第参陣 怪異事変ハ唐突ニ


「……壮絶な過去を経験なさっているんですね……」

「りゅーちゃん……」

「だからりゅーちゃんはやめろ」


 時は経って現在。剣持兄弟の屋敷が一角。

 太陽は西に傾き、東の空は徐々に夜の顔を見せ始める夕刻。風が運ぶ初夏の空気もどこか暖かさを失い始め、ひんやりと肌を冷やす。猛暑続きだった筈の空は薄く雲が蓋をし、異様に冷えた空気は彼の不幸に同期するようにじんわりと忍び寄ってくるようだった。


「なるほど……あの異常な殺気みたいなものは、お主に取り付いた西洋の式神みたいなものの所為か……」


 腕を組み直し、時三郎は思い出すように首をかしげながら眉をしかめる。


 己と対峙した時のあの姿。


 紅く煮え滾るような肌、般若のような面、そして怒れる獣のような暴走気味の剣術は明らかに「異常」だった。


「半分正解だ。ああゆう身体になるのは鬼自体の性質だが、狂っちまうのは魔神の代償。奴曰く、意識の一部を乗っ取っているそうだ」


「ということは...もしかして龍之介さん、今私たちを殺す方法が見えているのですか?」


「いや、今は見えちゃいねぇ。見えるのは時雨を持っている間。それに「」と思わなきゃ俺が修羅になることもねぇ。」


 その言葉を聞き、辰之進は安堵の表情を見せる。少なくとも今は危険ではないようだ。と彼は胸をなでおろした矢先、龍之介は暗い表情になりながら「だが、」と言葉を続けた。


「奴は殺しを楽しんでやがる。もともと知識だけが先行し肉体を持てず人を殺せなかったが、俺に取り付くことでそのタガが外れた。最近じゃ街中を歩くだけで奴が心に囁いてきやがる。「殺せ。血を浴びろ。お前の剣は美しい」ってな。うっとしいったらありゃしねぇ。」


 よいしょ、と彼は寝巻きのまま布団から立ち上がった。


「……そいつを聞くたび、俺は修羅の衝動に駆られちまう。殺したいわけでもねぇのに。こいつと契約したあの日、生き延びるためならなんでもすがる勢いだった。だが今じゃこいつはいらねぇ。……俺は俺のケジメを付けるため、こいつを除霊しなくちゃなんねぇんだ。」


 己の右掌を見つめ、ぎゅっと握りしめる。


 この手が、この腕が、多くの命を奪った。敵意ある者から女子供に至るまで。たとえそれが自分の意思でなかったとしても、力を求めたのは自分自身だ。


 みしみしと音を立てる拳に歯ぎしりしながら、彼は己でない自分にただただ屈服するのみだった。


「……うん?龍之介殿に、ではなく時雨に取り憑いているのか?ならばその剣を捨てれば万事解決じゃあ……」

「一度、海に沈めてやった。だがそしたら望月の方が苦しみ始めた……って言うのも、俺の頭ン中に「苦しい、苦しい」って囁いてきやがったんだ。で、な。本当にとらが苦しんでんのか、はたまたアンドラスが魔神の力で声を変えているのかわからねぇ。そいつを聞かされて、やっちまったかと思ったその時、目の前にさっき沈めたはずの時雨がぷかぷか呑気に浮かんでやがった。手にとってみれば、とらの声は聞こえなくなった……。そういう理由わけだ。」


「……そうだったのか...無遠慮に聞いてしまって申し訳ない。それともしかして龍之介殿……いま虎之助殿は苦しんでおられるのか!?」

「いや、囁き声がするのは時雨だけを手放した時だ。今はどちらも手元にねぇから聞こえねぇ。そういえば、俺の時雨と望月は?」

「あ、ああ……君の剣は……」


「辰のアニキ!大変ですぜおい!おろ?あんたは……」


 突如塀より金切り声。猿のように耳つくその音はかなり急いでいるようだ。 声の主を見てみれば、宙に浮かぶ白い布。その他に特徴を挙げるならば、わずかに二つの切れ目が横一直線上に並び、あたかもそこに目があるように裂けている。


「一反木綿さん!何があったんですか!?」

「あっしは絹製ですぜ……じゃなくて、街で暴れている妖怪がいやがるんですぜおい!退治しましょうぜ!おい!」

「さっそくですか……龍之介さん!行きましょう!初仕事ですよ!クロちゃんさん、りんさん!留守番お願いします!」

「はーい!」

「わかりました。」

「さぁ、行きましょう!」


 龍之介に簡素な着替えを渡し、急ぎ足でそう告げる。渡された衣服は青を基調としたもので、なぜか身体にぴったりと丈が合っていた。


「あれ?時雨が見当たりませんね……仕方ありません。望月一本でお願いします!龍之介さん!」

「お、おう……」


 着付けも悠長に待っては貰えず、手こずる彼の足元にごろりと望月が転がった。時間がないと悟った彼は雑でも素早く紐を締め、早足で辰之進の後を追った。

 元いた茶の間から廊下へ。中庭の質素な庭園を横目にまっすぐ進んで突き当たりを右。そこに辰之進の背中があった。


「木綿さん!場所はどこですか!?」

「だから絹ですって……橋の方です!ってあんた新人か?俺ぁ一反もめ……絹だ!よろしくなぁおい!」


 玄関らしきところに木綿はいた。相変わらず宙を漂い、ひらひらと揺らめいている。

 草履もなしに飛び出した龍之介を引きとめようと辰之進は声をかけるも、「なしでもいい」と突っぱねられてしまった。辰之進も急いで履物を履き玄関を飛び出したが、さすが鬼と言うべきか、追いつくまでに少々時間がかかってしまった。


「龍之介さん!妖怪に会ったら、とにかく動けなくして下さい!私が呪符を貼って鎮めます!よろしいですか!?」


 ぜぇぜぇと息を切らしながら彼は龍之介へ忠告する。「」と真剣な目をする彼の瞳を見、息一つ乱さない龍之介は「あいよ」と簡素に答えたのち、辰之進に合わせペースを少し落とした。


「へぇ、龍と辰、似た者同士ですなおい!次の角を左で見えてくるはずですぜ!」


 屋敷の塀沿いから抜け、場所は表通りへ。徐々に商店が両脇に並び始め、人々の活気が顔を出す頃。奥に見える妙に人だかりのある方へ曲がってみれば、怪異はすぐ目の前で起きていた。


「うらぁぁぁぁ!!」


 血走った目をした男が何かを振り回している。一薙、二薙すればぶん、と風を切り、その度に群衆から悲鳴が上がる。

 手に持つ得物大きくせり出した歪な刃を携え、厚さ全長共に通常の木刀をはるかに上回る質量を持つ巨大な木刀。

 龍之介が得物、時雨である。


「この野郎ッ!!」


 人混みの外側からその姿を覗いた彼は走った状態のまま膝を曲げ体を折りたたむと、幾数にも重なる群衆の頭上を飛び越えた。

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