第12話 夢と現の狭間で……②
「ぐぅちゃん!」
聞こえてきたのは煩わしくも落ちつく声だった。
「う、うぅん……」
暖色に発光する裸電球に目が眩む。その光に吸い寄せられるようにして、一匹の羽虫が羽音を鳴らしながら飛び交っているのが見えた。
ジジジジ……。羽虫は随分とリアルな雑音を奏でて飛んでいたが、やはり創り物のまがい物。それは仮想現実によって具現化された害蟲である。であれば、この世界はいつもの狂った世界なのであろう。
「ぐぅちゃん! よかった、意識を取り戻したですね!」
天井を見つめていた視線にぴょこんと飛び込んできたのは、将来が楽しみな可愛いらしい顔だった。
「シスタ……?」
「はい。シスタちゃんですよー。ほら、フンコロガシちゃんも、いますですよー」
シスタの頭の上にはブクブクに太ったフンコロガシが小躍りしている。いつの間にやら餌付けでもされたのだろうか。だらしのないお腹を揺らしている。
「えへへ、よかったです。意識が戻って本当によかったですよ」
シスタが屈託の笑みをこれでもかと披露してくるものだから、蟲遣いは疑問を抱いた。
「なに、笑ってんだ」
「だって、さすがに死んじゃったと思いました。ゴキブリ並のしぶとさですね」
「俺は、公園広場で野垂れ死んだんじゃないのか? ここは地獄じゃないのか?」
「天国でもありませんが……。もちろん、きちんと生きていますですよ。傷だってほら、ちゃんと塞がってるですよ」
「傷が?」
蟲遣いは自分の脇腹を手でまさぐる。そこには手榴弾の破片が突き刺さり、傷からは精神情報がだだ漏れしているはずだったが。しかし今や破片は取り除かれ、ご丁寧にも糸によって傷は縫われている。どうやら何者かが医療用アプリケーションを使い、手術をして、精神情報の流出を食い止めてくれたようだった。
「シスタが手当てしたのか? それにしては綺麗で無駄のない縫合だが……」
「違いますです。本当はあたしが介抱してあげたかったのですが。ほら、アッチに」
シスタが指差す方向には鉄製の扉があって、その扉がほんの少しだけ開いていた。
そのわずかな隙間の暗がりから、何者かが部屋の中を覗き見している気配がある。まるで隠れんぼをしているかのような、挙動不審な視線である。
「……そこにいるの、
「はうあっ!」
という言葉にもならない声を残し、バタンと音を立てて扉が閉まった。
「ボンジュールですわ蟲遣い様……。順調に回復に向かってらっしゃるようで、なによりです……。えっと、傷は痛みます?」
恋情を抱く少女のような甘ったるい声が、閉じられた扉の先から聞こえてくる。
「痛みは無いが。お前が傷を塞いでくれたのか?」
「は……はい……。お粗末ながら……」
「お前は俺を殺そうとしてたんだろ? どうして助けた?」
「それは……だって……」
言いながら、重戦車は扉をほんの少しだけ開けて、部屋の中を再び覗いてきた。
彼女の頬は風邪でも引いたのかってくらい真っ赤に火照っていた。目元もトロンと
そんな変わり果てた重戦車が、蟲遣いに対してこう囁いた。
「心の底から愛してます……。きゃっ! 言っちゃいましたわ!」
その台詞に、蟲遣いの背筋はゾクゾクッとする。
「おいシスタ。俺の寝ている間に何があった?」
「ジャガイモさんが助けてくれたですよ。この部屋も隠れ家だそうです」
シスタに言われ、蟲遣いはもう一度部屋を見渡す。
水玉模様の可愛らしい壁紙が張られている。床にはモコモコとしたカーペットが敷き詰められていて、部屋の隅にはヴィクトリア調の細かい装飾が施された化粧台やキャビネットのような家具が配置されている。
随分とクラシックな趣味の仮想現実を家具として配置しているようだ。お嬢様な出で立ちの重戦車が、いかにも棲家にしていそうな、そんな隠れ家である。
いや、それよりも……。その壁紙や家具の後ろに、ちらりと見える蟲遣いの全身写真はなんだろう?
