第三話 梶之助達、東京へ行く(二日日)

朝七時半頃、1805号室。

(もう朝か。真夜中の雷は凄かったな)

 梶之助は目覚まし時計に頼らず自然に目を覚ました。

「ん?」

 瞬間、左腕に妙な違和感が。

 むにゅっ、としていた。

「これって、ひょっとして……はっ、離れない」

 梶之助は焦りの表情を浮かべる。強く締め付けられていたのだ。

「うっ、麗ちゃん、起きて」

 自由になっている右手で、麗の頬を軽くぺちぺちと叩く。

「……んにゃっ、あっ、おはよう、梶之助くぅん」

 すると幸いにもすぐに目を覚ましてくれた。寝起き、とても機嫌良さそうだった。

「早く、俺から離れて」

「梶之助くぅーん、何焦ってるのぉ?」

 麗はぼけーっとした表情。

「俺の腕が、その……」

 梶之助は視線を下に向ける。

「あっ! 私のおっぱいが、梶之助くんの腕にがっぷり四つになってたんだね」

 麗はついに今の状況に気付いたが、特に取り乱すことなく冷静に自分の腕を梶之助から離した。布団から出て、ゆっくりと起き上がる。

「うっ、麗ちゃん、どうしてパンツ一枚だけになってるんだよ?」

 麗の格好に梶之助はドン引き。すぐに壁の方を向いた。

「暑かったから、無意識のうちに脱いじゃったみたい。男の子がお相撲取る時の格好になってたね。でも、すごく気持ちよく眠れたよ」

 麗は照れ笑いしながら言う。

「とっ、とにかく、早く服着て」

 梶之助は壁の方を向いたまま命令する。

「分かったよ、梶之助くん。そんなに慌てなくても」

 麗は笑いながらリュックのチャックを開け、普段着を取り出す。着替え始めてくれた。

「着替えたよ、梶之助くん」

 三〇秒ほどのち、麗から伝えられると、

「……」

 梶之助は体の向きを変え、恐る恐る麗の方を見てみた。私服姿に、ホッと一安心する。

「梶之助くんも早く着替えて」

「うん。俺は、トイレで着替えるよ」

 梶之助は立ち上がり、リュックから普段着を取り出すと、トイレの方へ向かおうとした。

 しかし、

「もう、梶之助くん。パンツ一丁姿なんて私に見せ慣れてるんだから、ここで着替えればいいじゃん」

「うわぁっ」

 麗に背後から両腕と胴回りをしっかり掴まれ、身動きを阻止されてしまった。

「送り吊り落としにしちゃおうかなぁ?」

「うっ、麗ちゃん、それは、勘弁」

「じゃあ、これにしよう。それぇっ!」

「わわわ」

 梶之助はうつ伏せ状態でベッド上に押さえつけられてしまった。彼の上に、麗が覆い被さるように同じくうつ伏せ状態で乗っかる。その格好は、まるで交尾中のカエルのようであった。

