第3話  能力




祐輔の意識を呼び覚ましたのは聞き慣れないチャイムの音だった。

何回も連打されるそれに否応にも眠りから覚まされていく。

意識がはっきりとしたところで自分が寝ていたのは住み慣れたアパートではないことを思い出した。


「そっか、昨日からここで生活を始めたんだっけ……」


部屋は畳の一室だ。祐輔としては落ち着いた感じがするこの部屋はまだ一晩いただけだがわりと気に入っている。

宏太は隣の部屋で寝ている。何の応答のないところを見るとこの音の中でも熟睡しているのだろう。

布団から抜け出し、いまだうろ覚えな通路を歩きながら玄関へと向かう。


「はいはい。今開けますよ」

「おっはようございます! 祐輔さん朝のランニングの時間ですよ!」


鍵を開けると赤いジャージに身を包んだが高堂志弦がそこに立っていた。

祐輔は携帯をポケットから取り出し、時間を確認する。

現在朝の六時。なんとなく高校のときの部活の合宿を思い出した。


「……わかりました。いま宏太を起こしてきますので」


いきなりのことだが雇い主になにかいえる祐輔ではなく、宏太を起こしに部屋に戻る。


――どうやら能力者とやらはずいぶん体育会系らしい。


ひさびさの本格的な運動なので運動着に着替え気を引き締める。

十月に入り、本格的になってきた寒さを感じながら外に出るのだった。

軽く屈伸して運動不足な筋肉に喝を入れる。遅れてでてきた宏太は朝から志弦に会えることでテンションがあがっているのかやる気満々である。


「この神社の周りを十週してもらいます。ちなみにこれから毎日してもらう予定だそうです」


これはどこの部活の合宿だろうか、祐輔はおもわずそう思ってしまった。


「それじゃあ、時間もないのでさっさと始めちゃいましょう」

「おっしゃ! 志弦姉ちゃん、どっちが早く走れるか競争しようぜ!」


元気よく地面を蹴って一番にかけていく宏太。

早くも開けられてしまった距離を埋めるために祐輔もペースを上げて駆け出す。

しばらくたち、あと三周のところまできたが日ごろからの運動不足もたたっているのかもう祐輔は限界だった。

腹痛と若干の気持ち悪さに加えて、体が重く三周がひどく遠く感じられる。

なにより祐輔が辛いと思うのが後ろから追い抜いて行く者たちの存在であった。


「おっさん大丈夫かよ? お先に行ってるぜ!」

「祐輔さん、まだまだ一日は長いのであまり無茶しないでくださいね」


かれこれ、これで抜かれるのは三回目だった。二人はまもなく走り終わるだろう。

体力がないのは認めるが、中学生に負けるとはなんとも情けない結果だと祐輔は歯噛みする。気合を入れ直して残り三周をこなすのだった。

そして志弦さんたちが走り終えてからしばらく遅れ、ようやくランニングを終えることが出来た。

乱れた息を整えながら玄関に向かってゆっくり歩く。早くも体力の限界の祐輔はふらふらと力なく歩くことしか出来なかった。

二人の姿は外には見えない。遅いので先に家の中にでも入ったのだろう。

たいしたことではないがなんとなく寂しさを覚えてしまう。


――俺はいったいなにをしたいんだろうか。


汗をぬぐいながら祐輔はふと思う。

高堂さんからの誘いを断っておとなしく就活していればよかったのかもしれない。

結局、能力を得ても現実は何も変わった感はなかった。

むしろ、へたに能力を得たせいで普通の人には戻れなくなったような気さえしていた。

なにを考えても全てはあとの祭りということだというのは言葉にしなくてもわかっていたけれど、それでも祐輔は僅かながらの未練を断ち切れずにいた。


「結局、全部自分のせいなんだけど」


漏れたつぶやきは誰に聞こえるわけでもなく消えていった。





家の中に入るとなにやら食欲をそそる香りが祐輔を襲った。

朝起きてすぐ運動したのもあってものすごい空腹であった祐輔は釣られて台所へと向かう。


「おっさん、遅かったな。先に飯食ってたからね」


白米をかきこみながらいう宏太。ものすごい上機嫌で、思わずにやにやしすぎて気持ち悪いと思ってしまうほどのにやけぶりだった。

それほど志弦と朝から一緒だったのが嬉しかったのだろう。


