第五章 ぶざまな彼ら

一海円は朝に弱い。

 枕元で流行の洋楽を鳴らすケータイを左手を伸ばして捉える。

「五月蝿い……」

 そのまま目を閉じたくなるのを耐えながら、のっそりと体を起こす。

「……あー、起きなきゃ」

 呟くものの、抱えた膝に頭をのせる。

 枕元で目覚ましがなるのを、はたいてとめた。

 壁にもたれかかると、ケータイを開く。朝早くからメールしてくる不届き者は誰だ。

「……あ、龍一君」

 意外な人物に、頭が少し覚醒する。

 本文に目を通し終わった頃には、彼女には珍しく意識がはっきりしていた。

 壁から体を離し、アドレス帳を呼び出した。


 母の墓前に庭からとってきたハナミズキの花を供えた。龍一からのメールを見たら、どうしても母に会いたくなった。

 ここにはいないけど。

 いない方がいいことは分かっているけれども、せっかく幽霊を見える目を持っているのに、母は現れてくれない。

 居たらどうしていたのだろう、と考えて少し笑った。

「円」

 後ろからかけられた声に振り返る。

「直次叔父様」

 従弟の父親は、従弟に少しだけ似た目元を細め、

「久しぶりだな」

 少しだけ笑った。


 今日はあたたかいから、と近くの公園のベンチに座る。

 まぶしい日差しに眉をひそめる。

「どこか店に入ってもいいんだが」

「ううん。仕事抜け出してきたから、すぐ戻らなきゃ」

「そうか」

「呼び出したのは私なのに、ごめんなさい」

 それで、と直次は腕を組む。

「仕事を抜け出して、わざわざ話したいこととは?」

「うん、あの」

 ずっと、気になっていた事だった。

 龍一に昔話をしたときに、改めて思った。

「やっぱり直純があとを継いだ方がよかったんじゃないかと思って。お爺さまたちは皆、直純にあとを継いでもらいたがっているでしょう?」

「隠居した爺様どものいうことなんて、相手にしなければいいのに」

 直次は考えすぎる姪の頭を子どものときのように撫でた。

「直純は宗主には向いていない。あいつは、裏方の参謀タイプだ。考えすぎてすぐに動けない、周りをひっぱっていく力はない。爺様どもには人気があるが、円、若い衆は皆お前の方が好いているぞ? これからは若者の時代だしな」

「……そう?」

「お前がもし本当に宗主に向いていないとしたならば、爺様どもは全力で直純を跡継ぎにしただろうし、そもそもお前の父親が許さなかっただろうよ。あいつはそういうところで公私混同するやつじゃないから」

 そういって自分の兄の姿を思い浮かべた。

「でも、」

 言いかけた円を

「今更何を迷う」

 強い語気で遮る。

「頭が迷ったら一体何を信じてついていけばいいんだ」

「だって、」

 だって、だって、だって。あのときからずっと、胸の内でくすぶっていた言葉。

「だって私は、沙耶だって救えないのに!」

 たった一人すら救えないのに、一体何を守れるというんだろう?

