第2話 初日
正直な話、祐輔は自分が住んでいる街についてあまり知らない。
就職が決まり、地元から飛び出してから2年ほどたつが今だに買い物に行く店と少しの店くらいしか自信を持って行ける場所がない。
郷土愛などを謳って長年地元に住む人が眩しく感じる。
腕時計に目をやるとあまり時間がないようだ。
ショルダーバッグが肩に食い込んで痛い。荷物の量が量だから仕方ないのだろうが、この重みは多少応える。
研修場所は思ったより近い場所にあった。というより住んでいるアパートから会社に行くより近かった。
車の持ち込みも厳禁ということで歩いていける距離ということもあり、運動がてら徒歩で行くことにしたのだが少し失敗してしまった感がある。
それでもよっぽどなにかない限り遅刻はない距離だった。
「足に来るなこの道は……」
微妙な勾配になってるせいか地味に疲労する。
この道に物をばらまいてしまったら転がって大変だろうな、などと祐輔が思考を巡らせていると前から歩いてくる買い物帰りと思しきおばちゃんがいたので脇に避ける。
しかし思ったよりショルダーバッグは大きく運悪くおばちゃんの肩口にぶつかってしまった。
よろけたおばちゃんは持っていたビニール袋を落とし、今晩の食材らしき中身をこぼしてしまう。
その一部は流れに乗ってコロコロと勢いを増して転がっていった。
「すいませんっ!」
バッグを置いて転がっていったものを追いかける。
こんなときになにをやってるんだ、たいして時間もないくせに。自責の念が祐輔の胸をよぎる。
慌てて追いかけてそれを全部集めるころに十分ほどかかった。
「わざわざ拾ってもらってごめんなさいね」
幸いながらおばちゃんはそれほど怒ってないようでむしろやらかしてしまった祐輔が申し訳ない。
時計を見るともう遅刻確定の時間だった。祐輔は顔を青くしてバッグを背負い直す。
「こちらこそすいませんでした。じゃあ俺は急いでいるのでこれで」
そこからペースも考えず全力で走りだした。
自分の間の悪さに心底にうんざりする瞬間だった。
*
祐輔がようやく目的地についたのは予定時刻を十分ほど過ぎてからだった。
坂を登りきった先にあるのは神社だった。地元では有名な神社らしいが当然詳しくは知らない。
言い換えれば地元民ぐらいしか知らない大したものではないということだろう。
祐輔が知っているのはなぜかそこが研修場所になっているくらいだ。
息を切らせながら、距離が近くなると目的の二人の姿が見えた。
「高堂さんすいません。遅くなりました、本当にすいません」
「初日から遅刻とはいい度胸だな。まあいい、早く来い」
「……おはようございます」
スーツ姿の恵美と前と同じく制服姿の志弦が並んで立っている。
前回はいろいろと余裕がなくて気にしていなかった祐輔だが二人が並ぶと非常に絵になることに気づく。
美人姉妹と背景に神社となればまるで一枚絵のようだ。
しかし志弦はなぜか制服姿だが今日は学校は休みなのだろうか。
恵美の仕事を手伝っているらしいが、なにかその関係であるのかもしれないと深くは詮索しないことにした。
ひとまず恵美の案内で神社のなかへと案内される。
階段を上り、玉砂利を踏みながら境内を進む。中は思ったより広い。
そして不思議と人気はまったくなかった。
本殿らしき建物の脇を抜け、裏へと回った。
住居スペースと思わしき、母屋がひっそりと立っている。
「君が今日から一ヶ月ほど生活する場所だ。先に荷物だけ置いてきなさい」
これが社務所というものだろう、祐輔は神社で生活するということに内心驚きながら、じっくりと見る間もなく玄関に荷物を置いてすぐ外に出た。
「君はこれからの間、自分の能力の制御訓練とデータの採取をして能力について理解を深めてもらう」
「なるべく私もここに来るようにはするが、何分忙しい身でね。志弦が代わりに講師をするときもある。よろしく頼むよ。あと志弦に変なことしたらただじゃおかないからな」
祐輔としても志弦は誰が見ても可愛いと思うのは間違いないと思うが、さすがに高校生に手を出そうとする趣味は祐輔にはない。
