第二章 ありがとうございました、と依頼人は言った

 雨の交差点で沙耶は、濡れるのも厭わずに傘を差さずに立っていた。黒いセーラー服が雨に濡れて重い。それでも、学校から家までは近いから、傘がなくても構わないと思っていた。

 それに、雨は嫌いではない。全てを洗い流してくれる気がして、雨は、嫌いではない。

「大道寺さん」

 そんなことを考えていたら、後ろから声をかけられて振り返る。濡れた髪の毛が額に張り付く感覚を鬱陶しいと思った。

「あなた、この間の」

「そう、階段から落ちたまぬけでーす!」

 同じ学校の制服を着た男の子がおどけていった。

 先日、階段から落ちた沙耶に駆け寄ろうとして、自分も滑り落ちた人。変わった人だから珍しく顔を覚えていた。

 思わず沙耶のことを巫女姫様、と呼んだ彼が自分にとって大切な存在になるとは、その時知る由もなかった。そう考えて沙耶は、これは夢だと気がついた。

「何?」

「その、傘ないなら送っていこうかと思って」

「結構です」

「ええっと」

降りかかる雨が自分にかからなくなる。見上げると、彼の傘がそこにあった。

「あなたって物好きなフェミニストね」

 思わず呟く。

「送ってくって」

「結構です」

「遠慮しないで。ええっと、おうちどこ?」

 目の前のマンションを見る。そこが自宅だ。

「大道寺さーん」

情けない声で呼びかけられる。

「……あなた、名前は?」

 彼はへにゃっと笑った。

「賢治。堂本賢治」

「……そう」

信号が変わった。ゆっくりと歩き出す。それにあわせて彼も歩く。

「あなた、どうしてあたしに構うの?」

「んー、惚れたから!」

 あっけらかんと言うその人を変った人だと思った。まったく、こんな人間のどこがいいのだろう。

「……送ってもらえるならばお願いします。とはいっても、すぐそこだけど」

そういって、目の前のマンションを指差す。彼の間の抜けた顔が面白かった。

マンションのエントランスまで送ってもらい、

「ありがとう。堂本君」

 そう告げて別れた。

「どういたしまして」

 彼はゆっくりと微笑んだ。

 こんな夢を見るのは、きっと、あの依頼人のお礼の言葉が原因だろう。そう思った。

 あの顔は、とても彼に似ている。

 

