第四話 中間テスト間近 優等生の利佳子ちゃんちで勉強稽古
翌朝、旅行明け月曜日、七時五〇分頃。鬼柳宅。
「ぅおーい、梶之助ぇ。久し振りの特製ドリンクじゃ。飲んで背ぇをぐんぐん伸ばせ。骨を丈夫にするゼラチンもたっぷり入っておるぞ」
「だからいらねえって」
梶之助は先週の金曜日以来三日振りに特製ドリンク(今日はシソとサクランボと枇杷とクラゲのミックスジュース)を振舞われ、即効流しに捨てる。五郎次爺ちゃん拗ねて寝込む。そのあと麗が迎えに来て、二人はほぼいつも通りの時刻に登校。
普段通りの日常が戻って来た。
八時二〇分頃、淳甲台高校一年二組の教室。
「おっはよう! 秋穂ちゃん、利佳子ちゃん」
「おはよう、麗さん、元気ね。わたし、筋肉痛が」
「おはよう、ウララちゃん。ワタシも筋肉痛だよ。今日のダンスはつらそうだよぅ」
利佳子と秋穂も普段通りの時間に登校していた。
「私は全然平気だよ。二人とも運動不足だね」
麗は爽やかな表情で言った。
「やっぱ普段からトレーニングしてる子は違うわね。さてと、中間テストまであと四日しかないし、旅行から気持ちを切り替えなきゃね。今日からテストが終わるまで、放課後毎日わたしんちで一緒に勉強会をしませんか? みんなでやると、勉強がより一層捗そうなので」
「それはいいね。ワタシのお部屋は誘惑が多過ぎるし」
「利佳子ちゃん、関脇級のグッドアイディア」
利佳子の誘いに、秋穂と麗は快く乗った。
「やぁ、梶之助殿ぉー。おいらまだ旅行の疲れが抜けないぜ。特に筋肉痛が。歩き過ぎたせいだな」
「ボクもただ今筋肉痛でありますぅ」
光洋と秀平も若干疲弊した表情を浮かべながらもほぼ普段通りの時刻に登校してくる。
「おはよう光洋、秀平。俺も筋肉痛だ。柔道着は持って来たけど、今回も柔道見学しようかな」
「おいらもそうしよっと」
「鬼柳君、大迎君、サボり過ぎると、夏休み補習になっちゃうよーん」
男子三人でそんな会話をしていたところへ、
「あのう、梶之助さんも、わたしんちでの勉強会のご参加お願いします」
利佳子が近寄って来て話しかけてくる。
「まあ、家では五郎次爺ちゃんが相撲の話ばかりして来て鬱陶しいからな」
そんな理由で、梶之助は参加することにした。
「光洋さんと秀平さんも、もしよかったら来て下さいね」
「おいらはやめとく」
「ボクも、余計に効率が下がりそうですしぃ」
利佳子は誘ってくれるも、光洋と秀平は即、きっぱりと断った。
「そう言うと思ったわ。それじゃ、他の皆はわたしんちに五時頃に来てね」
☆
約束した午後五時頃。
「こんばんはー、利佳子ちゃん」
「こんばんは、来たよ」
「どっ、どうも」
麗、秋穂、梶之助の三人は一緒に南中宅を訪れた。
「いらっしゃーい」
利佳子が三人の前に姿を現した瞬間、
「うわっ!」
梶之助は思わず仰け反った。
「あっ! ごめんなさーい、梶之助さん。見苦しい姿をお見せしてしまって。わたし、お風呂上りはいつもしばらくこんなはしたない格好だから。すぐに上着着てくるね。皆さんリビングで待ってて」
利佳子は水玉模様のショーツと、真っ白なブラジャーだけの下着姿だったのだ。そんな彼女はそそくさと脱衣場へ戻っていく。
訪れた三人は、利佳子に言われた通りリビングへ向かい、ローテーブル横のソファに腰掛けて待つことにした。
「お待たせー。皆さんも、もし良かったらお風呂どうぞ」
ほどなくして、利佳子はパジャマ姿でリビングへやって来る。
「ワタシはべつにいいよ。汗そんなにかいてないし」
「私もー。まだ真夏じゃないからね」
「そっか。梶之助さんは、どうですか?」
