第弐陣 鬼ト剣ト、血ト死ト弟
……昔、鬼と人間とが共存して暮らしていたというのは知っているな?
最近じゃあ鬼っつーもんは野蛮で横暴で、人間から忌み嫌われた存在と伝わっちゃあいるが……まぁその、半分くれーは本当だ。鬼の中にも自分の力に酔い暴れまわるやつだって少なからずいた。だがな、鬼の中にも理性を持った奴らもいる。俺がいた集落はそんな理性のある鬼と人間とが共存して暮らしていた。あの「お
覚えているか?……そうだ。「
……ああ。話を続けよう。俺と俺の家族が集落から隔離され、その隔離先が備前の国の離島。人間たちはこいつを「鬼ヶ島」と呼んでいたそうじゃねぇか。
……そうだな。桃太郎を知ってりゃあそう聞きたくなるのもわかる。だがその話はあとだ。んで、なぜ鬼を危険視するならば殺さずに島流し同然の目にあわせる必要があるか?そしてなぜ俺のように鬼を生かす必要があったか?
……まぁ、普通に考えりゃそうなるな。幕府は「鬼にしかできないことをさせたかった」もしくは「鬼を利用してがっぽり稼ぐつもりだった」ってわけだ。で、その計画のうちの一つが「阿片を俺たちに育てさせる」というモンだ。目的はそれだけじゃねぇ。幕府は俺たちを生かしておく代わりに俺たちを使って阿片の実験を始めやがったんだ。俺たち鬼は角と力を除けばほぼ人間と同じだからな。
で、ここからが本題だ。俺と俺の弟はある日、──ああそうだ。俺には弟がいた。謙虚で、頭が良くて、気の回るいい弟だった。詳細はこれから話す。まぁとにかく、幕府の役人たちがなにやら話をしているのを聞いちまったんだ。当時俺と弟は村にいた剣の心得のある
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三年前、鬼ヶ島。村から少し離れた場所にある秘密の修練場にて、二人の
「はっ!!」
「うわわっ!」
練習用の竹刀を片手で振り回し、型に縛られない自由な剣捌きで相手を翻弄する鬼の子。龍之介。当時齢十四。漆黒の頭髪はあらゆる方向へツンツンと尖り散らし、ツリ目であることも相まって、いかにも「わんぱく少年」といった風貌である。
「とお!はあ!せやっ!」
「ちくしょー!あたれぇぇ!!」
練習用の竹刀を両手で持ち、型を忠実に守り的確な判断力で次々と龍之介の剣をいなす鬼の子。虎之助。当時齢十二。漆黒の頭髪はきっちりと整えられ、垂れ目であることも相まって、いかにも「文学少年」のような風貌である。
二人は毎日の日課、秘密の修練場で日が暮れるまで自主練習を行っていた。時間が細かく決まっていないのは、夕方となればこの場所は水平線へ沈もうとする真っ赤な太陽に照らされ、海は輝き森は赤に染まり、非常に幻想的な風景となるため、集中できなくなるためだ。その他この島には明かり自体が少ないため暗くなってしまうと帰れなくなってしまうためである。
「っはぁぁー!!今日もつかれたぁぁぁぁ!!」
「あはは、にぃさん。無駄な動きが多いからだよ……」
「うっせー!第一虎之助は俺の剣受けてばっかでつまんねーんだよー!」
「なにおう!肉を切らせて骨を断つというんですよ!それを言ったらにぃさんだっていちいちスキが大きいからいくらでも叩くことができるんだけどそれしたら怒るでしょ!?」
「なにぃ!?とらお前加減してたの!?」
「そうだよ!まーもー今日は遅いから帰るよ!」
「あっ!おいとら待てよ!置いてくなってー!!」
海沿いの景色のいいところだけを通り二人は帰路についた。潮の波風が頬を撫で、疲れた体を癒してくれる。「今日はこっちから帰ろう」と龍之介がいつもと違う道を指さした。海に面した岩場はいつも通っているから、という理由で林道を進んだが、これがのちの命運を分けるとは知る由もなかった。
長く緩やかな坂道を下った先、いつも村に帰る目印にしていた「お化け石」と名付けた巨大な岩の上によじ登り、水平線を傍観していた時、龍之介は彼方に見える帆船の群れを視認した。
「おいとら……あれなんだと思う?」
「うん?……ただの観察藩……じゃないね。明らかに武装している。」
「おい!…もしかしてあの話、本当だったんじゃないか!?」
