第六章 それぞれの冴えたやり方
門をでると、巽翔が少し心配そうな顔をして立っていた。
「大丈夫だったか?」
「ああ」
「海藤さんに話して、すまない」
頭を下げる。どこまでも真面目な親友の様子に少しだけ、笑みがこぼれた。
「必要だと思ったから、話したんだろ。ありがとう」
翔はなんだか照れたように視線をそらした。
「一海に行くだろ?」
それからやけに早口で言う。
「ここからだと遠いから、迎えにきてもらった」
そうして翔が示した先には、袈裟を着た坊主の乗ったベンツが一台。
いろいろな意味で事態がうまく飲み込めず、龍一は翔の顔を凝視する。
「……父親、だ」
気まずそうに翔が呟く。
「巽の?」
と、いうことは、
「巽の宗主」
小さく呟く。
その巽の宗主が早く来い、とでも言うように一度クラクションを鳴らした。
「君が、榊原龍一?」
バックミラー越しに強面の鋭い目が龍一を見やる。
「はい、はじめまして……」
「と、言う事は君が女王のお気に入りで、姫さんとステディな関係の、一海の王子ってことか。イメージとちょっと違うな、でもなかなかに男前だな。やるなぁ、姫さん」
渋くて耳朶に心地よい声が言った。
「は?」
外見と台詞の内容の違いに、龍一は一瞬動きを止める。
「父さん」
あきれた調子で翔が言った。
「似てないだろ、よく言われる」
こちらに移された龍一の視線に、何かを言われるよりも早く翔は忌々しげに答えた。
「いや、似てるって言えば似てるけど……」
なんていうか人を食ったようなところとか。言うと翔は嫌そうな顔をした。
「それで」
気を取り直して翔は言う。
「一海行くけど、いいよな」
「うん」
一つ頷く。
本当は、やっぱりどうしたらいいのかわからない。でも、こずもや杏子に言われて一つだけわかった。
「何も出来ないかもしれないけど、忘れられているだろうけど、それでも沙耶に会いたいんだ」
助手席に座った翔が少し笑う。
「そうか」
「うん」
とりあえず、それがわかっただけでも上出来だ。
でも、顔を見て、それから、どうしよう。
一海に到着する。何度見ても広い。沙耶の部屋に案内されている途中、
「龍一」
廊下で声をかけられる。
「清澄?」
佐野清澄はゆっくりと龍一を手招きした。
「沙耶に会う前に、ちょっと」
案内してくれていた女性に頭を下げて、清澄の方に向かう。
「来てたんだ」
「そりゃね」
清澄は困った様に笑い、
「話しておいた方が、いいと思ったんだ」
囁くように言った。
「だから、ちょっと」
清澄が廊下の端に座り込む。龍一はその隣で壁に背を預けた。
「広い家だよね」
ぽつり、と清澄が言う。
「うん、正直迷子になる」
「だよね」
一度龍一を見上げて笑う。そして、また視線を自分の膝に送る。
「妹の話は、前にしただろ?」
「うん、なんだっけ。夢魔? に憑かれたとかっていう」
「そう。それで沙耶のことを知った。その後、沙耶が堂本と付き合い出したんだ。堂本賢治」
その名前に龍一の顔が強張る。桜の下で見た、化け物。自分と同じ制服を着た人。
「沙耶の、元カレ」
小さく呟く。
「うん。ごめん、嫌な話かもしれないけど」
「いや、大丈夫」
その人が今どこで何をしているのか、わからないと円は言っていた。その人のことを、沙耶は覚えているんだろうか?