「救っただろう?」

 叔父は意外そうに眉をあげた。

「少なくとも、あのとき。怯えている沙耶ちゃんを救ったのは、円だろう?」

「でも、あれは直の方が」

 直純の方が、優しく接していた。自分はどう扱ったらいいかわからなくて、おろおろするだけだった。

「最初はな。円は黙ってると顔、怖いから」

 義姉さんに似てるな、と笑う。

「でも、その後は沙耶ちゃん、円にべったりだったろう?」

 思い返してみろ、とあごをしゃくる。

「何か困ったことがあったとき、相談するのは円だったろう? 直純じゃない。確かに、あいつは人当たりいいし、多分、初対面でなら円よりもあいつの方が話しかけやすい」

「だったら、」

「初対面じゃないだろ、一海の人間は。お前の内面を知ってるだろうが。あんまりぐだぐだ言うと、沙耶ちゃんや兄さんや直純に言うぞ」

「それはやめてっ」

 悲鳴のような声がでて、慌てて自分の口を塞ぐ。

 格好付けているわけじゃないが、こんな弱いところは見せられない。恥ずかしい。

 こういった面で弱音を吐けるのは、叔父という微妙に遠い立場にいるこの人だけだ。

 にやり、と直次は笑った。

「お前は自分で思っているより、慕われているよ、円。もっと自信を持て。一海の女王様」

「……叔父様」

「啓之とか、その典型例だろ。あいつはお前に救われた」

 ん、と頷いた。頷いて、目を閉じて、よしっと立ち上がった。

「ありがとう、叔父様。すっきりした」

 迷っている暇なんてなかった。そんな時間は無駄だ。迷っている暇があったら、自分を成長させなければ。

「ならいい。しかし、珍しいな、円が弱気になるなんて」

 言われて肩をすくめる。

「高校生の方が私よりしっかりしているなー、と思って」

「ああ、あの沙耶ちゃんといい感じだとかいう」

「そうそう。彼、一般人なのに啓之と同じ方に行こうとしていて、敵わないって思ちゃった。私の方がずっとずっと沙耶のことを見てきたのに」

 張り合たりして子どもね、と笑う。

「よくわからないんだが」

 首を傾げる直次に、にやり、と笑ってみせた。

「とっても素敵な王子様よ、彼」


 龍一は駅前の喫茶店に座っていた。

 落ち着かない。

 約束の十五時半はとうに過ぎた。

 待っていれば行くから大丈夫、と円は言っていたが、龍一は円が紹介してくれるその人の顔も名前もわからない。

 ドアの方をちらちら伺う。

 っていうか、来るの本当に人間だろうな? と一瞬脳裏を掠めた。

 ちりんっ

 ドアに付けた鈴がなる。入ってきた若い男は店内を見回し、龍一を見つけると破顔した。

「榊原龍一!」

 嬉しそうに指をさされて言われる。

「はい、あ、じゃあ……」

 相手は一度頷くと、龍一の正面の椅子に腰掛けた。

「一海啓之、よろしく」

 言って、うさんくさいぐらいの笑顔を浮かべた。

「あの、なんで俺の顔……」

 言いかけて、首を傾げる。この人、どこかで見た事があるような……。

 龍一の視線の意味に気づいたかのように、啓之はにやにや笑う。

「あ!」

 思い出して大きな声がでる。少人数とはいえ、店内の視線があつまり、慌ててまわりに頭をさげる。

「病院にいた、担当医でもないし科も違うのにうろうろしていた!」

「正解!」

 楽しそうに啓之は笑う。

 数週間前、龍一がこっくりさんに取り憑かれた時。原因不明ながら意識不明として運び込まれた病院。そこで、用もないのになぜか龍一の病室の辺りをうろうろしていた医者だ。

「え、医者の方なんですか、一海の方なのに?」

「いやー、俺、一海の人間なんだけど力弱くてさー」

 運ばれてきたクリームソーダのクリームをずぶずぶとソーダの中に沈めるという、かなりお子様の動作をしながら啓之は話す。

「見えるだけで。だから割とお荷物扱いされてたんだ」

 緑色が、白と混ざっていく。

「で、ある日突然、俺なんかはとてもじゃないけど恐れ多くて近づけない、本家のお姫様。一海の女王、円さんが来て」

 そこで啓之はクリームソーダから顔をあけて、

「啓之、あんた理系よね? 医者になりなさい」

 似てない物まねをし、

「とかいうからさー、医者になったわけっすよ」

 あっけらかんと告げた。そうして、すっかり濁ったクリームソーダをすすり、

「円さんにも、直純さんにも、感謝している。役立たずの俺に居場所をくれたから」

 だから、と、にへらと気の抜けた笑みを浮かべ、

「今度は俺が少年の役に立つことで、恩返しをしようというわけだ。で?」

 急に話をふられて、慌てて

「あの、医者になりたいんですけど」

「うん、聞いた。円さんから」

「あ、そうですか。ええっと、何から話そう」

「いいよ、俺、今日もう仕事ないからゆっくりで」

 ずずっと音を立ててクリームソーダを飲むと

「すいませーん、コーヒーフロート」

 追加注文した。

 一海って変な人多いな、とか腹の底でこっそり思う。

「ええっと、文系なんですけど」

「うん」

「大丈夫ですかね?」

