一筋縄ではいかない。
「ひゃぁ! 何だかもう、めちゃくちゃです!」
ジェットコースターに無理やり乗せられた子供のように、シスタは蟲遣いの背中に掴まって、振り落とされないようにと必死でいる。
「こっちだって泣きたい気分だぜ……」
重戦車の襲撃を火種として、もはや噴水広場という場所では前代未聞のバトルロワイアルが繰り広げられている。進行方向の先では大規模な爆発がいくつも起き、「ぎゃぁ!」という断末魔がいたるところから聞こえてくる。深緑色の精神情報が周辺に飛び散り、死屍累々だ。
その地獄絵図から少し離れ、遠回りしつつ、蟲遣いはエレベータの入り口へと疾駆する。
「ぐぅちゃん、エレベータの入り口が見えてきましたよ! ストップストップ!」
「やっと辿り着いた……」
蟲遣いは息急き切りながらも、どうにか高軌道エレベータの入り口にまで到着した。
「トレビアーン! 蟲遣い様も無事にやってこられたようですわね。おほほほッ!」
時同じくして、最短ルートでエレベータの入り口に向かっていた重戦車も合流する。
返り血でべっとりと濡れたドレス姿で、「ハァハァ!」と息も荒く高揚し、随分とご満悦な表情だ。
「ったく。じゃじゃ馬な誰かさんのせいで、えらい目にあったぞ」
「ふふふ。お祭りは精一杯に楽しまないと損でしょう?」
「てめぇはいつでも呑気だな」
「さあ、四の五の言わず、祭りのフィナーレと行きましょう。追ってくる残りのハッカーは私に任せて、蟲遣い様はエレベータのハッキングに専念してくださいませ」
言いながら、重戦車は榴弾を一発、背後に放った。その弾道の先には敵が一人忍び寄ってきていたが、見事に爆散した。
重戦車に背後を任せておいても問題はなさそうだ。これほど頼りになる盾、いや、要塞はないだろう。
「なら、お言葉に甘えてハッキングに入るとするか」
丁度、先生が指定したセキュリティバックアップの時間だ。今ならばセキュリティホールから侵入し、ハッキングも容易に敢行できる。
蟲遣いはタッチパネルのカバーを外し、配線をほじくり出して、そこに害蟲を当てた。あとは制御・管制機能をバグらせて、エレベータの誤作動を誘発すればよい。それでタワーの天辺にあるシステムの中枢へと向かう扉が開くはずだ。
「蟲遣い様、エレベータを掌握するまで、何分ほど?」
重戦車は敵の攻撃をショットガンで撃ち落とし相殺しつつ、訊いてきた。
「そうだな……。なんちゅー複雑な回路だ。五分はかかるだろうな」
体勢を低くし、流れ弾を交わしながら、蟲遣いは嘆いた。
「それじゃ遅いですわ。一分でやってくださいまし」
「無茶言うな。侵入経路が甘くなってるとはいえ、この街で最高難易度のセキュリティなんだ。パズルゲームで遊んでるわけじゃねぇんだぞ!」
「御託はいいから、なるべく早く! 攻撃を凌ぎ続けるのも辛いのですわよ!」
「こうなったのはお前のせいだろうが! 身を
「ボケナ……なんですって! 私だって一生懸命にやっているでしょうが!」
蟲遣いは口喧嘩しつつも、ネイルの先をグイグイとタッチパネルに押し込み、精密なハッキングに挑んでいる。重戦車もまた、口喧嘩しつつも敵を確実に殲滅させていた。
「二人とも、口喧嘩しつつも手は止めないのですね……」
横目で見ていたシスタは、そんな二人に感嘆していた。これが他のハッカーならば、仲間割れしているうちにお陀仏だろう。
「しかし難解なロジックだ。さすがはシステムの中枢へ向かうためのエレベータだ。そう簡単にハッキングを成功させちゃくれねぇな……」
タッチパネルは指紋認証、声紋認証、そして精神情報の適合認証に加え、12桁のワンタイムパスワード。その四種類のセキュリティによって強固に護られている。そのセキュリティを突破するために、蟲遣いは数匹の害蟲を放ち、基盤に侵入させているが、あと一歩のところでエラーを吐いてしまう。
「蟲遣い様!」
繊細な作業の途中で、重戦車がまたも口を挟んでくる。
「うっせぇ。気が散るから話かけんなっ」
「きましたわよ……。本丸が」
「あ……?」
恐る恐ると振り向けば、思わず顔を背けたくなるほどの熱風が襲ってくる。蟲遣いの脇から嫌な汗が吹き出るほどの蒸し暑さ。自然と喉がカラカラに乾く。
