彼の悩み

 あの店に行ってから、もう二週間ほど過ぎた。GWも過ぎてしまい、服装も夏めいてきた。気が早い人は、もう半袖のTシャツだけだったりする。 

 大学の講義を終えた僕は、所属しているサッカーチームの練習場所へと移動をしているところだ。

  僕は、大学の部活やサークルではなくて、県一部リーグの社会人のチームに参加している。入学当初は体育会系の部活に入ろうと思っていた。しかし、それなりに勉強をしてそこそこの国立大学に入ってしまった結果、みんな勉強を頑張って入学したからなのだろうか、スポーツは趣味という程度で、それほど高いレベルでもなく、入部をためらってしまった。

 そこで、外部でチームを探していたところ今のチームを見つけたのだった。県リーグとはいえ元プロや高校サッカーで全国大会に出たような選手も所属していて、大学の部活でやるよりは張り合いがある。

 元カノと付き合っていた時や悩んでいた時も、自主練であったりチーム外でボールを蹴る時間は短くなってしまっていた。それでも、チームに参加しているときは何も考えずにいられた。ボールを蹴ってる瞬間、追いかけている瞬間は、それだけで頭が一杯になるんだ。

 学生の僕は時間に融通がきくからか、一番乗りで会場に着くことが多い。

 まだ誰もいないグラウンドに到着すると、バッグから荷物を取り出して、近くに誰もいないことを確認すると手早く着替えた。 

 今はまだ陽があるから半袖でも大丈夫そうだけど、練習が本格化する夜には少し冷えそうだと感じ、プラクティスシャツの上にピステを着ることにした。シャカシャカした素材は、陽のある今の時間には少し暑い。

 そのままベンチに腰かけてスニーカーを脱いで、スパイクに履き替える。足裏にあるポイントの突き上げるような感覚は、何度感じてもテンションを上げてくれる。

 これから楽しいことが始まる。

 そんな気持ちにさせてくれる感覚だ。

 ベンチを立ち上がると、土のグラウンドに向かって一礼をして外周を軽く走る。本当は綺麗な芝のピッチがいいんだけど、県リーグレベルの社会人がそんなところでいつも練習をするのはとてもじゃないが無理な話だ。

 二周を走り終えると、サッカー部にはお馴染みのブラジル体操を始めた。一人で掛け声をあげながら、足を伸ばしたりステップを踏んだり。

 軽く汗をかいたところで自分で持ってきたボールを蹴ろうと、一度ベンチに向かっていると人影が見えた。

「あ、カズくん。相変わらず早いね」

 そんな声をあげたのは、マネージャーをしてくれているミユだった。一歳下の彼女は、ヒロさんというお兄さんと一緒にうちのチームに来ている。

「ヒロさんは? まだ?」

 そう尋ねると、彼女は首を横に振って肩をすくめて見せた。

「今日はちょっと遅くなるって、家を出るときに言ってた。忙しいんだって」 

 そっか、と残念そうに僕は返す。 

 ヒロさんは2年前まではプロとしてプレーをしていた選手だ。二部リーグの選手だったとはいえ、さすが元プロと言うべきか、うちのチームでは段違いに上手い。 

 プロを自由契約……要するにクビになってからは、地元のこの町で就職をして、うちのチームでサッカーを続けている。

要するに、僕の憧れの人だ。

「ま、ヒロ兄以外の人も何人か遅れるって連絡があったし、大人はみんな忙しいんだろうねー」

 うんうん、とミユはなぜか自慢げに頷いた。うちのチームの出欠連絡は、基本的にマネージャーにすることになっている。最初は監督にすることになっていたらしいんだけど、監督が適当な人だったせいで僕が加入して一年経ち、ミユがマネージャーとして入ってからは彼女が基本的に連絡役を勤めている。

 監督はヤマさんという、三十路を越えた人が選手兼任監督を勤めているんだけど、どうにも適当な人で連絡をしたことも忘れられていることがよくあったんだ。十歳も下の僕が言うことではないけど、あれでよく監督をやっていられるな、と思う。選手としては凄いんだけど。

