茜色の空に

美坂イリス

それは唐突に

 小さなシャッター音とともに、茜色の風景は切り取られた。


 夕暮れの街を屋上から見下ろして、私はカメラをもう一度構えた。そして、二度、三度とシャッターを切る。

「さーえ、やっぱりここにいた」

 不意に、後ろから声がかかる。振り向くと、そこには友人の刑部梓が立っていた。

「どうしたの? 梓」

「いや……探してたんだけど? もうすぐ最終下校だし」

 そう言われて、私は右手首の腕時計を見る。あ、ほんとにもう六時前だ。

「ほんとだね。ありがと」

 そう言うと、梓はいきなり怒り始めた。

「それで閉じこめられそうになって先生に怒られたのが今月で何回あったっけ?」

 思い出しながら、指折り数えてみる。

「多分、八回ぐらいかな?」

「ちょっとは学習しなさい!」

 あ、キレた。

「じゃあ、帰ろっか」

「それはあたしの台詞だ!」

 そんな会話をしながら、私たちは屋上の鉄扉をくぐった。


「で、今日はどんな風景だったの?」

 帰り道、梓が私にそう尋ねてきた。

「うーん……茜色の世界、かな」

 思い出してみる。屋上から見渡した世界、全てが茜色に染まって、燃え上がるような景色だった。

「撮りきったの?」

「うん、今月はこれで撮りきったよ」

「じゃあ、帰りに現像出してきたら?」

「そうだね」

 私の手の中のカメラを指さして、梓が言う。

「て言うかさ」

「何?」

「何で今更フィルムカメラなのさ」

 もっともだ。私はその質問の答えを探して、少し黙り込んだ。

「……面白いからかな?」

 絞りやシャッタースピード、ピントも全部自分で合わせないといけないし、撮れた結果が分かるまで数日かかるけど私にとってはそれが楽しいことだったりする。

「うーん……あたしからしたらすっごく『手間』にしか思えないんだけど」

「まあ、それは人それぞれだよ」

 この話は終わり、と言う風に私が言うと、梓はため息を吐いて言った。

「紗枝ってほんとマイペースだね……」

「そうかな」

 自分ではそんなつもりはないんだけど。でも、梓にはそう見えているようだ。

「あー、まあいいや。ほら、写真屋着いたよ」

 いつの間にか、いつもの写真屋さんの前まで来ていた。びっくりだ。

「こんにちはー」

 扉を開けて、中に声をかける。

「ん、紗枝ちゃん? ちょっと待っててー」

 その声と同時に、がん、といった大きな音がお店に響いた。思わず首をすくめる。

「ったー……ごめんねぇ」

 頭をさすりながら出てきたのは、ここの店主の大倉美里さんだった。と言うか、ここには美里さんしかいない。

「どうしたんですか?」

「やー、レンズ拭いてたらテーブルの下にレンズキャップ落としちゃって。で、拾って慌てて立ち上がったら、がん、って」

 うーん、痛そうだ。よく見ると涙目だし。

「で、今日は何? フィルム切れた?」

「今日は現像に。さっき一本撮りきったから」

「そか。今日出しで……明日の夕方でいいかな?」

 明日の夕方。うん、大丈夫なはず。

「はい。忙しいかもしれないけどお願いします」

「ああ、いいよいいよ、どうせあんまりフィルムの現像は仕事が来ないから」

 ひらひらと手を振って、美里さんが笑う。

「まあ、それよりも。今度の日曜はちょっとお店閉めてるから」

「あ、分かりました」

「ちょっと写真撮りに行ってくるよ。今度この界隈で展覧会やるからさ。紗枝ちゃんも出す?」

「あ、どうしよう……」

 少し笑いながら、美里さんが言う。ちょっと出してはみたいけど、少し迷う。その気持ちを見透かしたように、美里さんが言う。

「大丈夫、喧しい批評家なんていないから、自分の好きなのを出せばいいんだし」

「じゃあ、考えてみます」

「うん、じゃあ明日にでも詳しいこと教えたげるよ」

 明日。どうして、と聞く前に目の前の時計が目に入った。あ、もう七時前だ。

「じゃあ、明日写真取りに来たときに教えてください」

「了解。んじゃまた明日」

 手を振る美里さんにお辞儀をして、私はお店の外に出た。


「何か今日長かったね」

 外で待っていた梓がそう尋ねてくる。