「……ここか」

 龍一は「調律事務所」という看板を見つけると小さく呟いた。

 どうやらその事務所が入っているのはこのビルの五階のようで、少し古びたぎしぎしなる階段をゆっくりとあがっていく。

 退院したのは昨日のことだった。意識不明だったことなんて嘘のように体調は回復して、退院許可も少し早めにおりた。

 本当ならばその日のうちに来たかったのだが、さすがにそれは母親にとめられた。今日だってなんとか宥めて、半ば強引に家をでてきたのだ。

 頼りになるのが名刺だけだったので、ちゃんと来られるかどうか不安だったか、無事たどり着いてほっとした。

 ここに来てみようと思ったのは、大道寺沙耶という女性が現れた日の夜のことだった。理由は単純で、出来ればもう一度会いたかったのだ。

お礼という口実で、貯金をおろして普段立ち入らないようなお店でお菓子を買ってきた。

 門前払いをくらったらどうしようかという不安と、早く会いたいという期待で気が変になりそうだった。こんな緊張感、それこそ高校入試の時だって味わわなかったのに。

 五階。扉にもきちんと「調律事務所」という、やっぱりなんかちょっと胡散臭げな名前が入っていることを確認する。深呼吸して、ためらいがちに手を上げると、

 びー

 ブザーを鳴らした。

「はーい」

 明るい声がして、ドアが開く。

「いらっしゃいま……せ?」

 出てきたのはこの間の沙耶という女性で、彼女はにこやかな営業スマイルを浮かべながら出てきて、龍一の顔を見ると眉をひそめた。

 一瞬、あまりにも表情がありすぎて本人かどうか疑ってしまった。

 彼女は営業スマイルをひっこめ、最初と同じ表情のない顔をする。

「あなた、この間の?」

 それを聞いてきちんと彼女がこの間の大道寺沙耶であることを確認する。

「はい。その節はお世話になりました」

「……とりあえず、入ってください」

 そういってドアを大きく開けると、彼を招き入れた。


「円姉っ」

 こちらで待っていてください、と示されたソファーに腰をおろす。ついたての向こうから沙耶のやや怒鳴るような声が聞こえる。

 正直、意外だった。確かにあの時は最後に不意打ちの笑顔を見せてきたが、こんなに表情のある人だったとは。

だけれども、それは当たり前のことで、ああ、彼女にはちゃんと笑える場所があるのだとなんだか安心した。

 ついたての向こうでなんだか話し声がして、

「こんにちは」

 そういって現れたのは、どこか不機嫌そうな感じがする女性だった。

「私はこの事務所の所長の、一海円。沙耶は今、お茶を淹れに行ってるんだけど……ご用件は?」

 妙に砕けた感じで話してくる人だったが、嫌な気持ちはしなかった。むしろ、肩の荷が下りたようでほっとする。

「あの、この間のお礼に……」

「ああ」

 何を思ったのか、円は唇の端をあげてにやりと笑うと、

「沙耶ー、お茶いいからちょっと」

 どこか楽しそうにそう言った。

「何?」

 ついたての向こうから沙耶が顔をだす。円は首をかしげるようにして、龍一を促した。

「あ、えっと、その、この間はありがとうございました」

 立ち上がっておじぎをする。

 返事が無い。

 恐る恐る顔をあげてみると、沙耶は目を見開いてこちらを凝視していた。黒くて大きな瞳が、まっすぐにこちらを見ている。逸らすわけにもいかず、そのまま見つめ合うこと数秒。

「……あの?」

 ゆっくりと声をかけてみる。沙耶は視線をそらし、

「そんなことのためだけに、今日、来たんですか?」

 吐き出すようにしてそう言った。

「え……、あ、はい。……迷惑でしたら、もう帰ります。すみません……」

 考えてみたらいきなり仕事中に押しかけるのはまずかったかもしれない。彼女の不機嫌そうな声を聞いて、龍一はそう思った。

自分の迂闊さと滑稽さを呪う。なにもこんな怒ったような声が聞きたかったわけじゃないのに。もう一度、あの顔が見てみたかっただけで。

 机の上においておいた紙袋をとり、

「あの、これお礼です。……つまらないものですが」

 どこかしどろもどろになりながらも、やや押し付けるようにして沙耶の目の前に差し出した。

 それまで床に視線を落としていた沙耶は顔を上げ、

「ありがとうございます」

 わずかに眉をひそめながらそれを受け取った。

 ああ、やっぱり怒らせてしまったかと後悔し、龍一はもう帰ろう、と椅子の上のコートに手を伸ばしかけた。

「座っていてください」

 沙耶は彼をさえぎるかのようにそう言った。

「今、お茶淹れてきますから」

 そういってどこか早足で出て行く。

 反応に困って、龍一は立ちすくんだ。

「……座ったら、どうですか?」

 そんな二人をどこか楽しそうにみていた円は、相変わらずの笑みを浮かべたまま龍一にそう言った。

 言われて、龍一は慌ててすとん、と椅子に腰をおろす。

「気にしないでくださいね。あの子、あんなだけれども、怒っていたわけじゃないですから。というか、あの子が他人に対して怒っているときはもっと直接的な態度を取るし……、あんまり他人に対して怒りをぶつけることは、ないですから」