「たぶんそうだね……にぃさん、僕、村のみんなにこのことを伝えてくる!兄さんは道場からありったけの武器を持ってきて!集合は修練場。日が暮れても僕が来なかったらにぃさんだけでも逃げて!」
「お、おい……とら、大丈夫かよ……」
稽古をつけてもらってから、初めての実践。おそらく真剣を持つだろう大人たちに立ち向かおうというのだ。もしかしたら死ぬかもしれない。もしかしたら身内の誰かが殺されてしまうかもしれない。そんな死の恐怖を前に少年は兄としての尊厳を忘れ、うなだれた。
「大丈夫。」
だが、弟、虎之助の目に曇りはなかった。
「にぃさんならやれるって、信じてる。僕に剣を教えてくれたのもにぃさんじゃないか。僕はにぃさんからたくさん勇気をもらった。次は僕がにぃさんに勇気をあげる番だ。こんな時に頼れるのはにぃさんしかいない。」
「とらぁ……」
どうしてこんな時でも、こいつはこんなに前向きなんだ。死ぬかもしれないってのにのんきなやつだ。いや、違う。俺がしっかりしなくちゃいけない。
心の中でそう唱えた。
「頼んだよ。にぃさん。」
「……お"ゔ!!」
俺は、こいつの兄貴なんだから。
二人は別れの抱擁をした後、それぞれの使命を果たさんがため、走り出した。
数刻後、村の道場にて。
「これとこれと...あとこれも持っていけるな」
鬼達がこの島に移住した際、幕府からは「家屋も自ら建てろ」と命ぜられ、自分が住む家から農具の倉庫まで自分たちが全て建てたが、鬼達はそれを逆手に取り、先祖代々受け継いだ家宝を保管する隠し部屋を多数配置した。そのうちの一つ、祭事に利用する儀礼剣や家宝の刀剣を隠すため、同じく武器庫があってもおかしくは無い道場の隠し部屋に龍之介はいた。もちろん建設時には幕府から「こんなもの要らないだろ」と指摘されたが、「ここで精神を磨くことで幕府に対する忠誠心を培う」という理由の元、この道場の建設が認められた。
「......あとこれかな」
刀剣が至る所に生える武器庫の、その壁に悠々と抜き身の状態で掛けられた剣を見つけた。
望月の晩にのみ打ち、新月の晩にのみ研ぐ。月の光を一身に受けた、陰陽系の祭事には必須とされる儀礼剣。「望月」。
あれから祭事を行うこともなくなったためここ数年間使われた形跡はなく、埃すら被っている始末だが、美しく弧を描く刀身は今も鈍色に光り続けており、その刃には妖艶ささえ感じられる。
「どうせ使わないんだし、もってっちゃお。鞘は...これでいいか。」
辺りの刀剣のように乱雑に放られたものよりも掲げてある「すごそうな剣」の方が幾分ましだろう。
「こんなもんかな...よし、行こう!」
腕いっぱいに木刀やら刀やらを抱きしめ、龍之介は外へ飛び出した。まだ太陽は西の空に輝き、世界を橙色に染め上げていた。
「みなさん信じて下さいって!幕府が僕らを消そうとしているんです!!」
と、太陽の位置を確認している龍之介の耳に、虎之助の悲痛な叫びを聴いた。
「おいおいとらよ。幕府が俺たちを消す理由がねーだろ?」
「そーよ!私たちがいなくなれば誰が阿片を作って儲けるのよ!幕府も私たちが大切な収入源だって分かってるはずだわ!」
「で、でも!とにかくここは危ないんです!夜になれば殺し屋達が来て、僕らを抹殺しようとするんです!!」
道場から茂みを挟んだその先、村の広場の方に住民を集め、虎之助は必死に弁明していた。しかし鬼達は昼間の農作業で疲れているためか、早く家で休みたいと話半分に聞く者、否定するだけ否定する者、途中で帰ってしまう者など、耳を傾けてくれない様子だ。
「おーいとら!大丈夫か!?」
と、茂みから顔を出していた龍之介は虎之助の状況を知りたいがために広場へ足を踏み入れた。
「あっにぃさん!駄目だよ全然聞いてくれない!」
後方からの聞き慣れた声に安堵し、茂みの方へ振り返る。逃げ出したいほど恐ろしいこの状況から逃げるように龍之介へ声をかけるが、現在の彼の様子を見た瞬間、虎之助の背筋が凍りついた。
「……って、そうだにぃさん!隠れて!!」
今の彼は腕いっぱいに他人の家宝や儀礼剣を抱え、盗み出そうとする小悪党同然の姿なのだ。
「へ?」
「おい龍之介ぇ!何やってんだお前は!」
(しまった!!)