「どうだ梶之助くん。さっきは〝送り掛け〟にしてみたよ」

「のっ、退けって。重たい」

 梶之助は苦しそうな表情で頼むが、

「ダメー、退かなぁーい。ここで着替えてね」

 麗は聞き耳持ってくれず。さらに強く体を密着させてくる。梶之助は無理やりパジャマの上着まで脱がされてしまった。捕まえられた際に、前側のボタンを緩められていたのだ。

「何するんだよ」

 梶之助の怒り、上昇。けれども抵抗出来ない。

「次はズボンだーっ。パンツまで脱げちゃったらごめんねー」

 麗が梶之助の穿いているズボン裾に手が掛かったその時、コンコンッと扉がノックされる音がした。

「おはよーウララちゃん、カジノスケくん」

「おはようございます麗さん、梶之助さん。朝ごはんを食べに行きましょう」

 外側から、秋穂と利佳子の呼びかける声。迎えに来たのだ。

「おっはよう秋穂ちゃん、利佳子ちゃん。今すぐ開けに行くね」

 麗は梶之助のズボンをずるりとくるぶしの辺りまで引き摺り下ろすと彼の体から離れ、ぴょこんっと立ち上がって出入口扉の方へ。

「重たかったぁ」

 ようやく開放された梶之助は、すばやく普段着へと着替えたのであった。

 こうして四人は部屋から出て、昨日の夕食時と同じレストランへと向かっていく。光洋と秀平はまたも先にそこへ行っていた。

 一同は昨日の夕食時と同じ座席配置でバイキング形式の朝食を取る。

「ねえ梶之助くん、序ノ口の取組がそろそろ始まる頃だけど、べつにそこから見る必要はないよね?」

 麗はベーコンエッグを頬張りながら話しかけた。

「確かにそうだな。五郎次爺ちゃんからは観戦しろと言われたけど、東京観光した方がよっぽど有意義に過ごせると思う」

「おいらも激しく同意。大相撲なんて、幕内の取組からでじゅうぶんだろ。おいらは今日もアキバ巡りをするつもりだったし」

「ボクも大迎君と同じ予定であります」

「昨日も行ったのにまた行くのかよ」

 梶之助は呆れ顔で突っ込む。

「アニメショップをたった一軒回っただけではないかぁ。そんなのは行ったうちに入らないぜ。それに今日はUDXで声優のトークイベントがあるからな。せっかく東京来たんだから、アキバのイベントに参加出来るこのチャンスを逃すわけにはいかないぜ」

「アキバは特にイベントが無くても、毎日通っても飽きないよん」

 光洋と秀平はほんわかとした表情で言う。

「光洋さんと秀平さん、昨日、東京へ来てからは特にトラブル起こさなかったから、今日は別行動取ってもいいわよ」

 利佳子は快く許可を出してあげた。

「梶之助くんは、今日も私達と一緒に行動しようね」

 麗が腕をぐいっと引っ張ってくる。

「えー、またぁ」

「梶之助さん、わたし達と一緒に上野公園巡りをしましょう」

「カジノスケくん、昨日も言ったけど女の子だけで動くのは危ないから」

 利佳子と秋穂からも昨日と同じように強く頼まれてしまった。

「まあ秋葉原行くよりは……光洋に秀平、三時半頃に、両国国技館前で待ち合わせってことでいいか?」

 梶之助は確認を取る。

「ラジャー。では梶之助殿、そういうことで」

「ひとまずさらばだ、鬼柳君」

 光洋と秀平は朝食を済ませると、わくわくした様子ですみやかにレストランから逃げていった。

 こうして今日は二手に分かれて行動することに。

 梶之助、麗、秋穂、利佳子の四人はホテルから出るとまず両国国技館へ向かい、梶之助が代表して六人分の観戦チケットを購入した。一番安い自由席だ。

「じつは、わたしもアキバの声優さんのトークイベント見に行きたかったんだけど、ディープな男の人が多くて怖いからちょっとね。声の演技だけじゃなく、あんな人達と笑顔で握手出来る女性声優さんは凄過ぎるわ」

 JR両国駅に向かって歩きながら、利佳子は打ち明ける。

「ああいうの、男の俺から見ても怖いよ。光洋や秀平がよく見てる、ライブイベントのブルーレイで声優さんが挨拶する度に、うをおおおおおーっ、とかオットセイみたいに叫んで、声優さんが歌ってる時はうぉうぉ叫びながらペンライト振り回してすごい激しく踊ってる集団」