 もっとも、と円はおどけたように肩をすくめた。

「私なんかは付き合いが長いんで、遠慮がないのか怒られっぱなしですがね」

「でも……」

 怒っていないというならば、今の顔はどういうことだったのだろうか? そう思って、説明を求めるように円を見る。

「あれは、反応に困っていただけ。初めてなのよ。菓子折りを持ってお礼にやってくる依頼人なんて」

 だから私もびっくりよ、と円は続けた。

「……そうなんですか?」

「そうなんですよ」

 膝の上で頬杖をつきながら、ふざけた調子で円が言う。

「だって、普通はそんなに簡単に信じないから、こんなの。例えば、幽霊とかこっくりさんとか。まぁ、君の場合は今日来た理由はちょっと違うみたいだけどね」

 そういってにやりと笑う。

 全てが見透かされている気がして、ぎくりと体を強張らせた。

 反応に困って、助けを求めるように机を見つめ、

「失礼します」

 ついたてを一度叩いてから、沙耶が入ってきたことに救われた。

 湯気のたったティーカップを二人の前に置く。真ん中にクッキーの入ったお皿。

「それでは、ごゆっくり」

 それだけ言って、なんだか逃げるようにして沙耶は出て行った。

「あ」

 声をかけることも出来なくて、龍一はため息をついた。

「ごめんなさいね、せっかく会いに来てくださったのにあんな態度しかとらない子で」

 円が頬に手をあてながら、さっきまでの態度が嘘のように、切なそうにため息をつく。切れ長の瞳を閉じて、駄目ねーと首を左右にふった。

「でも、やっぱりあなたのことどう対処していいのかわからないみたい。お礼を言ってくれる依頼人、なんてあの子にとっては初めてのことだし、困ってるのよ、きっと。もともと、外面はいいけど、人付き合いは苦手な子だしね」

 はぁっともう一度ため息をつく。

「……そうですか」

 龍一もため息をつく。悪気はないのだろうが、やっぱりあの拒絶されたような態度は傷つく。

「でもね」

 円はカップを持上げ、微笑みながら言った。

「貴方のこと、悪くは思っていないはずよ。これ、あの子のお気に入りのカップで、普通のお客様用カップとは違うものだから」

 取っ手の部分にまで華奢な薔薇を形どったそのカップを撫でる。

「紅茶も、どうやらあの子の一番のお気に入りのものみたいだしね。あの子、紅茶がすきなのよ。もう、紅茶狂」

 台詞の後半は、おどけた調子でくすくすと笑う。

 紅茶が好きだ、ということを、きちんと心のノートに書きとめながら、龍一は曖昧に頷く。嫌われていないということは、喜びたい事実だか、やっぱりどこか素直には喜べない。

「ちょっとね、色々わけありの子だから、他人に心開くまでが時間がかかってね。他人と自分の間に明確な線引きをしている子なのよ。そんなあの子が二度目にあった貴方にこのカップでこの紅茶を出すっていうことは「嫌っていない」というよりも「割と好き」の部類に入る意思表示なのよ。だから」

 そういって、円はもう一度微笑んだ。もともと、顔立ちの綺麗な人だから、とってもきれいな笑みになる。冷たい印象を与える瞳を一度閉じることで、こっちまで、どこかほんわかして安心してしまうような笑みを形どる。

 その笑みのまま、一言告げた。

「頑張ってね」

「はい」

 そんな悪魔の笑みに騙されて、元気よく返事をしてから、龍一は自分の失言に気づいた。 

目の前の悪魔が、さっきまでのどこか愁いを帯びた仮面を脱ぎ捨てて、にやりと本性を出して笑った。

「あ、いや、俺……僕はそんなつもりで言ったわけじゃ……」

「いいのよぉ、そんなこと気にしないで」

 うふふと笑いながら、円は言う。

「大丈夫、あの子ちゃんと今フリーだから。一目ぼれって言うか、自分の直感って大事だと私は思うのよねぇ」

「あ、あのっ」

「ああ、大丈夫。私の直感も君を悪い人だとは言っていないから。じゃなかったらこんなこと言わないわ」

「……ありがとうございます」

 思わずお礼を言ってしまう。

「ほら、そうやって納得はしていなくても筋を通そうとしちゃうところとか、君は根が優しい人なのよ」

 そういって、少し赤くなりながら口篭もる龍一に、そのままの口調でさらりと彼女は言った。

「だからね、君には色々と説明しなくちゃね」

 そういって、笑みを崩すことなくいった。

「長話になってしまうかもしれないのだけれども、今、時間あるかしら?」

 口調も表情も変わっていなかったけれども、どこか空気が重くなった。

 龍一は姿勢を正す。

「はい、時間は有ります。……その前に一つ、お聞きしてもよろしいですか? それは、聞かなければ良かったとあとから、俺……僕が思うようなことですか?」

「別に俺でいいわよ。そんな無理して敬語使おうとしなくても。ええっと、何? 呼びタメOKっていうやつ?」

 ところどころ軽口を挟んで、重たい本質さえも軽くしてしまおうとするのは、円の癖なのだと龍一は気づいた。だから、わざとおどけたような仕草をしたり、崩れた言葉ではなしたりするのだと。