知った後にはもう遅い。背中に誰かの怒号を受け、恐怖のあまり萎縮してしまう。
「あ……みなさん!剣を取って下さい!幕府と戦うんです!!」
「虎之助ぇ!お前も何言ってんだ!阿片でアタマおかしくはなっちまったのかよ!!」
「ち...違います!幕府がすぐそこに...」
「幕府幕府って、やつらが俺たちを殺す理由がないだろ!?」
「ありますって!ここで阿片を作っていることがばれて……」
「あーもーうるせぇ!みんな、とにかく龍之介をとっ捕まえろ!!」
「うおぉぉぉぉぉ!!!」
鬼達は咆哮を上げながら突進する。以前までこの村で仲良く暮らし、平穏だった日々が音を立てて崩れてゆく。
「おいとら!とら!!ずらかるぞ!!」
「なんで……僕は……ただ.……みんなに……」
もともと虚勢を張ってこの場に人を集め、善意をもって皆に警告した。しかしそれは阿片に狂った哀れな子供の戯言と見なされ、挙句の果てには村の皆に牙を剥かれる始末。虎之助はこの瞬間、神の存在を否定した。
「あーちくしょう!!とら行くぞ!!」
持っていた全ての武器をその場に投げ捨て、茫然自失の虎之助を担ぎ上げる。とにかくもうこの島には戻れない。そんな事実を脳裏から拭い去るように龍之介はただ逃げることだけを考え、脱兎のごとく走り出した。
「……っはぁ……っはぁ……」
こんな時ばかりは鬼でいて良かったと龍之介は皮肉交じりに感じながら、ほぼ無尽蔵の体力で島を駆け回った。
森を抜け、川を越え、橋を渡って洞窟へ。
運良く見つけた洞穴へ潜り、入り口から見えない位置に虎之助を安置する。未だにぶつぶつと何かを呟く様は兄である彼にとって非常に痛々しい光景であった。
「おい!とらおい!目を覚ませ!」
ぺちりぺちりと頬に張り手を食らわす。傷心した彼をさらに痛めつけることは心苦しいものがあったが、気付けにはこれが一番だと龍之介は知っていた。
「あっ……えっ……にぃさん?足!大丈夫!?」
「ん?……ああ。大丈夫だ。」
裸足に草履の龍之介の足は道中の逃げる過程で枝やら石やらを踏みつけ傷だらけとなり、右足の草履に至っては何処かで無くしてしまった。正直ズキズキと痛みがこみ上げてくるものの、今の虎之助の前ではそんな姿は見せられないと、龍之介は虚勢を張った。
「それに……にぃさん……ごめん……誰も説得できなかった……」
膝を抱え縮こまりながら、己の不甲斐なさに虎之助は涙した。彼のすすり泣く声が洞窟内に反響し、一層悲しげな雰囲気を作り出す。お節介な自然の摂理に呆れながらも、龍之介は彼を抱きしめた。
「……気にすんな。俺たちは正しいことをした。注意だって呼びかけた。それでも大人たちは信じなかった。それだけだ。」
お前は良くやったよ。兄として、誇りに思う。
その二言は口に出さずとも虎之助の心に響いた。
彼の目に涙が溢れる。
互いに信頼しあえることが、こんなにも幸せだったなんて。
頼れる兄の腕の中、世界で一番安心できる所で彼は溜まりに溜まった感情を吐き出し、龍之介はそれを受け止めた。その時だけは洞窟も音を反響させるのを止め、二人の存在を外界から隠し仰せた。
「...ありがとう。にぃさん。」
「そいつはこっちの
すっきりした。そう言いたげな虎之助は目尻に涙を残しつつも、その表情に笑顔を取り戻した。
「そう言えばにぃさん。武器はどうしたの?」
「……すまん。お前を担ぐので精一杯だった。」
「……いや、僕のせいだよ。足引っ張っちゃってごめん……でも、武器がないんじゃあどうやって役人たちを切り抜けられるかな……」
「やっぱ隠れながら行くしか……」
「そうだね。僕達は仮にも鬼だし、囲まれなければ……」
「シッ!誰かいる……!」
龍之介は耳に手を当て、人差し指を立てる。
「おい!龍之介は見つかったか!?」
「ちくしょうこっちにゃいねぇ!」