その場の空気は蜃気楼のようにして折り曲げられている。火の粉が風に舞い、熱によって草木は水分を失い、周辺の仮想現実は、その計り知れない熱量によって枯れ果てる。
「……命令、邪魔者、全て、殺す。跡形もなく、燃やす……」
爛狐である。
奴は「ケラケラッ」と笑いながら、太陽のようにメラメラとした火の玉を両手に具現化させ、足をひきずりながらゾンビのようにして近づいてくる。
背後には、爛狐の邪魔をしたハッカーだろうか? 焼死体が何体か転がっていた。
そのあまりの異質な存在感に、今まで蟲遣いたちを追っていた雑魚のヴィジュアルハッカーは、攻撃に巻き込まれないようにと距離を保ち始めた。
「参ったなこりゃ。先に爛狐を倒すしかねぇか」
額に浮き出た汗を拭いながら、蟲遣いはハッキングの手を止めた。
現状はそれが最適解。爛狐を素早く倒してから、セキュリティをハックし、システムの中枢へと向かうべきだろう。
そう考え、蟲遣いがネイル端末がはまった指を動かした時だ。
その指を、重戦車が止めてきた。
「まったくもう私ったら、何を考えているのか。自分の愚かな行動が、よくわかりませんわね。これも蟲遣い様に唇を奪われて、性格がバグってしまった影響でしょうか」
言いながら、重戦車は自分の頭の上に戦車の砲身を具現化させる。右手にはマスケット銃、左手には自動機関銃。いつもの重厚なフォルムに身を武装させた。
そして重戦車は、決意も固く、しっかりとした口調で喋り始めた。
「あの野蛮人の相手は私が引き受けますわ。蟲遣い様とシスタさんは、さっさとエレベータをハッキングして、システムの中枢へお行きなさい」
「ちょ、何をカッコつけてるんですか! ジャガイモさんも一緒に行くですよ!」
シスタは重戦車のドレスをグイグイと引っ張って、引き止めようとしている。
「ふむ……」
蟲遣いは、滝のような汗に濡れる、重戦車の首筋を見た。
目に見えて疲労感が伝わってくる。おそらく全力で『エクスプロージョン=エクスプローラ』を発動させ、火薬を精製して戦っていたのだろう。要所要所で余裕を見せてはいたが、やはり重戦車も人の子だ。
その疲弊した身体では、爛狐を相手にするには心もとない。仮に勝てたとしても、他のハッカーまで相手をするのは不可能だ。
「制限時間は限られていますわ。エレベータのハッキングに時間がかかるのなら、ここで爛狐を相手にしている暇はない。そうでしょう?」
「だが、今のお前では――」
言いかけたところで、重戦車が声を被せてきた。
「蟲遣い様は、私をただの弾避けとして連れてきたのでしょう? 私のことなんて、これっぽっちも愛してなんておらず、ましてや信用すらしていないのでしょう?」
「そ、そんなことない。ここまで一緒にやってこれたのは、お前を信用して――」
図星であったので慌てて言い訳をする蟲遣いだったが、それは容易く見ぬかれていた。
「隠さなくてもよろしいですわよ。利益は全て自分一人のもの。裏切って偽って、そして勝利を独占しようとするのは、ヴィジュアルハッカーとして当然の流儀ですわ」
重戦車はそう言うと、蟲遣いの前に、盾になるようにしておどり出た。車椅子に浅く腰掛け、前のめりになりながら、迫り来る爛狐を一頻りに睨む。
「私にだって、ヴィジュアルハッカーとしての誇りがある。蟲遣い様のことを本当に愛しているのなら、その身砕け燃え尽きようとも、本望ですわ」
「お前、本当に俺のことを……」
「だからこそ、私の気持ちを、きちんと伝えておきたい。私は蟲遣い様に認められたいだけ。ただそれだけのために、戦っている」
「ほう……。言ってくれるじゃないか」
蟲遣いは重戦車の瞳の奥を見つめた。
そこには、何事にも恐れない強固な決意が垣間見える。それが愛だというのなら、あまりにも男らしい愛だ。
「ヴィジュアルハッカーは孤独……。蟲遣い様はそうおっしゃりました。私もそう。孤独だからこそ愛を求めて戦っている。だったら、その愛を確かめるために戦地に赴くのは、蟲遣い様の言う目標の証明になるのではなくって?」
「だからって、自ら捨て駒になるなんて――」