「そっか、まぁ、来る人だけでやるしかないからなー」

 企業が運営するチームではないから、どうしても僕たちの練習は仕事や学校の予定に左右されてしまう。酷いときは、10人も集まらないことだってある。

 それでも僕も、チームメイトもサッカーをする。理由もなくて、理屈もない。

 ボールを追いかけること、蹴ることが好きなままに大きくなった子どもの集まりだと、以前ヒロさんは言っていた。本当にその通りだ。

「じゃ、ちょっと蹴りながら待っとくよ」

「はいはい、じゃあ私も給水の準備してくるねー。がんばって」

 そんな言葉を残すと、ボール、有名な漫画の言葉を借りるなら『友達』と共に、僕は土のグラウンドに向かっていった。

「カズ、この後暇か? よかったら、一杯行かないか?」

 練習後、ヒロさんに声をかけられた。

 僕が尻尾を降る犬のようにヒロさんを慕っているからか、彼も僕のことをかなり可愛がってくれているんだけど、飲みに誘われるのは珍しいことだった。

 曰く、「アルコールは怪我と体力の回復を遅らせる。もちろん多少の酒は良薬かもしれないけど、飲みすぎるのはサッカー選手としてはマイナス面が強すぎる」とのことだ。

 チームの飲み会には参加するし、多少は飲みはするけど、摂生するときは摂生する。プロではなくなっても、当時から持ってたプロ意識は抜けてないらしい。

 そんなヒロさんに酒を飲もうと誘われたのは少し意外だったけど、断る理由もない僕はすぐに了承した。

 どうしたんだろう、珍しいな。

「じゃ、着替えたら行くか」

「はいっ」

 理由は何であれ、ヒロさんと一緒に食事に行くのは久しぶりだし、嬉しさのあまりに僕は慌てて着替え始める。

「何か食いたいものあるかー?」

「肉っ! 食べたいです!」

 その質問には素直すぎるくらい、間髪を入れずに返事をする。練習後の肉ってなんであんなに美味しいんだろうね。

 ヒロさんは笑いながら分かった分かったと言い、僕もつい笑ってしまった。何か、こういうのって良いな。

「えー! 二人でご飯? ずるい! 私も!」と抗議の声をあげたミユを止めるのにはかなりの時間がかかったけど、どうにかそれを振りきった。

「悪いな、あいつ、お前のこと結構気に入ってるから。俺とじゃなくて、お前と飯食いたかったんだと思うけど」

 そんなヒロさんの言葉に、いやいやと否定を入れながらも、僕は目の前で良い色に変わりつつある肉を見ていた。

 焼肉って、人によって焼き加減の好みが違うから難しいよね。鶏と豚はしっかり焼くけど、牛肉は本当に分からない。

「カズ、最近調子良いよな。何か良いことあった?」

「良いこと……ですか?」

 うーん、たぶん無いよなぁ。大学の授業は相変わらずめんどくさいし、バイトも特に代わり映えしない。

「何かこう……迷いが吹っ切れたっていうか、プレーするのが楽しそうっていうか。スッキリしてるよ、最近」

 その言葉で思い浮かべたのは、あの店での出来事だった。

 誰にも話せなかった心のモヤモヤがスッキリしたのが、サッカーにも繋がったのかな。

「あー、なるほど……最近、ちょっと気にしてたことが無くなったからですかね」

「あ、そうなんだ? 何にせよ、それなら良いじゃん。俺なんか、今もモヤモヤしてるよ」

 最後の一言で、ヒロさんは急に声のトーンを落とした。ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干すと、追加でまた一杯注文した。

「どうしたんですか?」

 ヒロさんらしからぬ行動に、恐る恐る尋ねてみた。僕なんかが触れて良い話題なのか分からないけど、ここで聞かないなんてとても無理な話だ。

「フラれたんだよ」

「えっ」

 予想もしてなかった言葉に、つい声をあげてしまった。ヒロさんの彼女は、確かプロだったときからの付き合いだと聞く。

 もう数年は付き合っているし、再就職をしてからしばらく経ち、そろそろ結婚かなと思っていたのに。

「っていうのに加えて、代表もだよ」

「代表……?」

 脈絡のないその言葉に、僕は首をかしげた。彼女……代表? 代表って何だ?

「この間、アジア予選の代表が発表されただろ」

 あ、サッカー日本代表のことか。でも一体、それがどうしたって言うんだろうか。

「シンヤが選ばれてるんだよ」

 吐き出すように口にした名前は、今回初めて代表に招集された選手の名前だった。一部リーグで中盤の選手ながらもゴールを重ね、アシストランキングだけじゃなくて得点ランキングでも上位に名を連ねている。

 待望の招集に日本中のサッカーファンは彼のプレーを楽しみにしていると専ら評判なんだけど、ヒロさんは不機嫌そうだ。

「それが……」

 僕の言葉を遮るように、ヒロさんは言葉を重ねた。

「あいつ、チームメイトだったんだよ」

 ああ、そういえば。

 言われてみると、確か彼は去年までニ部のチームでプレーをしていたはずだ。そして、そこでの活躍が認められて一部のチームに今季から移籍したと、雑誌の特集記事を読んだ記憶がある。