「ったく「望月」を持っていくたぁバチ当たりなやつめ!!」
「……望月?にぃさん、剣は置いてったんじゃないの?」
「これに関しちゃ全くわからん……とにかく奴らは俺たちを探してる。ここいたら見つかるのも時間の問題だ。」
「そんなことはないぞ。」
突如、第三者の声。それは洞窟の入り口から聞こえた。他の鬼たちが兄弟を探している中、的確にこの場所に隠れていることを見抜ける男は一人しかいない。
「オヤジ!!」
「とーさん!どうしてここが!?」
「お前らのことなんて全てお見通しなんだよ。生まれた時から知ってるからな。」
低く安定感のある声を持ち、顎に生えた無精髭が特徴の男。兄弟が父、烏丸。当時齢三十七。頭脳、体力ともに鬼の中では高水準にある男だが、性格に難がありすこし扱い辛い。二人はこの人物の有能ぶりを知ってはいるが、あまり尊敬をしたくないと思っている。
「それと虎之助。」
「えっ……何?」
だが、それも今日までだった。
「良くやったな。」
にっ、と烏丸は白い歯を覗かせた。子供のように無邪気で曇りないその笑顔は、ただ純粋に子供の成長を褒める父親の顔であった。
「あ……えへへ……」
「でよオヤジ!そんなことはないってどういう意味なんだ?」
「そのまんまの意味だ。ほれ。」
龍之介の頭にハテナが生まれるが、それを完全に無視してがちゃり、と鈍重な二つの何かを目の前に落とした。
「こいつは……?」
赤の日差しに照らされ、橙色に染められる黒の鞘。収められた刃の柄の部分を見てみれば、倉庫に抜き身で飾ってあった儀礼剣だと推測できた。
「こいつが望月。でこいつが時雨。」
もう一方の刀を指差す。それは今までに見たこともないような形をした木刀だった。刃に当たる部分は柄の先端からではなく側面から伸び、まるで「つ」の字のような形で柄を覆っている。
「これが望月……って、オヤジが持ち出してたのかよ!」
「ったりめーだろ!丸腰で幕府に立ち向かう奴がいるか!」
「時雨……?なんだろう……知らない剣だな……それととーさん、今なんて言ったの!?」
「あん?剣がねーと自分を守れねぇって言ったんだよ。」
「それってつまり……」
「オヤジ……!」
「ああ。」
烏丸はただそうとだけ呟くと、二人を抱きしめた。硬い胸板が二人のおでこを圧迫するが、ごつごつしていながらも温もりを感じる抱擁に二人は悪い気はしなかった。
「息子を信じねぇ親がいるかよ。」
「オヤジィ……!!」
「とーさん……」
ロクでもない父親だと思っていたが、それでも自分らの父親なんだ。この時二人は改めて彼の存在に感謝した。
「でもこの前笑い飛ばして……」
「おっと誰かが来たようだ。」
「ちょっ……」
洞窟の入り口へと烏丸は小走りする。外へ一歩踏み出した後、彼は振り返って二人の顔を眺めた。夕日に横顔を照らされ、寂しいような満ちたりたような笑みを浮かべると、一言「じゃあな。」と呟いて走り去っていった。
「おい!烏丸!お前の息子どこいっちまったんだよ!」
「さぁな。あいつらも思春期だし、現実から逃げ出してぇ時だってあるんだよ。」
「いや現実っていうか家宝持ち逃げされてんだけど!?」
「うるせぇなぁ。男だったら一度や二度ぐらい社会に反抗したくなんだろ?夜の校舎窓ガラス壊して回ったりよ。」
「全然言ってる意味分かんないんだけど!?窓ガラスって何よ!?」
「ま、夜になりゃ観念して帰ってくんだろ。最後に倉庫から持ち出された武器を確認して、今日は終わりだ。」
「まったく……...お前もお前の息子も破天荒なやつだな……」
「……どうやらとーさんが匿ってくれたみたいだね……」
「でもよ……どうする?村のみんなは丸腰だし、このままだとみんなを救えない……」
「いや、武器に関しては大丈夫なはず。とーさん、さっき武器を確認するって言ってた。あれはすぐ手に取れる位置に武器を用意して、とっさの戦闘に備える為……だと思う。」