「ワタシは恥ずかしがり屋さんだし怖がりだから、声優さんは絶対無理だなぁ」

 秋穂はぽつりと呟く。

「秋穂ちゃんはお歌上手いから、その性格を直せばなれるかもしれないよ」

 麗は励ましの言葉をかけてあげた。


 四人は両国から上野公園まで移動すると、まず西郷さんの銅像の前で記念撮影。そのあと上野動物園へ。

「梶之助くん、私から離れちゃダメだよ」

「えっ!」

園内に入ると、麗がいきなり手を掴んできた。

マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、梶之助の手のひらに直に伝わってくる。

「あの、麗ちゃん。べつに、手は、繋いでくれなくても俺、大丈夫だから」

 梶之助のお顔は照れくささから、だんだん赤くなって来た。

「でも、梶之助くん迷子になっちゃうかもしれないし。昔海遊館でなったでしょ」

 麗はにこにこしながら言う。梶之助をからかっているようにも見えた。

「幼稚園の頃の話だろ。もう今は絶対大丈夫だって」

「本当? じゃあ離してあげるけど、私の目の届く範囲を歩いてね」

「うん」

 こうして手を離してもらえた梶之助の顔は、じわじわと元の色へと戻っていく。

「仲の良い姉弟みたいね」

 利佳子はくすっと笑う。

「一瞬、ウララちゃんがワタシよりお姉さんっぽく見えたよ。ワタシ、動物さんのスケッチしようと思ってこれも持って来たの」

 秋穂はそう伝えると、リュックからB4サイズのスケッチブックを取り出した。

「秋穂ちゃん準備良いね。じつは私も持って来たんだ」

 麗もスケッチブックを自分のリュックから取り出した。

「わたしもよ。みんな考えることは同じね」

 利佳子も取り出す。

「みんな上野動物園行く気満々だったんだな」

 梶之助は当然のように不持参だった。そんなわけで彼はデジカメ撮影係に。

「一番モデルに最適な、ハシビロコウを描こう」

 麗の提案に、

「いいわよ。それにしましょう」

「滅多に動かないからすごく描き易いよね。あの鳥さん、不思議な魅力があるよ。チョコボールのキ○ロちゃんみたいだし」

 利佳子と秋穂も快く賛成する。そんなわけでジャイアントパンダ、アジアゾウ、スマトラトラ、ニシローランドゴリラなどなど園内他の動物達は観察と撮影だけに留めておいた。

 モノレールを乗り継いで西園のハシビロコウの檻の前に辿り着いた後、

「ハシビロコウさん、本当に動かないわね」

「剥製みたいだよ」

「何があっても動じない、木鶏の精神だね。いいモデルになりそう」

 女の子三人は何羽かいるハシビロウを、彼女達もその鳥達のように動かないまましばらくじーっと眺めていた。

 そののち、女の子三人は立ったままの姿勢でスケッチブックを開き、4B鉛筆で写生していく。

 梶之助はその間、ハシビロコウをデジカメに収め、近くの檻に飼育されているベニイロフラミンゴ、エミュー、オオアリクイなどなど他の動物の観察もしていた。

 女の子三人が描き始めてから五分ほどして、

「出来たぁーっ!」

 麗が最初に鉛筆を置く。

「なんか幼稚園児の落書きみたいよ。わたしの絵を見て」

 利佳子はくすっと笑い、描きかけの自分の絵を麗に見せた。

「利佳子ちゃんの絵はリアル過ぎてちょっと怖いよ。私の方がかわいいもん!」

 麗は顔をぷくっと膨らませ、強く主張する。

「秋穂さんの絵は、メルヘンチックでとっても素晴らしいです」

「そうかなぁ?」

 利佳子に大絶賛され、秋穂は少し照れてしまう。

「私と似たようなタイプの絵なのに、なにその扱いの違い」

 麗は利佳子をむすっとした表情で睨み付ける。

「麗さんは絵本作家志望みたいだから、厳しめに採点してみました」

 利佳子はにこっと微笑んだ。

「なんかバカにされてる感じだよ。梶之助くんも写生してみる?」

 麗は梶之助の側に近寄り、スケッチブックを渡そうとする。

「いいよ。俺、絵は自信ないし」

 梶之助は丁重に断った。

「あーん、梶之助くんの写生、見たいよぅ。写生してしてぇ。習字は上手いんだから」

「ワタシも見たいなぁ。カジノスケくんの描いた絵」

