『形見』

「暇だ……」

 時計を見ると、九時十二分。ここに来てから二時間ちょっと。何だか、時間が長く感じる。このままじゃコーヒーの消費量がどんどん増えていく気がする。

「こんにちは」

「あ、はい」

 不意にお客さんが入ってくる。あれ。

「神田のおばあちゃん?」

「あら、紗枝ちゃん。今日はお手伝い?」

「うん」

 見知った顔だと思ったら近所のおばあちゃん。でも、写真なんて撮ってなかったはずだけど。

「ええ、おじいさんの。ほら、四十九日も終わったし」

 そう言えば、この間おじいちゃんが亡くなったっけ。

「えっと……それは……」

 言葉に詰まる私に、おばあちゃんは優しく声をかける。

「いいのよ、もう大丈夫だから。それでね、今日は最期のフィルム、現像に出してたのよ」

 そうだ、忘れかけてた。現像済みの棚から、『神田さん』と書いた紙の貼ってある袋とカメラを持って、カウンターに置く。

「はい、これです」

 普段使わない敬語に、おばあちゃんはくすくすと笑う。

「本当に店員さんみたいね」

「……」

 すごく恥ずかしい。どうしようかと考えて、話を変えることにした。

「おじいちゃんって写真よく撮ってたの?」

 私の言葉に、おばあちゃんは首を横に振る。

「いいえ、昔は子供の誕生日や孫が来たときに撮ってたけれどね。最近は子供も孫も大きくなって離れていたから。最近は、これを出しているところも見ないぐらいで。

 でも、お葬式の後に荷物を片付けていたらこれが出てきたの」

 おばあちゃんは、そう言いながらカメラを撫でる。それは、ここにいないおじいちゃんを探すように。

「じゃあ、何が写ってるか……」

 私の言葉に、おばあちゃんは今度は微笑んで首を縦に振る。

「ええ、分からないの。おじいさんは『大切なもの』を撮る人だったから、これを現像に出したらおじいさんの大切なものが分かるかもしれなくて」

 『大切なもの』。おじいちゃんは、一体何を見て、考えていたんだろう。

「……じゃあ、確認をお願いします」

 やっぱり敬語で、私は写真の袋を渡す。その写真を何枚かめくっていくと、おばあちゃんの目には涙がうっすらと浮かびはじめた。

「ど、どうしたの?」

「ううん、何でもないの。紗枝ちゃんも見てみる?」

 そう言われて、私も写真をめくっていく。

「……おばあちゃん?」

 そこに写っているのは、庭で花に水をあげていたり、縁側でひなたぼっこをしていたり……。そんな、何気ない仕草のおばあちゃんだった。

「もう、おじいさんったら……」

 涙を拭って、おばあちゃんは呟く。

「私なんて、撮らなくてもいいのにねぇ……」

「それだけ、おばあちゃんが大切だったんだよね……」

 私も涙が出そうだ。見ているとおじいちゃんがどんな風におばあちゃんを見ていたかが分かる気がする。そして私たちはしばらく黙り込んだ。と言うよりも、何も言葉を出せなかった。

「紗枝ちゃん?」

 先に口を開いたのはおばあちゃんだった。

「……何?」

「おじいさん、幸せだったのかしらね」

 その問いには、私でも答えられる。

「……うん、きっと」

 きっと、大切な人のそばで一緒に生きていけることは幸せなんだろうと私はそう思う。

「そうよね……。ありがとう、おじいさん」

 そう呟いて、おばあちゃんは写真を抱きしめた。


 しばらく二人とも黙っていた。うう、何か気まずいよう。とりあえず、コーヒーでも出そう。

「ねえ、紗枝ちゃん?」

「どうしたの? おばあちゃん」

 コーヒーを淹れながら、私は返事をする。

「紗枝ちゃんも写真撮ってるのよね?」

「うん。あ、コーヒーどうぞ。」

 淹れたコーヒーをおばあちゃんの前に置いて、返事をする。一昨日も一本現像に出したよ。

「ありがとう。紗枝ちゃんは何撮ってるの?」

「え……と」

 困った。とりあえず、目に付いたものを撮ってるから。

「うーん……いつもは風景だけど……ホントのこと言うと何を撮りたいかとかが分かんないんだ」

 そう言うと、おばあちゃんはくすくす、と笑い始めた。

「難しいこと考えてるのね。ひーちゃんそっくり」

 お義兄ちゃん?

「お義兄ちゃんもそんなだったの?」

「そうそう。小さい頃はいつも眉間にしわ寄せて。聞いたら何を撮ろうかどんな風に撮ろうか考えながら撮ってたって」

 そう言って、コーヒーに口をつける。

「でね、おじいさんも一緒に写真撮りにに行ったりして。ほら、おじいさんって昔先生してたから人に教えるの好きだったみたいなのよ」

 そうだったんだ。私が物心付いた頃にはもうおじいちゃんだったし。

「その頃はまだ分からなかったみたいだけど、そうね……高校に上がってからかしらね、ほら、あの頃からだんだん眉間のしわは減ってきたわね」

 眉間にしわ寄せてるお義兄ちゃん……

「ちっちゃい頃は時々見てた気がするかも」

「あら、じゃあ今もかしら」

 思い出す。うーん。

「今はあんまりないかも。でも、構図決めるときとかは本気で悩んでるかも」

「そうなの。それで、紗枝ちゃんは眉間にしわ寄せてない?」

 また思い出す。……うん。

「寄せてるかも」

 もう一口、コーヒーに口をつけておばあちゃんは続ける。

「そんなしわ寄せて写真撮ってても楽しくないでしょ?」

「うん……」

 確かに、何を撮るか、で気持ちががんじがらめになってる気がする。おばあちゃんは、くすくすと笑いながら続けた。

「おじいさんの口癖だったんだけどね、『自分の気持ちを大事にしろ』って。きっと、そう言うことだと思うわよ」

「うん……」

「自分が心を動かされた瞬間は今以外ないから、その時に自分の見たものを撮りたい、って言ってたわね」

 コーヒーを飲み干して、おばあちゃんは立ち上がる。

「じゃあ、私は帰るわね。写真ありがとう」

「あ、いえいえ」

 思わず私も立ち上がる。

「それじゃ、紗枝ちゃんお仕事頑張ってね」

 そう言って、おばあちゃんはお店を出ていった。

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