「となると、俺たちがやるべきことは……」
「お化け石のところに戻って、始末屋を後ろから叩く……ってことだね。彼らはおそらく暗くなった直後にやってくる。視界が悪いから少数班ごとに分かれてくるはずだから、それを一個一個壊滅させればいい……かな。」
「……とら、お前……なんかすげぇな……」
「まだ分からない。もしかしたらすでに包囲されてるかも知れないし、少数どころか物量作戦でやってくるかも……」
「ま!とにかく行ってみなきゃ分かんねーだろ!お前は望月を持って行ってくれ。」
「……うん。時雨を任せたよ。」
「おうよ!」
日が没するまであと僅か。二人の鬼の子は、ともに生きて暮らすことを誓い合った。
夕暮れを過ぎ、闇夜の帳。西の光は朧げに、紅残して空を去る。漆黒深し海原覗けばおいでおいでと手を招く。夕凪、さざ波、 鳴くいそしぎ。温もり消えた港に浮かぶ、帆船三つを隠しては、あれよあれよと風なびく。
「なぁおい。鬼っつー妖怪は一体どんだけ強ぇのよ?」
つれづれなる舟の上、二人の男は閑談する。役所の命にてこの地に参り、受けた職の名「見張り番」。肌刺す潮風耐えかねて、見知らぬ男に声かけた。
「聞いたところによれば五斗俵を片手で軽々持ち上げるそうだ。頭は悪いらしいがな。」
「ほう。ならばこっちは作戦で勝つってか。奴らは俺らに気づいてねぇし、こりゃ今回は楽勝だな!がっはっは!」
「ところがどっこい。」
剣を振る。
停泊していた崖の茂みより出でた四つの瞳は宙を駆け、二人の見張りに手をかけた。がん、ごん、と頭を打つ音港に響けば、再び静寂が辺りを包む。
「ふぅ。うまくいったね。」
転がる見張りの泡を見て、鬼は安堵の息をつく。第一段階終了と。
「よし。しんがりは倒したから、次は始末屋か?」
まことの仕事はこれからだ、と鬼は村の方を見る。得物を強く握りしめ。
「そう。手加減無しで行こうか。」
二人の鬼は目を合わせると、島へ降り立ち走り出す。獣が如く、気配も音もないままに。木の葉と枝と、幹と根と。あらゆる影に目を凝らす。南側から西側へ。虎之助が察するに、奴らは村の周りを囲い、奇襲を仕掛けるつもりらしい。帆船の数、そして目立った侵攻もないことから、彼はそのように推測した。
数刻後、村の西側十丈あたりに敵の影。四人の始末屋は黒装束を見に纏い、じっと何かを待っている。
「さすがだな。俺は上から奴をやる。とらは下から攻めてくれ。」
小声で手前の敵を指す。
「わかった。それとにぃさん。他の三人は倒しても、一人残して逃げさせて。」
「そいつはなぜだ?」
「異常が起きたら他の部隊に連絡するはず。そいつを追って部隊の居場所を突き止める。」
「成る程……わかった。じゃあ行くぜっ!」
瞬間、風を、大地を踏み台に、彼は敵へと飛翔した。右手に持った歪な木刀振り上げて、力任せに腕を振る。黒装束の始末屋は未だに彼に気付かない。
「おごぁ!!」
超重量が敵の頭蓋を粉砕した。始めて感じた「命を奪う」感覚に彼は強い不快感を抱いたが、ここで殺らなきゃ殺られるだけだ。と己を奮い立たせた。
「敵しゅ...」
もう一方の黒装束は仲間に警告しようとするも、虎之助の剣に意識を奪われた。
「畜生!」
残り二人。鎖鎌とおそらく剣士。剣を持った方は森の奥へと姿を消し、鎖鎌が立ちはだかる。右手に鎌、左手に寸胴。それらを鎖で繫ぎとめ、打撃と斬撃、ともに使える武器である。
二人は茂みに身を隠し、攻めの合図を待ち受ける。敵は寸胴を振り回し、臨戦態勢で夜闇に染まる林を睨みつけている。
「とら。行ったな。」
小声で虎之助に耳打ちする。作戦通りだと、龍之介はほくそ笑んだ。
「うん。ちゃっちゃと終わらせよう。時雨を上に投げて!」
武器を投げる?
