『happy birthday』
「ふあ……」
お弁当を食べて、コーヒーを飲んで。天気もいいし、これは何とも……。
「……眠い」
ううん、いつお客さんが来るか分かんないから起きてないと。何かしてたら目が覚めるかな。
「んっ!」
伸びる。わ、背筋がばきばきって鳴った。よっぽど緊張してたのかな。そのまま、体をねじる。あ、また鳴った。
「……何か、楽しいかも」
とりあえず、椅子から立ち上がって背筋を伸ばす。そして、ラジオ体操みたいにひねる。一回、二回……。
「こんにちは」
「わっ」
あ、お客さんが来た。ていうか……。やっぱり、お客さん苦笑いしてる。
「い、いらっしゃいませ。……すいません、見苦しいところをお見せして」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
大丈夫って言われたけど……。こっちからしたら大丈夫じゃない。そして絶対顔真っ赤になってる。茹でた蟹みたいに。
「えっと、現像お願いしてた石田ですけど……」
石田さん、と。棚のところからそう書いてある封筒を探す。あ、あったあった。何だかやけに分厚いけど。
「えっと、これ、で間違いないでしょうか」
「あ、ちょっと待ってくださいね」
石田さんはそう言って中の写真を一枚一枚めくっていく。ホントに多いなぁ。口には出さないけど。
「うん、これで合ってます。しかし、ちょっと撮りすぎたかなぁ。流石にフィルム二本って」
「分厚いですもんね」
「ですねぇ。嫁さんのトコに持ってこうと思ったらいっぱい撮っちゃったんですよねぇ」
奥さん? 言葉には出していなかったけど、どうやら表情には出ていたらしい。石田さんはよくあること、といった感じで言った。
「ああ、ちょっと体調崩して入院してて。やっぱ季節の変わり目って喘息出しやすいらしいですよ」
「え」
いや、そんな状態なら奥さんのところに行った方がいいんじゃないかな。
「えっと、行かなくても大丈夫なんですか?」
「あー、今日はもうちょっと寄ってくトコがあって。嫁さんの誕生日なんですよ、今日」
「はあ」
生返事のようになる私に、石田さんは続ける。
「で、まあケーキも買っていこうと思って、それとこの写真も見せようと思ってて。それで急いで、って頼んだんですよ」
「誕生日プレゼント、ですか?」
私の言葉に、石田さんは手を叩いてああ、と声を出した。
「そうそう、そう言えばよかったんだ。何か上手い具合に表現できなくて。嫁さんにもよく言われますよ」
何なんだろうこの人の言い方。何だか一つ言ったら十ぐらい返ってくるような、そんな感じ。
「それで、ちょっとお願いがあるんですけど……」
「あ、はい何でしょう」
不意打ちで来る石田さんの言葉。え、な、何?
「この中から、気に入ったの選んでもらっていいですか?」
「はあ……。えっと、それは……?」
いきなりのお願いに私の頭の上に疑問符が三つぐらい並んで浮かんだ気がした。
「いや、せっかくだから写真立てに飾って置いておいたら気分も紛れるかなぁ、って思って。あ、嫁さんのですよ?」
あ、そう言うことか。確かに気分は紛れるかも。ただ、外に出たくなる気持ちも大きくなりそうな気もするけど。
「ああ、なるほど。分かりました。じゃあ、見せてもらいますね」
そう言って、写真の束を手にとってめくっていく。
「お子さん……ですか?」
写っているのは、赤ちゃんとその子を抱いたお母さん。
「ああ、はい。海美って言うんです。今年の夏に生まれたばっかりでかわいいんですよ」
その後もしばらく海美ちゃんの写真が続く。えっと。
「もしかして、フィルム一本……」
「使い切っちゃいましたねぇ。二ヶ月で。初めて笑ったとか、寝返りうったとかもう嬉しくて嬉しくて」
うん、何となくだけど分かる気がする。一度撮り逃したらもう二度と撮れない、そんな瞬間。
「で、こっちがもう一本、ですね」
ぱらぱらとめくっていく。これは……。
「海、ですか?」
何の変哲もない海岸や、港町。それに女の人が写っている。
「そうなんです。嫁さんの実家で、実は色々思い出のあるところで。結婚するまで……、いや、してからも結構よく行ってる大事なところなんですよ」
そこで、ふと思い至る。
「もしかして、お子さんの名前って……」
私の言葉に、石田さんはいかにも、と言った感じで答えた。
「ここからですね。ちょっと安直かも知れませんけど」
「……ううん、多分分かってもらえますよ」
「そうだと嬉しいんですけどね」
お互いに笑う。よし、全部見た。
「じゃあ、これとこれとこれ」
私が選んだのは、海美ちゃんの座っている写真と多分奥さんのポートレート、それと三人写っている写真だった。
「あ、ありがとうございます」
心底嬉しそうな顔をして、石田さんが笑う。
「やっぱり、みんな何かしら思い入れがあるんですね」
「何がですか?」
わ、思わず口に出してた。ごまかすのもなんだし、言っちゃおう。
「いや、今日実は他にも二人お客さんが来られたんですけど、二人とも自分の大事なもの、って撮ってたんです。それで、私の思い入れって何だろうって思って」
「ああ、なるほど。僕の写真は半分は成長記録みたいなものなんですけどね。でも、いつか大きくなったときにこんなだったんだよ、って言うのを見せたくて撮ってる、って言うのもありますね」
でも、それも私から見たら十分な思い入れになると思う。
「あなたも、誰かに見てもらいたい、って言う物撮ったりしません? 多分、それが写真を撮る理由ですよ」
見てもらいたい物かぁ。あるような気もするけど、でも。
「私は……見てもらいたいのかな。今まで誰かに見てもらったこともなくて。もしかしたら、見た人に何か言われるのが怖いのかも知れません」
今度の展覧会もそうだ。誰かに私の見た物を見てもらいたいとは思う。でも、迷ったままの私の写真を批判されるのも怖い。
「まあ、最終的には誰に何て言われてもこれが自分の見た世界だ、ってことなんですけどね。悩んでても迷ってても、それが今の自分の中身なんですから」
「中身?」
また頭の上に疑問符が三個ぐらい浮かぶ。
「そうそう。ほら、写真って撮るときに自分のフィルターかけて撮りません? 自分はこの風景をこんな風に切り取りたい、って。例え同じ場所で同じ風景見てても撮れる物は全く別の物になっちゃいますから。だから、何か言われても『これが自分だ!』って胸張って堂々としてたらいいんですよ」
何か、説得力があった。確かに、そう言われたら悩んでても今の私でいいような気がする。
「さて、ちょっと長居しちゃいましたね。子供をうちの親に預けてるんですけどそろそろ行かないと怒られます」
「あはは……」
まあ、子供さんが泣き出したら大変なことになるから。
「じゃあ、写真、ありがとうございました」
「いえいえ、じゃあ、奥さんをお大事に」
「ええ。それでは」
そう言って、石田さんはお店を出た。……何か、参考になったかも。
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