「そして質問の答えはね、YESであり、また同時に、NOでもあるわね。強いて言うならば、それで「聞かなければ良かった」と思うような人はもう二度とここ来ないで、あの子にも関わらないでもらいたい。その方が、貴方のためにもあの子のためにもなるはずよ。裏を返せば「聞いてよかった」って思ってくれるならば、どんどんばしばしここに来て頂戴。なんだったら、アルバイトでもしてみる? 春休みの間だけでもいいから。掃除とか」

 どこまで本気なのかわらない口調で彼女は言う。

 そして、もう一度首を傾げておどけるようにして、聞いた。

「それで、お時間は有るかしら?」

 あいにく、榊原龍一は、ここで「No」と言えるような人間ではなかった。


「あの子、アフターケアが嫌いな子だからどこまで話したのかしら? ええっと、幽霊だとか化け物だとかそういうのもの存在についてはOK?」

 ティーカップを両手で包み込むようにして持ちながら、円が言う。

「はい。……とはいっても、いまいち信じられないんですが」

「よねぇ。それが普通の反応よ」

 うんうんと、何度か頷きながら円が言う。

「一海さんには見えるですか? その、幽霊とかが」

「円でいいわよ。この事務所、もう一人、一海がいるから。それに、呼びタメOKって言ったでしょ?」

 そういってくすくす笑う。もしかしたら、冗談のつもりなのかもしれない。

「……もう一人?」

「そう、従弟が。その説明はあとでするからとりあえず、置いておいてもらって」

 そういって、お約束なものを横に置く動作をする。

「質問の答えは、YES、よ」

 にっこり微笑んだまま、そう告げる。龍一にしてみればそれは衝撃の事実というもので、そんなあっさり言われても困ってしまう。

「……そうですか」

「そうですよ。霊感っていうやつね。もっとも、霊感っていうのは誰にもあってそれが眠っているだけだそうだけど。そういえば、一般的に、霊体験をすると霊感が現れるって言うわよねぇ……」

 そういって龍一を見て、にやりと笑う。こっくりさんに憑かれる、という霊体験をしたばかりの龍一はぎくりと身を強張らせた。

「でも、見えてないんでしょ?これ、とか」

 そういって円は、自分の肩の辺りを指差す。

「え……、何か、いるんですか?」

「うん」

 恐る恐る聞いた龍一に円は簡単に頷いて見せた。

「昔、この事務所が入る前に事務所を開いていた人でね。借金で首が回らなくなって遂に首をつってしまいました、な人」

 穏やかにそんなことを言われても、いや、穏やかな口調だからこそ想像力はとどまることを知らない。以前読んだ死刑執行人が出てくる推理小説と、そこで出てきた絞首刑になった人間の描写を思い出す。目玉が飛び出して首は伸びきるという。