「あ、うん。今度展覧会するから出してみないかって。写真」

「ああ、兄ちゃんが言ってたわ。で、出すの?」

「出してみようとは思ってるんだけど、ちょっと自信がないかも。今までそんなの出したことなから」

 私がそう言うと、梓は笑いながら言った。

「誰だって最初はそんなもんだよ。それとも、他に何か理由でもあったりする?」

 その言葉に、私はどきりとする。……うん、その通りだ。

「……あのね、何が撮りたいか分からないんだ」

「え?」

 何を言われたか分からない様子の梓。それはそうだろう。

「何が撮りたいか分からない……って言うか、自分がどんなのを撮りたいかが分かんない、って言うのかな。はぁ、何て言えばいいんだろうね」

 ため息を吐きながら言う私に、梓もため息を吐く。

「何かよく分かんないことで悩んでるみたいだけどさぁ、もうちょっと気楽に考えたら?」

「それが出来れば苦労しないよ……」

「考え込みすぎ」

 その一言に私は思わず頬をかく。どうも、そうらしい。

「紗枝?」

 突然、後ろから声がかかる。んと。

「お義兄ちゃん?」

 振り向いて声のした方を見ると、お義兄ちゃん……まあ、お姉ちゃんの旦那さんが立っていた。

「ちょ、誰よこれ」

 これって言ったら失礼だよ。まあ、会ったことなかったハズだし。

「うちのお姉ちゃんの旦那さんで、名前は……あれ?」

「どした?」

「ううん、いつもひーちゃんって言われてたから名前覚えてないや」

「や、いいけどさ」

「よくないですよ……」

 諦めたお義兄ちゃんと呆れたような梓の言葉。

「いいよそれで。特にそこにこだわる必要もないし」

 ホントはよくないのも分かってるけど、どうやらお義兄ちゃんは構わないらしい。

「紗枝のお守りも大変じゃないか?」

「ええ、とっても」

「悪いがこれからもお守りをよろしく」

「……えー」

「……何か、ひどいこと言ってない?」

 絶対、ひどいこと言ってると思う。そんな私を無視して、梓は手を振った。

「んじゃ、まああたしは帰るよ。明日も朝練だし」

「そう言えば陸上部だっけ。大変だね」

 私の言葉に、梓はうなずきながら言葉を返す。

「そろそろ大会も近いしさ。ホント大変なんだよ。じゃあね」

 手を振って歩いていく梓を見ながら、私はお義兄ちゃんに尋ねた。

「で、どうしたのお義兄ちゃん?」

 私の言葉に、お義兄ちゃんは少ししかめ面をして言った。

「ご飯が……」

 ……なるほど、またお姉ちゃんがご飯に失敗したのか。お姉ちゃんも何でご飯作るのに真っ黒い物体に出来るんだろう。

「で、そのお姉ちゃんは?」

「いや、ちょっと出てくるってカメラ持って出てってそのまま。遅いから探しにきたトコに紗枝がいたから」

「そっか。電話してみたら?」

「そうしようか」

 そう言ったとき、お義兄ちゃんの携帯が鳴り始めた。多分、最大音量で。

「あー、ひさか? 今どこだ?」

 どうやらお姉ちゃんだったらしい。話の内容は聞こえないけど。

「上? ああ、城のトコか。は? 五分で来い? お前無茶苦茶を言うなっつの! 行くけど」

 終話ボタンを押して、お義兄ちゃんが私に言う。

「城山公園だって。行くよ」

「え、わ、私も?」

「せっかくだからな」

 とりあえず付いていく。でも、何がせっかくなんだろう。


「とりあえず連絡ぐらいは入れろ!」

 城山公園でお姉ちゃんを見つけたとき、お義兄ちゃんの最初の台詞はそれだった。ついでに、頭を平手ではたいて。

「いたっ! だって、すごいきれいだったんだよ? 写真撮るのに夢中になってて~」

「分かるけど、出てくときは前もって誰かに言っとけ! みんな行き先知らなかったんだから!」

「はーい……」

 お義兄ちゃんのお説教終了。

「で、何がきれいだったんだ?」

「あ、夕日! すごかったよ? 何だか街が燃えてるみたいで」

 あ、さっきの風景か。私も話に参加しよう。

「さっきまで私も学校の屋上で撮ってた」

「そっか。俺ならこの後を撮るけど」

「この後?」

 お義兄ちゃんの言葉に、私とお姉ちゃんは二人揃って首を傾げた。

「ま、見てりゃ分かるがな。……お、来た来た」