いい加えるなら祐輔としてはいかにも怒らせてはいけない人に分類されるであろう恵美に異動して早々目をつけられるのは勘弁願いたかった。
「ちなみにこの一ヶ月間この神社の外には出ることはできないからな」
一ヶ月の監禁。いままで一切聞かされていなかったことにこれから何をさせられるのか非常に不安を覚える。。
一ヶ月は当然ながら長い。初日ながらあとさきがひどく恐ろしく感じる祐輔だった。
「どこにも反対派というのはいるものでな。ヘタをすると君の命が狙われるかもしれないのさ。能力に目覚めて間もない君ならあっさり殺れれるだろうしね」
「そうなんですか」
命が危ないといわれてもつい先日まで一般人だった祐輔からすればいまいち実感がわかなかった。
「結界が貼ってあるここなら比較的安全だ。一般人も入ってこれないし、何かあったとしても我々が守ってやるから気にすることはないさ」
「ずいぶんと大掛かりな話なんですね」
「おや、気づいてなかったのか? 能力の開発なんて大それたものが一つの会社のみで行われているはずないだろ。当然秘密裏ながら国のバックアップがあるさ。君の見つかったパターンの方が珍しいから少しわかりづらかったかもしれないけどな。まさかこんな身近にいるとは思わなかったよ」
祐輔としてはそんな大それた話だとは思ってもいなかった。
能力なんて非現実的なものがあるのだから何らかの裏があるのは考えてしかるべきだったのだろうが、恥ずかしいことに祐輔の出来の悪い頭では目の前のことに精一杯で考えもつかなかった。
「というわけでこの神社は我々の貸切というわけだ。一般人も入れないようになっているからもし知らない人がいたら敵だと思ってくれよ」
にっこりと冷たい笑顔を浮かべながら恵美はいう。そんな恐ろしい笑顔でいわれると冗談なのか本気なのか推し量るのは祐輔には難しい。
苦笑をするしかない祐輔であった。
「さて、というわけで、君には模擬戦をやってもらう。島田君はこれを腕につけろ、能力の発動機だ」
一体この人は突然なにをいっているんだ。祐輔はそう思わずにはいられなかった。
恵美はポケットから何かを投げ渡す。
祐輔はうまくキャッチできないで落としそうになりながらもそれをなんとかつかむことに成功し、持ち前のドン臭さを発揮するのをなんとか防ぐことができた。
渡されたものは腕時計だった。よくあるデジタルの腕時計だ。自分が元からつけていたものを外してそれをつける。
「実はもう一人来る予定の人がいてそいつとしてもらうつもりだったんだが、来るのが予定より遅れていてな、今回は志弦としてもらう」
開けた場所につれていかれる。そこでさきほどから一言も話さず黙っていた志弦は少し離れた場所に立ち、静かに拳を握り構えを見せた。
「ちょっと待ってください。いきなりでわけわかんないんですけど」
「志弦は能力の使用禁止、島田君は使っていいぞ。拳のみで正々堂々戦え。では始めろ」
志弦が黙って頷き、恵美がポケットから出した端末を操作すると祐輔の腕時計が振動を始めた。
左腕に変な感触がするが、正直なところなにをどうすれば能力を使えるのか祐輔にはわからなく何をしようのない。
志弦は待ったなしにこちらに駆け出していた。拳が迫る、志弦のその慣れたような感じに素人の祐輔はパニックに陥り、何をすればいいのかわからず棒立ちのままだった。
あたふたしている間に腹部に衝撃が走り、地面を転がる。
熱いものがこみ上げ、上手く立つことができない。
「一撃でノックアウトか。このままいい年した男が高校生にやられるのはどうかと思うぞ。能力を使って反撃しろ」
そんなことができたらとうにしていると祐輔は切実に思う。
前回は左腕から茨が生えてきた。どうやったらあれができるのか。
試しに腕に力を込めてみるが何も起こらない。
物語の主人公のようにもっとボロボロになってピンチになれば能力が覚醒して使えるようになるのだろうか。
ほんの少しそんなことを考えてみるがすぐその考えを祐輔は振り払う。祐輔が物語のような選ばれた人物であるなら前回大怪我することになるはずがないという結論に至ったからだ。