「俺もいいよ。というか、女の子のおウチでお風呂をいただくのは気が引けるし」
梶之助は即拒否する。
「お風呂入った方がさっぱりした気分で勉強出来ると思うけどな。それじゃ、勉強会を始めましょうか」
利佳子は笑顔で告げる。やる気満々な様子だった。
「そういえば、そろそろ前頭上位の取組が始まる頃だね。えっと、リモコン、リモコン」
麗はふと思い出す。今ちょうど大相撲夏場所二日目のテレビ中継がされている時間帯なのだ。
「麗さん、勉強会中にテレビとスマホは禁止よ。リモコンは事前に隠しておきました」
利佳子は笑みを浮かべ、きっぱりと言い張った。
「あーん、いじわるぅ。取組結果がすごく気になるのにぃ」
「結果は後からでも分かるでしょ」
「リアルタイムで知りたいのにぃ。結果が気になって勉強に集中出来ないよぅ」
「結果を知ったら麗さん興奮して余計に集中出来なくなるでしょ。この誘惑に打ち勝つことも、精神修行になるわよ」
嘆く麗に、利佳子は得意顔で説得し続ける。
「もう、分かったよ、結果は後で見るよ。今度の中間も、秀ちゃんはまた学年トップ取るんだろうな」
麗は勉強道具を取り出しながら、羨ましそうに呟く。
「わたし、中学時代は秀平さんに総合得点で一度も勝てなかったよ。あの子のせいで万年二位だったの。今度の中間ではわたし、秀平さんに勝って、初の学年トップを目指すよ!」
利佳子はきりっとした表情で宣言した。
「秀ちゃんは今年の淳高一年生の学力の横綱だね。あり得ないけど、私が秀ちゃんに勝てたら大金星どころか、新弟子検査受けたばかりの子が真剣勝負で横綱に勝っちゃうくらいの大波乱だよ」
「秀平は小学校の時から数学は高校レベルのやつを解いてたからな。俺は、中間は総合五〇番以内を目標にしてる」
「ワタシもカジノスケくんと同じ目標だよ。いっしょに頑張ろうね」
「梶之助くんと秋穂ちゃんも志し高いね。私は赤点回避が目標なのに。職員室に忍び込んで問題を盗めたら簡単に点取れるのになぁ」
麗は残念そうに呟く。
「麗さん、そんなことしたら退学になるわよ。試験は正当な方法で臨まなきゃ」
利佳子は険しい表情になった。
「冗談だって。利佳子ちゃんも京大志望なだけに不正行為に関しては厳しいね」
「じゃあ、まずは確認するね。皆さん、テスト範囲のプリントは全部揃ってる? 足りないのがあったら、コピーしてあげるよ」
「俺は全部揃ってるよ」
「ワタシもー。ちゃんと科目毎にファイルにまとめて保管してる」
「梶之助さんと秋穂さんは予想通りきっちりしてるわね。麗さんはどうかしら?」
「私ももちろん全部揃ってるよ」
麗はそう答えると、鞄の中からファイルを取り出した。彼女も秋穂が伝えたことと同じように、科目毎にきちんと分けられ計九冊あった。
「あら、本当? 今までそんなこと一度もなかったのに。それにしても全科目分持って来たのね」
利佳子は一冊ずつパラパラッと捲って確認してみる。
「本当だ。一枚も抜けがないわ」
約二分半で作業終了後、かなり驚いていた。
「ちゃんと整理整頓出来るようになってえらいでしょう? 空欄も全部埋まってるよ」
麗は得意げになる。
「確かにね。でもそれは梶之助さんが管理してくれたからでしょ?」
利佳子はにこやかな表情で問いかけた。
「ちゃんと自分でやったよ」
麗は自信満々に言うが、
「ほとんど俺のやつを丸写ししてたよ」
梶之助は呆れ顔で事実を報告しておいた。
「やっぱりね。板書は全部ノートに写せてる?」
「そりゃあもちろん」
「これも梶之助さんのおかげなんでしょ?」
「その通り!」
次の質問には、麗は開き直って堂々と答えた。
