第五話

 アイザがガルに会えたのは、夕方になった頃だった。

「アイザ、もう聞いた? 俺は先にマギヴィルに帰るんだけど」

 ガルはけろりとした顔でそう言った。あまりにもあっさりとしたその反応に、アイザは思わず呆気に取られる。だって、今までならありえない反応だ。

 アイザと別行動なんて。

 まして、国境を越えて離れるなんて、彼は嫌がるだろうと思っていた。

「う、うん。レーリから聞いた」

「アイザは残るんだろ?」

「……うん」

 学園を休んでまで残ることに少し悩んだが、レーリの言うとおり別れはきちんと済ませておいたほうがいいだろう。

 未練を残したままでは、きっと前にも進めない。

(前に……)

 そう思いながらも、アイザはこの先の自分の在り方に、少し不安が生まれていた。

「アイザ」

 伸びてきた手が、無遠慮にアイザの顔に触れる。

「ちょ、なに」

 アイザはその手をすぐに拒みはしなかったが、頬に、眦に、ガルの指が何かを確かめるように触れてくるものだから、アイザもさすがに抗議の声を上げた。

「……触った感じだと腫れてるんだけど、見た目は普通だな」

(ああ、それか……)

 ガルが顔に触れてくるのは珍しいから何かと思ったが、泣いた形跡を確認していたらしい。ガルの言う『におい』でもしかしたら変化に気づいたのかもしれない。

「ルーに魔法で見た目だけ変えてもらってるんだ。ひどい顔だから」

「俺はどんな顔でも気にしないけど」

「わたしが気にするんだよ」

 誰がどう思うとかの話じゃない。人に見せられる顔ではないとアイザが思ったからこうして魔法を使ってまで誤魔化しているのだ。

 それにしても、とアイザはガルを見つめる。

(……先に帰るのか)