言ってる意味こそ分からないものの、とにかく龍之介は彼を信じてみた。
「こうか?」
時雨を真上に投げ上げる。一瞬「其処だ!」と声がしたのち、鎖が時雨に巻きついた。
「よし!!」
虎之助はそう言うと、這いずる形から敵へ飛び出す。鎌使いはその鎖をかなりの重量を持つ時雨に巻きつけてしまったことで解くことができず、突如現れた虎之助に対する反応が一瞬遅れてしまった。
「ふん!!」
「ぐぅふっ!?」
どさり、と男は地に伏した。龍之介は時雨に絡んだ鎖を解き、虎之助へと走り出す。
「かたじけねぇ!追うぞ!」
────その時だったっけな。俺がとんでもねぇヘマをしちまったのは。────
「おうわっ!!」
彼の右足に何かが触れ、姿勢を崩し転んでしまった。ピンと張られた縄は揺れ、からんからんと鐘が鳴る。始末屋の張った陳腐な罠に龍之介は引っかかったのだ。
静寂広がる夜の森、甲高い鐘は響き渡る。こだまのように彼方へ届くその音は、彼らにとって地獄の旋律を奏でていた。
「にぃさん!」
「やべぇ!速く逃げねぇと!」
焦った二人は逃げ出した。己が命を守らんために。消えた剣士を追うのを止め、とにかくこの場を離れたい。そんな一心で走り出す。向かう方角は西。
「クッソすまねぇ!引っかかっちまった!」
「気にしないでにぃさん!僕の予想が甘かっただけ!...それにこれは好機かもしれない!」
虎之助は膝を曲げ体を折りたたむと、走る勢いをそのままに、高く大きく飛翔した。
「よっと!」
木の枝へと飛び移り、立て膝ついて龍之介を見下ろす。
「おいとら!どういうことだ?」
下方から吠えるように彼は尋ねた。
「今の罠は敵の位置を知らせるもの...敵の位置を知ったら彼らは、倒しにくるでしょ?」
自慢げな笑みを浮かべ、虎之助は木の幹の体を預けた。まるで子供が友人を弄ぶように。
「なるほど...その戦略、乗った!」
集まったところを、一斉に始末する。単純明解な策と知った彼は同じように高く飛翔し、虎之助の隣の枝へと舞い降りた。
「じっと...待つんだよ...物音を立てずに....」
「俺は木...俺は木...俺は木...俺は木...」
存在感を消し、自然と一体となって辺りの気配に神経を尖らせる。
風の
静寂、静寂、静寂……時折見せる「命」の気配もすぐに姿を闇に消し、いつまでたってもやってこない。
(まだか...まだかよもう...)
(もう少し...もう少しだけ待って...!!)
幾分経った時だろう。兄弟の膝が痛み始め、同じ体勢をとるのも辛いと脳裏をよぎったその時、二人の黒装束が姿を現した。
彼らは暗殺者らしく腰を落として辺りを見回し、用心しながら歩を進めている。
(よっしゃ来た!来た!とら、合図は!?)