蟲遣いは何も見なかったことにした。
「……う、うーむ。ならついでにもう一つ訊きたいのだが、どうして重戦車は、あんな腑抜けた有り様になってるんだ?」
「そりゃキスしましたし。ぐぅちゃんってば、きちんと責任を取らなきゃですよ?」
「キスのせいであーなっちまったのか?」
体内にある精神情報がバグる時、その性格などにも影響を与え、後遺症を患うことがある。重戦車が、まるで思春期ど真ん中の女の子のように発情しているのは、蟲遣いがキスをしたことが原因であるようだ。
とは言え、バグを駆除して性格をリカバリィするくらい、重戦車なら容易であろうに。
「おい、重戦車」
「は、はひっ!」
蟲遣いが呼ぶと、重戦車は声を裏返させた。
「てめぇ、何を企んでやがる」
蟲遣いは殺意を持って睨むが、重戦車は牧歌的にニコリと笑って見せる。敵意はまるでない。
「いえ、だってほら、私と蟲遣い様は永遠のライバルなわけですし。だからほら、あのまま野ざらしにしておくこともできなかった。だからだから……あうあう」
「ずいぶんと大人しくなっちまったな。まるで別人だぜ」
「そ、そうですか? でも安心なさって。蟲遣い様の命を奪うことは諦めておりませんから。大丈夫、死ぬ時はこの私が、息の音を止めてさしあげますので……」
「前言撤回だ……。やっぱりてめぇの頭はネジが百本抜けてやがる」
怪しく笑う重戦車に対し、蟲遣いは気持ち悪いなといつものように引きつった表情を作った。
「とにかく、手段はどうあれ蟲遣い様は私に勝った。だからこそ、敬意を払って、貴方様を助けた。ただそれだけのことですわ。まぁ、下心があって蟲遣い様を助けたのかと問われれば、NOとは言えませんけれども……」
「傷の縫合中に、俺の身体をイジっちゃいねぇだろうな」
「拝みたい衝動はありましたが、来るべき初夜の日のためにと、その楽しみはとっておきました。もう少し、テクニックも磨かないとでしょうし」
「……」
もはや蟲遣いは言葉も出なかった。
もういっそ、死んでしまえば楽だった。そうも思った。
しかし何にせよ、重戦車はもう敵ではないようだ。正々堂々と戦い、決闘で勝利をおさめたことで、重戦車は蟲遣いを認めたのだろう。
ただ、男として認められたとしたのなら、これからのストーカー行為に拍車がかかりそうで、うんざりさせられるが。
「まぁいいか。それより状況はどうなってる? 俺はどのくらい寝ていたんだ?」
蟲遣いはベッドから起き上がりつつ、シスタに訊いた。
「えっと、ぐぅちゃんが寝てから、もう十時間くらいたってるです。その間、色々なことがあったですよ。大変だったです! ほんとうにもう大変で、大変でー!」
頭の上で腕を広げたり、その場でクルクル回ってみせたりと、シスタは忙しくなく何かを伝えようとしている。まったく一つも伝わらないが。
「ジェスチャーだけじゃわからねぇよ。何があったんだ?」
「それは、私から説明させていただきますわ」
重戦車はネイル端末を起動し、指を三本だけ前にだした。
すると、蟲遣いの前に映像を表示するためのミニプレイヤーが表示された。それは連動して多重起動し、ベッドを覆い隠すほどにまで増えた。
そのプレイヤーには、それぞれ異なった地域の映像が映しだされている。
「この映像は?」
「繁華街や堕落街に設置された、仮想監視カメラのライブ映像ですわ。私がハッキングを仕掛けて、リアルタイムに盗撮しているのですけれど」
この街には、一般市民の行動を抑制する目的のため、仮想現実によって創られた監視カメラが複数台設置されている。
今思えば、この監視カメラをハッキングすることで、重戦車は蟲遣いの足取りを掴んだのであろう。まったくもって根暗な性格をしている。
けれど、その根暗な性格のおかげもあって、この街の現状は手に取るにように把握できる。
「……このライブ映像に写っている奴らってまさか」
「ヴィジュアルハッカーですわ。彼らは今、自らのプライドを懸けて戦っている」
映像では数人のハッカーが電子戦を繰り広げている。一対一で戦っている者もいれば、バトルロイアル形式で混戦をきわめている者たちもいた。彼ら彼女らは出し渋ることなく自分のストレス=アビリティを駆使し、本気の戦いに明け暮れている。
「ほとんどがウィザード級じゃねぇか。縄張り争いだなんて言葉じゃ生ぬるいな」
