第七章:未来へ繋ぐ

第一話

 ジャンとリックが護衛としてガルに同行するのは、ルテティアの国境までだ。二人にからかわれつつ、二人の漫才じみたやり取りに笑いつつ進んでいるとあっという間だった。


「ここからは商隊について行くんだろ? 待ち合わせには遅れてないはずだから、すぐ見つかるな」

 ジャンとリックは律儀にガルを商隊に預けてから王都に戻るつもりらしい。

 ガルの本音としては一人でも大丈夫だ、とガルは思っているし、今からでもそうして欲しいくらいなのだが。

 アイザも過保護すぎると不満を漏らしていたが、今は少しだけ気持ちがわかる。

「お。あれか?」

 三台ほどの馬車が並び、その周囲には人が集まっている。馬車のうち二台はほとんど荷物で埋め尽くされているようなものだ。

「すみません、ノルダインに向かう商隊ってこちらですか?」

 リックができる限り丁寧な口調で、かつその凶悪な顔を控えめにと微笑みながら話しかける。控えめにと心掛けたところであまり変化はないのだが、それを言ってしまうと可哀想だ。

「ああ、そうだよ。タシアン・クロウの知り合いって、君のこと?」

 振り返ったのは女性だった。細身で背が高く、髪も男性のように短くしているものだから後ろ姿は青年にも見えた。

「俺のことですけど。……そっちもタシアンの知り合い?」

「同級生なんだよ。これからマギヴィルの商業区にこの商品たちを卸しに行くのさ」

 タシアンの知り合いというのならもっとごつい男かと思った、とは口にしなかった。なるほど、タシアンの交友関係は思った以上に広いらしい。妙なところで感心しながら、ガルは手を差し出す。