(二人か...にぃさんは右を。僕は左をやる。この枝の下に来たら仕留めて。やった後はそのまま右を見ててね。)
(あいよ!……そろそろだな……三……二……一……)
二人の男は枝の下へと潜り込み、絶えず辺りを見回している。その六尺頭上に獲物が潜んでいるとも知らずに。闇夜に揺らめく赤の目四つ、尾を引き大地へ身を堕とす。
「せやァァ!!」
「ふんっ!!」
一方は敵の頭を粉砕し、もう一方は敵の懐を切り裂いた。飛び散る赤の血は気味の悪い香りを放ち、鉄の臭気が鼻をくすぐる。
────ように思えた。
「なにぃ!?」
龍之介は叫ぶ。
黒装束の男たちは巨大な盾を構え、二人の剣を途絶えさせた。鬼の渾身を受け止めて、なおもその身に傷はない。盾を持つ男の顔を見てみれば、あの時逃げた剣士。にやり、と男が笑った気がした。
「お前ら!かかれぇぇぇ!!!」
「うおぉぉぉぉ!!!」
轟く怒号、荒ぶる群衆。気づいた時にはもう遅い。兄弟を囲うように現れた十数の黒装束は思い思いの武器を持ち、彼らを葬らんと襲いかかった。
「ちくしょぉぉぉ!!なんでだ!!なんでなんだよぉぉ!!」
奇襲を仕掛けるつもりが、逆に嵌められてしまった。わけがわからない状況だが、無駄なことなど考えてられない。龍之介は己の明日を守るため、死に物狂いで剣を振るう。鬼という恵まれた体質と未熟ながらも得た剣の知識を武器に彼は暴れまわった。
「くっ!!てめぇらガキの考えることなんざ手に取るように分かるわ!その上俺様が見張ってたからなァァァ!!」
龍之介の剣を受け、剣士は叫ぶ。苦痛に顔を歪めるも勝ち誇った表情は変わらず、彼の怪力を手練れらしい技術でいなしきる。
「どけぇぇ!!どけぇぇぇ邪魔だァァァ!!!」
「はぁ……はぁ……」
だがその勢いも、長くは続かなかった。
始めに比べ攻めの勢いも剣のキレにも粗が目立つ。しかし十数の手練れと手合わせしたために彼は「良い動き」と「無駄な動き」を理解し学び、研ぎ澄まされた彼の剣は徐々に腰を落とす姿勢へと昇華していった。
「おい!とら!大丈夫...か....」
敵の数も減り、余裕も出てきた頃。今まで気にすることも出来なかった弟に対し目を向けたその時、彼の思考は止まった。
「にぃさ……」
虎之助はその声に反応を返しこちらに顔を向けた。可愛げのある弟の顔は兄の生存を喜ぶ笑みを浮かべ、鬼とは思えないほどあどけない表情をしていた。
その瞬間。
すぱり。
と彼の首が飛んだ。
それはあまりにもあっけなく、あまりにも哀れな最期だった。首と胴体が切り離されたために表情は瞬時に真顔染みた顔となり、ゆっくりと宙を舞う。その様子は龍之介の目に「心の底では兄を憎んでいた」と映り、正気の感じれられない肉の皮からは計り知れないほどの怨念を放っているとさえ思えてしまった。
世界は龍之介を包み込み、彼以外の時の流れを遅延させる。
虎之助が死んだ。
目の前で死んだ。
あいつの顔は俺を恨んでいるようだった。
確かにこの状況は俺が招いた。
俺が招いた結果、とらは死んだ。
つまり俺がとらを殺した。
俺が殺した。
殺した。
殺した。
殺した。
殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した
渦巻く失意は彼を蝕み、身を焦がす罪悪感は精神を破壊する。
望みが絶たれた彼の目は虚ろに、失われた光は深い闇に堕ちた。
その折、龍之介の頭に見知らぬ声が響く。
「人デ無キ者、我ガ力ヲ欲スルカ。」
ひどく滑らかで鈍重、かつ美しく艶やかな声色。聞き入ってしまうほどに心地よく響くその音は、龍之介に問いかける。
「鬼ノ子ヨ。彼ノ死ヲ無駄ニスルノカ?」
