さよなら
みづきたちは日の入りまで地元の小学生たちと遊び、美郷の家へと帰った頃にはもうすっかり日が暮れていた。
美郷がみづきを自分の部屋へ通すと、彼女の部屋は閉め切られてエアコンが掛けられていた。畳の上にカーペットのしかれた部屋には勉強机と衣類用のラック、少女マンガの並んだ本棚くらいしか家具はなかったが、勉強机の上に何か置かれていて上から風呂敷がかけられている。「お寿司だ」と美郷が言って風呂敷を空中に少しあげ、隙間から覗き込むようにして確認する。みづきは申し訳なさそうな顔をしてうつむいた。
美郷は「お寿司、お寿司」と言いながら居間へとやってくる。美郷の父はその様子を仏壇の前に腰掛けてニコニコして見ている。障子を挟んで居間と一続きになっている台所では母親が吸い物の支度をしていた。
「すみません。気を使わせてしまって…」みづきが美郷の母親に言う。
「気にしなくていいのよ。リーくん、これまでにも家出だなんだでしょっちゅううちに遊びに来てたんだけど、女の子を連れてくるなんて初めてのことだったのよ。おめでたい日にはそれなりのごちそうを準備しなくちゃね」
「お母さん、明日の朝はお赤飯炊いてあげて」
それまで縁側でぼりぼり体をかきむしっていた利正が慌てて台所へとやってくる。
「おばさん!早くお寿司!」
「はいはい」
夕食を終えるとみづきは美郷と二人で風呂場へ向かい、一時間ほどしてから色違いのTシャツ姿で居間へと戻った。利正は風呂になど週に一度くらいしかはいらないので、それを心得ている美郷の両親は彼に風呂を勧める気など起こさなかったが、娘の美郷は眉を寄せ、利正の着ている小汚いランニングシャツに向けてかつて被差別階級の者が向けられたような冷たい眼差しをあびせた。
陽が暮れると美郷は利正たちを花火に誘った。利正は「そう言えば今年はまだやってないな」なんて白々しく言ってみづきの手を取った。家の外へ出ると五、六人美郷の学校の子たちが玄関先で待っていて、みんなであの大銀杏の下まで行って手持ち花火をやろうということになった。
田舎でただでさえ街灯が少ない。まして沢の上の古木のもとなどなおさらだった。太いろうそくを一本用意して灯りをともすと、世界が息を吹き返したみたいに明るくなって陽に焼けた仲間たちの姿が闇の中にぼんやりと浮かんだ。
手にした筒状の花火からは色鮮やかな火花が舞い散り、やがて一つ一つ消えていく。人数が多かったから市販の花火セット一つでは足りないと、美郷は多めに買いこんできていて「本当は何度かに分けてやりたかった」と利正に嫌みを言った。みづきが翌日には帰ってしまうと聞いて、美郷なりに餞を考えたのだろう。子どもたちはキャッキャとわめき、バチバチ音を立てて消えていく火花。利正は煙にむせて何度も咳払いをした。
耳をすませるとはずれの草むらから鈴虫の鳴く音色が聞えてくる。秋はもう目の前に迫ってきていた。
「みんな今頃どうしてるだろうね」
みづきは線香花火を片手に膝を抱えている。利正は水の入ったバケツを水樹の方へよせる。
「さあね、楽しくやってるさ。ねえ、明日はどうする?」
「…ねえリセ、明日夜が明けたらみんなのところに帰って」
「…」
「怒らないで」
線香花火がポロリと外れてバケツの中でジュッと音がする。二人の少し離れたところで戯れる美郷たちの手にした灯りがきらきらとまぶしく、みづきの輪郭の影を落とす。
「リセはきっともう知っているでしょう。私はもうすぐ消えてしまう」
「消えるもんか。まだ夏休みは終わってないじゃないか」
「…最初はそのつもりだった。夏休みが終わるまでみんなと一緒に、って。でも事情が変わったの」
「何があったの?」
「カメラ」
「…?」
「カメラがなくなったの」
利正には事情が呑み込めなかったが、塔子が盗み出したあの一眼レフには記憶の置換装置として以上に特別な能力があったらしい。
「あれがなきゃ、わたしはわたしでいられないの」
「?なに訳わかんないこと言ってるんだよ。君はここにいるじゃないか」
「お願いリセ、聞いて」
利正はうつむいてしまう。二人の足元でどろりと溶けたろうそくが静かに息を引き取るようにその灯を失った。
「もしわたしがいなくなって、なのにしばらくしてからもう一度わたしが現れたら、それはきっとわたしじゃない」
みづきは何か大切なことをつたえているらしかった。だが利正は聞く耳持たなかった。
「全然分かんないよ」
みづきは立ち上がり、やおら崖の方へと歩きだした。
「どこ行くんだよ」
利正はいらだち、みづきに駆け寄った。
「待てよ」
みづきの後ろまでやって来て腕を取ろうとすると、利正の手のひらがみづきの体をすり抜ける。
「ほらね。本当にもうお別れなの」
みづきは崖を背にして無理な笑顔をつくった。
「楽しかった、みんなといられて。うれしかった、あなたと出会えて」
「なに言ってんだよ。もっと一緒に遊ぼうぜ」
「ねえリセ」
そう言ったみづきの目には涙が浮かんでいる。
「わたしも中学校に上がりたかったな」
みづきがそう言うが早いか、美郷たちの花火が終わってあたりが真っ暗になった。
バケツの水がジュッと音を立て、美郷は新しいろうそくに灯をともす。
「リーくん。みづきちゃんは?」
美郷の眼には一人仲間たちから外れて崖っぷちにたたずむ利正の姿が映っていた。
そのとき沢の下から一匹の蛍の光がのぼってきた。
七不思議の痕跡 六日野あやめ @muikanoayame
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