肝試し、再び!

 山内美桜が高熱を出したのは翌日のことである。

 この日も子どもたちは海水浴に夢中で、午前中いっぱいを海辺で過ごしていた。息をのむ青さの海は果てのないコバルトで、時折の東風が桟橋の手すりにもたれかかって過ごす私のワイシャツを優しくなびかせていた。

 正午をまわり、開け放たれた民宿の窓からは香ばしい焼きそばの香りが漂い始めた。嗅ぎつけてきた土佐尾が海から上がって来て厨房をのぞき込んで亭主と何やら雑談、昼食まではまだしばらくかかることを知ると、ロビーに転がっていたバレーボールを手に浜へと戻って行った。

 浜で始まったビーチバレー、利正がトスを上げ、土佐尾が強烈なスパイクを放つ。美桜はスパイクを顔面に受けて浜へと倒れ込み、そのまま起き上がらなかった。

「とにかく今日の肝試しはおあずけだ。帰るのは明日の昼過ぎなんだから、午前中にやればいい」

 美桜を車に乗せた私を子どもたちが取り囲んでいる。

「朝から肝試しするとかバカじゃん」

 香枝が言う。

「仕方がないだろ。運転手がいないんだから」

 民宿から件の盲学校まではかなりの距離を海岸線が続く。時刻は午後一時過ぎ、私は美桜を病院まで連れて行かなければならないため、夕方までにはとてもじゃないが帰ってこれない。

「おばさんは運転できないの?」

 利正が尋ねると、車の後部座席に乗り込んだ土佐尾がこくんとうなずいた。どうしてか責任を感じているらしく、彼女の態度は珍しくしおらしかった。

「ごめんねみんな…私のせいで…」

 車内で横になっている美桜が力なくつぶやく。

「お前、合宿の時も鼻血出してたじゃん」

「バカ」

 恭輔が無神経なことを言ったので私はぽかりと頭を叩いてやった。

「うぅ…ごめんねぇえ…」

 美桜が泣き出したので私は焦って車へと乗り込んだ。

「いいか、俺が帰るまで大人しくしてるんだぞ」

「でも~」

 芽依が上目づかいで駄々をこねる。

「保護者なしでの肝試しは禁止だ。わかったな」

「は~い…」

 私は車を出した。残されたのは芽依、香枝、みづき、恭輔、利正の五人である。

「おばちゃ~ん、バス停ってどのへん~?」

 私の車が見えなくなると、芽依は踵を返して民宿の女将のもとへと駆ける。

「お前またビビってぶっ倒れるんじゃねえの?」

 恭輔はまた香枝に吹っ掛ける。

「あたしがいつビビったっていうのよ」

「ねえリセ、着替えて行った方がいいかな?」

「いや大丈夫だよ。水着のままで」

 利正は鼻の下をのばしていた。




 子どもたちには幸運なことに、海岸線を行くローカルバスはちょうど良い時間帯に盲学校前にとまるようだった。もっとも殺人事件の現場となったバス停で下車する客など他にいないのだろうが。

 子どもたちは水着のまま上にTシャツやパーカーを着てバス停の前までやって来ていた。

「よかったね~、バスがあって。すごく田舎だから本数なんてそんなにないと思ったのに」

 満悦の様子の芽依は旅のリーダー気取りで仕切り始める。

「でも美桜ちゃん大丈夫かなあ?」

「花谷さんはやっぱり優しいなあ」

 みづきは心配した様子で言ったが、美桜のことなど利正の眼中にはなかった。

「あの子っていっつもこうなのよね。夏風邪なんてまだ可愛い方よ。あたしんちに泊まりに来るときなんか毎回緊張してゲロ吐いちゃうもんだから、あの子が家に来る前にあたしがコンビニまでゲロ袋を買いに行くのよ」