「俺さ、堂本とは元々仲良くて、なのに巫女姫様となんか付き合いだすから心配でさ。巫女姫様の力が噂じゃなくて本物だっていうことも、真利のことで分かっていたし」
巫女姫様。以前聞いた、沙耶の高校時代の渾名。雅も沙耶のことをそう呼んでいた。それだけでなんとなく、沙耶の扱いがわかるような気がする。
「本物だっていうことも分かっていた。だからこそ、心配だったんだよ。堂本が変なことに巻き込まれるんじゃないかって。やっぱりまだどこかで疑ってたんだ」
「うん」
「それで尾行したんだ。沙耶が仕事に行く後を、こっそりと」
一つ息を吐く。ぐっと膝を抱えた腕をにぎる。
「俺には何が起こったのかわからなかったよ。何も見えなかった。それでも、俺のせいで、俺を庇って」
声が震える。
「沙耶の龍が暴走した」
ゆっくりと清澄が顔を上げる。色が無い顔をしていた。
「それで、堂本と出かけたことを忘れたんだ」
龍一はゆっくり息を吸う。なんだか息苦しい。
「二人とも、沙耶も堂本も大丈夫って言ってたけど、そんなわけない。俺が無駄について行かなければあんなことにはならなかったんだ。絶対に」
清澄は龍一を見上げる。
「贖罪って言っただろ、前。事務所にいる理由を。そういうことなんだ。本当は、普通に大学に言って普通に就職するつもりだった。でも、卒業する前に調律事務所が出来て、円さんに無理言って雇ってもらった。心配だったんだよ、沙耶が」
「……うん」
「堂本とのこともあったし、一人じゃ心配だったんだ。なんだけど……」
困った様に笑う。
「俺のカノジョ、事務所を怪しんで敵視してて、当たり前なんだけど。一昨日も事務所に乗り込んでって沙耶に向かって怒鳴りつけてた」
ぐっと眉根を寄せる。泣き出す前のような顔。
「結局、俺、沙耶の迷惑にしかなってないんだよな」
「……そんなこと」
「いや、まあ、全部が全部そうだとは思ってないけどさ。さすがに」
清澄はゆっくりと立ちあがる。
「龍一君が来てから、沙耶笑うようになったんだ、あれでも。堂本が居た時みたいに。だから、少し安心してた」
一度背伸びする。
「感謝してる。龍一に押し付けるのは悪いと思うけど」
そしてゆっくりと微笑んだ。
「できれば、沙耶のこと、よろしく」
龍一は少し黙って、
「無責任な」
小さく呟いた。それでも、一つ頷いた。
案内をしてくれていた女性はいなくなっていた。清澄に道順を聞いて歩き出す。
「ちょっと、一人にして」
言って清澄は立ち去って行った。
どういう思いで告げてくれたんだろう。
向かいからゆっくり歩いてくる見知った人影。
「直純さん」
とりあえず笑いかけると、直純は思いっきりしかめ面をした。何もそんな顔をしなくても。
思った矢先に、直純は龍一に向かって頭を下げる。直角に。
「直純さんっ!?」
「悪い、龍一君」
「何がですか?」
「一発殴ってくれ」
「はぁ!?」
声が裏返りそうになる。いきなりこの人は何を言っているんだ。
「ここまで隠してきたんだ。黙っていたんだ。隠し通すべきだったんだ。なのに、こんな時に言う何て」
「ちょっと、顔を上げてください。何の話ですか?」
直純は顔を上げない。
「混乱に乗じるなんて俺は卑怯だ」
「ですから」
「告白したんだよ、沙耶に、このタイミングで」
強引に直純の顔をあげさせようとしていた龍一の手が止まる。
「恋敵としては龍一君は最高って。俺じゃ駄目かなって」
「……それで?」
「それで? じゃないだろ。嫌味か」
ようやく直純が顔をあげた。
「もの凄く困った顔をするから、冗談だよ、って言ったよ」
「……直純さんって、大人の癖にへたれですね」
「殴るぞ」
切れ長の目を細めて睨みつけられる。それぐらいじゃ動じない。
「いくらなんでもそれは酷いと思いますよ。いい逃げじゃないですか、一種の」
「五月蝿い。大人おとなっていうけどな、誰にでも得手不得手があるんだ」
「恋愛苦手なんですか? モテそうなのに」
「まあ、モテるけどな」
「そこは、嘘でも否定してください」
「好きな人に好きになってもらえなければ、意味が無いだろう」
そこで言葉を切って、一つため息。
