第六章 不屈の想起装置
かちゃり、ドアが開く音に沙耶は顔をあげた。
「おかえ、り?」
入ってきた人物を見て首を傾げる。
「円姉、どうしたの?」
「え、何?」
直純もドアの方を振り替える。
「わっ」
「わって、何よ。失礼ね」
出かけた時は肩まであったはずの円の髪が、ショートになっていた。
「失恋?」
「清」
横から声をかけた清澄にひくーい声を返した。
「円姉、ピアスあきまくっているからショートだと怖い。見ていて痛い」
「だから気を使って耳はあんまりださないようにしてるじゃない」
「いいんじゃない、似合ってる。勤務時間中に美容院行くのはどーかと思うけど」
沙耶はそういって笑うと、紅茶入れるね、と立ち上がった。
「どうしたの?」
隣に腰をおろした従姉を見る。
「別に。清澄、冷蔵庫に昨日作ったパイがあるから、切ってきて」
「はいはい」
清澄が立ち上がる。
「なにがあったわけ?」
「別にー」
「嘘ばっかり。急に髪の毛切ってくるなんてあのときみたいだ」
そういって、直純は笑う。それを横目でじろりと睨む。
「あんた、物覚えがよくていやな子ねー、知ってるけど」
「お互い様だろ?」
「あの時と一緒。気合いを入れ直したの」
ふんっと円は笑った。
「あんただって、さくっと龍一君に沙耶をとられたらいやでしょう? 今まで沙耶の事見てきたのは私たちなのに、ぽっと現れた他人が、いくらいい子でも、はいどうぞ、って沙耶から離れる気も譲る気もないの。子どもじみたヤキモチでも、対抗心でも」
直純は従姉の横顔を見つめ、
「ああ、そうだな」
ゆるり、と微笑んだ。
「私たちは調律師、よ」
前を見たままだった円は、直純に視線を移すと唇の端をあげる。
「紅茶はいったよー」
沙耶の声がする。
円は何事もなかったかのように、
「待ってたー」
沙耶の方に声をかける。子どものように椅子をかたかたと前後に動かす。
「手伝ってよ」
「はいはい」
仕方なさそうに立ち上がる。
それを見ながら、直純は無茶な従姉が以前気合いを入れ直した時の事を思い返して、唇を緩めた。
「調律師、ね」
「父さまから聞いたわよ? 次期宗主、あなたになったんですって?」
そう言って、一海法子は愛娘の頬に手を伸ばした。病室のベッドの上で、横の椅子に座る、愛娘に向かって。
「円、つらくない? つらかったらやめてしまっても、いいのよ?」
頬にあたる、懐かしい感触に、でも以前よりも細く脆くなってしまったその感触に、円は一度きつく目を閉じて、
「やめない」
開いた時にはいつもと同じ不敵な笑みを浮かべた。
「私、妹が出来たの。血は繋がってないけど、年も結構離れているけど、私、あの子のこと好き」
「ええ」
「でも、あの子はずっと悩んでいるの。自分は化け物じゃないか、って」
だからね、と円は母に笑いかけた。
「母様、私、昔母様が言っていた人と物の怪も、なにもかもが共存していける社会をつくろうと思って。そうしたら、もうこれ以上、あの子は傷つかなくていいもの。そのためには、私が宗主として一海をひっぱっていくことが大前提だと思う」
円の演説を聴き、
「そう、」
と、一言だけ返した。腰まである黒々とした娘の髪を撫でる。
「円は、大人になったわね」
そう言って悪戯っぽく笑った。
「貴方にそんな風に思わせた子、沙耶ちゃんだっけ? どんな子なの? 今度つれていらっしゃい」
「それはだめ」
円はきっと母を睨むようにすると、
「あの子は一海の家にいるわ。会いたいなら、母様が帰ってきて」
母は少しだけ黙って、そうね、と笑った。ごめんね、円、と笑った。
自分が酷く冷たい人間な気がした。
またくるね、と笑って病室を出る。後ろ手でドアを閉めると、ぎゅっと唇をかみ、腰まである長い髪を左手で払った。
「ただいま」
努めていつものように玄関のドアをあける。
「まどかおねーちゃん、おかえりなさーい」
奥からぱたぱたと走ってくる足音と
「沙耶、走ったら転ぶよ」
その後からついてくる聞き慣れた声。
「おかえりなさーい」
