『     』

 暇。最後のお客さんが来てから大体三時間ぐらい。その間に飲んだコーヒーも十杯を越えた。今日一日だったら……。

「何杯飲んだんだっけ」

 もう、覚えてなかった。とりあえず、二十は越えたと思う。

「あと一人来るはずなんだけどなぁ……」

 もう五時を回ってるし、いつになったら来るんだろう。

「あの」

「あ、はい」

 あ、そんなこと考えてたらお客さんが来たみたいだ。挨拶をして、私は固まる。

「いらっしゃいま……あれ、梓?」

「紗枝? 何でここに?」

 驚いた。お店の扉を開けて入ってきたのは梓。どうやら梓もびっくりしてたらしく頭の上に疑問符が三つぐらい並んでいるようだった。

「うん、今日一日ここでアルバイト。梓は?」

「……フィルム、現像に出したの取りに来たんだけど」

「あ、そうなんだ。ちょっと待ってね」

 それを聞いて、現像済みの写真を置いてある棚に向かう。残り一つだから分かりやすい。確かによく見れば「刑部さん」って書いてあった。よく見てないってことだよねこれ。

「カメラも、だよね」

「うん」

 隣に置いてあるカメラも持って、カウンターに戻る。

「はい、確認をお願いします」

 今日一日他の人にしたように、写真を渡す。でも、梓は何故かその写真を見ようとしなかった。

「どうかしたの?」

 黙ったままの梓。どうしたんだろう。少し考えて、一つ思い付いたことを言ってみる。

「写真に、何かあるの?」

「……」

 黙ったまま、でも小さくうなずく。当たりだったらしい。

「何が写ってるの?」

「……何でもない、のかなぁ」

 ちょっと気になる。いつもならこんな歯切れの悪い言い方はしない。

「ちょっと見てもいいかな」

「……うん」

 梓には悪いかもと思いつつ写真の袋を預かって、中を見る。

「……これって?」

 何の変哲もない家族写真。あ、これ梓のお父さんとお母さんだ。て言うことは。

「これ、お兄さん?」

 私の質問に、梓は無言でうなずく。

「お兄さんがどうかしたの?」

 私の言葉に、梓は黙ったままだった。そして、しばらくしてから口を開いた。

「兄ちゃん、結婚するんだよね」

「結婚?」

 えっと、梓のお兄さんって何歳だったっけ。確か……。

「美里さんと同じぐらいだったっけ」

「同い年。ついでに言うと、その結婚相手が美里さん」

 驚いた。美里さんって付き合ってる人いたんだ。言っちゃあ悪いような気がするけど結構変わり者なのに。

「高校の時から付き合ってたらしいよ。ほら、写真部で知り合ったらしくて。で、カメラ買いに行ったときに同じメーカーのカメラ選んでそれから仲良くなったんだって」

 あ、そうなんだ。でも、一つ気になることが。

「て言うか、カメラ買いに行くの? 部活で?」

「ああ、知らなかった? 紗枝のお姉さんの一個上の世代の人が写真部立ち上げたらしいんだけど、その時の部長さんがせっかくだからって持ってない人連れて大阪まで買いに行ってたらしいよ。まあ、今も続いてるらしいけど。ちなみに、もれなく非合法アルバイトが待ってるんだって」

 お義兄ちゃんの世代……かな。ていうか非合法ってどういうことだろう。ううん、何だか話がずれてきた気がする。

「で、そのお兄さんが結婚するのと、この写真がどうしたの?」

 話を戻した。私の言葉に、梓は少し考えて言う。

「今まで、ほとんど家族で一緒に、って何にもなかったんだ。それに、兄ちゃんともしょっちゅう喧嘩してたし。でもね、いざいなくなると分かったらすごく寂しくなるんだよ。何でだろうね」

