『farewell』

 さっき神田のおばあちゃんが帰ってから二時間。その間お客さんは誰も来なかった。

「……暇だ」

 時間に比例してコーヒーの消費量が増えていく。このままじゃ、コーヒーの粉一瓶使い切っちゃいそうな予感がする。

「あのー……」

「あ、いらっしゃいませ」

 あ、お客さんだ。私は立ち上がって挨拶をする。扉を開けて入ってきたのは、見たところ二十代前半ぐらいの男の人だった。

「現像お願いしてた上島ですけど……」

「はい、上島さんですね。ちょっと待って下さい」

 えーっと、さっきのところに他の人のもあるって言ってたから……あ、あったあった。ちゃんと「上島さん」って書いてある。

「はい、どうぞ。確認お願いしますね」

 そう言って、私は写真の入った袋を渡す。

「……うん、よかった」

 一枚一枚めくって、上島さんはそう呟いた。……ちょっと、気になるかも。

「よかったら、見てみますか?」

 私の顔に出てたのか、上島さんは写真を差し出してきた。

「あ、じゃあ見せてもらいます」

 渡された写真を一枚ずつめくっていく。そこに写っているのは、青空や道端の花、シャッターの降りたアーケード、そんな何でもないような風景だった。

「……すごいですね」

 それが私の感想だった。何でもないような、でも、何故か懐かしいようなそんな写真。私には……撮れないかも。

「あはは、もしかしたら見るの最後になるかも、って思ったらこんな写真ばっか撮ってました」

「最後?」

 その言葉に、私はふと聞き返していた。

「ええ。ちょっと訳があって。今日引っ越しの作業の合間にこれ引き取りに来たんです」

「……お疲れさまです」

 それしか言えないような。

「それで、自分の大事なもの撮ってたらこんな写真になっちゃって」

「大事なもの、ですか?」

 また聞き返してしまう。悪い癖かも。

「はい。ほら、自分にとって好きな物とか大切にしておきたい物ってありますよね。僕にとってはこんな何にもない風景がそれなんです」

 確かに、それなら私にもある。学校の屋上から見た景色や、近くの神社、それに、言うのが恥ずかしいけど梓とか。

「他人から見たら多分つまんないと思うんです。でも、僕にとって写真って結局自己満足なんですよね。自分が好きなように撮れればそれでいいって」

「それは……」

 確かに、そうかもしれない。でも。

「自己満足じゃ駄目な気がするんですよね……」

「え?」

 私の呟きに、今度は上島さんが反応する。ちょっといけないかな、と思いつつも、私はさっき思ったことを口にする。

「真剣に撮らないと、見てくれる人に失礼な気がして、考え過ぎちゃうんですよね」

 思わず真面目な話になりそうだったから、私は冗談ぽくそう言う。

「真面目なんですね。でも、分かりますよ」

 私の言葉に、上島さんはそう笑顔で言った。

「多分、被写体も見てくれる人も大事にしてるんだろうと思うんですよね。でも、自分だけ大事に出来てないんじゃないかと思うんです」

「どういう……ことですか?」

「結局は、自分が何を撮りたいか、だと思うんです。確かに、見てくれる人に失礼のないようにきちんと撮るのもいいんですけど、みんなが良いって言うからって自分の好きじゃない物を撮るのは『自分』を大事に見てない気がするんですよね」

 上島さんの言葉を反芻する。自分を、かぁ……。

「確かに、そうかも知れません。さっきも似たようなこと言われちゃいました」

 あはは、と笑いながら言うと、上島さんも笑いながら言う。

「まあ、真面目に越したことはないですけどね。でもほら、そんなこと全部ぶっ飛ばすような一瞬もあるわけですし。それが大事な物だったら尚更ですよ」

 そう言えば、今まで気負って撮ってた写真より自分がいいなと思った物の方が評判はよかった気がする。

「やっぱり、気負わない方がいいのかな……」

 思わず呟く。ほんの聴こえるかどうかの小さな声。でも、上島さんはそれにも反応する。耳いいなぁ。

「うーん、僕からしたら気負ってる方がやっぱり重くは感じますね。自分の好みですけど。僕なんかは他の人みたいにきちんと構図を決めて望む風景になるまで、って待つのは苦手で。それよりは歩きながらでも自分の目の延長みたいに撮る方が……って、何か話変わりましたね」

 頬を掻きながら、上島さんは言う。

「いえ……。実は、私もそんな風な写真の方が好きなんです」

 まあ、そのおかげで美里さんのおじいちゃんからは色々言われるけど。もうちょっと構図を、とか電線を入れないように、とか。

「もっときっちりしろ、って言われるんですけど、どうしても出来ないんですよね」

「あはは、僕も言われました。でも、自分の気持ちが動いた瞬間なんてそんな細かいこと考えてられなくて」

「私もです。あ、コーヒー淹れますね。何だか長いこと話に付き合ってもらっちゃってますし」

 立ち上がってポットの方へ。えっと、ブラックでいいかな。

「あ、すいません。じゃあいただきます。僕も引っ越しの荷物から少し逃げたかったっていうのもあって」

 コーヒーの入ったカップを上島さんの前に置く。よっぽど大変なんだろうなぁ。

「ずっと同じ作業は気が滅入るんですよね。それに……」

「それに?」

 少し言葉を詰まらせた上島さん。

「やっぱり、今までの思い出が色々出てくるんですよね。柱に貼り付けたシールとか、僕のつけた傷とか。それ見ると少しいたたまれなくなっちゃって」

 寂しそうな顔をして言う。何だか悪いこと聞いちゃったかな。

「あ、そんな顔しないでください。悪いことばっかりじゃないですから。これからどんな人と会えるか、だって楽しみじゃないですか。それで僕の写真の世界が広がることだって」

 確かに、それは悪いことじゃないかも知れない。上島さんは、コーヒーに口を付けて続ける。

「写真はその人の今までの人生の表れ、だと思うんです。いい方にも、悪い方にも」

 ……そっか。確かに、そうかも知れない。

「さて、じゃあそろそろおいとましますね。写真とコーヒー、ありがとうございました」

 飲み終えたカップをテーブルに置いて、上島さんはそう言いながら腰を上げた。

「あ、こちらこそすいませんでした。引き留めちゃったみたいで」

 思わず、私も立ち上がって頭を下げる。

「いえいえ、楽しかったしいいですよ。きっと、僕も話し相手が欲しかったんだと思います。だから、こちらこそ」

 そう言って、上島さんは扉を開ける。

「じゃあ、ありがとうございました」

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