靴を脱ぎ、玄関をあがったところでぽんっと体当たりしてくる小さな妹の頭を撫でる。
「ただいま、沙耶」
笑うようになった彼女を愛おしく思う。
「おかえりなさ、い??」
勢い良く顔をあげて、沙耶は首を傾げた。その顔が可愛らしくて小さく笑う。
「円?」
廊下の角を曲がって現れた従弟も、同じように首を傾げた。
「円、それ……」
「似合うでしょ」
にっと笑ってみせる。
ベリーショートになった頭を軽く振ってみせる。
「え、なんで……」
見慣れぬ従姉の姿に、直純は固まる。それを少しだけ楽しく思いながら、ぼけっとこちらを見上げてくる沙耶に笑いかける。
「どう?」
「え、えっとね」
沙耶はこちらをじっとみて、
「びっくりした。でも、かっこいい」
笑いながら言った。
「でしょー。頭が大分軽くなった」
それから、はい、と持っていたケーキの箱を沙耶に渡す。
「お土産、ケーキ。三人分しかないから、みんなに内緒でこっそり食べよう?」
「ありがとう!」
その箱を抱えると、台所に向かって歩き出す。その様子を微笑ましく見ながら、まだ固まったままの従弟の肩を叩いた。
「直もケーキ食べるでしょう?」
「いや、それは食べるけど」
直純は従姉の顔を見た。
「どうした?」
「気合いをいれたの」
癖で髪を払おうとして、それがない事に一度だけ眉をひそめると、
「私は、一海の次期宗主。爺様どもが何を言おうが」
「うん」
「だから、気合いを入れたの」
奥から、沙耶の呼ぶ声がする。それに、すぐいく、と声を返す。
「あの子、笑うようになったよね」
「うん」
「でも、夜中に一人で泣いている」
「うん」
「あんなに小さいのに気を使って。あの子は自分を化け物だって、責めている」
「うん」
「そういうの、よくないと思う」
「うん」
だからね、と円はいつもとは少しだけ違う、それでも不敵な笑みを浮かべ、
「私は人と物の怪が共存して行ける社会を作ろうと思う。ただ、一方的に祓うだけではなく。どちらが強者でどちらが弱者で、そういう次元の話ではない。平等にできるだけ共存して行ける社会。今、医学的には治らないとされている病も、物の怪が関わっている事もある。でも、医学でしか見ないから治る事に気づかない。何も、解決しない。そんな感じで、もっと私たちの力が現代社会にうまく馴染めれば、もっともっと、解決できる問題があると思うの」
母様の受け売りだけど、と苦笑い。
「だから、私は、一海を今よりももっと、共存を目指す方向に持って行こうと思う。とはいっても、爺様達を説得するのは大変だろうから、一海全体を動かすのはまだ先。手始めに独り立ちできるだけの力を手に入れたら、一海とは独立した集団を作ろうと思う」
そしてね、と神妙な顔をして話を聞いている従弟の顔を見つめる。
「それには、直、あんたの力が必要なの。私は力だけでごり押しして生きてきたから、細かい論理とか作戦とかそういうのたてられないし、あんたの知識が必要なの」
そうして、一拍置くと、いつものように笑った。
「どう? 乗らない?」
直純は円の顔をじっと、見つめ、
「当然」
同じような顔をして笑った。
「沙耶みたいな人をこれ以上出さないためにも」
「わかってるじゃない」
二人の従姉弟は、そっくりな目元を細め、笑う。
そうしてどちらからともなく、右手を上げるとその手を打ち合わせた。
ぱしん、
「よろしくね、相棒」
「こちらこそ」
遠くから、はーやーくー、という沙耶の声。
二人はそれに、くすり、と笑い
「お姫様がお待ちよ、早く行きましょう。頭使ったらお腹空いちゃった」
歩き出す。
「円にしてはいい考えだな」
「しては、ってどういう意味?」
言い合いながら歩く。
「そういえば、その名称みたいなもの、考えたのか? 一海のままじゃ、動きにくいだろ」
「とーぜん、まずは形からでしょ」
意味もなく胸をはり、円は高らかに告げた。
「ピアノのように環境を調律する。これから私たちは、調律師、よ」
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