「それは何に対する怒りなんだ。ゲロ袋を持参すればいいのか?」

 香枝の理不尽な怒りに恭輔は驚きあきれて言う。

「それはそれで吐く気満々で許せないわよ」

 香枝は怒りの表情でバス停の時刻表に向かって右ストレートを繰り出した。

「まあまあ抑えて抑えて。お怒りはごもっともですが、ちゃんみおの分も楽しんでこなきゃ~。ほらそろそろバスも来る時間だよ~」


 ピーゴロゴロゴロ


 アスファルトのいきれの向こうにうっすらと路線バスの輪郭が見えてきた瞬間、バス停に奇妙な音がこだまする。と思うと香枝がその場にうずくまった。

「…」

 一同が言葉を失い、嫌な予感が走った。

「おいお前、まさかとは思うが…」

 恭輔は無神経な間を持たせ、かつ直接的に表現しようと身構える。

「…ごめん。あたし、やっぱりパス…。民宿に戻る…」

 天罰が下ったのだ。自分のいとこの失態を友達の前で暴露するから。

「う○こかよ!」

「言わないでよ、もう!!」

 香枝は真赤になった顔が見えないように他の四人に背を向けてすでに民宿の方へ歩き始めている。そうこうしている間にバスは目の前に迫ってきている。

「おい待てよ、ふざけんなよ」

「嫌よ、あんたたちだけで楽しんできたらいいじゃない」

「違えよ。お前が来ねえと全然意味ねえんだよ」

「あたしが来ないと意味ないってそれどういう…なっ、なっ、何言ってんのよこんなときに!!」

 今度は香枝だけでなくその場にいた全員の顔が赤くなる。

「恭輔、お前何言ってんの」

「恭ちゃん、大胆すぎ…」

 恭輔は利正と芽依に指摘されてはじめて気がつき、顔が真っ赤になる。

「違えよ、そういう意味じゃねえよ!」

「じゃあ、どういう意味なのよ!」

 もちろん恭輔は驚かせる対象である香枝が肝試しに参加しないのでは意味がないという意味で言ったのだが、表現の仕方に多少語弊があった。

「もう嫌だ」

 香枝は駆け足で民宿まで走って行く。

「待てよ、誤解だ、誤解!」

 あとを追って恭輔もかけて行く。

 残された三人はしばし呆然としていたが、目の前にバスが到着すると一言も口を利かずに乗車した。




 夕方、芽依と利正、そしてみづきの三人が盲学校前のバス停で下車すると、そこからすぐに長い階段が続いていて、うわさの通り盲学校は高台にあることを物語っていた。

 芽依は実際の殺害現場となったバス停を前にしてすっかりハイになり、利正とみづきが階段をのぼりはじめても「血痕のあとはないか」などと言って一人で念入りに調べていた。

 階段を上りきったところは校庭になっていたが、もともとが芝生の生えた状態だったらしく、面積のほぼ全面にわたって雑草が生い茂り、校庭だった頃の面影は全くといってなかった。その先には二階建ての校舎があって、外から見た限りはそう古い建物ではなく、デザインもモダンである。

「昇降口はどこかな?」

 芽依はきょろきょろとあたりを見回す。

「きっとこの先だよ。ほら、草がよけてる」

 みづきが指差した方だけは道が踏み固められていて雑草も生えてはいなかった。

「たぶん管理の人が定期的にきてるんじゃないかな?」

「だからこの先に昇降口があるってわかったんだ。すごい!花谷さん頭いい!」

 利正はみづきから気に入られようとほめちぎる。

「このくらいは普通だよ」

 みづきは照れ笑いを浮かべた。

「よ~し、それじゃ肝試しに出発だ~」

『おー』

 芽依の号令に利正とみづきが呼応し、そのまま草の生えていない道を進んでいく。

 昇降口に続いていると確信し道なりに進んで行った三人だったが、結局行きついたのはどう見ても校舎の側面としか思えない影になった場所だった。そこにはなぜか大きな脚立が設置されていて、二階の大きめの窓がガランと開いていた。

「あれ?おかしいな。みづきちゃんないよ、昇降口」

 芽依が言った。

「そうだね。ごめん」

 先ほど自信満々で昇降口はこっちだと宣言した手前、みづきはこっぱずかしそうにもじもじした。

「じゃあお前どこかわかんのかよ?」

 利正は意中のみづきをフォローしようと舌打ちして芽依にくってかかる。

「校舎の正面じゃない?」

「そりゃそうだ」

 利正は返す言葉もなく、三人は壁に沿って校舎の正面へと回る。やはり昇降口は校舎の正面にあった。だがしっかりと施錠されていて中に入ることができない。それどころか鍵穴は錆ついていて、昇降口はしばらく誰もつかっていないようだった。

「入れないよ」

 芽依が言う。

「じゃあさっきのところに戻って窓から入ろうよ。二階の窓開いてたじゃん」

 みづきがそう言ったので三人はまた元の場所へと戻って行く。

「この窓が出入り口なのかな?」

 芽依が不思議そうに言う。

「そうだな。ほら、昇降口の鍵穴錆びてたじゃん。管理の人が入るとき使ってるんだよ」

 利正が答える。

「管理の人なら鍵くらい直すと思うけどなあ」

 芽依が得心いかない様子で首をひねった。

「ホームレスでも住んでるのかな?」

 みづきが言う。

「まあ考えたって仕方ないよね。とにかく行ってみよう!」

 怖いもの知らずの芽依の号令を合図に、三人は脚立をのぼって校舎の中へと侵入する。

 屋内は廃屋同然で、備品もほとんど残ってはいなかった。窓ガラスにはいたるところに亀裂が入っていて、いくつかの教室の扉は外されて廊下に重ねて積まれていた。廊下に設置された点字ブロックにはひびが入っていて、リノリウムの床敷きもあちこちがはがれ落ちている。

「ひでえな…」

「本物の廃墟だね…」

利正とみづきは雰囲気にのまれて弱腰になった。

「おもしろ~い!!」

 芽依はそう言っていつものようにはしゃぎまわって、きゃっきゃ言いながら床に散らばっているものをあたりかまわず放り投げる。

「おいのろ子、あぶねえだろ!」

 芽依の投げたゴミが利正にあたり、呆れた利正は芽依を注意する。

 投げられたビニール袋のようなゴミは利正の足元へと転がった。利正が拾い上げ袋の中をのぞく。すると中には比較的新しいコンビニ弁当の食べカスが入っていた。不審に思った利正が薄暗い足元を注視すると、割り箸やビニールの切れ端など、似たようなゴミがあちこちに散らばっている。明らかに誰かが最近まで継続して生活していた形跡である。

「おいのろ子、これって――」

 利正が芽依の方へと目を上げると、彼女の背後で頬のこけたガリガリの男が彼女の後頭部めがけて拳をふりあげていた。

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