私は私を嫌っている
風俗で働こうと思ったきっかけは、楽に稼げそうだったから。
高校を卒業した私は、勉強が嫌で進学もせず、だからと言って正社員として就職もせず、ダラダラと生きていた。
でも、そんなことをいっても私だって年頃の女なんだから、苦しい思いをして働きたくもないけど、遊ぶお金は欲しかったんだよね。それで選んだ道が風俗だった。ピンサロならホテルに行ったりはしないから本番とかの心配はないし、色々と相手をしないといけないキャバクラとは違い、ヌいてあげたらそれで終わりだから面倒なこともなさそうだし。
仕事を始めた当初は、好きでもない男のそれを触れることに戸惑いもしたけど、馴れてしまえば若いイケメンも脂ぎったおじさんも同じものだと割り切れるようになった。
とはいえ、風俗だって人気商売なんだから流行り廃りがあるわけで、いつまでもこんなことをしているわけにもいかないよね、とは思い始めていた。成人式が終わったあたりからかな。やっぱり、20歳を越えた儀式って、日本人の感覚としては大きいみたい。
そんな風に転職を考えていた春に、ちょっと今までに私が会ったことのないタイプのお客さんが来た。
歳も私と同じ男の子で、風俗に来たっていうのに脱ぎすらしないで、寂しそうな目をしたまま失恋話を始めてきた。
話すだけ話すと、彼は憑き物が落ちたみたいにすっきりした表情で退店していった。
普通に恋愛をするとあんな風に落ち込んだり悩んだりするんだ、って思うと、今度は私が少し寂しくなってしまった。私の恋愛は、普通ではないと自分で思っているから。
よくある話なのかもしれないけど、私はホストにハマっていた。
私のお客さんはおじさんが多かったし、たまには若い男と話してみたいと軽い気持ちで踏み入れたのは深い沼だった。
そこで私の対応をしてくれた男を応援したい、ナンバーワンにしてあげたいと思い、私は彼に貢ぎに貢ぎ続けた。
ブランドのスーツや財布、現金だって渡したし求められたらセックスだってした。
それでも、これだけは分かっている。
私は彼の彼女にはなれない。
彼が好きなのは私じゃなくてお金や体であって、それがあるなら私じゃなくても良いんだっていうのは、私が一番知っている。
彼は私以外の女も平気で抱くし、貢がれたものも気に入ったなら使う。要するに、私は彼にとって彼女どころか、何番目の女ですらないんだ。私の前で、他の女の匂いを隠そうとしない。
それで他の女に負けたくないと貢ぐ私って、本当にバカだよね。でも、止められないの。
彼女はおろか、貢いでいるから対等なセフレにすらなりきれてない私は、ドロドロの底無し沼から抜け出せないでいた。
ピンサロで働いているのと同じで、このままじゃダメだって分かっているのに止めることもできない。
きっと、私はこのままじゃ幸せにも不幸にもなれないんだろうな。たぶん彼に女ができても私たちの関係はなくなりはしないだろうし、逆にずっと女ができなくても私は彼女にはなれない。
私も似たような接客業だから何となく分かるけど、お客さんと付き合うのってめんどくさいみたいだしね。
お客さんでいるときは相手の気を引こうと貢いだり健気にいたりするけど、立場が恋人になってしまうと、人間は欲深くなってしまうらしい。
表向きはお客さんと店外で会うのが禁止されてるうちの店でも、お客さんと付き合ってる子は今までに何人かいた。でも、彼女たちは全員、付き合ってしばらくすると「あんな人とは思わなかった」って口にするようになるんだ。
今までは男が女の子に合わせてお店に来たり、プレゼントを貢いだりしてたのに、恋人みたいに対等な関係になってしまうとそれが変わってしまうからなのかな。
そういうのを見てきた私はお客さんと付き合うとか店外で会うとかってめんどくさいと思ってたのに、自分が客として貢ぐ側になってしまうと、貢いでいく方の気持ちも何となく分かるようになってしまった。
対価を払い続けている限り、よっぽどのことがない限り彼は私を拒まない。そして、彼が納得するだけの対価を払えてる今は、彼の優しさを得ることができる。
ビジネスライクなwin-winの関係で、私たちは結ばれている。その優しさを失うのが怖くて、私は彼に貢ぐのをやめられない。そして貢ぐのをやめられないからこそ、私は今の仕事を離れることができない。
何度か、彼から離れようとしてみたこともあった。