「意味ないんだよ。わかってたんだ、こうなることぐらい。どう考えても沙耶は俺のことを兄としか思ってないし、龍一君のことが好きなんだから」
「そんなことは……」
「あるんだよ」
優しく微笑まれる
「沙耶は龍一君のことが好きなんだよ。子どもの頃から見てきたんだ、それぐらいわかるさ。わかってたのにな、何も今日言わなくてもいいのにな」
微笑が苦笑に変わる。
「なんで俺じゃないんだろうな」
龍一は答える事が出来ない。
「知ってるか? 円が影でなんて呼ばれてるか」
それはうっすら聞いた事がある。さっき、巽の宗主も言っていた。
「確か、一海の女王」
「そう。それで沙耶は一海の姫、だ。前は円が姫だったのにいつの間にか変わってたんだよな。でも俺は昔から一海の騎士だ。王でも王子でもない」
そうして、一海の騎士は皮肉っぽく唇を歪めた。
「わかってたんだ。俺は騎士で、王子にはなれない。騎士にすら、なりきれていない。春の事件も、今回も、沙耶の龍をとめたのは龍一君、君だ」
「別に俺は何も……」
「そう、君は何もしていない。ただ、現場に言って沙耶の名前を呼んだだけだ。それだけで、龍は動きを止めたんだ。君の声は、沙耶に龍の主導権をにぎらせるぐらいの力があるんだよ」
言っている意味がよくわからない。
「俺たちが呼びかけても駄目なんだ。龍一君じゃなきゃ。だから昨日言っただろ。居ればいいんだって」
「……偶然じゃないんですか?」
「専門家の見解は信じるものだぞ?」
それは、本当なのだろうか。役立たずではないのだろうか。
「ともかく」
悩んでうつむいた龍一の顔をあげさせるように、力強く言葉を発する。
「俺はもうすっきりすっかりふられたんだ。大事な妹の面倒は見るけれども、それまでだ」
そうして龍一の肩を軽く叩く。
「あとは任せた」
「……はい」
素直に頷く。
「言っておくけど」
肩に置いたままの手に力が入る。
「沙耶を悲しませるようなことがあったら呪い殺すからな」
いつか聞いたのと同じような言葉。記憶を探ると、出来るだけにっこりと笑って言葉を返す。
「そんなことになったら自分の不甲斐なさを恥じて憤死しますので、お気遣いなく」
言い終わると同時に直純の顔がふっと緩む。
「それで負けた、と思ったんだよ。春に」
言って肩から手を離す。
「殴れって言ったのは取り消す。借りにしとくよ、いつか返す」
言って片手を振って通り過ぎる。
龍一はその背中を見送る事無く、歩き出した。
「よっ」
縁側に腰掛けていた円は龍一の顔を見ると軽く左手をあげた。
「……今度は円さんですか」
「今度って何よ。座って」
大人しくその隣に座る。
「さっきから、清澄と直純さんに捕まってたんです。なんか、RPGの勇者になった気分です」
「囚われのお姫様の前を立ちはだかる、四天王ってところね。三人しかいないけど」
「どっちかっていうと、お姫様はラスボスですけどね」
苦笑い。
「ラスボスの前におねーさんの話を聞いて行きなさい」
「はい」
「よろしい」
にっこりと円が微笑んだ。
「ところで、なんか大分顔やつれてるけど大丈夫? 若いからって無理しちゃだめよー?」
言われて頬に手をやる。
「やつれてますか?」
「うーん、ちょっと。ま、仕方ないけどね」
言いながらポケットから煙草を取り出す。
「……あ、いいよね?」
「どうぞ」
微笑んで円はそれに火をつける。
「もー父様達は禁煙しろって五月蝿くってさー。大分我慢したつーの。特に爺様連中がうるさくって。女の私が次期宗主なのが気に入らないから特に五月蝿いのよ」
不愉快そうに言いながら、煙を吐き出す。
「ま、俺もやめた方がいいと思いますが」
「龍一君までそういうこというの? 酷い」
ちっとも酷いと思ってなさそうな口調で告げる。
「でさ、沙耶の龍のことなんだけど」
そしてさらっと本題に入る。
「はい」
龍一は姿勢を正した。
「封印をね、し直したの。父様と直次叔父様……、直の父親ね? とで」
「はい」
「だから、しばらくは大丈夫。もうあんなことにはならない。でもね」
円は庭を見たままだ。そんな彼女の横顔を龍一はじっと見る。
「封印をし直すことで、沙耶の記憶はさらに失われることになる」
「……はい」