「どうぞ島田さん。余り準備する余裕がなかったので簡単なものしか出来ませんが召し上がってください」


用意されていたのはご飯と味噌汁と鮭とサラダ。

なんと志弦さんが前日のうちから準備できるものはしておいてくれたそうで運動で非常に空腹だった祐輔には充分なものだった。


「すっごいおいしいよ志弦さん。料理うまいんだね」

「あったりまえだろ! 志弦姉ちゃんのメシはうまいに決まってるよ」

「いつも姉さんのご飯作ってるのでそれなりのものは作れるつもりですからね。時間があるときはまた作ってあげますね」

「志弦姉ちゃんおかわり!」

「はいはい、ちょっと待ってね」


そして朝の時間はあっというまに過ぎて訓練(座学)の時間へとなった。

茶の間へと移動し、能力の講義が始まることになる。

あらかじめ用意してあったホワイトボードを持ち込み話が始まる。

その光景に祐輔は年がいなくワクワクする気持ちを抑えきれないでいた。

なにせ能力についてついに学ぶことになるのだ。眠りについた中二心が騒ぎ出すのもしかたのないことである。


「はい、今回は姉さんが忙しくなって来れなくなってしまったので私が代わりに話をさせてもらいます。まず能力ですが普通の能力者にはおおまかにいうと二種類の分類があります。属性と能力です」


こういった場で話をしたことが余りないのだろう、少し緊張しているのか、ぎこちない笑顔を浮かべ資料を見て話す姿はなんともほほえましい。


「基本的なのは属性ですね。これはその人の適正のある触媒のことを指します。私と姉さんの場合は光といった感じですね。私たちの能力は長年の研究で体系化されてますのでそれぞれに対応した術を使うことが出来ます」

「ちょっと待ってくれ、それだと俺の属性は血ということになるのか?」

「いえ、この分類はいままでの能力者の括りですので、新しく研究開発されて発見された宏太や島田さんのような新しい能力者は不明な所が多いので研究が進んでいない今の段階ではなんともいえないですね」


新しい能力者についてはまだわかっていないことのほうが多いんですと志弦は小さく付け足す。

能力の開発はまだ実用化にはほど遠いらしい。


「元からいる能力者と区別するために便宜上、昔からチカラを持っていた人たちを能力者。新しく発見された能力持ちを異能者と呼んでいます」

「俺とおっさんのことだな。異能者はあんまり適応者がいないから結構レアなんだぜ」

「もうひとつは特殊能力ですね。私の『忘却』のような個人が持つ独自のチカラのことです。ただしこれは先天的なもので一部の能力者しか持っていません」


属性が能力の種類を分類するもの。

特殊能力が一部の人しかもたないチカラ。

そうした認識でよいらしいと納得がいった祐輔は浮かんだ疑問をひとつ投げかけることにした。


「なら特殊能力持ちはどれくらいいるんだい?」

「結構いますね。能力者の全体の半分くらいは特殊能力持ちです。そんなに珍しいものではないですね」


こうして初めての講義の時間はあっというまに終わりを告げた。

そして細かい今後の話や予定の話、今後の段取りをしていくうちにあっというまに午前中は過ぎ去っていった


「いまのところ島田さんの異能は姉さんが先日のデータを元に解析を行っているはずですので、しばらくは体力づくりと能力の基礎訓練がメインになると思われます」

「ちなみになんでそんなに運動が多いんだい?」

「能力は非常に気力と体力を消耗しますので能力に目覚めたばかりの人は訓練をすることになってるんですよ」

「そういうことで訓練のために俺も借り出されたってわけだ。おっさん、早く俺に追いついてくれよな!」


そうして昼食をはさみ、午後からは昨日と同じく能力のテストとデータの採取を行うこととなった。

外にでて、志弦から渡された腕時計(発動機というらしい)をはめて、異能を発動させることになる。

今回は前回のように派手な怪我をするわけにはいかないので針で人差し指の先をつついて傷口を作ることとなった。

祐輔は恐る恐る自分の指先に針を刺す。血が出るように自分で刺すというには痛みと怖さとでなかなかうまくいかず、十分ほど悪戦苦闘してからようやく針を深く刺すことができた。