「今や、この街の裏社会は無秩序の戦争状態に突入していますわ! ふふふ……。面白いことになってきましたわね! 武者震いしてしまいますわ!」
「ヴィジュアルハッカー同士の戦争? どうしてそんなことに?」
一瞬疑問に思ったが、蟲遣いの横で悲しそうに触覚を垂らしているシスタの姿を見て、その答えはすぐに導き出された。
「そうか。シスタと俺にかせられた懸賞金。奴らはそれが目当てで、あちこちで小競り合いを始めているのか。他の奴らに、その利益を横取りされないようにと……」
「ウィ。蟲遣い様とシスタさんには、さらに懸賞金が上乗せされた。その額は、もはや末代まで遊んで暮らせるほどの巨額! ヴィジュアルハッカーが、その美味しいネタに食いつかないはずが無いですわ」
「だろうな。美味しいモノは独り占め。それがヴィジュアルハッカーの流儀だ」
ヴィジュアルハッカーは、とても欲深き連中である。利益があるとすれば、それを独占しようと考えるのが当然の思考であった。手を取り合って利益を山分けしようだなんて、そんな
だから潰し合っているのだ。邪魔な存在を自分の進む道から排除するために。
さらにその混乱に乗じて、自らの縄張りを広げようだとか、新たなシンジゲートを設立しようだとか、様々な悪だくみを目論んでいるハッカーもいるだろう。
とにかく、ヴィジュアルハッカーにとって、混迷を極める今がもっとも稼ぎ時なのだ。
「あたしの責任です……。どうしましょう……」
シスタは自分を責め始める。悲しそうに視線を落とし、短い指をモジモジとさせている。
「おいおい、何をしみったれてんだ。これはチャンスじゃねぇか。ヴィジュアルハッカー同士で潰し合ってくれれば、これからの行動も楽になる」
「でも、人が傷つくのは見たくないですよ」
「優しいな。だがハッカー共にその言葉はむしろ侮辱にあたいする。奴らは、結局は戦うことでしか自己を表現できない戦闘狂なんだからな」
「それでもあたしは、人間が平等に、楽しく健全に生きていけるようにと、そう考えて、この街にやってきたはずなのに……。結果はいつも裏目裏目です」
「だからそれは、シスタの責任じゃないだろうが」
「違う。あたしの責任ですよ……。きっとそう。きっとそうです!」
シスタは涙目になった自分の顔を蟲遣いに見られまいと表情を隠し、とぼとぼと重い足取りで歩き出した。どうやら部屋を出ていこうとしているようだ。
「シスタ、どこに行く。勝手な行動は慎め」
「大丈夫。少し一人になりたいだけです。疲れました。風にあたってきますです」
そう言い残すと、シスタは部屋を出ていってしまった。
シスタの動向を横目に見ていた重戦車は、キコキコと車椅子を漕ぎながら、入れ替わりに部屋に入ってくる。そして感慨深そうに喋り始めた。
「シスタさんてば、蟲遣い様が寝込んでいる間、ずっとあの調子だったのですわよ。この世界に災いを招いているのは他の誰でもない……。本当は自分じゃないのかと、ずっと自省してらっしゃいました」
「なんだそれ。平和主義も度がすぎて、吐き気をもよおすぜ」
「驚きですわよね。ただの仮想生物のはずなのに、まるで本物の人間のようにモノを考えて、自己主張する。システム管理者の割には、あまりにも不必要な主義、主観を持ちあわせていますわ」
「だな。シスタは少し優しすぎだ。もっと、ロボットらしくすりゃいいのに」
「けれど、蟲遣い様はそんな仮想生物の虜になっている」
少し嫉妬しているような刺々しい視線を、重戦車が向けてきた。
「んだよ。俺はシスタを利用しているだけだ。愛着を持って接しているわけじゃねぇ」
「それはどうでしょうかっ」
重戦車はぷぅと片頬を膨らませ始めた。
「何が言いたい? あんな幼女の仮想現実に、この俺が魅了されているとでも? そりゃ有り得ねぇ話だぜ。俺はもっと、グラマーな大人の女が好きだ」
「私、みたいな?」
「お前の場合、乳がでかいだけだろ」
蟲遣いは重戦車の隠れ巨乳を中傷してやった。
すると重戦車はカチンときたのか、今度は両頬をぷくっと膨らませる。
「ズルイですわ、シスタさんばっかり優遇されて……」
「優遇? アイツをか?」