なによりそんな器でないのは祐輔自身がよく知っている。
数分、能力を発動しようと体に力をいれたり、唸ったりしてみたが当然なにも起こるはずもなく。
能力の発動を待ちきれなくなった志弦の蹴りが転がったままの腹部に容赦なく入り、祐輔はたまらず意識を手放した。
「なんの収穫もなしか、やれやれ世話が焼けそうだな」
意識を手放す瞬間、聞こえた恵美の落胆の感情が乗った声色が体の痛みよりも鋭く心を痛めつける。
これだから何をやってもダメな奴はうんざりさせられるよ。
そんな恵美の心の内が祐輔には聞こえてきたような気がした。
*
畳の香りがした。
続いて全身から痛みが襲って小さな悲鳴をあげる。そこで布団で寝かされていたことに祐輔は気づいた。
先程までのことを思い出したところで知らない少年が横から覗き込んでいることに気づきひどく驚きの声を上げる。
動きやすいように短く刈り上げたスポーツ刈り、パーカーを着込んだ少年の姿は相当に幼い。
おそらく小学生高学年か、中学一年生といったところだろう。小生意気な明るい笑顔が見ていて微笑ましい。
一瞬たってから、恵美の見知らぬ奴は敵発言を思い出し、恐怖により思考が停止する。
「うわっ、おっさんが起きた!! 志弦姉ちゃん起きたよー!!」
それもその発言で杞憂だったことに気づき、祐輔はほっと息を吐いた。
少年はドタドタと騒がしく走り去っていく。
祐輔は痛みを我慢しながら体を起こした。前回の左腕といい、怪我をするようなことばかりでうんざりする。。
――さて、これは一体どういう状況なのだろうか。
少年と共に制服を翻ながら、現れたのは志弦。姉の姿は見えなかった。
「島田さん本当にすいません……」
ただで、表情は訓練のときの冷静なものと違い、そのさえ小さな体がさらに小さくなって涙目になっていた。
連れてこられた猫のようでなんだか微笑ましい。
「おい! 志弦姉ちゃんいじめてんじゃねえぞ、おっさん!」
その隣にいる、先ほどの子供がうるさく騒いでいる。二人が並ぶと子供の身長は志弦の肩までしかない。
この状況なんとも気まずい。正直なんとかしてほしい祐輔だった。
「いいよきにしないで。高堂さんはいないのかな」
「姉さんならスケジュールが詰まっているそうですので出て行かれました。明日の朝には顔を出すそうです」
祐輔が志弦とまともに話したのは今日が初めてになる。
さっきの志弦の一撃がトラウマになっているのか、祐輔は内心彼女に若干の恐怖を覚えていた。
身のこなしといい、姉のことといい、能力者は癖のある人しかいないのかとこれからのことを考えると頭が痛くなる。
「そっか、困ったな。何か聞いてないかな」
「はい、今日のスケジュールは聞いています。それより傷を見せてもらっていいですか、私が直します」
志弦の手がほのかに光った。
痛みと恥ずかしさをこらえながら上着をまくる。先ほど殴られた腹部だけを彼女に見せるという形となった。
傷口は見せたら直りが悪くなるということで見せてもらえなかった。
ひんやりとした手の当たる感触がして少し驚く。そして光が強くなった。
同時に痛みが少し遠のいたことに祐輔は驚く。
「私の能力は『忘却』なんです。属性は光。おもに一般人への記憶を消したりなどで姉さんの手伝いをさせてもらっています」
その話を聞いて祐輔は恵美から少し前に聞いた話を思い出した。
能力者(ここでいう生まれつき能力を持っていた人)は生まれつき持っている能力と所属する属性によって使える能力が変わってくるらしい。
能力が個人が持つ先天的固有能力で属性はいわゆるその人の適正を表すらしいが詳しくは知らない。
「忘却? 治癒ではないんだ」
「はい、いまは傷口のことを体から忘れさせています。なのであまり傷を意識しないでくださいね」
やわらかな光が一室を満たす。
その光景に見覚えがあるような気がして祐輔はあることを思い出した。以前祐輔の手を握っていたのはこういうことなのだろう。
でもなにかそれ以外で見たような気がするが、それは祐輔にはうまく思い出せなかった。