血の玉がぷっくりと指先に浮かぶ。


「それでは起動させますね」


腕につけた発動機が振動する。

指先の血がうねり、茨が形成された。

今回は傷口が小さいためか、前回の茨と比べるとツタのように細く、短い。


「前回と比べてなにか代わったことはありませんか?」

「いえ、特になにもないですね」

「それでは今回は能力起動時のデータを取りますのでこのまま待機してもらいます」

「姉ちゃん俺は? さらに強くなれる合宿だっていうから来たのに、勉強だけは嫌だよ~」


発動機は現在二つしかなく、ひとつは昨日祐輔が能力を起動して取ったデータを解析するために恵美が回収しているため、発動機がない宏太は手持ちぶさにならざるをえなかった。

午前中の講義で体を動かせなかったのもあるのだろう、動き回りたいのかうずうずしているのがわかる。


「もう少し待ってなさい。そしたら宏太の専用訓練してあげる予定だから」

「ほんとっ? やった! しょうがないなあ待ってるよ」


しかしこの茨は不思議だと祐輔は思う。

祐輔自身は茨になんの感覚もない。腕を動かせば、慣性の法則に従って動くだけだ。

能力というよりは体に茨が寄生しているように祐輔は思えた。


――自分の異能とはいったいなんなのだろう。


祐輔は好奇心と同時に恐怖を覚える。自分の異能が評価されるというのが嫌だった。

そうしている間に今回はなにも起こることなく時間が過ぎた。


「それでは今回はこれで終わりですね」


志弦が端末で発動機の起動を止める。同時に茨は血液に戻って地面に滴った。


「島田さん、怪我したままじゃよくないですし、バンソーコーどうぞ。あと発動機返してもらっていいですか?」

「ありがと助かるよ」


志弦から渡られた可愛らしい熊がプリントされた絆創膏を祐輔は指先に貼る。

発動機を受け取った志弦はもう一度端末を操作したあとそれを待ちきれずにわきわきしていた宏太へ渡した。


「それじゃあ、島田さんはちょっと休んでいてくださいね。宏太、これから私と模擬戦するよっ!」

「よっしゃ、待ちかねたぜ! ルールはどうする?」

「先に一発当てたほうが勝ちね。始まりの合図はこの石が地面に落ちてからね、手加減しないから思いっきりかかってきなさいよ」

「望むところ!」


二人は十メートルほどの距離を開けて対峙する。志弦は軽く屈伸をして、宏太は肩を鳴らして交戦の意をあらわにした。

祐輔の肌にピリピリと熱気と圧力のようなものが伝わる。

これが闘気とでもいうべきものなのだろう。つられて祐輔の喉がなってしまう。

志弦の指から小石が投げられる。それはゆっくりと回転し、地面に落ちた。


「光よ」


志弦のつぶやきと小石が地面に着くのは同時だった。その言葉のあとに志弦の背後に五つの光球が出現した。

宏太は志弦へ向かって駆けた。一歩踏み出すごとに衝撃で地面が深くえぐれる。

そうして二人が衝突した。ガラスが割れるような音が辺りに響く。

志弦と宏太の場所が一瞬で入れ替わっていた。ただ先ほどと違い志弦の光球が、四つへ減っていた。


「やっぱ志弦姉ちゃんはつええな。やりがいがあるぜ!」

「そう簡単に中学生に負けるわけにはいきませんからね」


楽しそうに二人が会話をしながら、二人は次々と激しくぶつかり合う。

余りの速さに祐輔はなにが思っているのか理解が追いついていなかった。

なにせアクション映画も真っ青な攻防が目の前で繰り広げられているのだ。素人にはどうしようもない。


「相変わらず宏太の一撃は重いな。壁が一発で壊されるとはね」

「そいつはどういたしまして!」

「宿れ光よ」


ささやくように志弦の口からもれた言葉に呼応して残り四つのうち二つの光球は志弦の両手に宿った。

光を纏った拳を志弦は振りかぶる。


「これならどう?」


大気が震えた。左右の拳から放たれた光は周囲の光を吸収するようにいっそう強く輝き、台風のようにうねり渦巻いて宏太を襲う。