「蟲遣い様との馴れ初め話は、先ほどシスタさんより聞かされましたわ。映画館で偶然に出逢って、ハッカーをコテンパンに倒して、繁華街を一緒に逃避行して、そして私と戦って現在に至る。まるで自分を護ってくれる勇者様みたいだったと、シスタさんは鼻高々にお喋りしてくれましたわ」
「……ちっ。シスタめ、余計な与太話を」
勇者様でいるつもりなど毛頭無い。蟲遣いとそのイメージは正反対であろう。
「結局は全て風任せなだけさ。シスタが俺の前に現れたから、それを助けた。シスタが有益な儲け話を持っていたから、俺はその儲け話に乗った。それだけだろ」
「本当に、それだけなのですか?」
「ああそうだ。全ては偶然だ」
「でも、その偶然はあまりにも話ができすぎではありません?」
重戦車の
「できすぎているって、どういう意味だよ、おい」
「ありのままの意味ですわ。おそらくシスタさんは貴方様を騙している」
「騙す? シスタが俺を?」
「そうですわ。シスタさんは、一人ではパッチを当てられないと知って、蟲遣い様を仲間に引き入れ、身代わりにしているのですわ。でなければ今回の事件は説明できない部分が多い。まるでシナリオ通りに台本が進んでいるような、そんな気味の悪い感覚が妙につきまとう」
重戦車の客観的な意見に、蟲遣いは腕を組んで考えた。シスタとの出会い、そして今回の事件の発端、それを冷静に、順を追って考察してみる。
そうすると、まるでお粗末なプログラムをデバッグしている時のように、どうにも腑に落ちない部分が露呈してしまう。
どうしてシスタは、先生が仕掛けた定置網にひっかかり、箱の中に隔離されてしまったのか。
どうしてシスタは、犯罪者である蟲遣いを信用し、後ろをついてくるのか。
どうしてシスタは、平和だなんてあからさまな言葉で現状をつくろい、今すぐにでもこの街を救おうとしているのか。
「確かにシスタの言っていることはツギハギだらけだ。矛盾点だってある」
「でしょう? それに、システムにパッチを当てにきたってのも信じ難い。統治者が、そんなことを許すでしょうか? 本来なら幾重にも張り巡らされた強固なセキュリティで護られた辺境の地に幽閉されていて、やすやすと抜け出すのは不可能のはず。できたとすれば、あまりにも
「そうだな」
重戦車の推理は正しい。
シスタは嘘をついている。そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「けどよ、その答えがなんだってんだ」
言いながら、蟲遣いはベッドより足を降ろした。腹部の傷口からズキリと痛みが主張したが、それを悟られまいと静かに立ち上がり、ベッドの横の衣紋掛けに吊るしてあった自分のトレンチコートを肩に羽織り、扉に向かって歩き始める。
「どこに行きますの? 無理をせず安静にしていないと。傷口は塞がっていますが、まだ体内の情報量は回復しきっていないですわよ」
重戦車が腕を掴み引き止めてきたが、蟲遣いはこう言い返した。
「シスタを慰めてくる。一人ぼっちで泣いてちゃ、涙が枯れちまうだろ」
「慰める? 今しがた私が注意したことをお忘れで? シスタさんは蟲遣い様を騙している。おそらくは他に企みや野望があって、蟲遣い様を利用しているのですわ」
「それはお前の勝手な憶測にすぎないだろ」
「でも、安直に信じるのも馬鹿げていますわ。ヴィジュアルハッカーなら、全ての事象に用心して疑ってかからないと。でなければ、自滅してしまうのがオチですわよ」
重戦車の指摘はごもっともである。馬鹿なのは、シスタの言い分を真に受けて行動している蟲遣いのほうだろう。
「だとしても、これはチャンスなんだよ。俺が、俺であることを証明するためのな……」
「証明?」
「お前にだってわかるだろ。ストレス=アビリティを持つ俺たちみたいな特別なヴィジュアルハッカーは、例外なく孤独だ。後にも先にも、何もねぇ空虚だろ……」
「……孤独」
重戦車は押し黙る。彼女にもまた、その単語に心当たりがあるのだろう。
「そして、その孤独から抜け出すためには、目標を持って生きていかなきゃならない。夢ってもんは、追わなきゃ掴めない」
「今が、その時だと言いたいのですか?」
「……ふっ。それはどうだがな。答えはやっぱりわからない」
ぶっきらぼうにそう吐き捨てて、蟲遣いは部屋を後にした。
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