第13話 夢と現の狭間で……③

 重戦車ジャガーノートの隠れ家は、街の外れにポツンと建った、古びた木造の一軒家の中にあった。その一軒家を囲むようにして、仮想現実で創られた有刺鉄線が張り巡らされている。おそらくは侵入者を排除する目的で、周辺には地雷のようなトラップも仕掛けられているだろう。

 そうなれば、重戦車の許可無くこの建物からは逃げられない。だからこそシスタが風を浴びることのできる場所は、すぐに見当がついた。

 蟲遣いは今にも底が抜けそうな腐り果てた階段を登り、二階のベランダへと向かった。

 案の定、そこにはシスタがいた。

 プラネタリウムように過剰に輝く仮想現実の夜空を見上げるシスタ。流星群がシャワーのように墜ちてきて、それはもう美しい光景が大パノラマに広がっていたが、それに相反して、シスタは意気消沈としている。


「シスタ、ここにいたのか」


 蟲遣いグリッチャーはシスタの隣に両腕で枕を作って寝転び、同じように夜空を眺める。


「ぐぅちゃん……」


 蟲遣いに気付いたシスタは、慌てて服の袖で目を擦り、涙のようなモノを拭った。

 目がウサギのように真っ赤だ。やっぱり泣いていたのだろう。

 それを横目に確認したあと、蟲遣いは話を切り出す。


「今日も夜空が綺麗だな。まったく、本来は大気が汚染されすぎてて、星どころか月すら見えねぇってのに、仮想現実ってのは便利なもんだぜ。この廃れた世界を、錯覚と幻想で美しく誤魔化してやがる」


 本来、もうこの星は人が住める環境ではない。大気も土壌も汚染され、人間以外の植物や動物は絶滅危惧種となっている。

 資源も枯れている。食べ物の備蓄も底をついた。それはこの街に限った話ではなく、多かれ少なかれ、世界中どこも同じように、潰滅しきった有り様だ。

 その事態を招いたのは人間だ。

 資源が枯れることは、あらかじめ分かっていた。自然災害によって、人の生活圏が脅かされることも分かっていた。食料の奪い合いが始まり、戦争が起きることも予測できただろう。

 しかし、どの問題も解決することはできなかった。

 だからこそ、人類は絶望という現実から逃避し、希望という幻想に依存する道を選んだ。


「ぐぅちゃんは、この世界のこと好きですか? この過剰なまでに彩飾された飾り物の夜空とか、好きですか?」

「嫌いだな。もはや夜空は夜空じゃない。プログラムに取り込まれた、ただのデータだ」

「やっぱりそうですよね。人類は間違った方向に進んでいるです。システムに依存し続けてしまえば、もう後戻りはできません。待っているのは破滅だけなのに」

「だがよ、人間ってのはそういうもんだろ。便利だから利用する。利用するから堕落する。その歴史を絶えず繰り返して自滅してきた。だから、この状況は必然さ」

「ですけど……システムにも許容限界があるです。人類が魂に保持する精神情報。それを糧にこの世界の仮想現実は創られている。でも、精神情報は有限だから、いつまでも夢のような世界に浸っているわけにはいかないです。夢はいつか、覚めちゃうですよ?」

「だからって、はいそうですかとシステムを切り捨てるわけにはいかねぇだろ。仮想現実が無けりゃ、今頃は人類も絶滅危惧種さ。拠り所があるから、今もこうして生存してる」

「でも本来は、ヴァーチャル=ネストは緊急措置だったはずです。その間に人類同士が手を取り合って、この問題を解決していくべきだったはずです。旧時代のように、人が人らしく生きていられる、そんな現実リアルのために。なのに……」


 シスタの瞳に、またも涙が溜まりはじめる。乾いた北風がシスタの髪を激しく靡かせ、小さな身体を無情に煽る。

 ――虚しい。

 その気持ちだけが、嫌でも伝わってくる。


「あたしは、システムの管理者として、この荒廃した世界をよりより未来へ導いていく存在です。だからこの街にやってきた。決して醜い争いを誘発するために、やってきたわけではないのです……。なのに人間は野蛮にも争ってばかりです……」