 そこには、紫から黒へのグラデーションの中に町並みの灯りが浮かんでいた。

「うわ……」

「お義兄ちゃんよく知ってるね……」

 こんな風に見える世界、私は今まで知らなかった。そして、お義兄ちゃんとお姉ちゃんは夢中でシャッターを切っている。私は、少し離れたところからその二人を写していた。


「今日の晩ご飯何? お母さん」

 三人で家に帰って、キッチンに顔を出す。

「うーん……豚肉とピーマンと玉ねぎの炒め物にしようと思ってるんだけど」

「……ピーマン」

 思わず苦った顔になる。いや、実際苦いから苦手なんだけど。

「そう言えば、ひさとひーちゃんは?」

「あ、お父さんのトコに行ったよ。何か今度写真展があるらしくて、それの話だって」

「ふーん……紗枝も気になるなら行ってきてもいいわよ」

「うーん、じゃあ、話だけでも聞いてくる。今日美里さんにも言われたから」

 確かに、気にならないって言ったら嘘になるし。ちょっと行ってみよう。

「あとね、ひーちゃんたち日曜までこっちにいるって」

「分かった。久しぶりに甘えてみるね」

 お母さんにそう言って、私はキッチンを出た。


「お父さん?」

 ノックをして、お父さんの部屋の扉を開ける。

「ああ、紗枝? どうしたの?」

 お父さんの質問に、少し考えてから答える。

「ううん、今度の写真展の話だけでも聞こうかと思って」

 私のその言葉に、お父さんは心底嬉しそうな顔をした。

「出してみる? だったら額もう何個か買わないと!」

 あ、踊り出した。まだ出すって決めてないよ。

「まだ出すって言ってないよ義父さん。つか、どこで聞いたんだその話」

 そして、冷静なお義兄ちゃん。

「あれ、いつの間にか僕のこと普通に『義父さん』って言ってるね」

「いやまあ……」

 あ、あっちで別の話になった。しばらく見てよう。面白いから。お義兄ちゃんの困った顔を見るのも珍しいし。

「で、写真展ってどんなの出せばいいの?」

 しばらくしてから、話を戻す。何か縛りがあったら危ないし。

「うん、どんなでもいいよ。自分が好きなものを出せばいいから」

「私とひーちゃんは日曜日にみんなで撮影会に行くけどね」

 ああ、美里さんが言ってたのってもしかしてこれかな。

「美里さんたちも?」

「ああ、美里から聞いてんだ。なら話は早いけど、今度美里のじーさまと俺の悪友が組んでこの近辺で写真趣味にしてる奴らで写真展する事になって。で、元写真部の連中で日曜に撮影会になったんだ」

「そっか」

「とりあえず、出してみても面白いと思うよ。それぞれで趣味が全然違ったりするから」

「……」

 出してみる。そう考えて、私は黙り込んだ。

「……何か悩み事、ある?」

「お姉ちゃん?」

 びっくりした。何で分かるんだろう。

「……うん、自分が何が好きで、何が撮りたいかが分かんないんだ」

 私がそう言うと、部屋にいたみんなが黙り込んだ。

「……ああ、よくあることだな。俺もあったし」

「私も」

「僕もあったなぁ、学生時代」

 え、お義兄ちゃんたちもそんなことあったんだ。

「ま、実際んトコ考えても出てくるもんじゃないしな。答えは」

「私は……ひーちゃんとかかなちゃんに連れられて色んなもの撮ってそれで、だったけど」

 要するに、いろいろ撮ってみろ、ってことかな。

「『撮る』だけじゃなくて『見る』ってのもありだな」

「……ちょっと、考えてみるね。写真展」

 でも、今の私にはそんなことしか言えなかった。


 次の日、写真屋さん。美里さんは私の顔を見るなりマシンガンの様に話し始めた。

「紗枝ちゃんごめんちょっとお願い駄目かな日曜日!」

 え、あ……え? 訳が分からない……かも。

「どうしたんですか? とりあえず順序を立てて」

「あ、ああごめんごめん。えっとね、どこから話せばいいか……そうそう、日曜日にね、撮影行くって言ったじゃん? で、今日金曜日じゃない? さっき珍しく現像が四件入って、頑張ってたんだけどどうにも明日には間に合わなくて、でも日曜日にはどうしても欲しいってみんな言うのね? で、相談なんだけど日曜日にお店の番してくれないかな?」