「それ以上は禁句ですわ、蟲遣い様」
重戦車は蟲遣いのことを見つめた。さも「死ぬのは怖くない。怖いのは、貴方様に嫌われてしまうこと」そんな台詞を言いたげに、物欲しそうに唇を動かしている。
この時、蟲遣いは不覚にも思ってしまったのだ。
――重戦車は、実はイイ女なのではないかと。
「オールヴォワール……。お行きなさい。私はこの場にとどまって、好きなように暴れていますわ。それが一番、暴力に取り憑かれた、私らしい最期ってものです……」
重火器の仮想現実を幾つも創りだす重戦車。今までの無理がたたっているのか、少し辛そうに息を荒らげていたが、そんな些細なことなど意に解せず、髪を逆立てて爛狐を威嚇している。
どうやらその覚悟は本気のようだ。
重戦車は自分の愛を、全力で試すつもりのようだ。
もちろんこのまま重戦車の提案を受けて、足止めさせることもできた。むしろ、そうさせるつもりで、重戦車を利用していたのだ。
けれど、蟲遣いはその計画を改めることにした。
「……ふっ。てめぇ一人に、美味しい所を持っていかれるのはゴメンだぜ」
蟲遣いは害蟲を放ちつつ、重戦車の横に、平等に並んだ。
「……なっ! 私が足止めすると言った側から、何故!」
「お前一人で戦わせやしねぇよ。仲間だろ、俺たちは」
「な、仲間……? え……?」
「あぁ、いやいや……。今のクサイ台詞は忘れろ」
思わず口が滑ってしまい、蟲遣いは口をモゴモゴとさせた。
「でも、蟲遣い様も戦闘に参加しては、誰がエレベータを」
「シスタ、やれるな?」
蟲遣いはシスタを背中から降ろし、小さな頭をよしよしと撫でながら命令した。
すると、シスタは蟲遣いの手の中で、コクリと頷く。
「合点です! あたしが責任もってハッキングします! お二人は存分に暴れてくださいですよ!」
「だってよ。シスタは管理者権限を持つ仮想生物だ。アイスクリームを創らせた時もそうだったが、ヴィジュアルハッカーとしての才能もある。だから大丈夫だ」
「蟲遣い様……。シスタさん……。この私を……見捨てませんの?」
「見捨てるつもりはない。一緒に昇るぞ、天辺に」
「ジャガイモさんは、あたしたちの友達です!」
「はうっ。そのような優しい言葉を投げかけられるとは思いもよらず……メルシー……メルシー……」
重戦車はハンカチを目頭に当て、「およよ……およよ……」と泣き崩れる。
重戦車もまた、蟲遣いと同様に、誰からも愛されずに育ってきたのだろう。仲間として信頼しあうことは、彼女にとっての尊い憧れだったのかもしれない。
「重戦車よ、感慨にふけるのは後にしろ。今は目の前の敵を全力でぶっつぶす!」
「はいっ! 蟲遣い様!」
「精神情報、譲渡! オールリンク!」
――精神情報の共有化。
蟲遣いと重戦車は、互いのネイル端末の信号を同調させ、互いの体内に保持する精神情報を一箇所に集約させた。それをすることにより、お互いの短所を補い、さらには長所を伸ばすことが可能となる。
プライベートな個人情報を晒すことを極端に嫌うのがヴィジュアルハッカーであるが、しかし蟲遣いと重戦車は、そんなこともお構いなしと、全ての精神情報をリンクさせ、関連付けた。
心地よい。よく馴染む。
もとより二人の相性は抜群であったのかもしれない。だって性格がとても似ているのだ。負けず嫌いで、頑固で、頭もおかしいく残虐非道。そして何より、本性は寂しがり屋だから。
「力が漲ってくる……」
「人と共闘するだなんて、私、始めてですわ……」
結果として、二人のネイル端末の処理能力は、理論値以上のオーバースペックとなって、そこに具現化された。共有された精神情報は、加算され、乗算され、みるみるとうちに体内で膨れ上がっていく。
「クケケケ……。皆殺し、皆殺し、皆殺し、皆殺し、皆殺し殺殺殺殺殺ッッッッ!」
それでもなお、臆することなく爛狐が近づいてくる。目玉をぎょろぎょろと動かし、舌をだらしなく伸ばしながら、両手の火の玉を限界まで巨大化させていく。
「ケケケッ! 燃えカスになれっ! 『フラミンゴ』!」
爛狐は腰を捻って腕を振りかぶり、巨大な火の玉をこちらに放ってきた。
