第四章 保健室のさとしくん

クビですか!?

【うわさ⑤】


 さとしくんはクラスのガキ大将でした。いつもクラスメイトに意地悪な命令ばかりして面白がっている意地の悪い子でした。

 そんなさとしくんのことを周りの友達は内心ではいとわしく思いながらも、背が高く、腕力も人一倍ある彼を恐れ、誰ひとり逆らおうとする者はいませんでした。

 ある日、さとしくんは白い眼帯をして登校してきます。ものもらいで腫れあがったまぶたを隠すためです。眼が気になるのかさとし君は休み時間の度に眼薬を指していました。

 ところがその日の昼休み、さとし君の眼薬がなくなってしまいました。クラスの友達が普段意地悪されている仕返しに隠してしまったのです。

 仕方なくさとしくんは保健室に行って眼薬をもらうことにしました。しかしあいにく保健の先生は外出中で、保健室には誰もいませんでした。

 目がかゆくて我慢できなくなったさとしくんは目の前にあった何かの薬を手にとって眼にさしてしまいました。するとさとしくんの眼球に激痛が走り、そのまま片目を完全に失明してしまいました。その後すぐにさとしくんはその学校から転校してしまいます。

 そんなことがあってから数ヵ月後、さとしくんのクラスメイトだった男の子が体調不良のため保健室で寝ていると、ベッドの横に見覚えのある少年が現れました。

 白い眼帯をつけたさとしくんです。

―眼が痛い。眼が痛いよ。僕の眼薬を隠したのは誰?

 さとしくんと眼が合うと男の子の体は強い金縛りに襲われました。

―知らない。知らないよ。

 男の子は必死に訴えましたが金縛りは解けません。するとさとしくんはニヤリと笑って眼帯に手をかけ、ゆっくりとそれをはずします。

 眼帯の下には黒くくぼんだ穴が開いていました。

―わからないなら代わりに君の眼玉をもらうね。

 さとしくんは男の子の眼球をえぐると煙のように消え去ってしまいました。




 お盆休みも間近に迫ったある日、私はエアコンをガンガンにかけたワンルームの自宅アパートに引きこもり、朝っぱらから去年の心霊特番の再放送を視ていた。

 あきれたことに世間の怪談事情は口裂け女の時代から何の進展もないようで、私は嘆息してリモコンの切りボタンを押す。もっと優秀なクリエイターが世に出てきてくれることを祈っていると脇に置いていた携帯が鳴る。

「もしもし。何だ母さんか。お盆?帰るよ。うん。はいはい」

 昨年帰省しなかったためだろうか、母の口調はどこか私に里帰りを強要しているように聞こえた。

 受話器を置くと今度はインターホンがなった。

「よお」

 不用心にドアを開けると赤澤塔子が立っていた。肩から見覚えのあるカメラをぶら下げている。

「お前それ花谷のじゃないか?」

「盗ってきた」

「人のものを盗ったら泥棒だぞ」

「言ったろ?あの子はこいつがなきゃたいしたことはできない」

 そう言えば旅行に出かける直前、塔子は私にそんなことを言っていた。みづきはカメラがなければどうのこうのと。あまりよく覚えていない。私たちが旅行に行っている間にでも花谷家へ忍び込んで盗んできたのだろう。手癖の悪い子どもだ。

「まああがれよ」

「いいのか?女子児童を家に入れても」

「いいさ。なにせ俺は謹慎中だからな」

 あの廃墟と化した盲学校での一件の後、私は学校に呼び出された。学校の会議室には油谷主任と校長に教頭、それから教育委員会からきたという人が何人かいて、その場で私は厳重注意と謹慎処分を言い渡された。子どもたちを凶悪事件に巻き込んでしまったことに対する責任と、その前の恭輔が中学生からリンチに遭った件の責任だそうだ。

「しかし殺風景な部屋だな」

 招き入れられたとはいえ、塔子はずかずかとあがりこんで言いたいことを言った。

「おかげさまで」

「そうだ、あんたが持ってなよ。ほら、インテリア」

 呪いのカメラをぶらぶらさせながらおどける塔子。

「気持ち悪い物を置いて行くなよ。寺にでも預けとけ」

「嫌だね。坊さんと眼が合うと灰になっちゃうんだ」

「この幸せ者」

 塔子の指摘通り私の部屋には必要最低限の物しか置かれていない。塔子はどっかりとカーペットの上に腰を下ろすと途端に真剣な顔つきになって切り出した。

「それで、何か進展はあったか?」

 旅行中の花谷みづきのことを聞きたいのだろう。彼女はみづきを何とか排除したいと思っているらしい。一方私の方は少し考えが変わりつつあった。

「どうも母親の方は子どもが死んでるってことを知っている風だった」

「ふうん。死んだ人間と仲良く暮らしていくつもりですって?」

「いや、どうもみづきの方がじきに成仏するつもりらしい。最後に思い出をつくりたいんだと」

 それを聞いた塔子は眉を寄せる。

「あきれた。あんたそれを信用したのか?」

「信じたいとは思うさ」

「同情したか?」

「さあな」

 これが同情と言われればそうなのだろう。友達と最後の思い出をつくりたい―それがあのいたいけな少女の霊の願いなのだと思うと私は残酷な気持ちになりきれない。こういう優柔不断なところが私の唯一の欠点だと思う。