 マシンガン終了。でも、とりあえず何を言いたいかは分かった気がする。お店の番のお願いらしい。

「まあ、日曜は何にも予定ないからいいですけど……」

 私がそう言うと、美里さんはとても嬉しそうな表情をした。正確に言うと、半分嬉し泣きな顔。

「いいの?! じゃあ、その代わりに今回の現像料ただでいいよ!」

 どうやら、お給料の代わりらしい。それはそれでちょっとありがたいかも。今月これでフィルムが二本目だし。

「あ、ありがとうございます」

「よかったー、これで久しぶりに彼方先輩に会えるよぉ!」

「彼方さん?」

 お姉ちゃんの親友の人で……今は、とあるバンドの専属カメラマンやってる人だ。今は色んなところを回ってるらしいけど、どうも日曜日には帰ってくるらしい。

「で、写真展どうする?」

「お義兄ちゃんとお姉ちゃんに聞いたんですけど……どうしようかまだ悩んでます」

「そっか。まあ、まだ時間あるから考えられるだけ考えたらいいと思うよ」

「あ、はい」

「そうそう、紗枝ちゃんの今回の写真。きれいに撮れてるね。やっぱ先輩たちの影響?」

 美里さんは話を変える。うーん、表情に出てたかな。悩んでるの。

「うーん……。そうかも、です」

 物心ついたときからお義兄ちゃんたちの写真を見る機会が多くて、私は気付けばカメラを持っていた。そして、きれいに撮る技術も教えてもらっていた。

「そっか。先輩たちすごかったもんね」

「そうなんですか?」

 お姉ちゃんの高校時代の話はほとんど聞いたことがない気がする。もしくは、ちっちゃい頃だったから忘れてるか。

「そうそう。ひーちゃん先輩の代なんかは他の部活の印刷物とかの写真全部撮ってたらしいから。彼方先輩とひさちゃん先輩もだしね」

「お姉ちゃん達そんなことしてたんだ……」

 二人とも実はすごかったんだ。ぜんぜん知らなかった。

「だから、紗枝ちゃんも高校に入ったら写真部に入ることをお勧めするよ?」

「……それも、考えときます」

「うん。じゃあ、明後日お願いします。七時ぐらいに来てくれたらいいから」

 深々と頭を下げる美里さん。あ、そんなにしなくてもいいよ。



 そして日曜日。私は朝六時ぐらいに目が覚めてしまった。しょうがないので、私はリビングに下りる。うん、やっぱり誰も起きてない。

「うーん……どんなことすればいいんだろう」

 今日の仕事が頭をよぎる。あんまり難しいことはないだろうけど。

「あれ、紗枝ちゃん早いね」

 伸びをしていると、後ろから声がかけられる。振り向くと、お姉ちゃんがもう着替えてそこに立っていた。

「お姉ちゃんも人のこと言えないよ」

「あはは、まあね。今日は美里ちゃんのトコでお仕事でしょ?」

「うん。何するのかよく分かんないけど」

 私がそう言うと、お姉ちゃんは苦笑いを浮かべて言った。

「流石に現像の受付はないと思うから大丈夫だよ。今日は基本お休みにして取りに来る人だけ声かけてるらしいから」

「それなら安心した」

 ふう、と私は息を吐く。そんな受付なんか出来ないし、やり方すら分からない。

「うん。で、何時ぐらいに行くの?」

「七時ぐらいって。お姉ちゃんたちは?」

「七時半ぐらいかな。多分ね、お客さんの説明でちょっと時間余分に取ったんじゃないかな」

 話しながら、お姉ちゃんはカメラにフィルムを詰めていた。

「そう言えばお姉ちゃんずっとそのカメラだよね」

「うん。何回か紗枝ちゃん間違えて持ってっちゃったことあったよね」

「う……」

 そう言われて、私は黙り込んだ。私が小さい頃に使っていたカメラは、お姉ちゃんのカメラとほとんど同じものだった。見分けるには上面とセルフタイマーがあるかどうか。小学校低学年だったら間違えても無理はないと思う。結局十歳の誕生日のお祝いに別のを買ってもらえたけど。