「そんなやり方じゃ自分の力にはならないわよ。麗さんがやってることは、稽古サボってる力士が一生懸命稽古に励んでる他の力士を眺めてるだけで、自分も猛稽古して強くなったと勘違いしてるようなものだからね」
利佳子はため息交じりに忠告する。
「利佳子ちゃん、上手い例え方だね。でも私、数学だけは自分の力じゃどうしようもない。考えて解くのが横綱級に面倒くさい」
しかし麗にはあまり効果は無かったようだ。
「ウララちゃんの数学嫌いは、幼稚園時代の数のお稽古の頃から来てるもんね」
秋穂は微笑みながら突っ込んだ。
「えへへ。私、相撲の稽古は大好きだけど、数の稽古は大嫌いだよ」
麗は照れ笑いする。
「麗さんは数学のお稽古を重点的にやっていく必要があるわね。わたし、今度の中間テストの予想問題を作ってあげたよ」
利佳子はそう伝えると、自作の数学演習プリントをローテーブルの上にポンッと置く。
数学Ⅰと数学A、中間テストでは別の日程で組まれているがここでは両方ミックスさせていた。問題用紙と解答用紙の計二枚。
「利佳子ちゃん、私のためにわざわざ作ってくれたの! ありがとう」
麗は嬉し涙を浮かべ、利佳子の体にぎゅっと抱きつく。
「うっ、麗さん、お礼はいいから、シャーペン持ってさっさと解き始めて」
利佳子は照れ隠しをするように命令した。
「分かった。頑張るぞーっ!」
麗は気合十分だ。
「リカコちゃん、ワタシもそれ、やりたぁい。ワタシも数学あまり得意じゃないから」
「俺も、やるよ」
「素晴らしい心構えね。それじゃあ、このプリント、コピーしてくるね」
利佳子は嬉しそうにそう言うと二階自室へ向かっていく。三分ほどのち、コピー四枚の計六枚を持って戻って来た。
「解き方を間違えたり、制限時間内に正解に辿り着けなかったりしたら、これで背中を叩くよ」
利佳子はさらりと言う。
もう片方の手に、剣道で使われる竹刀も装備していた。利佳子が中学の頃、選択武道の授業で使用していたものだ。
「それは恐ろしやー。利佳子ちゃんまるで相撲部屋の親方みたいだよ」
「ワタシ、真剣にやらなきゃ」
「緊張感があるね。俺もケアレスミスしないように慎重に解こう」
三人はシャープペンシルを手に取る。
「それじゃ、始めてね」
利佳子からのこの合図で、三人は問題を解き始めた。
「いったぁーい! 答え合ってるはずなのにぃ」
五分ほどのち、麗がパチーンッと叩かれた。
「確かに答えは合ってるよ。でも、導き出すまでに時間がかかってたら無意味よ。大学入試では制限時間内に数多くの問題をこなさなきゃいけないんだから」
利佳子は厳しい表情で忠告するや否や、
「きゃぁんっ!」
「うわっ!」
今度は秋穂と梶之助の背中をパチンと叩いた。麗にした時よりは手加減していたように見えた。
「秋穂さんも梶之助さんも遅いっ。問い一は五分が目安よ。もっと手際よくパッパッパッと解かなきゃ!」
利佳子は凛々しい表情で学習塾の熱血指導型の先生のごとく注意する。
三人は、その後も少しびくびくしながら引き続き問題を解いていく。
そして開始から四五分後。
「はいそこまで! シャーペン置いてね」
利佳子は終了の合図を出した。
「私、半分くらいしか解けなかったよ。問題数多いよね」
「俺もあと二問まるまる残ってる」
「ワタシはあと三問だ。リカコちゃんのせいのような……」
あのあとも梶之助は二回、秋穂は三回、麗は十数回利佳子に背中を叩かれた。
利佳子は赤ボールペンを手に取り、困惑顔を浮かべながら三人の答案を採点していく。
「麗さんは四一点、秋穂さんは六七点、梶之助さんは七三点ね。三人とも正答率は高いけど解くのが遅いのが勿体無いわ。皆さんは小中学校の時、計算ドリルとか数学の問題集とか、いつも自分の力で真面目にやってた? 分からない問題は答えを写さずに自分で一生懸命考えて解いてた?」