 その気持ちは分かる。私も、お姉ちゃんが結婚するって時は泣いて駄々こねた覚えがあるから。

「で、せっかくだからみんなで撮ろうって。別に今生の別れって訳じゃないけど、何かそれで余計に寂しくなっちゃってさ。兄ちゃんも遠くに行っちゃうわけでもないし、行こうと思えばすぐ行けるようなとこにいるのにね」

 いつもと同じように振る舞ってはいるけど、梓は何となく寂しそうに見える。

「そっか。それでさっき写真見ようとしなかったんだ」

「……うん」

 少し黙って、うなずく。そして、下を向いたまま梓は続ける。

「いなくなるときに、初めて分かるんだよね。何でもないものがどれだけ大事だったか」

 今まで大事にしてこなかったけど、無くなって初めて分かった。だから、最後に家族みんなの写真を撮った、そう言っているようだった。

「大事なもの……」

 何でもないもの。いつもそこにあるもの。でも、すごく大事なもの。

「……そっか」

 みんな、『撮りたいもの』は違う。でも、出来た写真はみんな『大事なもの』なんだ。

「ありがとね、梓」

「え、な、何が?」

 混乱する梓。まあ、そうだよね。いきなりこんなこと言われたら普通は混乱するかも。

「あのね、やっと分かったんだ。自分が何を撮りたいか」

 その言葉に、梓はああ、と言った顔をして言う。

「こないだ言ってたやつね。何か分かんなくてびっくりしたわ」

「うん、ごめんね」

 何だか、すっきりした。ここ何日かの、いや、今までもやもやしていた物が全部晴れた気がする。

「で? 紗枝は一体何が撮りたいの?」

 梓のその言葉に、私は笑って返した。

「私の見たものだよ」


 そう。今の私が心を動かされて、それを残したいと思った物を撮ればいいんだ。ううん、言い方が分からないけど、私が見て、見せたい物。

「それが、私の撮りたい物。多分誰に何かを言われてもそれは変わんないと思う」

 少しびっくりした顔をして、でもすぐに笑顔になって梓は言う。

「悩んだ割に結果は簡単だね。でも、考えすぎ、って言った理由分かったでしょ?」

「うん、そうだね」

 頬をかきながら私は言う。確かに、こないだ言われたように考えすぎだったかも知れない。

「でも、悩まなきゃ何にもならなかったしね」

「まね。ま、いいんじゃない? あたしの写真も何か役に立ったみたいだし」

「うん。何かさ、早く写真撮りたくなってきた」

 目指すところが分かって、何だか無性に写真が撮りたいと思う。来週、お姉ちゃん達誘ってみようかな。

「……ほんっと、紗枝ってマイペースだね。お客さん完璧に忘れてるでしょ」

「ごめん、忘れてた」

 ジト目で言う梓。忘れるつもりは無かったんだけど。

「て言うか、言うほどマイペースでもないよ? あと、コーヒー飲む?」

「いや、十分マイペースだよ。何でそこでいきなりコーヒーが出てくんのさ」

 呆れたような梓の言い方。そんなマイペースかなぁ。

「うん、周りが戸惑うぐらいにね」

 どうやら、梓の中ではそうなっていたらしい。そう考えながら、梓にコーヒーのカップを渡す。

「ん、ありがと」

「どういたしまして。ところで、美里さんっていつ帰ってくるのかな……。まだ明るいけど、お義兄ちゃんに夜は一人で出歩くなって言われてるんだよね」

「ああ、あの人? ……過保護のような気がするけど」

「そうかも」

 頬をかきながら言う梓に、私は笑って返す。その時、お店の扉が開く音がした。

「たっだいまー……って、あれ、増えてる……?」

「あ、最後のお客さん。さっき来たんです」

「ああ。でも、あれ頼んだの達希だったような……?」

 不思議そうな美里さん。ああ、もしかして。私は声を潜めて梓に聞いた。

「梓のお兄さんって達希って名前?」