 シスタの丸い瞳から一筋の涙が零れた。その涙は頬を伝い、足元へ滴った。

 シスタは、自分に懸賞金がかけられ、それを狙うハッカー同士の小競り合いに対して、随分と沈痛な面持ちだ。人が今も死んでいるのだから、そう悲観するのは当然だ。


「シスタの言い分はわかるぜ。お前は優しいもんな。頭にバカがつくほどによ」

「優しくなんてないです。結局、あたしがこの街に現れなければ、ぐぅちゃんが傷つくことも、争いが起きることもなかったです。全てはおせっかいなあたしの責任ですよ……」

「それは結果論だろ」


 言って、蟲遣いはシスタの目頭に親指を添えて、涙を拭ってやる。


「俺はな、シスタと出会えてよかったと思っている。毎日毎日、同じことの繰り返し。その日を生き抜くための非生産的な暮らしは、心底にうんざりしていた」


 蟲遣いは、先生にヴィジュアルハッカーとしての手解きを受けた頃から、ずっと裏の世界に従事してきた。時には人を騙し、金品をせしめて、殺人以外の様々な悪事に手を染めてきた。

 それが蟲遣いの日常であったし、これからもずっと、蠢く害蟲のように、誰からも嫌われて生きていくものと諦めていた。

 しかし、その無間地獄から抜け出せるきっかけが生まれた。

 それこそ、システムと呼ばれるルールに、無謀にも立ち向かうこと。シスタを守り、弱い者たちをしがらみから解放すること。

 それは若くして人生を諦め、あても無く世界を放浪してきた蟲遣いにとっては、とても刺激的で有意義すぎる人生の指標であろう。


「お前はこの世界の奴らを不幸にしているじゃないかと後ろ向きに考えているようだが、その逆で、お前に助けられた奴だっているんだ。そこを忘れちゃいえけねぇよ」

「ぐぅちゃんは、あたしに助けられたです?」

「お前がいなけりゃ、今の俺はいねぇ。昔の俺より、お前と出会った今の俺のほうがずっとずっと魅力的だ。そう見えるだろう?」

「ぐぅちゃんは、あたしのやろうとしていることが、意味がない行為とは思わないのです?」

「思うかよバカ。自分が志した目標に『意味がない』なんて弱気なことを言うな。例え想定外の犠牲があったとしても、それは目標を達成するための試練にすぎない」

「試練……です?」

「結局はな、最後まで泥臭く抗って、そして納得できるかどうかだろ。途中で全てを投げ捨ててしまうのが、一番やってはいけない弱虫のやることだ」

「でも……やっぱり傷つけ合うのはよくないです! 平和的な解決ってものがあるはずです! 人は話しあえば、歩み寄れる生物のはずですよ!」

「頑固だなお前も。しょせんは、ココロをプログラムされた仮想生物か……」


 蟲遣いの嫌味な台詞に、シスタがムッと睨みつけてきた。


「戦うことは悪いことです! 絶対そうなんです!」

「なら、こいつらを見てみろ」


 蟲遣いは親指と中指を擦り、パチンと音を奏でた。

 そのハンドシグナルを合図に、蟲遣いの胸元から、数匹の害蟲が飛び出した。


「その子たち、ぐぅちゃんの害蟲ですか?」

「そうだ。この害蟲の姿を、目ん玉ひんむいてよぉーく見てみろ」

「害蟲さんの姿を……です?」


 シスタはぐぐぐっと前のめりになりながら、飛び交う害蟲を注視した。

 その害蟲は、カブトムシやクワガタムシである。立派なツノが生えていたり、ギザギザのクワが生えていたり。蟲遣いの使役する害蟲の中でも、一際に外見が立派な奴らであった。

 蟲遣いは、そんなカブトムシのツノを指さした。


「このツノはな、こいつらの武器だ。邪魔者を目の前から排除するために使用するんだ。腹の下にツノをねじこみ、テコの要領で敵を弾き飛ばすんだとよ」

「なぜそんなことを? 喧嘩はよくないです……」

「喧嘩じゃねぇよ。それこそが、生きるための戦い……。生存戦略ってやつだ」

「生存戦略?」

「こいつらだって生きている。食べ物を他の奴らに奪われないため、自分の縄張りを荒らされないために、理由は様々だが、自分自信が生存競争に勝ち残るために、今できることをガムシャラにやってるんだよ」

