第二話

 ルテティアの王都にはあちこちに弔旗が飾られ、戴冠式の熱気はどこかへと消え去り静まり返っていた。

 アイザは小さなランプを手に階段を降りる。

 先にゆくイアランやタシアンは一言も発さない。

 王城の地下はひやりと冷たい空気が流れていて、指先が冷えていく。抱えた薔薇を落とさないようにと、ゆっくり、ゆっくり、一段ずつ慎重に足を進めた。


 共に荊の道を、と願ったアイザに対してイアランの答えは遠回しな『否』だった。


『まだ半人前の魔法使いである君を公の場に出す気はないよ』


 心のどこかでイアランは自分の願いを受け入れてくれるはずだと思っていたのかもしれない。

 その一言を聞いた瞬間、アイザの胸を襲ったのは羞恥心だった。

 まだ見習いの魔法使いのくせに、ルテティアにいる誰よりも巧みに魔法が使えると。そんなふうに思っていたのかもしれない。

『あの人に贈りたいものがある、というのなら受け取ろう。だが、魔法を披露するような場は与えない。君はまだ学生だからね』

 王の顔をしていたイアランは、一瞬で兄の顔になる。

『将来の件は保留だ。君が学園を卒業する頃になったら話し合おう』

『……心変わりしたりしませんよ』

 すべて拒絶されたわけではないことに安堵しながら、アイザは釘を刺す。

 これはアイザの決意表明だ。道を見つけた。だからこれからまっすぐにその道を進む。

 イアランは微笑んだ。


『それならその時は喜んで君を迎えよう』




 ウィアの遺体は、地下に造られた部屋に安置されている。気温の低いこの部屋は代々の王が国葬までの間眠っていた場所だ。

 今の季節ならすぐに遺体がいたむことはないだろうが、王族の葬儀となればその準備にも時間はかかる。


 時刻は夜半。誰もが寝静まる頃だ。

 明朝には、国葬が始まる。イアランがアイザに与えることのできる時間が、今だけだったのだ。

 イアランが最期に顔を見に行く、という口実でここを訪れている。アイザはルーがまた姿を見えないようにと魔法をかけていたが、それも兄妹三人きりになってから解いている。


 棺の中で眠る彼女は、うつくしかった。


 取り乱すようなことはなかった。

 アイザはそっと棺に歩み寄り、抱えてきた薔薇を手に取る。


「《……情熱の赤》」

 ゆっくりと言葉を紡ぎ、アイザは白い薔薇のに口づける。

「《歓喜の橙、栄光の黄、安寧の緑、冷酷の青、孤独の藍、至高の紫》」

 一輪一輪、一色一色、愛を囁くように言葉を吐き出し、幼子に贈るように口づける。

 すると純白の薔薇は、魔法にかかったように色付いた。赤に、青に、紫に。アイザが告げた通りの色へと。

 それは、魔法のように、ではなく、間違いなく魔法だった。


「……どうか貴女の眠りが、穏やかなものでありますように」


 アイザは小さな声でそう告げると、棺で眠るウィアの胸元に七色の薔薇を添えた。



 葬儀は厳かに、恙無く終わった。

 父の時も思ったが、終わってしまうと妙に呆気ない。あの時は喪失を実感する余裕もなかったからなおさらだ。

 イアランやタシアンにしてみれば、ようやく一息つける、というところだ。アイザはこれから急ぎマギヴィルに帰らなければならない。

(……そういえば、わたしの帰りは誰が付き添うんだろう……)

 タシアンは忙しい身だし、その補佐をしているレーリにも休む暇はない。ガルのようにジャンやリックに任せる……ということはなさそうだ。おそらくイアランもタシアンも許可しない。

 この忙しいときにイアランやタシアンの手を煩わせたくないのだけど、とアイザが思ったとのろで彼らの過保護はなくならない。それはもうしっかり実感していた。

 いつでも出立できるようにと荷物をまとめて始めていると、侍女からイアランの部屋へ来てください、と告げられる。姿を消したままのルーに目配せして、アイザはイアランの執務室へと向かった。