なんとか思い出そうとしていると、四苦八苦しているうちに先ほどからぴたりと黙り込んでいた子供から声をかけられた。
「おっさん。志弦姉ちゃんから触ってもらってるからってスケベな顔するなよ」
少年から無遠慮なことをいわれる。子供特有の小生意気さがやけに祐輔の鼻についた。
「コラッ、宏太。あんまり失礼なこというんじゃないの」
勢いよく子供が頭を叩かれる。見た所随分と仲がいい、まるで姉弟のようだと祐輔は思った。
「ところでこの子は誰なんですか。ずいぶんと仲のいいようですが」
「この子は七瀬宏太っていいます。今日から一ヶ月ここで一緒に生活させてもらう島田さんと同じ能力適合者です。ほら、黙ってないで自己紹介しなさい」
「おうっ! 七瀬宏太だ! 三人目の適合者で中学一年生だ、おっさん五人目なんだろ? 俺のこと先輩って呼べよな!」
元気よく答えた宏太の生意気な言動を生暖かい目線で流れめながら祐輔は反応せずにスルーことに決めた。
――はて、いまなんといったのだろうか。一ヶ月こいつと一緒に生活する? 言動を聞いているだけで疲労してくるのだが聞き間違えだろうか。
「すいません。前回説明する前に島田さんが気絶してしまったので、姉さんがいいだろうということで」
「本当ですか」
「すいません、私のせいで…… 手加減はしてたつもりだったのですが……」
「いやいや、志弦さんは悪くないよ」
「そうだよ。五分と持たずに簡単に気絶するほうが悪いに決まってるじゃん」
こいつはもう黙っていてもらえないかと祐輔は眩暈を感じながらそれを言葉にするのをなんとかこらえた。
そもそも子供は苦手なのだ。あまりにもまっすぐで眩しすぎて見ているのが辛い。
「治りました。もういいですよ」
十分ほどたっただろうか。試しに動かしても痛みもなく随分と調子がいい。
腹筋に力を入れるが動かすには何の問題もないだろう。まさに能力様々といった所か。
「それでこれからの予定なんですけど、治ってそうそう申し訳ありませんが宏太と模擬戦を行ってもらいます」
「いまからこいつとですか。正直子供を殴るのは気が進まないのですが」
「宏太は結構やり手ですよ、私にも引けをとりません。そして今日中に能力を発動させていただきます」
「そうだ舐めんなよ。こちとら修羅場を何回も越えてるんだ、貧弱そうなおっさんには負ける気がしないね」
「おっさんはやめなさい。言っとくけど俺は二十代前半だぞ」
嘘つくなよと遠慮なくいってくる宏太にさらなる苛立ちを祐輔は覚えるが大人の対応でなんとかこらえる。
しかし今日中の発動といっただろうか、さきほど何も出来ずにのされてしまった祐輔からいわせれば自信がないと言わざるを得ないのだが、なにかいい考えでもあるのだろうか。
「あとこれは姉さんからの伝言なのですが、『能力には再現性がある、前回のことをよく思い出してみなさい』だそうです」
再現性、祐輔からすれば前回も何もせずに数分待っていたらなったという印象しかないのだが、他に違うことでもあったのだろうか。
とりあえず話はそこそこにして外に移動してまた模擬戦をすることになった。
外には吹き飛ばされたときに出来た玉砂利の乱れた跡が残っている。
祐輔としてはまたあのようにはなりたくないものだが、おそらくそうもいってられないということは察しがあまりよくない祐輔でもわかった。
「それでは双方構えをとってください。」
宏太が不敵な笑みを浮かべながら拳を握る。
どうすればわからない祐輔は見よう見まねで構えをとった。
志弦が手に持った端末を操作する。
腕時計が振動をはじめた。相変わらず祐輔には何も起こらない。
ただ宏太は違った。さっきまでの子供らしい年相応の無邪気さは消え去り、圧倒的な威圧感と絶望的なまでの大きな力の差を感じた。
志弦にぼこられたときよりもひどいことになりそうな気が祐輔にはぬぐえないでいた。
――中学生の癖にこいつは一体何者なんだろうか。
「なにもわからずにのしてやるのもかわいそうだからおっさんにちょっとだけ教えてやるよ」
「なにをだよ」
「俺の能力定義は『成長』 発動条件は強くあろうする心。まあ要するに強く速くなれるのさ」