凄まじい熱量である。鉄すら溶けて蒸発するほどの極大級のサイバー攻撃が、地響きとともに迫ってくる。
だが、
「そんなんじゃ汗一つ流れねぇよ。これがサウナなら一日中寝てられるぜ!」
蟲遣いは余裕のジョークを織り交ぜながら指を動かした。そのハンドシグナルに従って、害蟲は一箇所に寄り固まり、そして火の玉を防御するための結界を作る。
害蟲は火に弱い。本来なら即座に蒸しあがり、絶命してしまうのがオチだった。
けれど重戦車の精神情報がそこに加わったことで、熱量に対しての免疫力が増したようだ。単純な炎の攻撃だけなら、ほんの少しは耐えられる。エクスプローション=エクスプローラの能力によって、炎に対する耐熱性能が害蟲に付加されたのだろう。
蟲遣いは害蟲の防御で炎の勢いを抑えつけつつ、重戦車に合図を送る。
「重戦車、今だ。爛狐の身体に刻み込んでやれ。俺らのほうが上だってことをな」
「わかっていますわ」
重戦車は目の前に銃身の長い極太のマスケット銃を具現化させた。そしてその銃口を焦らずじっくりと爛狐のほうに傾け、落ち着いて目線と照準を重ねる。
「アン……ドゥ……トロワ……」
数を数えながらタイミングを見計らう重戦車。
そして、「すぅ……」と浅く息を吸い込むと、ピタリと息を止め、
「アレーオンッノンフェールッ!」
ズドンと、20mmはあろう巨大な鉛弾をぶっ放した。
重戦車の華奢な上半身が反動で仰け反るほどの衝撃。その弾は火球を即座に貫通し、ファイアーウォールすらも破って、爛狐の利き腕を寸分狂わずに撃ち抜く。
その場に深緑色の液体が噴き上げ、爛狐の利き腕は木っ端微塵に吹き飛んだ。当然、指にはめられたネイル端末とのリンクが途切れ、炎を操ることもできず、炎上させる能力は停止する。
「……ケケッ?」
何をされたのかすら、爛狐は気付いていないようだった。無くなった利き腕を見つめながら、首を傾げているばかり。
「爛狐よ、てめぇの星座はなんだ? さぞかし今日の運勢は最低だったろうよ」
「……っ! 蟲、遣いっ! 」
「トドメだ」
最後に、蟲遣いは自らの害蟲の群れを、爛狐に向かって放った。
爛狐は慌ててその攻撃を防御しようとしたが、残念にも、そこに利き腕はない。
「ぐがっ! グガガガガガガガ!」
害蟲に全身を噛まれ、しばらくはのたうち回ったのち、そして爛狐はついに力尽き、前のめりで倒れたのであった。
勝利は容易かった。
精神情報を共有化させた蟲遣いと重戦車の前には、爛狐など障害にもならなかったのである。
戦況を窺っていた他のヴィジュアルハッカーたちは、金縛りにあっているかのように、その場で唖然としている。きっと、あまりにも一方的な結末に、恐怖を植え付けられたのだろう。
もはや彼らの心も折れた。蟲遣いたちを追ってくるような自殺志願者は、もういない。
「ぐぅちゃん、エレベータのハッキング、終わりましたですよ」
エレベータの扉がいつの間にか開いていた。そのエレベータにすでに乗り込んで、シスタが手で招いている。
「よくやったシスタ。さすがだぜ、この短時間であの回路をハッキングするとはな」
「えへへ。それほどでも……ありますがっ!」
シスタは「えっへん」と胸を張っている。少し自信家な蟲遣いに性格が似てきいるのは気のせいだろうか。
「……なぁ重戦車」
「……なんでしょう、蟲遣い様」
「なんだか気恥ずかしいぜ。誰かと協力して、一つの目標のために戦うってのはな」
「そうですわね……。けれど、元より人という種は、愛という無限の力に頼ってきた生物。手を取り合って戦うというのは、ごく自然な流れだったのかもしれませんわ」
蟲遣いと重戦車は、その慣れない気持ちを隠そうと頭をかいた。
本当に気持ち悪い。
だが、すがすがしい気分でもあった。
目標を持って生き、愛する者のために戦う。
それこそが、人類の本来あるべき姿なのだろうか。
「ぐぅちゃん、ジャガイモさん、ラブラブしてないで、はやくはやく!」
シスタが急かしてくる。
ので、蟲遣いと重戦車は、互いに目を合わせないようにしながらエレベータに乗り込んだ。
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