「あの薔薇、皆がいろいろと噂しているみたいだよ」

 アイザがやってくると、イアランは楽しげにそんなことを口にする。

 緑や青の薔薇というのは存在しない。いったいどこから入手したものだと騒がれることはわかっていた。

 しかしイアランは公言しない。薔薇の神秘性はさらに噂を広めていくことだろう。いずれ『魔法によるものでは?』という結論に行き着くかもしれない。

「……そんなこと言うために呼んだんですか?」

「まさか。アイザ、だんだんタシアンに似てきてない?」

 世間話をしている暇などないだろうに、と呆れるとイアランは肩をすくめながら、タシアンばかりずるいな、と静かに控えている兄をじとりと睨む。

「一段落ついたからね、君が帰る前に三人で話しておきたくて」

「……三人で?」

「そう、三人で。私は薄情な人間だと自分でも思っているし、王としていくらでも冷酷になれるけど、タシアンやアイザにはしあわせになってほしいと願っているよ」

「それは……わかって、ます」

 アイザは首を傾げながらも頷いた。

 タシアンはイアランの発言に驚くような顔をしていたけれど、それはおそらく発言の内容にではなく、イアランが素直にそれを口にしたことに驚いている。

「そこで、問題になるのはノルダインの王女との婚約についてだけど」

 にこにこと容赦なく切り込んできたイアランに、タシアンだけが動揺した。物音一つたてなかったくさに、途端にがたりと棚に肩をぶつけている。

「ルテティアの王族は私一人になってしまった。私という手札は、そしてそこに付随する婚姻は、とても貴重なカードだ」

「……ノルダインとの婚約は白紙にすると?」

 タシアンが探るように問いかける。イアランは微笑んだまま「まさか」と告げた。

「友好国であるノルダインとの関係は、これからも維持していきたいと思っているよ。ただ、ここで使うのは『王の結婚』というカードではないね」

 それは賢くない、とイアランは笑う。

タシアンはそこまでの会話で悟ったようだった。苦い顔をして黙り込む。

 しかしそこで、逃がしてくれるほどイアランはやさしい人間ではなかった。


「さて、タシアン・クロウ。命じられるのと自ら腹を括るの、どちらがいいかな?」


 にっこりと。

 鼠を追い込んだ猫のように笑うイアランに、さすがのアイザも理解した。

(……なるほど)

 初めからイアランは、ミシェルの婚約相手は、自分ではなくタシアンにするつもりだったのだ。

「……俺は廃嫡された身です。王族ではない」

「ルテティアの貴族であることは変わりない。それに向こうでは君、人気だからね。打診したらむしろ喜ばれたよ」

「なぜ本人より先に相手先に打診してるんですか」

「だから言っただろう? 命じられるのと自分で腹を括るのどっちがいい? って」

 つまり嫌がったとしてもこれは命令だとねじ伏せると言いたいらしい。見事にタシアンには逃げ道がなかった。

(……これはちょっと、可哀想になるな……)

 口を挟む立場でもないので黙って見守っているアイザも、タシアンが憐れになる。とっくの昔にイアランに外堀を埋められ、それを突きつけられて追い込まれている。

「……ミシェルさんは知らなかったのかな」

 ぽつりとアイザは呟く。

 彼女も自分が婚約する相手はイアランだと思っていた。だからアイザもそうなのだとばかり思っていたのだが。

「まだノルダイン王と重鎮くらいしか知らないと思うよ。だってほら、そこはちゃんとタシアンが求婚すべきだろう?」

 当本人にされたタシアンは心なしが顔色が悪い。この展開は彼も想像していなかったのだろう。

「ここで腹を括ることもできない根性無しなら、問答無用で政略結婚ということにするけど?」

「……何がしたいんですかあんたは……」

 はああああぁ、と重いため息と共に吐き出された言葉は臣下として、兄としての立場がまじっている。

「だから言っているだろう? しあわせになってほしいんだよ」


 耐え忍ぶ人生など送らせるつもりはない。

 共に歩む道が険しくとも、安らぎを得る場所があっても許される。それを、イアランはタシアンに許すのだ。


「……わかりました」


 長い長い沈黙のあとで、タシアンはそう答える。

 満足気に笑うイアランを見ながら、アイザはどちらの兄の気持ちもなんとなくわかるので苦笑いを零していた。

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