 ガルと離れるのは、いったいいつぶりだろう。

 声を上げても呼び声は届かない、目をこらしてもその姿を見つけられない。

 会いたいと思ってもすぐに会いに行ける距離にいない。

 そのことに、胸が穴が空いたみたいにすかすかとした。

 思わずガルの服の袖を人差し指と親指でつまんで、ほんの少しだけ引っ張る。くん、とそのささやかすぎるほどの力加減に、ガルは笑った。

 アイザはやっぱり、人に甘えるのが下手くそだった。

「……明日、王都を出るとこまで見送ってもいいかな」

「それ、俺がダメって言うと思ってる?」

 言うはずがないと、アイザには思っていてほしい。それくらい自分の気持ちが伝わっていればいい、とガルは思う。

 けれど今のアイザはまだ不安げな顔をするから、ガルは微笑んでみせた。大丈夫だよと言うみたいに、アイザに微笑みかける。

「もちろんいいよ。途中でタニアおばさんに挨拶に行くつもりだから、一緒に行こう」

「うん」

 ほっとしたように表情を緩ませるアイザに、ガルも少し安心していた。

 泣くだけ泣いたから落ち着いたのだろうか。女王の死は、アイザのなかできちんと消化されたのだろうか。

 家族のいないガルには想像しかできないけれど、少なくとも今のアイザは笑うことができるのだ。




 翌日は空がよく晴れ渡っていた。

 ルテティアを発ってマギヴィルへ向かった日もこんなふうに晴れていたなとアイザは空を見上げながら思う。

「……ところで、付き添いがジャンとリックなのは大丈夫なのかな」

「言うな。それ以外使える人間がいなかったんだよ……」

 眉間に皺を寄せながら低く答えるタシアンに、アイザは苦笑する。

 正しくはこの忙しい時にガルの護衛として穴を開けても問題なく、かつ護衛としての役目を果たせそうなのがあの二人だけだったのだろう。

 不安に不安を重ねているような気がしなくもないが、それを口にしたらタシアンの眉間の皺は深くなるばかりだ。

「じゃあ、わたしも見送りに行ってくる」

 王都の外に出るまではアイザもガルたちと一緒だ。

「……帰りは気をつけろよ」

「大丈夫だよ、ルーについて来てもらってるから」

 ガルたちを見送ったあと、アイザは一人で城に戻ってくることにタシアンは難色を示していた。しかしたったそれだけのために護衛を出せるほど、今は暇ではない。

 今だって、タシアンがここにいること自体が驚きなのだ。レーリの姿がないのはきっと、タシアンが数十分席をあける間のフォローにまわっているんだろう。

「じゃあタシアン、またな!」

「気をつけて帰れよ。あとちゃんと勉強しろ」

「してるよ、最近は!」

 タシアンにぐしゃぐしゃと頭を撫でられながら、ガルは噛みつくように言い返している。二人の別れはあっさりとしたもので、それきりだった。


 朝早く、まだ開店前の踊る仔馬亭は静かなものだ。下ごしらえをしているのか、キッチンから包丁の音が聞こえてくる。

「ガルだけ帰るのかい? アイザは?」

 挨拶に顔を出すと、タニアはあれこれとガルに食べ物を持たせながら問いかけてくる。

「……ちょっと、親戚に不幸がありまして。葬儀に出てから帰ります」

「おやまぁ……女王陛下もだけど、いいことのあとには不幸があるもんなのかねぇ……」

 暗い顔でそう呟くタニアに、アイザは苦笑いで答えた。何も言えない後ろ暗さをそうやって誤魔化すしかない。

「ガルはちゃんと勉強するんだよ!」

「みんなそれ言うな!?」

 つい先ほどタシアンからも言われたばかりで、ガルは嫌そうな顔をしながら声を荒げる。

「あんたにはしっかり言っておかないと不安だからねぇ」

「……言われなくてもちゃんとやってるよ。勉強しなきゃダメだってことはわかったから」

「あらあら。少しは大人になった?」

「悪かったなガキで」

 ガルとタニアのやりとりに、アイザもガルの成長を感じてしまう。それは同時に、小さな焦りのようなものも生み出した。

(わたし、ちゃんとやれてるのかな……)


 ――父のような魔法使いになりたい。


 その気持ちひとつで頑張って勉強しているけれど、アイザ自身、未だ自分の未来は掴めずにいる。

 じきに専門分野に絞って受ける授業も変えるべきだ。しかしどれがいいんだろう、と悩み始めると答えはでない。

 ただただすごい魔法使いになるのだと、そんなぼんやりとしたままの目標しかアイザにはなかった。

 父の背中は、はっきりとしているようで、実際はただの幻だ。アイザはリュース・ルイスになることは出来ないのだから、アイザに適した分野を極めるべきなのである。

(……わたしは、魔法で何がしたいんだろう。何ができるんだろう)

 魔法が万能の力ではないと知っている。

 けれど世界を愛する力だと言った父の言葉はアイザの胸に刻み込まれている。

 世界を愛するというその力で、アイザは何をしたいのか。父のようになりたいという思いに囚われてばかりいた気がする。


 ガルは変わった。

 さらに変わろうとしている。

 ――なら、アイザは?


 また置いていかれてしまうという不安が浮かんでは、死に際の母の言葉がこだまする。

 リュース・ルイスと女王の血を引くものとして、アイザは今のままではいけないのではという気持ちが胸を占める。


 それじゃあそろそろ、と店を出たとき、店の脇で小さな女の子が奇妙な動きをしていた。

 五歳くらいの小さな女の子だ。なにやら空に向かって「ふん! ふん! ふーん!」と手を掲げて必死に何かをしているのだが、アイザにはまったく理解できない。

「……あの子、何してるんですか?」

 店のそばにいるのだから、タニアの知っている子なのだろうと見送りに出たタニアに問いかける。

「ああ、店の子の子どもでね。魔法の練習しているんだってさ」

「……魔法の?」

 きょとん、とアイザは目を丸くする。

 ルテティアの庶民から、魔法という存在が消えて久しい。アイザは父親が魔法使いだったからこそその存在を知っていたし、信じている。

けれど五歳程度の子どもには、魔法なんて見たことも聞いたこともない謎にすぎないだろう。

(それなのに、どうして?)

「なぁ、何してんの?」

 アイザが疑問で首を傾げている間に、ガルが女の子に話しかけていた。

「魔法のれんしゅうなの!」

「それで魔法が使えるようになんの?」

 ガルはしゃがんで女の子に目線を合わせながら笑う。

「わかんないけど、でもれんしゅうしていれば使えるようになるの!」

「……なんで、魔法使いになりたいの?」

 練習方法すら知らなくて、どうすればいいのか検討もつかないのに。女の子は『れんしゅう』をやめようとはしない。

「あのね、このあいだね! 王さまがでてきたらね、空からふわぁってお花がふってきたのよ!」

 イアランの戴冠式のことだろう。

 女の子は目を輝かせて、身振り手振りをまじえて熱心に語り始めた。すごかったの、きれいだったの、と何度も何度もその拙い言葉で感動を伝えようとしてくる。

「でもさわると消えちゃうの。ほんとにほんとにすごかったのよ。ねぇ、あれって、魔法なんでしょう?」

 アイザを見上げて問いかけてくる瞳に、すぐには言葉が出てこなかった。

「……そう、だね」

 ようやくかすれた声でアイザが答えると、女の子は「やっぱりそうなのね!」と笑う。

「すごくすごくきれいだったの。だからね、わたし、大きくなったら魔法使いになりたい!」

 純粋でまっすぐな言葉に、胸が締めつけられる。


 あれは、ただアイザが何かしたくて。

 アイザにだけできる形で祝いたくて。

 自己満足と言われればそれまでのことで。

 こんな風に、誰かの心に響くことになるだなんて考えていなかった。誰かの未来に影響を及ぼすなんて、想像もしていなかった。


「……そうだね。きっと、なれるよ。君が大きくなる頃には、陛下がこの国を、魔法の使える国にしてくれる」

 アイザは手を伸ばし、そっと女の子の頭を撫でる。

 女の子は「えへへ」と嬉しそうに笑っていた。魔法使いになりたいなんて、他の大人にとっては夢物語のようなもので、誰も本気にしてはくれなかったのだろう。


(ああ、わたし――)

 女の子の笑顔を目に焼き付けながら、アイザは深く息を吐き出した。胸の奥でつかえていた何かが息とともに吐き出されていく。


(目指すべき道が、わかったかもしれない)

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