合コンに行ってみたり、友達に紹介してもらったり。高校の同級生がモデルをしていたから、彼女に誘われた合コンでは芸能人やスポーツ選手、お笑い芸人みたいな華やかな世界の人にも会えた。
そこで何人かに気に入られてお持ち帰りはされても、恋人同士にはなれなかった。
華やかな世界に住む彼らに対して、私が怖じ気づいてしまったんだよね。だって私、ホストに貢ぐ風俗嬢だよ? 他の人がそれをどう思うのか分からないけど、私の感覚だとどう考えても私じゃ彼らには釣り合わないと思うんだよね。
それに、彼らもたぶん本気じゃないし。一晩遊ぶ相手として、私はちょうどいい女なんだと思う。連絡先も交換しないことだってあったし。
そういう人たちに限ってではない。カズヤみたいな普通の学生に対してでも、私は引け目を感じている。きっと私はフラれたとしても、あんなに純粋に落ち込めないから。
私が誰よりも私のことを嫌いなせいで、恋人なんて作ることができないままにホストから離れることもできずにいた。
歪んだ形の恋愛に溺れた私にとっては、カズヤのように彼女にフラレて落ち込む普通の恋愛が、何だか眩しかったんだ。
「エリ、俺もう行くから」
私の本名を呼んで、アキラ……ホストの源氏名なんだけど、彼は私の部屋から出ていった。私はベッドの上で上半身だけ起こして「いってらっしゃい」と声を投げ掛けた。
昨日の夜、終電を逃したから泊めてくれと連絡された私はそれを受け入れた。彼がうちに来ると、いつも同じベッドで体を重ね、朝になるとさっさと帰ってしまう。
最初はそれに冷たいなぁなんて拗ねていたけど、それにももう慣れてしまった。人間、辛いことへはすぐに適応できるようになっているらしい。
寝ぼけ眼のままにベッドから出て、テレビをつけてみると、スポーツニュースが流れ始めた。私とちょっとしか変わらないような歳のサッカー選手が、日本代表の試合で活躍したらしい。得点シーンを流しながら、「彼の活躍が、今後の日本代表には必要不可欠です」なんてコメントも聞こえてきたり。
必要不可欠、か。
私はきっと、誰からも必要になんてされてない。定職にもつかずフラフラしている私のことを家族は呆れて見てるし、アキラだって私のことは都合の良い女だとしか思ってないはずだ。お客さんだって私より上手い女の子、可愛い女の子がいたらそっちに流れてしまう。
私がいなくなったところで、何の問題もなく世界は回る。
そんな私と対照的に、日本代表という大きな舞台で、多くの人に求められている彼を見るのは何だか辛かった。
テレビを消して、出掛ける支度を始める。良い天気だし、ショッピングに行こうかな。
シャワーを浴びて身嗜みを整えて、お気に入りの服を着て。それだけでちょっと幸せな気分になった私は、欲しい夏服を思い浮かべながら町へ飛び出した。
何着かの服が入ったショッピングバッグを手に、私は散歩をしている。
あんな仕事をしているとどうしても不健康な生活リズムになりがちだから、休日に散歩をするのは嫌いじゃないんだ。ダイエットにもなるしね。
町を抜けて、ちょっと落ち着いた河原に出てきた。そのまま堤防沿いを歩いてみると、心地よい風が吹いてきた。
長袖を着ると少し暑いくらいだったし、もう夏は近いのかもしれない。
季節の変わり目に感じがちな、ノスタルジックな感傷に浸っていると、河川敷でサッカーをしている人たちが目に入ってきた。
へぇ、こんなところでサッカーしてる人たちもいるんだ。
彼らに目を向けたまま歩いていると、私と同じような歳の人であったり、もしくはおじさんのような人であったりということに気づいた。みんな、気持ち良さそうな笑顔でボールを追いかけたり、声を出したりしている。
彼らはどうしてボールを蹴るんだろう。追いかけるんだろう。
好きだからやってることなんだろうけど、運動音痴な私からしてみたら、これからドンドン暑くなっていくというのにあんなに汗をかきながら走っていくのは苦行にしか見えない。スポーツ好きな人って、マゾなのかな。
それに、失礼なことを言ってしまえば、彼らがプロの選手や日本代表の選手になるのはきっと無理だと思う。
スポーツ選手って名門の高校、大学で鍛えられてプロになるイメージなんだけど、こんな河川敷でボールを蹴っている彼らは、環境的にも年齢的にもそういうところまでは辿り着けないんじゃないかということは、素人の私でも分かる。
それでも彼らは楽しそうに、自分達がサッカーをすることに対して何の疑問も持たずに走り回っている。