「わたしも見てみたいです。梶之助さんの几帳面な性格からして、細かい所まで丁寧に描いてくれそうですし」

三人は強く要求してくる。

「勘弁して。俺、本当に絵ぇ下手だから」

 梶之助は苦笑顔でお願いした。

「ごめんなさい梶之助さん、プレッシャー感じて余計に描けなくなるよね。どれが一番お気に入りですか?」

 利佳子の質問に、

「うーん、……どれも、同じかな」

 梶之助は三人の絵をぐるりと見渡し、五秒ほど考えてから答える。

「さすがカジノスケくん、平等に判断してくれてありがとう」

「心優しいですね」

 秋穂と利佳子は嬉しそうに微笑む。

「引き分けかぁ。梶之助くん、私の顔色窺ったでしょう? 相撲の技掛けられると思って」

 麗に顔を近づけられにこやかな表情で問い詰められると、

「いっ、いや、そんなことは……」

 梶之助はやや顔を引き攣らせ、若干緊張気味に答えた。

「もう、正直に答えても私何もしないのにぃ」

 麗が爽やかな表情で言ったその時、

「あっ! ハシビロコウさん。ついに動いちゃったよ。まだ完成してないのに」

 秋穂が残念そうな声を漏らした。何羽かいるハシビロコウのうちの一羽が、水飲み場へ移動してしまったのだ。

「ハシビロコウ未だ木鶏たりえず、だね。秋穂ちゃん、ここにいるのを全部描こうとしたのかぁ」

 麗は秋穂の描いた絵を覗き込んでみた。

「うん。だって一羽だけモデルにしたら、モデルにされなかった他のハシビロコウさん、かわいそうだもん」

 真剣な眼差しで答えた秋穂に、

「秋穂ちゃん、心優しい」

 麗は深く感心する。

「わたしもそうしようとは思ったけどね。またもう一羽動いちゃったし」

 利佳子も秋穂と同じように残念がっていた。別の一羽が羽をバサッと広げ飛び立ち、檻の隅の方へ移動してしまったのだ。

こうして秋穂と利佳子はやむなくここで写生を中断。四人は残りの動物達も足早に観察してお昼過ぎに動物園を出て、続いて国立科学博物館へ立ち寄る。

「おううううう、クジラの横綱、シロナガスクジラだぁーっ!」

 屋外展示されてある、シロナガスクジラのオブジェを目にすると、麗は興奮気味に叫びながら一目散にすぐ側まで駆け寄っていく。

「わっ! ものすごく大きい。実物大なのかな?」

「みたいね」

 秋穂と利佳子も思わず魅入ってしまった。

(俺のご先祖様、シロナガスクジラも素手で引き上げたらしいけど、絶対嘘だな)

 梶之助もその巨大さに圧倒され、こう確信してしまった。元より、梶之助は五郎次爺ちゃんからたびたび聞かされる鬼柳家にまつわる風聞は冗談半分で聞いていたが。

四人はもう一つの屋外展示、蒸気機関車もついでに眺め、いよいよ館内へ。

館内には小さな子どもを連れた親子も大勢。展示室は日本館と地球館とに分かれており、四人はまず地球館から巡ることにした。

「この剥製、すごいね。この中で相撲取らせたら、横綱はきっとサイだね。ヒグマとトラとライオンは大関かな?」

 野生動物の剥製がガラス越しに多数展示されてある場所で、麗は目をきらきら輝かせながら大声ではしゃぐ。

「麗さん興奮し過ぎ。周りで騒いでるおそらく就学前のちっちゃい子達と変わりないわよ。恐竜の展示を見たらさらに興奮しそうね」

 そんな姿を横目に見て利佳子は微笑む。彼女自身も叫びたくなるくらい剥製の迫力にけっこう興奮していた。

「カジノスケくん、ここに展示されてる動物さん達、今にも動き出しそうなくらいリアルだね」

「うん、精巧過ぎる。絶滅したニホンオオカミのもあるのか」

 秋穂と梶之助もやや興奮気味に観察していた。

 四人は他の展示室も楽しみながら巡っていく。

「もうすぐ三時か。そろそろここを出て、両国行かないと」

 宇宙・物質・法則に関する展示がされてある場所で梶之助はスマホの時計を確認した。

「まだ全部の展示見れてないから残念だけど、本来はそっちがメインだもんね」

 麗は月の石を眺めながら名残惜しそうにする。 

「日本館もあるから、まだ半分も回れてないんだよね。すごく楽しい場所なんだけどワタシ、もう歩き疲れちゃったよ。ここは大塚国際美術館みたいに何回かに分けて見に行かないと、全貌が掴めないよね」