利佳子からされた質問に、
「いやぁ、私いつも答え丸写ししてたよ」
「ワタシも分からない問題はけっこう写してたなぁ」
「俺も同じだ。いくつかわざと間違えたりしてた」
三人はやや申し訳なさそうに答えた。
「やっぱり。それも、宿題で出された時だけでしょ? 宿題に関係なく、ドリルや問題集を自分の意思で繰り返し解こうとはして来なかったでしょ?」
「そうだねぇ。宿題に出てないのに、わざわざやろうとは思わないよ」
「ワタシもウララちゃんと同じ」
「俺もだ」
「それが、あなた達の計算スピードが遅い原因よ。小中学校の頃からの計算練習の累積量がまだ足りてないと思うの。数学は反復練習の積み重ねで差が付く教科だからね」
利佳子はおっとりした声でありながらも、厳しく忠告する。
「利佳子ちゃんの言うことはごもっともだよ。お相撲の稽古と同じだね」
「俺も今になって、中学の頃あまり数学の勉強しなかったことちょっと後悔してる。テストはいつも九〇点以上取れてたから数学得意だと思ってたけど、高校レベルでは通用しないみたいだね」
「ワタシも、数学は高校レベルになってちょっと躓いちゃったよ。これからもっともっと難しくなって来るし、ついていけるか不安だよ」
「大丈夫よ。今からでも数学の問題練習を毎日しっかり続ければ、計算スピードが養われて併せて見たことの無いようなタイプの問題にも、焦らず落ち着いて対応出来る直観力や思考力も高まるから。自然と一夜漬けみたいな一時凌ぎじゃない本当の実力がついて、模試やセンター試験、国立大二次試験レベルの問題でも高得点が狙えるようになるよ。それが、他の科目のさらなる成績アップにも繋がっていくの」
利佳子は三人に向かって優しく微笑みかけ、ウィンクした。彼女は、高校レベルの数学は秀平と同じくすでに全範囲マスターしているのだ。
「ワタシ、頑張るよ!」
「私も数学の稽古はこれから毎日続けるよ」
「俺も頑張ろう」
三人の向上心は、ますます高まる。
「その調子よ。家に帰った後も、もう一度数学の問題集を何題か自力で解いてみてね」
利佳子は、励ましの言葉を送ってあげた。
こうして今日の勉強会は終了。三人は南中宅をあとにし、自宅へと帰っていく。
☆
夜十時過ぎ、和木宅。
麗はお風呂から上がると、機嫌良さそうに自室へ。普段はベッドに寝転がって絵本や児童文学書を読むのだが、
「頑張らなきゃ! お相撲さんだって日々稽古に励んでるもんね」
今日はまっすぐ机に向かって、苦手な数学の勉強をし始めた。
それでも就寝前のトレーニングは欠かさなかったが。
翌日から、南中宅での勉強会は麗の提案により勉強稽古と称するようになった。
四人は特に反復練習が物を言う数学と英語を重点的に勉強していく。
テスト前日には、授業が四時限目までだったため勉強稽古は午後一時半頃から開始。明日組まれてある化学の勉強を一通りこなした後、利佳子は同じく明日組まれてある数学Ⅰの彼女自作予想問題を前回と同じ制限時間で三人に解かせてみた。
「秋穂さんは八三点、麗さんは五九点、梶之助さんは八七点か。稽古の成果が出て来たね。本番もこの調子で頑張ってね」
利佳子はとても機嫌良さそうにエールを送る。
「もちろん一生懸命頑張るよ」
「任せて利佳子ちゃん。私、六〇点は超えて見せる!」
「俺は、九〇は狙うつもり」
三人は自信満々に宣言した。
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