その純粋さがどこから来るのかも分からない私は、もしかしたら人として大切な感情の何かが欠けているのかもしれない。
夕焼け空の下、私は自分自身への寂しさも感じながら家路に向かった。
いつも通り仕事をしていると、私の指名が入った。
長く働いているからなのか分からないけど、一応うちの店で一番人気な私を予約せずに指名してすぐに入れるのは珍しいことだ。どんなお客さんだろう、初めての人かな。
そんなことを考えながらブースへ向かうと、いつかの変なお客さん、カズヤがいた。
私が覚えていることを彼は意外そうにしていたけど、そうそう忘れるはずがないよね。
以前は本来の仕事ができなかったから今日こそは、と思っていたのに彼は今度も脱ぎすらしなかった。相談内容は、彼のことではなくなってたけど。
カズヤの話を聞いていると、彼はどうやらその先輩に信頼されている……というか、頼られているのかなって感じ始めた。
人間って汚い部分を絶対に持ってると思うんだけど、それを他の人に見せるのってかなり難しいことだから。他の人も自分と同じで人に見せたくないところがあると分かっていても、自分からそれを見せるのはかなりの勇気と、相手への信頼が必要だから。
きっとその先輩にとって、カズヤは必要な存在なんだろう。そう思うと、つい羨ましいという言葉が漏れてしまった。
カズヤの話を聞き進めると、彼はサッカーをしているらしい。それも、大学の部活やサークルではなくて、この間見かけたような大人のチームで。
同世代とやった方が感覚の近い友達も増えて楽しいと思うのに、何でわざわざとは思ったけど、そんなことを私なんかが指摘するのも気が引けて、黙っておくことにした。
天皇杯が何かはよく分からなかったけど、試合もある、ちょっと本格的にやっているチームなんだってことだけは何となく私にも分かった。
河川敷を散歩しているときに感じた寂しさの原因が、カズヤのサッカーしている姿を見てみたら少しは分かるのかな。私と同い年だし。もう、全く知らない人ってわけではないと思うし。
冗談半分興味半分で試合の予定を聞いてみたら、私の休日と被っていた。
とは言え、店の中でそういうことをこれ以上話してしまうと、スタッフやほ他の女の子に目をつけられてしまう。
私はそこで話を打ち止めるように冗談だと彼に告げ、彼もそれが分かっていたかのように反応をしていた。 二回しか会ったことのない風俗嬢がプライベートのサッカーを見たいなんてことを本気にするのは、よっぽど女気の無い男くらいだろう。カズヤにはこの間まで彼女がいたらしいし、そんな人は本気にしないってことも分かっていた。
その後はカズヤのサッカー話を聞いていた。小学生の時に始めたんだけど、初めは練習が辛くてクラブに入ったことを後悔してたとか、でも同じ学年で最初に試合に出してもらえるようになって、楽しくなってきたとか。
歳が近いからなのか、それとも話が面白いからなのか。カズヤと話していると時間が流れるのが速くて、あっという間に終了の時間が訪れた。
「あ、時間だ……」
私がそう呟くと、彼は申し訳なさそうにこう言った。
「何かごめんね、いつも話してばかりで……」
「ううん、私は話せて楽しいし、全然。むしろ、ありがとうね、来てくれて」
その返事に、少し安堵の表情を浮かべて彼は一息ついた。そんなに気にしなくて良いのに。
イケずに終わるとそれについて文句を言われることはたまにあるけど、カズヤみたいに謝ってくる人なんて、他にはいない。
ただ、安くはないお金を払って来ているはずなのに、これで良いのかなとは思ってしまう。私以外にもそういうことを話せる人を作った方が良いんじゃないかな……っていうのは、聞かれてしまったらスタッフに怒られちゃうから黙っておくけど。
「じゃ、行こっか」
立ち上がった彼の手を恋人繋ぎにして、私たちは歩き始めた。もうちょっと話したかったな、もっと色々聞いてみたかったな。そんな気持ちはあっても、時間が来てしまっては仕方がない。
手を繋いでいても、彼は私とは違う世界の人だ。この暗い部屋から出て行ってしまうと、また別世界に戻って行ってしまう。寂しい気持ちもあるけど、私はそちらへ行くことはできない。
だから私は祈るしかない。彼がまた、こちらの世界に来てくれることを。
心から。
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