 しかし、元チームメイトだったのなら、彼の代表選出は喜ばしいことなんじゃないんだろうか。

 そんな謎は残るけど、僕からヒロさんにそれを尋ねるのは何だか躊躇われてしまった。

「俺がクビになった理由、カズに話したかな?」

 投げられた言葉は、またも脈絡の無いように思えたものだった。僕は黙って首を横に振ると、ヒロさんは言葉を紡ぎ始めた。


*********************************************************************


 俺と同期で高卒新人だったのが、シンヤだったんだ。

 もちろん俺たちはすぐに仲良くなった。友達だし、チームメイトだし、仲間だった。

 入団初年度はお互いにロクに出番がなくて、二人で自主練をしたり、愚痴りあったり。

 お互いに活躍するとそれを励みに練習に打ち込んで、仲間だけど負けたくないなって思ってた。

 二年目になって、俺たちのチームの主力選手の先輩が抜けたんだ。一部のチームに引っこ抜かれて、チームとしてはピンチだけど俺達としてはチャンスだなって。ポジションも同じだったから、これを機にレギュラーになってやるって野心を持ってね。

 その年の開幕前のキャンプで、紅白戦をしたんだ。レギュラーチームに入ったのは、シンヤじゃなくて俺だった。

 プレースタイル的に俺の方が先輩に近いものがあったっていう幸運もあったのかな。でも、そこで良いプレーをしたら開幕スタメンも夢じゃないって思って、俺は気合を入れてその試合に臨んだんだ。

 自分で言うのも何だけど、前半はかなり良いプレーが出来てさ。あのプレーなら、先輩がいてもレギュラーを争えたんじゃないかってくらい。チームとしても良いペースで点を奪って、紅白戦だけど圧勝って感じ。

 ただ、後半。あれが起きたのは後半だったんだ。

 後半が始まってからも、レギュラーチームの優勢は変わらなかった。

 俺たちはボールを支配して、相手チームも防戦一方って感じでさ。

 そんな雰囲気の時に、俺とシンヤがマッチアップしたんだ。ボールを持ってるのはもちろん俺で、ディフェンスがあいつ。

 勝ってるし調子も良いからって天狗になりかけてた俺は、シンヤ相手に股抜きをしたんだ。

 足の間をボールが通って、俺も脇を通り抜けて。やったと思った直後に、倒れたてたんだ。

 後ろからシンヤにスライディングをされて、それがモロに右足に入ってたんだ。

 出たくなんかないのに担架でピッチの外に追い出されて、そのまま病院に行ったら全治半年だ、って。

 試合に出られない間にあいつはチーム内でレギュラーになって、俺はそのまま出番をなくしてしまった。

 初めてそんな大怪我をしたからかな。それ以来、後ろからの接触プレーが怖くて、どうしても抜いた相手を気にし過ぎてしまうんだ。

 県リーグレベルならそれでも通用するけど、プロの世界ではそれじゃダメでさ。

 その年ともう一年は面倒を見てもらえたけど、結局それが遠因で、二年前にクビになったんだ。

 シンヤともあれ以来気まずくて、退団してからは連絡を取ってない。


*********************************************************************


「あいつのせいじゃないってことは、分かってる」

 ヒロさんは、絞り出すように漏らした。

「あんな状況で股抜きなんかされたら誰だってイラつくし、接触プレーを怖がってしまうのは俺の心が弱いからなんだ」

「じゃあ……」

「でも」

 逆接の言葉で感じたのは、強い感情だった。理屈を超えた感情だ。

「もしあそこで怪我してなければ、今ごろ代表にいたのは俺かもしれない。そう思うと、どうしてもスッキリした気持ちで応援も出来ないんだ」

 俺って嫌な奴だよな、とヒロさんは自嘲気味に呟いた。

「そんなことないです」とも、「それはシンヤが悪いですよ」とも、僕は言えなかった。

 ヒロさんの「あれさえなければ」という気持ちも分かるし、とはいえ怪我のリスクはサッカー選手である以上、当然背負っているものだ。自慢できるものではないが、僕だって骨折や捻挫の経験はある。