「前からそうだったんだけどね、無理矢理に押し込んでる部分があるから。不意に暴れるよりは、強引にでも封印をしておいた方が害は少ないのよ。……結果としては変わらないんだけど」
「……はい」
「ごめんね。これが今の私たちに出来る限界なのよ。できれば、何も失わずに沙耶を守れたらよかったんだけど」
龍一はゆっくりと首を横に振る。
そこまで要求出来る立場に自分はない。
「それとね」
「はい」
「次にもしこういう事があったら」
携帯灰皿を取り出し、灰を落とす。
「今回は誰も傷つけなかったけれども、また誰かを死傷することがあったら」
じっと次の言葉を待つ。
「私たちは、下手をしたら沙耶を殺す事になりかねない」
「……え?」
一瞬、息の仕方がわからなくなる。意味がよく、わからなかった。
「沙耶は人間よ。私の可愛い妹。化け物なんかじゃない」
「当たり前ですっ!」
勢いよく言うと、円は視線を龍一にやり、微笑んだ。
「そうよね? でも、それは私たちの論理。私たち、沙耶の側にいる者の論理」
また視線を戻す。
「他人からしてみたら、化け物と変わらないこともまた、事実なのよ。今回みたいに沙耶の意思で龍が戻せないときは特にそう」
「……それは」
「私個人は沙耶を守ることが出来るなら、多少の犠牲はしょうがないって思うときもあるけれども、それはあくまで一海円という人間の意見。一海の時期宗主の立場としては、それを許容することはできない。ひと一人のために多くの者を犠牲にするわけにはいかない」
言っていることは間違ってはいない、と思う。でも、正しいとは思えない。
「なによりもね、沙耶自身がそれを望まない」
それも想像できる。他人を傷つけることをあんなに恐れる彼女が、他人を犠牲にしてまで生き延びる事を望むとは思えない。
「だからね、沙耶をうちで預かることになったときに、決めてあるのよ。巽とか他の一族ともね。もし、沙耶の龍が暴走して、手に負えなくなったときは」
切れ長の目を細める。庭にいる何かを、睨みつけるかのように。
「沙耶を傷つけてでも、その命を奪う事になってでも、止めるって」
「……そんな」
「今回もお願いされかかった、沙耶に。龍一君が来てくれたからよかったけど、もしかしたら私は沙耶を傷つけることになってたかもしれない」
煙草を灰皿の中に押し付ける。
考えても見なかった事だった。でも確かに、可能性はあることだ。
「でもね、龍一君」
円はゆっくりと龍一の方を向く。
「それは私たち、一海の論理。一海で定めたこと。貴方が、縛られる必要は無い。覚えておいては、欲しいけど」
一つ頷く。
もしそうなっても、自分は最後までそれに抗おうと思った。円達と敵対することになっても。そして多分それを、円個人も望んでいる。
「本当はね、一般人の、高校生の貴方にここまで頼るのもどうかと思うのよ。あんまり色々言うと、いざという時逃げられなくなっちゃうでしょう?」
「そんな、逃げたくなんて……」
「何があるかわからないじゃない。君の人生はこれから先まだまだ長いんだし」
でもね、と微笑む。
「それは、一海次期宗主としての私の気持ち。一海としては君にそこまで頼れないってこと」
そして龍一の手を取った。祈る様にその手をにぎる。
「でもごめん、龍一君。あの子の姉として頼みたいの」
にぎった手に力がこもる。
「助けて」
言われた言葉に一つ、息を吸う。
誰かに助けを求めそうにもない人なのに。なんでも自分一人で軽々とこなしてしまいそうな人なのに。
「はい」
頷いた。
それ以外に何が出来るというのだろう。
「俺に出来る事なら」
確かに、いつか嫌になる日が来るのかもしれない。でも、今はそんなこと考えない。今は考えられない。
「ありがとう」
綺麗に円が微笑んだ。
そして、立ち上がる。
「これにて、最後の四天王は倒されました」
にやりと笑い、三つ先の部屋を指差す。
「ラスボス兼お姫様はあそこよ。行ってあげて」
頷き、立ち上がる。
もう迷わない。
襖の前で一声かける。
中からくぐもった返事。
襖に手をかけた。
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