「ガルです。よろしくお願いします」

「あたしはトリュス・エーヴェだ。……君、もしかして獣人?」

 握手をしながら、トリュスがまじまじとガルを見つめてくる。

「そうですけど。なんで?」

 金の目を丸くしながら、ガルは問い返す。

 一目で獣人とわかるほどの特徴はないと思う。獣のような尖った耳があるわけでもないし、尻尾がはえているわけでもない。外見はただの人間と変わりないのだ。

「いや、獣人と縁があるなと思ってね。今回雇った護衛が獣人なんだ」

「……獣人?」

 ガルは小さく呟いた。

 そんな偶然があるだろうか。そんなにごろごろいるような存在ではないはずだ。


「ああ。いたいた、レグ!」


 トリュスが名前を呼ぶよりも早く、ガルの目はその男を見つけた。

 短く刈り上げられた赤茶の髪に、金の目。たくましい身体は遠目からもはっきりとわかるほど鍛えられている。

「……なんだ。マギヴィルに行く前に会ったな」

 ガルを見てレグは笑う。

 思っていたよりも腹は立たないな、とガルは思った。次にこの男に会ったらすぐに掴みかかって殴ってやろうかとも思っていた時もあったが、今はわりと冷静だった。

 この男には殴りかかるよりも、聞かなければならないことがある。ガルが知る獣人は、この男しかいないから。

「なに? 二人とも知り合いなの?」

「まぁ、ちょっと」

 知り合いというほどの関係ではないが、まったく知らないわけでもない。レグが言葉を濁しながらトリュスと話しているうちに、ガルはジャンとリックに別れを告げた。

「それじゃあ」

「おう、気をつけてな」

 ぐしゃりと頭を乱暴に撫でられる。

 リックの次にはジャンも同じようにじゃらけてきて、ガルが「やめろよ」と騒ぐ頃には髪はぼさぼさになっていた。




 トリュスの商隊には他に三人の仲間がいる。

 トリュスの夫だというスヴェン、それと仲間の青年であるティモとまだ見習いの少女のノーチェだ。

 馬車の御者台にそれぞれ二人ずつ乗る。トリュスとノーチェ、スヴェンとティモ。そして何故かガルとレグという組み合わせだ。

「不機嫌そうだな」

「あんたの隣ってのがやだ」

「美人の人妻か可愛い女の子が一緒の方がいいって?」

「誰もそんなこと言ってないし」

「ああ、まぁそうか。おまえつがいがいるもんな」

 つがい。

 レグが出てきた言葉に、ガルは神経を尖らせる。

 それはおそらく辞書に載っているような意味で使われるものではなく、獣人にとって特別な意味を持っている。それは、なんとなくわかる。

 レグに問うかどうか悩んで、ガルは口を開いては閉じる。

「おまえ、この短期間で鍛えたな」

 レグが横目でガルを見て呟いた。

「……わかんの?」

「そりゃわかる」

 それは見ただけでわかるほどガルに変化があったのか、それともレグの洞察力が優れているのか。ガルはなんとなく後者だと思った。

 多少は成長したと思う。けど、他者がそれをはっきりと感じ取れるほどのものではないだろう。

「……あのさ、あんたにいろいろ聞きたいことがあるんだけど」

 ぐっと拳を握り締め、ガルは口を開いた。

 何気ない世間話のように始められたらと思っていたのに、緊張が声に出ている。

「せっかちだなおまえ……まぁいい。今はわりと機嫌がいいから答えてやるよ」

 機嫌が悪かったらどうなるんだろう、と頭の端で思いつつ、ガルは質問を選ぶ。知りたいことは山ほどあった。

 なんせガルは獣人だけど、獣人について何も知らないから。

 ならばやはり、最初に問うべきことは決まっている。


「獣人ってなに?」


 それは言うなれば『人間ってなに?』という質問と同じだ。しかし恐ろしいことにガルは真剣だった。

「……おまえ、それはさぁ……。いやまぁ、そりゃそうか……」

 レグが呆れたような顔をしつつ、しかしすぐに、勝手に納得していて息を吐き出している。

 そうだなぁ、と空を見上げながらレグは呟く。レグとガルが乗る馬車は最後尾だ。前にはトリュスたちの馬車がわずかな距離を置いて走っている。

 この距離でさえ、ガルは耳をすませばトリュスたちの会話が聞き取れる。おそらくその先にいるスヴェンたちの声も、聞こうと思えば聞こえるだろう。

 幼い頃からそうだった。耳が人よりはるかによく、嗅覚に優れて夜目がきく。獣人といっても、その程度の違いだと思っていた。

「獣人ってのは、その先祖を辿っていくと精霊と人間の混血だと言われている。あくまで一説では、な」

「え、精霊?」

 大人しく黙って聞くつもりだったのに、思わず声が出た。

 そもそも獣人について聞いているのに精霊が話に出てくるなんて予想もしていなかった。

「だから精霊は獣人たちを愛し子と呼ぶ。……まぁ、今では純粋な獣人ってのはほとんどいない。人間の血が濃くなってきて、せいぜい少し体格や身体能力が優れているって程度のやつが大半だ」

 ガルはレグの話を聞きながら、確かにヤムスの森の精霊たちもガルを『愛し子』と呼んでいたなと思い返す。

 あれはただ、もともと獣人の里がヤムスの森の中にあったから特別視されていただけだと思っていた。

「……おまえは血が濃い方だよ。たぶん赤狼の血が濃いな」

「何それ?」

 赤狼。聞いたことのない単語にガルは首を傾げる。

「それぞれ集落を作った獣人たちが、自分たちを呼称してつけた名だ。雪獅子なんかは有名だが……何年か前に絶えたらしいな」

 髪の色や目の色などの特徴から名付けたものなのだという。名がつけられたのも遥か昔の話で、今となっては里がなくなるのと共にそれらの名も消えつつある。

「じゃあ、あんたは?」

「俺はあちこちの血が混じってる。ジェンマの奴らはたいていそうだ。俺はおまえと同じで赤狼も流れてるな」

 赤茶の髪をつまんでレグが笑う。

 ふぅん、と相槌を打ちながらガルは自分の髪の色とレグの髪を見比べる。似ていると言えなくもない。

「数十年前から少しずつ獣人の里はあちこち消え始めて、その生き残りがジェンマに集まっている。今世界で一番獣人がいるのはジェンマだろうな」

「……想像できない」

 獣人がたくさんいるという想像がガルには難しい。

「大陸じゃあ獣人は少なくなったし、いても人間の血が濃くて見た目じゃ全然わからないからな」

 レグは苦笑混じりにそう告げる。

 そうか、と呟きながら、そうだろうな、とガルは思う。

 おそらくレグと出会わなければ、ガルは獣人と出会うこともなかったかもしれない。あの歴史あるマギヴィルですら、獣人の生徒は今までいなかったのだから。

「おまえに会うためにマギヴィルに行くつもりだったんだが、道中で十分かもなぁ」

 くすくすと笑うレグの隣で、ガルは獣人が集うというジェンマに思いを馳せていた。

 自分以外の獣人がたくさんいる島国。

「……おまえは聞くより見た方が早いんだろうな。体験してようやく知識になるタイプだろ」

「もしかして俺馬鹿にされてる?」

 勉強ができないだろ、というようなことを言われた気がする。アイザのように賢いわけではないが、馬鹿と言われたら反発したくもなる。

「馬鹿にしてるわけじゃない。……そうだな、長期休暇とやらが終わるところだから、ずっと先の話になるんだろうが」

 レグが微笑みながら、前を見る。ガルから見えるその横顔は凛々しくもやさしいもので、どことなくタシアンに似ているものがあった。

 誰かを導こうとする人の顔だ。

「そんなに知りたいなら、いつかジェンマに来い。俺以外の獣人もたくさんあるし、年寄りもいる。きっとおまえの知りたいこと全部わかるだろうよ」

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