再び頭に響く声。感情に横入りするように直接頭に浮かぶその文字列に、彼の心は揺らぎ始める。
「俺のせいじゃ……ないのか……?」
「左様。」
問いかければ、解答。今聞いているのは幻聴でもない。紛れもない「何者かの声」
「幕府ガ主ラヲ
「……そうだ。幕府が俺たちを消そうとした。あいつらの勝手な理由で、とらは死んだ!!」
時が何倍にも引き伸ばされた世界の中、鬼と声は対話する。声はいつの間にか脳から抜け出し、彼の目の前に黒い雲のような形で現れていた。
「……我ガ名ハ『アンドラス』。西洋ノ魔神ガ一柱。」
その暗雲の中心は裂け、中から何かが歩いてくる。
始めに目にしたのは漆黒の狼。その背中に乗る、黒い鳥の頭をした人間。背中から大きな翼を生やし、手には和製の物とは違う、鋭く短い直剣を携えている。
「望ムナラバ、主ニ我ガ力、『皆殺しの知識」ヲ与ヘヨウゾ。」
「魔神……」
初めて聞く言葉だ。仏みたいなものだろうか。
「幕府ガ憎イカ?」
アンドラスは問いかける。邪悪な声色に危うい美しさを孕んだその
「ああ。」
即答。後悔はない。
「大キナ代償ヲ払オウトモ?」
「ああ。」
とらを殺したやつを殺せるなら、代償など関係ない。覚悟は決まっている。
「ホウ……面白イ。主ニ憑依スル事ハ出来ヌソウダ。」
アンドラスは鳥の頭を振り、やれやれと肩をおろす。
「……なぜだ?」
「ホレ。」
人差し指を龍之介の足元へ向けた。
「主ノ弟ガ、主ノ体ヲ守リヨル。故ニ主ニ憑依ハ出来ヌ。」
青い波動のようなものを纏った虎之助の得物、「望月」がそこにあった。彼の手から離れたものを、飛びかかろうとする始末屋が蹴ったのだろう。
「とら...お前...」
いや、そんな事を考えている暇はない。多くの手練れに囲まれたこの状況、魔神の力なしで切り抜ける事は難しい。
「アンドラス、他に方法はないのか?」
「フム……ナラバ、主ノ刀に憑依スル。ソレデ良イカ?」
龍之介の得物、時雨を指差す。こんな物でいいのなら、と彼はアンドラスに差し出した。
「契約、成立。ダ。主ニ知識ヲ授ケヨウ。」
「……代償は?」
「イズレ分カル」
そう言うとアンドラスは指を鳴らし、時が遅延した世界を閉じた。
眠りから目覚めるように瞼を開いた彼の目に映ったものは、飛びかかる始末屋とその横に書いてある不可解な文字列。およそ人語とは思えないその文字を目にした瞬間、彼の意識に何かが芽生えた。
(ここで……こうやって……こう?)
目に映った文字列はわけも分からぬまま自分の頭で勝手に翻訳され、その翻訳の通りに自然と体が動く。極めて言葉で表しにくい物だが、「感覚」が明記されていると解釈した彼はその言葉通り時雨を振ってみた。
「ふごぁ!!」
不思議に体を傾けた結果、飛びかかる敵の槍を華麗に回避し、同時に大きく横へ開いた時雨の中心に敵が吸い付いてくるような形で顔面をとらえた。
(本当だ...本当に知識が...)
勝機。絶望の淵に立たされた彼に一縷の光が差し込んだ。
「覚悟しろよッッ!!」
鬼は殺意を以って剣を振る。
未熟に突き出た赤の角を、さらに紅く染めながら。
──────そっから後の事はあんまり覚えてねぇ。なんせ死に物狂いだったからな。気がついたらその場にいた始末屋は全員死んでいた。
なら、村を守れたじゃないかって?
それがな、やつらにも腰抜けがいやがって、村に戻ってみたら全部燃えた後だった。
燃やしたやつも殺したが、結局火は収まらんかった。それから幕府の乗ってきた舟に乗って本州までたどり着いたってわけだ。
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