「……それってつまり、人間も同じって意味ですか?」

「察しがいいじゃねぇか。少なくとも今の俺らはそうだ。この狭っくるしい世界で生き残るために、誰もが必死で生きてんだ。それが戦うってことの本質だ」

「ふむふむ……」


 どこか納得していないようだったが、けれどシスタは反論してこなくなった。


「シスタ、次はこれを見てみろ」


 蟲遣いは立ち上がると、もう何十匹かの害蟲を発現させた。

 その害蟲の群れの先頭には、フンコロガシがいる。手に白い旗を持って、「ズンタカタッタッター♪」とマーチを奏でている。

 そんなフンコロガシを先導役にして、害蟲たちは羽を広げて夜空に飛び立っていった。一匹一匹は小さな害蟲ではあったが、数十匹が寄り添い集まれば、一つの巨大な生物のように立派に動く。


「わぁ! 凄い!」


 シスタは害蟲の編隊飛行を眺めながら、口をあんぐり開けている。


「弱肉強食の自然界じゃ、異なった生物同士が隊列揃えて行進するなんて有り得ねぇ。それは、仮想現実だからこそ実現できる、一種の奇跡だ」

「奇跡……」

「俺は思うぜ? シスタがやろうとしていることはコレと一緒だろ? 弱いヤツも強いヤツも、一緒に手を取りあって、別け隔てなく生きていくこと」

「そうです! 皆で仲良く空を飛んで! 大人も子供も仲良くして! そんな世界を創造したくてヴァーチャル=ネストは生まれたです! だから! だからっ!」

「だったら、そうなるように戦えよ」


 蟲遣いは強い口調でシスタを諭した。

 もちろんシスタはビックリし、首をすぼませてしまう。


「戦うことは恥じゃねぇし悪でもねぇ。戦って手に入れた栄光は、次の未来を築く基盤になるはずだ。だからよ、この戦いから目を背けるな。真正面からぶつかって、自分の理想を傲慢ごうまんに築け。それが一番てっとり早いし、誰もが納得する平和の示し方だ。違うか?」


 その厳しい現実をぶつけたことで、弱虫のシスタが泣き出す可能性もあった。

 けれど、それはあまりにもシスタを子供扱いしすぎていたのかもしれない。


「……ぐぅちゃんは、やっぱり強い人ですね」


 いつものようにペコリと頭を下げるシスタ。

 そして数秒後、頭を上げたシスタの面構えは、とても凛々しく引き締まっていた。


「そうですよね。戦わなきゃいけない状況もあるんですよね。あたしが、この街にやってきたことは間違いじゃないと証明するために。あたし自身が戦わなきゃですよね」

「そもそも、お前はもう戦っている。俺が重戦車に負けそうになった時、俺を助けるために、お前は戦った。そのおかげで、今はこうして重戦車に看護され、平和に雑談していられるんだぜ。結果はきちんと出てるんだ」

「それは偶然ですが。そういう考え方もできるですね」

「おうよ。つーかアレだ。深く考えすぎなんだよシスタは」

「あたしは、ぐぅちゃんみたいに、割り切った考え方ができないだけです。です!」


 けれどシスタは笑った。もう何も怖くないよと、そう言いたげに。


「そうかい。どうせ俺は単細胞生物並に、愚直な人間だよ」

「でも話ができて、胸の真ん中あたりがスッキリしたです。もう一度お礼を言わせてください。ありがとうです。あなたは本当に、優しくて強い人。あたしの正義の味方です。ですです」


 シスタは蟲遣いの腕に寄り添い、ごろにゃんと甘えてくる。蟲遣いはその行為を受け入れて、反対の手で優しくシスタの頭を撫でてやった。


「ふっ……。説教がすぎちまったぜ。俺のキャラじゃねぇんだがな」


 蟲遣いは苦笑いしながらも、指をぐるぐると回して害蟲を器用に操った。

 偽物の星々の下で、害蟲は楽しげに宙を舞う。円を描いたり、急降下したり、様々な技を魅せてくれる。それは本当に奇跡の類だ。それができるのは、この世界がヴァーチャル=ネストと呼ばれるシステムに擁護されているからである。

 悪いのは、システムを私用化する穀潰しな一部の人間である。

 その間違ったバランスを正すことができれば――。


「ぐぅちゃん、一緒に頑張りましょうね」

「ああ……」


 シスタの言葉に、蟲遣いは静かに頷いた。

 二人はこうして、数十分の間、無言で夜空を翔ける害蟲を眺めたのだった。

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