「広過ぎるでしょう。しかも高校生以下は無料だから、わたし前に家族旅行で来た時に、すごく気に入ったの。東京に住んでたら絶対毎週のように通っちゃうよ」

四人が博物館から出て、JR上野駅へと向かっていく途中、梶之助のスマホに電話がかかって来た。

「光洋か」

 通話アイコンをタップすると、

『梶之助殿ぉ、聞いてくれぇ。大きな事件が起こったんだぁー』

「どっ、どうした光洋!?」

いきなり光洋から焦るような声でされた報告に、梶之助は驚く。

『おいら、財布をどこかで落としたんだ。帰りの乗車券入りの』

「おいおい、またかよ。光洋にとってはべつに大きな事件でもないだろ。今どこにいるんだ?」

『神保町。イベントの後、古本屋巡りをしようと思ってアキバから歩いて来たんだ』

『鬼柳君、大迎君は、どうやら秋葉原から神保町にかけての路上で落としてしまったようです』

 秀平は電話を代わり、加えて報告する。

「そっか。それじゃ、今から皆でそっちへ向かうから。皆で探そう」

『了解致しました』

『すまねえ、梶之助殿ぉ』

 再び光洋に電話が代わる。

「いやいや。じゃあ、あとで」

 梶之助はこう言って電話を切り、女の子三人にこのことを伝えた。

こうしてここにいる四人はすぐに上野公園をあとにし、地下鉄を乗り継ぎ神保町駅前へと向かっていった。


    ☆


「梶之助殿ぉぉぉぉぉ~」

 指定されたA7出口から出ると、光洋が梶之助のもとにドスドスと駆け寄ってくる。

「光洋、泣くなよ」

 今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた光洋を、梶之助はやや呆れ顔で慰める。

「光ちゃん、一緒に探そう」

「コウちゃん、みんなで探せばきっと見つかるからね。安心してね」

 麗と秋穂は優しく声を掛けてあげた。

「光洋さん、またポケットにそのまま入れてたんでしょ?」

 利佳子は光洋の側に寄り、険しい表情を浮かべ少しきつい口調で質問する。

「はっ、はい」

 光洋は俯き加減で、やや怯えながら答えた。

「光洋さん、昔ならこんなんだよね。何度同じ失敗繰り返したら分かるのっ? 小学校の時の遠足や、中学の修学旅行や、野外活動の時もこんなことあったでしょ! 皆にどれだけ迷惑掛けてるか分かってるの?」

「……うっ、ぅ」

 利佳子に厳しく叱責され、光洋はとうとう泣き出してしまった。

「あらら、大迎君の目にも涙」

「光洋、それくらいで泣くなって」

 秀平と梶之助はそんな光洋を見て笑ってしまいそうになる。この二人はシンクロするように、学芸会の練習の際にアルトリコーダーを忘れて来て先生から叱られた光洋が、えんえん泣き喚きながら学校から脱走したのを目撃した小学校時代の出来事も思い出してしまったのだ。(当然のように光洋はすぐに先生に捕まえられた)