 ソレが円の後ろに立っていて、肩の辺りでニヤリ、と笑う。

「っ!」

 喉の奥で張り付くような悲鳴をあげて、後ろにさがろうとする。

 がんっ。

自分がソファーに座っているなんて言うこと、すっかり忘れていた。

「嘘だけどね」

 そんな龍一を黙って観察するように見ていた円はぽつりと言った。

「……はい?」

 一気に思考がクリアになる。我ながら思いっきり不機嫌そうな声でそう言っていた。

「だから、嘘」

「どこからどこまでが?」

「ここにいるっていうこと自体が」

「なんでそんな嘘つくんですかっ!」

 気づいたときには怒鳴るようにしてそう言っていた。

「あら、怒った」

 不思議そうに円が呟く。

「怒るに決まってるじゃないですかっ! 今、結構本気で怖かったんですよ!」

「何が?」

 相変わらずおちゃらけた口調で、だけれども目だけに真剣な色を円はともす。

「何がって、首吊り死体を思い浮かべたことですよっ! だから、強いて言うなら俺自身の想像力ですけど」

「怖かったのは、首吊り死体?」

「そうですよ」

 幾分冷静さを取り戻して、龍一はきちんと座りながら憮然とした表情で言う。

「ふーん」

 円は口元に手を当てて何かを考えるようにして龍一を見ていた。

「君、なかなか面白いわね」

 そしてぽつりと呟く。

「はい?」

「なんでもないわ」

 そういって円は肩をすくめる。

 内心では、龍一が「幽霊がそこにいる」という事実ではなく、「自分が思うかべた死体の様子」に恐怖を感じたことに、興味を持っている。ならばもし、それが「なんでもない普通の人間の形をしている」といえば怖がらないのだろうか?

 そう考えて苦笑した。早まってもしょうがない。

「嘘をついてからかったことは謝るわ。ごめんなさいね。ただちょっと、貴方がどんな反応をするか見てみたかったのよ」

「……参考になりましたか?」

 憮然とした表情で龍一は問う。

「ええ、とても」

 円は含みのある笑顔で頷いた。

「ところで、今回貴方は死んだ当時の姿っていうものを想像したみたいだけど、一概にそれだけとは言い切れない。幽霊とかの中には、一時的にしろ長期的にしろ、霊感の無い人間にも働きかけることができるものをもいるのよ。だから、例えば貴方がここに来るまでにすれ違った誰かも、実は幽霊だった……なんてことがありえるの」

「そうなんですか?」

「ええ。中には自分が死んだことに気づいていないっていうこともあるしね。そういう人をきちんと送ってあげるのも私たち調律師の仕事」

 だとしたら、今ここで話している円もそういう幽霊だという可能性もあるわけだな、と龍一は思う。

 それと同時に、もしかしてこの人が今から告げようとしている話は、大道寺沙耶が実は人間ではないということなのかもしれないと思い、背筋が凍る思いがした。

「ところで、調律師って結局何なんですか?」

 気持ちを入れ替えるために、わざと明るい声でそう尋ねてみる。いいご質問ね、と円は笑った。

「陰陽師って知ってる?」

「ええ、まぁ、知識としては。映画とかそれぐらいの知識しかありませんけど。化け物相手に戦う、みたいなイメージしかありませんし……。なんか、実際は占いとかもやるんでしたっけ?」

「そうそう、そんな感じ。とりあえず、それだけわかれば大丈夫。陰陽師って公務員だったわけよ。途中で陰陽寮って廃止されちゃったわけだけど、ないとないで色々困ったみたいで、公務員じゃなくて……、そうね、言ってみれば民間企業みたいな形では生き残ってきたわけ。その流れで陰陽師とはまた違った感じの人間も出てきたの。それが、我が一族、一海」

「……それじゃぁ」

 ゆっくりと今までの言葉を頭の中で整理して、尋ねる。

「円さんの家って皆、見えたりお祓いしたりするんですか?」

「そうなのよ」

 そういってはたはたと片手を振る。

「まぁ、うちのは祓ってしまうよりは共存していこう、基本は話合いで! みたいなスタンスでやっているからねぇ。だから、余所の一族とかとは微妙に折り合いが悪かったりもするんだけどねぇ」

 ふぅっと、今度ばかりは心からのため息をつく。

「まぁ、そんなのはどうでもいいんだけどね。調律師っていうのは私が勝手に言い出した名称でね、ピアノのように環境を調律するから調律師。祓うだけではなく、共存を視野に入れた活動をするっていう一海の方針を元にした組織。まだまだ、実験段階の組織なんだけどね。こんなので、おわかりいただけたかしら?」