「うん、ひーちゃんと初めて一緒に買いに行ったカメラだから」

「惚気?」

「う……」

 今度はお姉ちゃんが真っ赤になって黙り込む。深く追求すると何だかまずい気がする。

「……あんまり聞かないことにするね」

「……そうしてくれると嬉しいな」

 お姉ちゃんはほっとしたように息を吐いた。

「あれ、お前ら起きてた?」

 あくびをかみ殺しながら、お義兄ちゃんがリビングに下りてくる。

「お義兄ちゃんも。フィルムは大丈夫?」

「ああ、こないだ一ダース買ってきた」

 それは、ちょっと多いんじゃないかな。流石に今日一日で三十六枚取り十二本で合計四三二枚は撮らないだろうし。

「どうせ仕事でも使うからな」

 そっか。ならあっても無駄にはならないね。

「つか、出発七時過ぎなのにお前ら何でこんな早いんだ?」

 確かにまだ一時間ぐらいあるし、お義兄ちゃんの指摘ももっともだ。

「寝れなくなりました」

「お姉ちゃんに同じ」

「……そっか」

 何だか呆れたようなお義兄ちゃんの声。

「で、ひーちゃんは何で?」

「決まってる。お前らが喧しかったから」

「うわひど」

 掛け合い漫才のような会話。実際美里さんから聞いた話では昔からこうらしい。

「朝ご飯作ろうか? 私作るよ」

「ひさは頼むから自重してくれ……。こないだおにぎり失敗しただろ」

 やる気満々のお姉ちゃんと心底嫌そうなお義兄ちゃん。……こないだ帰ってきた理由がよく分かった。

「私が作るよ」

「んじゃ、おにぎり。結構多めにな」

 ……お姉ちゃん、おにぎりも作れなかったんだ。それは色々と駄目な気がする。

「パンじゃ駄目なの?」

「パンは消化が良すぎて。あとは……」

「おはよう」

 階段を下りてくるのは、お父さん。

「義父さんも行くから」

「よく分かったね。僕が下りてくるの」

「聞こえるだろ」

 びっくりしたようなお父さんの声と、さも当たり前のようなお義兄ちゃんの声。いや、聞こえないから。

「そうか? まあいいけど」

 いいんだ。お義兄ちゃん、心が広いというか何というか……。多分、何かが違うと思うけど。

「塩でいい?」

「あ、俺おかか」

「私も」

「僕は塩でいいよ」

 もう、お義兄ちゃんたちは……。ふりかけを探しながら、ぶつぶつ言っていると、お姉ちゃんがキッチンに来る。

「ごめんね、私が料理下手で」

「まさかおにぎりも作れないとは思わなかったけどね」

「……前に作ったときに、砂糖と塩間違えたの」

 申し訳なさそうなお姉ちゃん。そんなベタな間違いするとは思わなかった。

「とりあえず作っちゃうからお義兄ちゃんたちと話してたら?」

「うん、そうするよ……」

 さて、頑張って作ろう。もう二合ぐらい使っちゃえ。



「おはようございます」

 七時過ぎ。お店の扉を開けて、中に声をかける。

「あ、おはよ紗枝ちゃん。入って入って」

 お店の奥の方から美里の声。見てみると、美里さんはカウンターの向こう側に座ってフィルムを詰め替えていた。

「早いねぇ。もうちょっと来ないかと思って油断してたよ」

「あ、いえ。何か緊張しちゃったんです」

 私がそう言うと、美里さんは口を押さえて笑い始めた。

「いやいや、あんまり緊張するようなことないって。あと、敬語はいいよ? あんまり慣れてないから」

 そう言ってまた笑う美里さん。いや、そう言うわけにもいかないと思う。

「そっか。じゃあ好きなようにしてもらおっか」

 そう言いながら、美里さんはカウンターの向こう側に私を呼んだ。

「これが今日のお客さんの写真ね。で、二人カメラ持ち込んで現像したから間違えないように返してあげてね。ちょっと大事なのらしいから」

「はい」

 見てみる。うん、結構年代物のカメラみたい。お父さんたちならいつ頃のか分かるかもしれないけど、私には流石に分からない。

「あと、今日はお休みにしてるから、取りに来るお客さんだけしか来ないはずだから」

「あ、お姉ちゃんに聞きました」

 私がそう言うと、美里さんは視線を上の方に持っていって考え始めた。

「ひさちゃん先輩に? あ、そう言えば言ったなぁ」

「はい。後は……?」

「ない、かな。ひーちゃん先輩とも話したから、お客さんと話してみるのもいいと思うよ。多分、いろいろな想いがあるだろうし」

 何だか含みのある言い方。

「いろいろな想い……ですか?」

「うん。何となくね。そんな急ぐなら、って」

「はあ……」

 うーん、よく分からない。

「さて、じゃあ一応お店八時からだからコーヒーでも飲みながらお客さんが来るの待っててね。いくらでも飲んでいいから。砂糖も準備したし」

「あ、はい」

 多分、ホントにコーヒーばっかり飲むことになりそう。……お客さん、いつ頃来るのか分からないし。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る