姿が消えた。祐輔はそう認識したと思ったころには宏太は目の前に移動していた。
祐輔には相変わらず能力が発動する気配は感じられない。
脇腹に嫌な感触を覚え、殴られたと祐輔が思った頃には既に体は吹き飛んでいた。
志弦よりもはるかに速いスピード。速いとかいう問題ではない。
仮に志弦の一撃が祐輔のような素人が見ても鍛えられているとわかるレベルだった一撃だったのに対して、宏太のは何が起こっているか理解できないレベルだった。
鍛えているのだとしても中学一年生が出来るレベルではない。余りにも疾すぎる。おそらくこれが能力によるものなのだろう。
何回か天地を掻き回されて地面を転がって止まる。
遅れて全身を痛みが襲った。息が苦しい、痛くて祐輔はまともに動くことすらままならない。
――こんな辛い思いをするためにここに来たのだろうか。これなら前の職場にいたほうがよかったのかもしれない。
まともに能力も使うこともできず、年下にぼこられていいようにされて。
身の程をわきまえていればよかったのだ、所詮、運が良かっただけに過ぎないんだろう。
でも祐輔は思う。ちょっとくらいはいいところが欲しかったと。
左手のてのひらがひどく痛い、飛ばされる時に擦りむいたのだろうか、血がにじんでいた。
ふと、そこから何かが這い出てくるのを祐輔は感じた。
手に視線をやるとそれはあの時見たのと同じ、一本の茨だった。
同時に前回も指先を切っていたことを思い出した。これが再現性というものなのだろうか。
ただ前回と違うのは茨が襲いかかって来るのでもなく、ただ生えてきたことだ。
なぜ違うのかははわからないがうまくいったということなのだろうか。
「おっ、うまくいったんじゃん。頼りないおっさんだと思ってたけど少しはやるみたいじゃん」
ただの偶然だとはこの生意気な少年の前では祐輔はいうにいえなかった。
「頼りないは余計だ。あとおっさんって呼ぶな」
その自覚は多少ある祐輔だったが流石に面とむかっていわれると傷つく。
全身の痛みをこらえながらゆっくりと立ち上がる。
茨は意味もなくうねうねと勝手に動くだけでなにかしようとする感じではない。
――どうすればコントロールできるのだろうか。
物は試しと動けと念じてみても茨はピクリともしなかった。
腕を振ると茨はしなる。鞭のような感じで使うことはできそうだが、祐輔のような素人がなんとかできるような気は全くしない。
「そうだおっさん。試しに俺にその茨を振ってみろよ」
「いいのかよ。怪我しても知らないぞ」
「そんな貧相なものじゃ大したことにはならないさ。それに能力は人に試してみないとどうなるかわかんないこともあるしさ。ほら」
宏太が右腕を差し出す。志弦も最初から変わらず沈黙を保っていた。
やってもいいということなのだろうか。
腕を振るって茨を軽く振るって感じを掴む。長さは二メートルほどだろうか。空気を切る痛そうな音が響いた。
祐輔としてはこれを中学生にするのは気が引けるがしょうがない。
「大怪我しても知らないからな」
「余裕! おっさん程度に負ける気がしないね」
腹を決めて祐輔は茨を腕めがけて思い切り振るった。
風を切る音が聞こえ、続いて乾いた音が辺りに反響する。
茨が宏太の腕に絡みつき棘が引き締まって腕に食い込む嫌な感触が茨ごしに伝わった。
沈黙が場を支配する。宏太のリアクションがさっきからないので攻撃をした祐輔からすると非常に気まずい。
「……なんだこれ」
十秒ほど置いて、宏太は思っていたものと違うといった微妙な表情をしながらぽつりと呟く。
「この茨全然痛くないんだけど、棘がちょっとチクリとするだけかな」
宏太が茨を掴む。多少力はいるようだったが、がっちり食い込んでいるように見えた茨はあっさりほどかれてしまった。
「さて、あとはそうだな。おっさんちょっと痛かったらごめんね」
そして宏太は空いている右手の指先を真っ直ぐ手刀のように構え、振り下ろした。
ぶちりとちぎれる音が祐輔の腕に伝わる。茨が手刀で断ち切られたのだ。