「なあ、これは今の話とは全然切り離して聞いてほしいんだが…、一般に幽霊ってのはこの世に未練を持っているものだ」

 塔子はしばらく間をおいて、依然真剣そのものの表情を崩さずに言う。

「何を今さら」

「相手にこれ以上『生きたい』と思わせないようにすることだね」

「どういう意味だ?」

「さあね。じゃ、登校日なんでこれで」

 塔子は私に対して興味を失ったようにすくっと立ちあがって玄関へと一直線に向かう。

 そういえば今日は槇志野小の登校日だった。むろん謹慎中の私には関係のないことなのだが。

「気をつけて行けよ」

「子ども扱いするな」

 捨て台詞を吐いて塔子は出て行った。しばらくして私は「おや?」と思う。登校するならどうして赤澤彬央と代わらない。

 まさかあの幽霊は完全に彼の体を乗っ取ろうとしているのではなかろうか。




 登校日の小学校。五年三組の教室では子どもたちがしきりにうわさ話をしている。それは一学期まで学内を支配していたお化けのうわさなどではなく、もっと身近で子どもたちの生活にも大きく関わってくる問題。もったいぶっても仕方ない。要は彼らの担任である私の進退に関する話題だ。私が謹慎処分になった経緯が誤って伝達され、保護者を含む関係者には私が懲戒免職されたと伝わっているらしい。

 実はこのうわさの出所はすでにわかっていて、もったいぶっても仕方ないので言ってしまえば犯人は赤澤塔子なのである。私も彼女とそれほど親しく接しているわけではないので意外だったのだが、彼女はどうもいたずらっ子の気質が強い。私が謹慎を食らったという情報を知った塔子はすぐに丹波、佐藤、菱川の悪ガキ三人に情報をねつ造して伝播、いたずらでは彼女に引けを取らない三人の力を借りて、要は言いふらされて、私は社会的にはクビにされてしまったらしい。

 うわさに振り回されるのは仕方のないことかもしれないが、根も葉もないうわさを面白半分で話の種にされるのはおもしろくない。塔子は幽霊だから仕方ない(?)が、春から担任として指導してきた身としては、悪ガキ三人組の行状を非常に残念に思う。

「なあ先生クビになったってマジ?」

 三人のうちの佐藤は面白がって教室にいた恭輔、利正、芽依の三人に話しかける。彼らを挑発しているつもりなのだろう。

「うっせーデブ」

 恭輔が言った。佐藤はふくよかな体型をしている。

「クソ豚野郎」

 利正言った。佐藤の体型を例えるならそう、豚のようだ。

 口は悪いが彼らは彼らなりに私をかばって言ってくれている。あの廃校で殺人鬼に出くわしたのは全くの偶然だったし、肝試しに私が付き添ってさえいなかったのにも理由がある。そのことを知っている彼らは、私がクビになったといううわさを聞いて心を痛め、軽率な行動をしてしまったことを反省していた。

「クソ豚さんとお呼びしろよ」

 結果的に悪口を言われた佐藤だったが、慣れた様子でそう言ってのける。あまりにからかわれ過ぎてもはやなんとも思わないパターンのようだ。

 そこへ『デブ』や『豚』の効果が薄れたとみた芽依が新しい悪口を交えて切りだす。

「ところでさあ、どうすんのチョキペロ?今日のホームルーム美都先生が来るらしいよ」

 美都先生とは保健室の先生で、松前まさき美都みとという女性だ。実は以前からクラスで、佐藤が松前先生のことを好きなのではないかといううわさがあった。

「マジかよ、激熱だなチョキペロ」

 恭輔が悪乗りして冷やかす。

「お前らいい加減にしろよ」

 佐藤は顔を赤らめて否定する。

「やっぱり好きなんだ~」

「ひゅーひゅー」

 そんなことを言っている様子を利正は首をかしげて聞いていたが、よしと思いきって会話に参加する。

「ねえ、そのチョキペロって何なの?いい加減教えてよ」

 『チョキペロ』とは佐藤のあだ名のようなものである。と言ってもその由来を知る者は少ない。彼のフルネームは佐藤さとう基弘もとひろ。どう略しても『チョキペロ』とはならない。

「だってよチョキペロ。教えて差し上げろ」

 恭輔が促した。

「お前には知る必要のないことだ」

「はあ?ミンチにすんぞデブ」 

「『変態野郎』くらいの意味だろ」

 会話を遮ったのはツインテールの少女だ。

「赤澤じゃん」

「よお」

 当たり前のように挨拶を交わす恭輔と塔子。

「お前ら赤澤にしゃべったのか?」

 佐藤はやおら動揺した様子を見せる。

「なんだ図星か」驚く塔子。

「酷え、鎌かけやがった」

 この辺りが塔子のいたずらっ子たる所以だろう。

「変態なんだ」

「キモーイ」

 外野の女子たちが佐藤を嘲笑するようにつぶやいた。彼女たちもいまだ『チョキペロ』の意味を見いだせずにいるのだ。

「くっ…」

「我慢しろ、チョキペロ。真実が明るみに出ればお前は社会的に死ぬことになる。キモイくらいですまされて感謝してもいいくらいだ」

 佐藤の肩をたたく恭輔。

「犯罪者に魂の救済を」

 まぶたを閉じ、祈りをささげる芽依。

「一体何したんだよ…」

 利正は戸惑うばかりであった。

「はいみんなー席についてー。出席とるわよー」

 ガラガラと戸をひいて現れたのはやはり松前先生だった。子どもたちは慌てて着席、松前は出席簿を手にとってたどたどしく不慣れな出席をとり始める。名前の漢字の横には読み方がちゃんと書いてあるから、呼称は正しく順調に出席確認がなされていく。ところが―。

「松本さん」

「はい」

「水上さん」

「はーい」

「望月くん」

「へい」

「へいじゃないでしょ。矢代くん」

「はい」

「山内さん。…あれ、山内さん。山内美桜さん?」

「先生~、山内さんはまだ来てませ~ん」

 芽依が大きく手を上げて答えた。

「おかしいわね、連絡もないし。この後お家に連絡してみますね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る