「ああ、うん」

 やっぱり。

「その達希さんのい……」

「あれ、梓?」

 いきなり美里さんの後ろから声が聞こえた。あ、梓が飛び上がってびっくりしてる。

「兄ちゃん?」

「達希?」

 どうやら、梓のお兄さんらしい。

「現像した写真、出来てた?」

「ああ、うん。て言うか今日自分で渡してもらえば良かったのに」

 確かにそうかも。撮影で会うのならね。

「おお、その考えは無かったわ。で?」

「うん。これでやっと兄ちゃんの顔見ないでいいと思うとちょっと気が楽だよ」

 憎まれ口。でも、やっぱりちょっと寂しいんだろう。目線を絶対に合わせようとせずに梓はそう言う。

「てめ。でも残念でした。家から歩いて三分のトコだ。……ん?」

 そこで、梓のお兄さんは初めて私に気付いたようだった。

「えっと、どちらさ……」

「あ、梓の友達の西原紗枝って言います」

 頭を下げる。そこに、美里さんが言葉を入れる。

「あの、ひーちゃん先輩とひさちゃん先輩の妹さんだよ」

 そう言われて、お兄さんは驚いた顔をした。

「え、ひーちゃん先輩の? わー、梓と同い年だったんだ……」

「あ、はい。で、結婚するんですか?」

 唐突に聞いてみる。

「え、あ、え? だ、誰から聞いたの?」

 美里さんのその言葉には応えずに、無言で梓を指さす。

「ああ、何か納得」

 息をついて、美里さんが言う。もうちょっと言ってみようかな。

「ちなみに、結構寂しいみたいですよ? 梓」

「ちょ、それは言わなくていいから!」

 あ、梓が真っ赤になった。まるで茹でた蟹みたいに。

「だから、家族写真撮……」

「だから言わないでいいって言ってるでしょうが!」

 あ、切れた。うん、これ以上いじると危ない気がする。

「じゃあ、やめとくよ」

「そうしといて」

 額に手を当てて、梓はため息を吐く。

「つか、そんな寂しかったのか? 梓」

「べ、別に……」

 強がっていても顔は真っ赤な梓。そんな顔してたらばれるよ。

「じゃあ、わたしのこと『お義姉ちゃん』って言っていいよ?」

「だ、だから……」

 徐々に小さくなっていく梓の声。

「……」

 そして、完全に黙り込む。

「ね、義姉ちゃん……」

 あ、言っちゃった。顔真っ赤なまま。それを見て、私たちは全員大声で笑いだした。梓を除いて。

「ちょっと、何で笑うのよ!」

「いや、だって可愛いし」

 涙を拭きながら、私は言う。

「可愛いとかそんな問題じゃないっ!」

 大声で叫ぶ梓。うん、多分近所迷惑になりそう。黙ってるけど。


「そう言えば、お義兄ちゃんたちは?」

 ひとしきり笑った後、私は美里さんにそう聞いた。梓の話で忘れてたけど一緒にいたはずだし。

「ああ、今は元部長さんと話してたよ」

「あ、齋藤さん?」

「そうそう」

 時々お義兄ちゃんに会いに来る人か。お義兄ちゃん曰く、「漢字にこだわる人」らしい。

「紗枝ー、いるかー?」

「あ、お義兄ちゃん」

 扉を開けて、お義兄ちゃんが顔を出す。

「遅かったね。お姉ちゃんは?」

 その質問にお義兄ちゃんは外を指さして言った。

「ああ、くーさんと話してるわ。くーさん分かるよな?」

 その人も一応分かる。元副部長さんで、齋藤さんの奥さんだったはず。

「そそ。んじゃ帰るか」

「うん。じゃあ、美里さん」

 美里さんに向き直る。

「え、な、なぁに?」

 あ、何かびっくりしてる。

「今日はありがとうございました。勉強になったし、今度の写真展、出してみます」

「……そっか。うん、じゃあ、よろしくね」

 何か納得したように、美里さんは笑った。

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