「ざっくりとした質問するねー」

 言いながらゆっくりと微笑み、

「やる気があればどうにだってなるよ。大学なんて社会人やめて入ってくる人だっているんだし」

「はい」

「で、何で医者? ってまあ、円さんから聞いたけど」

「聞いたならいいですよね」

 店員がコーヒーフロートを持ってくる。

「いや、君の口から直接聞きたい」

 また、アイスをコーヒーに沈めるというお子様な行動をしながら啓之は言う。

「……面と向かって誰かに言うの、ちょっと恥ずかしいんですけど」

「じゃあ、やめときな」

 ずぶずぶと、ストローでアイスを押しながら

「そんな覚悟じゃ後悔するよ」

 へらへらと口元は笑いながら、でも真剣に言われる。

 後悔? そんなものに、負けるわけにはいかない。

 ぐっと唇を噛むと、

「どうにかしたいんです、役に立ちたい、沙耶の」

 挑むように告げた。

 啓之はストローを動かすのをやめる。

「巽が、言っていたんです。沙耶の龍を祓うことは、今は無理で。でも、もし医学とかそっちの分野とあわせることができたら、何かが変わるかもしれないって。俺、見えるだけだし、今までも足ひっぱってばっかりだから、何か、役に立ちたい」

 クリーム色になったコーヒーフロートを一口、啓之は飲む。

「何が出来るかわからないけど。本当に役に立つかわからないけど」

 それで、と啓之を見据える。

「円さんに今朝相談したんです。俺が勝手に先走って、行きたい大学も決めて、勝手に脳の権威の先生がいるところがいいな、とか思ったりしていたけど、それって本当に意味のあることか急にわからなくなって。そしたら」

「俺が呼び出された、とね」

 啓之は笑った。

「意味、あるんじゃん? 意識不明でうちの病院に運ばれてきた君を見つけて、一海に通報したの俺だから」

 なぜか親指で自分のことを指差す。

「あ、ありがとうございます」

「いやいや、そういう風に、本当は霊的なこと絡みなのに病気や怪我として病院に来た人をみつけて、一海に報告するのが俺の仕事。俺も見えるだけだから。結構多いんだよ、そのパターン」

 だから、と微笑んだ。

「意味がないわけじゃない。ただ、本当にそれが沙耶ちゃんのことに有効かどうかは、俺にも円さんにも誰にもわからない。でも、誰かを救う事は確実にできる」

「はい」

「正直言うと、俺が認識できるのはうちの病院にくる患者さんだけだから、他にも俺と同じ事をしてくれる人が現れるなら、嬉しい。俺は内科だし、違う科の人がいるのもいい。脳神経外科がこっちに関係あるのかはわかんないけど」

 頷く。

「俺等もわかってないんだよ。本当に連携とって来なかったから、どの分野が関係があるのかって。これから開いて行く道だから」

 だから、と笑って、

「もし、本気で医者になって、この分野と医学を融合させたいっていうなら俺は大歓迎、何でも聞いて。でも、それですぐに沙耶ちゃんが助かる、とは思わない方がいい」

「……はい」

 頷く。

「ちょっとがっかり?」

「ええ、まあ」

 素直に答える。簡単にどうにかなるものだと思ってた。自分以外の誰かが、既に医学との融合を試みているなんて思ってもみなかったし。まだまだ自分は現実を知らない子ども、だ。

「でも、やってみる価値はあるよ、ふつーに」

 でさ、と啓之は身を乗り出し

「ぶっちゃけ、付き合ってんの? 沙耶ちゃんと」

「いやいやいやいや」

 我ながら全力で否定した。

「相手にしてもらえていませんよ」

「ふーん?」

 納得していないような顔をされる。

「円さん的にはいい感じ、らしいけど」

 ま、いっか、とあっさりと言われる。

「俺のケータイの番号教えとくからさ、なんか悩んだら言って。すぐに返信できるかはわかんないけど」

 いいながらケータイを取り出す。

「あ、はい」

 龍一も自分のケータイを取り出した。

「あの」

「ん?」

「この話、沙耶には言わないでくださいね? 気を使われそうだから」

「ああ、沙耶ちゃんなら、あたしのせいで、ぐらい思いそうだもんなー。わかった」

 また、似てない物まねを挟んで啓之は笑った。

「影でこっそり、っていうのがカッコいいよな、男としては」


 その後、いくつか現状を教えてもらい、啓之とわかれる。いつまでもひょうひょうと笑っている彼を見送る。

 話を聞いてよかった、と思った。

 勝手に一人で暴走して、医者になったって、何にも出来なかっただろう。何も出来ないかもしれない、という可能性があることがわかっただけで上出来だ。

 がんばろう、と思った。

 何はなくとも、目の前の課題として、まず大学進学だ。

 気合いを入れて歩きながらも、少し不安になる。

 医者になれたところで、その頃自分はまだ沙耶の傍にいられるだろうか。突き放されていないだろうか。

 考えれば考える程、その可能性すらも低い気がして、小さく、こっそりと、ため息をついた。

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