光の衝撃波によって目をくらんだ祐輔は思わず後ずさりして尻持ちをついてしまった。

姿勢を直そうと立ち上がろうとするが祐輔にはそれが出来ない。

どうやって立ち上がればいいか祐輔にはわからなかったからだった。

志弦の能力『忘却』が織り交ぜられた光を見たことで、距離感と方向感覚が忘れ去られてしまったからである。

加えて光で視覚、音で聴覚も封じられてしまい、祐輔にはなにが起こっているのかわからなくなってしまっていた。

そしてようやく視覚と聴覚が元に戻り、祐輔が場を見返すと宏太が志弦を組み伏せていた。


「へへっ! どうだった俺の新技?」

「少しは腕をあげたようね。でも次は同じ手はくわないわよ」

「だったらもっと俺が強くなるだけだし!」


案外あっさりとついてしまった決着。

祐輔にはどうやって戦いが終わったのか理解できてなかったが、激戦だったのは間違いはないだろう。


「一瞬の間になにが起きたんだ?」

「えー いいたくない。おっさんには秘密」

「説明したいのはやまやまなんですが、個人の能力は基本的に秘密ですので宏太がいいたくないならやめておきますね」


よほど模擬戦が楽しかったのか盛り上がり会話をつづける志弦と宏太。

先ほど秘密にされたこともあって祐輔は多少疎外感を感じてしまう。


「それにしてもちょっと会わない間に見違えるほど強くなったね。まさかああされるとは思わなかったよ」

「たっぷり特訓したからな! 男子三日でなんとやらだよ。もっともっと強くなってやるぜ!」

「一回勝ったくらいで調子にのらないことね。同じ手は食らわないから次やったら手も足もでないくらいにやっちゃうから」

「望むところってんだ!」


その二人の輪のなかに祐輔も入りたくて、思わず口をはさんでしまう。


「そういえばなんで宏太はそんなに強くなりたいんだ?」


祐輔の心の片隅に残っていた疑問がふと口からこぼれ出た。

宏太の強さの執着。それが一般的な中学生よりはるかに強いような気がしていたからだ。

口に出したあとでこの場でする質問ではなかったと祐輔は内心青くなる。

案の定、場が静まりえり、暗く嫌な雰囲気になってしまった。

どうしようかと祐輔が頭を痛ませていると、黙り込んでいた宏太がぽつりと答えた。


「約束したから」

「約束?」

「うん。これだけは守るって自分で決めたんだ」


その大きな想いを秘めた強い眼で見つめ返してくる宏太を見た祐輔は思わずたじろいてしまう。

それはいつもおちゃらけて小生意気な中学生がだせるとは思えない真剣な男の顔だったからだ。


「そっか、突然悪いな。あんまり無茶はしすぎるなよ」

「おっさんは体力なさすぎだけどな! 今日なんか手を抜いてるんじゃないかと思ったよ。こんなに走るの遅い人初めてみたもん」

「宏太がありすぎるんだよ。本当に中学生とは思えないよな」


宏太の笑い声が辺りに響く。つられて志弦も笑った。

うまく返事を返すことが出来ず、無難なことをいうことしかできなかった祐輔は気恥ずかしさに頬を掻いた。

さっきまでの張り詰めた雰囲気は宏太の笑い声に乗って吹き飛んでいった。


「それじゃあ、これからまた走りましょう。体力作りは能力の基本ですからね」


その声に二人の声が重ねられて、元気のいい返事が返される。

こうして初日は無事に過ぎていった。

この二人を見ているとどうしても思ってしまうことが祐輔にはあった。

強い覚悟もなんにもない。流されてばかりな自分自身は何が出来るんだろう。

自分よりもよっぽど大人をやろうとしている志弦と宏太を見ているとどうしてもそう祐輔は思ってしまう。

どこからか浮き出してくる虚無感はどうやっても止めようがなかった。



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