同時に祐輔は猛烈な疲労を感じてしまい、ふらりと膝をつく。
ちぎれた茨は力を失ったように根元からなにかの液体になって辺りに飛散した。
飛散した一部が祐輔のスーツにつき赤い斑点を作る。試しに匂いを嗅ぐと鉄臭かった、おそらく血液なのだろう。
あの茨は血液を元にできているということなのだろうか。
「強度低い、威力も皆無で媒介は血液か…… 志弦姉ちゃん、おっさんもひとまず能力発動できたみたいだし、今日はこれくらいでいいんじゃないの」
「そうですね。十分なデータは取れたみたいですし、今日はこれくらいにしておきましょうか」
「そうか。それは非常に助かるんだけど情けないことに動けそうにないかなあ」
能力を行使した反動なのか祐輔にはわからなかったが、全身の痛みと疲労感で一歩も動けそうになかった。
「これぐらいでへばったのかよ。やっぱりおっさんはおっさんだな」
さっき思いっきり殴っておいてよくいう、と思うが何かをいう体力も祐輔にはあまり残っていないかった。
志弦が再度端末を操作したことで、腕時計からの振動が消える。同時に宏太からの威圧感も消えた。
「大丈夫ですか、島田さん。宏太はもう少し手加減しないとダメだからね」
駆け寄ってきた志弦から手を伸ばされる。
その手に引っ張られて祐輔も立ち上がるが、膝に力が入らず志弦のほうに寄りかかってしまった。
恥ずかしさに思わず顔が赤くなってしまう。
「うわっすいません。身体がいうことを聞かないもので」
「いえ、大丈夫です。動けないようなので私がおぶっていきますね」
否定する間もなく祐輔は志弦に軽く持ち上げられ、背負われた。
いい年した大人が女子高校生におぶられるのは祐輔としては気まずすぎた。
――身体がやわらかすぎる、すごいいい香りがするんだけど、やばい何も意識するな高堂さんに何をいわれるかわからないぞ。
思考が加速するがまとまらず固まってしまう。
「志弦姉ちゃん俺がやるからそんなことしなくていいよ」
「宏太はまだ今日の特訓メニューのランニングが残ってるでしょ。走ってきなさい」
「しょうがないなあ。おっさん、志弦姉ちゃんになんかしたらすぐ飛んでくるからな覚悟しろよ」
宏太の不機嫌そうな声で祐輔は少し冷静な思考を取り戻す。その声色から察するにどう考えても嫉妬している。
最近の子供はませているなとなおさら思う祐輔だった。応援くらいならしてやってもいいと思う。
そういって宏太は風のように走り去っていく。なんとも騒がしい子供だった。
そして騒ぐ者がいなくなったあとに来るのは当然、沈黙だった。
玉砂利を踏む音だけが周りに響く。
「しかしずっと高堂さんの手伝いなんて大変ですね」
場を繋ぐために祐輔は適当に話題を投げかける。
「いえ、私が姉さんのことを手伝いたくてやっていることなので大変ではないですよ。島田さんのほうが大変なのではないですか、姉さんに振り回されている人はどれも大変そうにしていますから」
「あー それは確かにあるかもしれないですね」
否定できず思わず苦笑してしまう。
志弦もわかっているのか苦笑いをしていた。
「姉さんは悪意があってやっているわけではありませんので、悪く思わないであげてください」
「大丈夫さ。むしろ俺の出来の方が悪くて申し訳ないですけどね」
「そんなことないと思いますよ。まだ能力のことも詳しく調べてみないとどうともいえないですし」
「そうだといいんだけどね。あとこれから一ヶ月改めてよろしくお願いね」
「はい、よろしくお願いします。あと志弦でいいですよ、年下に堅苦しくしなくて大丈夫ですので」
「……いや、君のお姉さんに何をされるかわからないから遠慮しておくよ。なら志弦さんもあんまり堅苦しくしなくていいからね。俺が一番の下っ端だってこともあるしさ」
「かもしれないですね。明日はまたハードになる予定なので覚悟しておいてくださいね」
二人して笑ってしまう。
まずは明日から頑張ろう。体はボロボロだが、不思議と祐輔はそう思うことが出来たのだった。
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