 消化しようとしてもしきれないモヤモヤを、ヒロさんも感じているんだろうか。

「悪いな、こんな空気にしてしまって。ちょっと愚痴をさ、聞いてもらいたかったんだ。お前くらいしか話せないからさ。ミユにこんな話を聞かれると心配されるし」

 その言葉を最後に、ヒロさんは空元気なのか笑えてない笑顔で僕に「肉食え、肉! 体作って、今週の試合も勝つぞ!」と言った。

 その言葉にも僕は返事が出来なくて、ただ頷いてトングで肉をつつくだけだった。


 あの焼肉から一週間。

 アジア予選が始まり、シンヤも代表デビュー戦でゴールを決める活躍をした。その試合後は、うちのチームでもシンヤの名前がよく出てきた。

 彼の名前を耳にするたびに、ヒロさんは複雑そうな表情で相槌を打っているし、僕も何だか晴れやかな気分とはいかなかった。代表が勝ったら、普段は嬉しいのにね。

 大学も練習も無い休日は久しぶりで、家に引きこもるか悩んだけど、ちょっと出掛けてみることにした。どうせ一人で家にいても落ち着かないしね。

 七分丈のお気に入りのサーマルカットソーに、ちょっとダメージの入ったジーパン、スニーカー。夏が近づくとサンダルを履く人も多いけど、中学生の時の部活の顧問に「サンダルなんか履いて怪我してサッカーできなくなったらどうするんだ! 靴を履け!」と言われて以来、卒業した今もその教えをずっと守っている。

 ファッション、流行りの服が好きってことじゃないけど、お気に入りの服を着るだけで少し楽しい気分になる。

 浮かれない気持ちも少しはマシになって、僕は行くあてもなく町をうろつく。

 まだ早い時間ということもあってか、僕はすんなりと店内に誘導してもらえた。

 以前と同じブースに座っていると、場内アナウンスが耳に入った直後に彼女の姿が見えた。

「あっ、カズヤ! こんにちはー、また来てくれたんだ?」

 靴を脱ぎながら彼女は僕に挨拶をした。

 忘れない、との言葉通りなのかスタッフが何か伝えたのか分からないけど、彼女はとりあえず僕の名前は分かってくれているらしい。

「あっ、名前覚えてるんだ」

「そりゃ覚えてるよー! あんな話をここで聞いたの初めてだもん! おまけに抜いてあげられなかったしさー」

 少し口を尖らせて、拗ねたような口調でそうぼやいた。

「で、今日は? 今日こそスッキリしに来たの?」

 彼女はそう言いながら僕の左頬に右手を添える。相変わらず吸い込まれるような瞳に見つめられ、自分でも胸の鼓動が高鳴るのが分かってしまう。

「えっと……」

 完全に話を聞いてもらいに来てたけど、よくよく考えるとここはそういう場所で、僕の行動はひどくお門違いなものの気がする。

「ん? 違うの?」

「ちょっとお話をしに……」

「またー?」

「やっぱり迷惑?」

「いや全然! でも、私で良いの?」

 私で良いの、というよりは。

「お姉さんだから良いのかも。知らない人だから話しやすいこととか、あるじゃん?」

 その説明に納得したのか、うんうん頷きながら「よし、ドンと来い!」なんて言って胸を叩いた。ノリ良いな。

「あっ、でもね」

 そう言ったかと思うと、彼女は僕の唇に人差し指を当てた。

「お姉さん、じゃなくて、ゆう、だから。お分かり?」

 ね? と、笑いながら彼女は念を押してきて、僕は顔を赤くして頷く。

 しかし、いざ話すとなるとなかなかどうして、説明が難しいんだよね。前みたいに自分のことだったら包み隠さず全部話せるけど、ヒロさんもシンヤも預かり知らぬところでプライベートを曝されるのは嫌だろう。

「ちょっと説明が難しいんだけど……憧れてる先輩がいてさ。最近、落ち込んでるみたいで」

「うんうん、何で?」

 ここの説明が一番難しいんだけど。

 言葉を選びながら、慎重に話を進める。

「同じタイミングで入社した人が一人いるらしいんだ。でも、最初は自分の方が優秀だったのに、不幸な事故で出世できなくて、もう一人が出世したらしくて。祝ってあげたいのに、事故さえなければ……って思ってしまうんだって」

 プロサッカー選手だって社会人なんだから、入社という言葉で誤魔化してみたり、怪我を不幸な事故と言ってみたり。ニュアンスが変わって伝わらないか心配だけど、これ以上の説明は今の僕にはできなかった。