 龍一はしばし黙って、頭の中で事柄を整理し……、

「なんとなくは。つまり、幽霊とかと人間が共存するようにする……ってことですか?」

「そんな感じ。説明、下手でごめんね。どうにも感覚的なことだから、いざ言葉にしようとすると難しくて」

 優雅に肩をすくめる。

「ところで今更だけど、龍一君は、随分簡単に幽霊とかの存在を信じたわよね? ひょっとして、前にも何か体験したとか?」

「いいえ」

 ゆっくり首を横にふる。そういえば、確かに自分でも驚くくらいすんなりとその事実を受け入れていた。その原因はなんだろうかと探ってみて……、

「多分、祖母の影響じゃないかと思います。そういうことを信じている人ですし、祖母の家に行くとそういう話聞かされましたから。それに、嘘を言っているようには、見えませんでしたから」

「沙耶が?」

「はい」

 ふーん、と円は呟いた。また何かからかわれるかと思ったが、先ほどとは違って特に言及はしてこなかった。

「質問、いいですか?」

 腕を組んで天井を睨むようにしていた円に声をかける。円はこちらに視線を合わせると、小首をかしげた。

「この事務所は、一海がつくっている事務所なんですよね? でしたら、なんで大道寺さんもここで働いているんですか?」

「ああ、それはとても大切なことね。というか、この話の本筋でもある」

 人差し指をぴっと立てる。

「あの子はある事情で自分の家を勘当同然で追い出されて、小学生のときから一海で養子同然に生活しているのよ。私の妹みたいなもの」

「ある事情?」

「それは……」

 円は言い淀み、天井を見上げた。口の中で何かを思案するかのようにぶつぶつと呟く。

「そうねぇ……、例えるならば、爆弾を抱えているようなものなのよ、あの子は。自分にも他人にも条件さえ揃ってしまえば害を及ぼす危険性がある」

 そこでじっと龍一を見る。

「その爆弾のタイマーは何時にセットされているのか、沙耶本人にも私にもわからない。ねぇ、それでも貴方はあの子と付き合っていけると思う?」

「……俺が仲良くしたいと思っても、向こうがそう思ってくれなければ出来ませんよ」

 そう言って自虐的に笑う、遠まわしな肯定の言葉。

「……どうしてそこまで言えるのかしら? ほんの少し、言葉を交わしただけの人に」

「自分の直感は大事にすべきなんですよね?」

 そういう龍一が自分が得意とする少し勝ち誇った笑みを浮かべていることに気づいて、円は驚嘆の気持ちからははっと声に出して笑った。

「貴方、なかなか対した高校生ね」

「……誉められているのかなんなのかわかりませんが……」

 ぶすっとして龍一は答える。

「誉めているのよ。そこまで言う人も珍しい。そうね、自分の直感は大事にすべきだわ。とりあえず、たまにここに遊びにきてみて頂戴。……私もね、あの子の人付き合いを絶っているところが心配でね、貴方なら助けてくれそうな気がする。もちろん、嫌になってしまったら構わないんだけど」

 その台詞はまるで、龍一が嫌になることを決定事項のように告げていて、不愉快になった。

「それじゃぁ、営業妨害にならない程度に顔を出させていただきます」

 彼にしては珍しく、どこか挑戦的に言い切った。

 それを聞いて円も、得意の少し勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「ええ、お願いするわ。とりあえず、今日は話はここまで。また何かわからないことがあったら来て頂戴」

「はい」


「お仕事中、お邪魔しました」

 ついたての向こうには事務机が四つほど並んでいて、沙耶と龍一の知らないめがねの男が座っていた。あれが、もう一人の一海なのだろうかと彼はぼんやりと思う。男性がこちらをみて、軽く頭を下げる。沙耶は立ち上がり、ドアを開けた。

「わざわざ、ありがとうございました」

「あ、いえ。紅茶、ありがとうございました。おいしかったです」

 そういって微笑んでみせる。

 沙耶は少しあっけにとられたような顔をして、少しだけ口元を緩ませた。

 けれども、それもつかの間で、

「それじゃぁ、お気をつけて」

「お邪魔しました」

 龍一が外に出ると、彼女は最初と同じ無表情でこう告げた。

「貴方は、もうここには来ない方がいい」

 そして、扉が閉まった。

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