「そうなんだー、へぇ……」

「それで落ち込んでるし、彼女にもフラレたらしくて、二重に落ち込んでるらしいんだよね」

「何だ、カズヤの仲間じゃん」

 そんなツッコミを入れて、ゆう……ちゃん、はニヤけ顔になった。

「でも、人の心配ができるくらいならカズヤはもう大丈夫そうだね。カズヤはその先輩に元気になってもらいたいの?」

 改めて問われると、その返事には少し戸惑ってしまう。いつも通りのヒロさんになってほしいとは思うんだけど、ヒロさんだって人間なんだから、苦しさを捨ててほしいなんてことを僕が願うのも過ぎたことだ。

 僕はいったい、どうしたいんだろう。どうなってほしいんだろう。

「やっぱりさ、カズヤの憧れてる先輩もさ、落ち込んでるってことはそれだけ悔しくて、好きでやってることなんでしょ? それなら、その悔しさは大事にしないといけないんじゃないかな」

 前回と同様に、ユーロビートな音楽が騒がしくなる部屋のなかで、ゆうちゃんは言う。

「悔しかったり悩んだりするのは、それだけ好きだからなんだよ。好きじゃないことで辛いなら、逃げてしまえばいいもん。でも、それから逃げられなくて辛いなら、それは受け止めて消化するしかないんじゃないかな」

 言いきると、「ごめんね、偉そうに」なんて申し訳なさそうに付け足した。

「なるほど……」

「だから、カズヤは特別何かするとかじゃなくて、その先輩が悔しさを消化しきれてるかどうかを気にしてあげればいいんじゃないかな。それこそ、辛そうなら話を聞いてあげるとか。言葉にすると楽になること、あるでしょ?」

 それは確かに、正しく以前ここで体験したことだ。

「でもさ、その先輩もカズヤのこと信頼してるんだろうね。そんなこと話してくれるなんてさ」

 羨ましいな、と彼女は言った。何が羨ましいのかは分からないけど、とても寂しそうな声色で。

「何の先輩なの? カズヤはまだ学生だったよね? その人は働いてるみたいだけど」

 まあ、これくらいは話しても問題ないよね。働きながらサッカーをしてる人なんていくらでもいるし。

「今、大学じゃなくて社会人のチームでサッカーしてるんだ。そのチームの先輩」

「あっ、サッカーやってるんだ! 言われてみればやってそうだよねー!」

「そう?」

「うん、胸板しっかりしてるし、足もちょっと太いし、見た目チャラいし」

「チャラいって……」

 関係あるの? と苦笑すると、彼女は大真面目な顔でこう返した。

「サッカー部への偏見ですっ!」

 何だそりゃ。 つい吹き出して笑ってしまったよ。そんなイメージがあるのか……チャラくないんだけどなぁ。

「社会人のチームかぁ……試合とかもあるの?」

「もちろん。県のリーグ戦にも登録してるし、天皇杯っていうトーナメントも予選に出るし、結構本気なチームかな」

「サッカーしてるカズヤ、ちょっと見てみたいかも」

「はいはい」

「もー、何でそんな冷たい反応なの?」

 リップサービスを流してしまうと、そんな苦情を入れられた。真に受けるのも何か、ねぇ。

「えー、本当だよ? 試合の予定とか教えてよー」

「えーっと……来週末に、天皇杯の予選があるけど……」

 会場は、このお店からもそう遠くない場所にあるサッカー場だったはずだ。芝のピッチに、小さいながらもスタンドもついているところだ。今は、そこで試合をするのが待ち遠しい。

「へぇー、近いんだね。何時から?」

「14時キックオフだったかな? たぶん」

「なるほどなるほど……って、店外デートは禁止なんだけどねっ」

「デートなの?」

 そんなふざけたやり取りに、やっぱりリップサービスじゃないかと少し残念がってしまう自分もいた。

「私、サッカーの試合って生で見たことないんだよね。テレビニュースで日本代表のハイライトは見たりするけど。誰だっけ、今注目されてるの。えーっと……」

「シンヤ?」

 名前を隠していたとはいえ、さっきまで話していた彼がこんな風に名前が出てくるとは思っていなかった。

「そうそう! 最近よく見るなぁって思って!」

 サッカーにあまり興味が無い人にまで知るようになるくらい、代表の影響力っていうのは強いらしい。

「ま、僕はあんなに高いレベルで試合できないからね。先輩とかはやっぱり上手いんだけど」

「じゃあ、その先輩を見に行っちゃおうかなぁ……嘘だけど」

 そんな下らないやり取りをしているうちに、その日の僕らの時間は終わった。

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