「まあまあ利佳子ちゃん、そんな学校の先生みたいに怒らなくても。光ちゃんもすごく反省してるみたいだし」

 麗は優しく利佳子を責める。

「リカコちゃん、コウちゃんに厳し過ぎるよ。コウちゃんも、宇宙食食べて元気出そう」

 秋穂はリュックから、国立科学博物館のミュージアムショップで購入した乾燥いちごを取り出した。

「……ごめんなさい光洋さん、少しきつく言い過ぎちゃったかも。わたしも一緒に探してあげるから、今後は、本当に気を付けてね」

 利佳子はちょっぴり反省気味。

「もっ、申し訳ない」

 光洋は深々と頭を上げる。ようやく泣き止んだ。

「ボクと大迎君は、秋葉原から万世橋を通り、この靖国通りに沿って歩いて来ました」

 秀平は冷静に伝える。

そんなわけで、一同でこの場所から秋葉原方面へと向かって歩きながら、光洋の財布を探すことにした。

「この辺りって、夏目漱石の『こころ』にも出て来たね」

 都営地下鉄新宿線小川町駅付近に差し掛かった頃、秋穂は呟いた。

「そうなの? 私、夏目漱石さんの本は『坊つちゃん』と『我輩は猫である』しか読んだことないよ。それも途中まで。なんか難しくて」

「ワタシも『こころ』は読んだことないよ」

「わたしは、『こころ』は中学の頃一通り読んだことがあるわ。今わたし達は、こころの聖地巡礼をしてるわね」

 楽しそうに探す女の子三人に対し、

「見つからねえ」

光洋はかなり暗い気分であった。

「日がだいぶ傾いて来ましたね」

「やっぱ関西よりも日が暮れるのが早いな」

 秀平と梶之助もあまり楽しい気分にはなれなかった。

 

一同はとうとう万世橋の袂まで差し掛かった。けれども光洋の財布は未だ見つかる気配はなし。

「光洋さん、もういい加減諦めましょう。わたしが帰りの乗車券代払うので」

「そっ、それは、悪いよ」

 利佳子の計らいに、光洋の罪悪感がますます増してしまう。

「あそこの警察署へ行ってみるか」

 梶之助は橋の近くあるビルを指し示した。

 その時、

 ミャーン。という鳴き声と共に、一匹の野良猫が皆の前に姿を現した。

「三毛猫さんだぁ。かわいい。お名前は、まだないのかな?」

 秋穂はうっとり眺める。白、黒、茶の斑模様だった。

「ということは、ほぼ百パーセント、メスね」

 利佳子は生物学的見地から分析する。

「んぬ? 大迎君、あっ、あれって、ひょっとして」

 秀平は中腰姿勢になり、猫の口元を眺める。茶色く四角い物体をくわえていた。

「あれは……あの柄は、おいらの、財布だぁ!」

 光洋も屈み、力士の蹲踞姿勢のようになって観察して思わず声を漏らす。

 ミャッ!

 すると猫はすぐさま驚いてか逃げ出してしまった。一同が先ほど通って来た道を引き返すように。

「待て待て猫さん。神保町まで行ってその財布で夏目漱石の『我輩は猫である』でも買おうとしてるのかな? 私、結局ロンドンオリンピックに出られなかった猫ひ○しよりも背は低いけど、スピードは猫さんに負けないよ」

 麗は猛スピードで猫の後を追う。

 他の五人も麗の後を付いていった。

「ワタシ、サ○エさんのOPを思い出しちゃったよ」

 必死に猫を追いかける麗の後姿を眺めて、秋穂はくすくす笑う。

 一同は再び靖国通りへ差し掛かる。

「ハァハァ。ボク、けっこう、疲れましたぁ」

「おっ、おいらも。もう走るのは無理だ」

「おっ、俺も」

 その頃には、男子三人とも息を切らしていた。

「あっ、ウララちゃん、あそこで止まってる。やっと追いつけるよ」

「どうやら猫はあの木にいるみたいね」

 秋穂と利佳子は麗の側へと近づいていく。

「速いし、ジャンプ力がすごいよ。正攻法で捕まえるのは無理だね」

さすがの麗でも、猫の持つ俊敏さには適わなかった。猫は街路樹に難なく登ってしまう。麗は悔しそうに見上げていた。

「こうなったら、餌で釣りましょう」

 利佳子は鞄から、昨日浅草で買った人形焼を取り出し路上に置く。

 すると猫、

 ミャァン。

「おう、反応した。これぞ本当の猫だましだね」

街路樹から飛び下り、餌のある方へトコトコまっしぐらに駆け寄って来た。麗はにやりと笑みを浮かべる。

「猫さん、はっけよぉーい、のこった!」

 麗と猫、一騎打ち。

 見事捕まえることが、

 ミャーォン。

「あっ、変化されちゃった。はやっ!」

 出来なかったが、猫はくわえていた財布をポトリと落としてくれた。

 ミャーォ。

 猫は皆から背を向けて、神保町方面と走り去っていく。

「はい、光ちゃん」

 麗が拾い上げ、光洋に手渡してあげた。

「どっ、どうも」

光洋は緊張気味に受け取ると、すぐに中身を確かめてみる。

 幸いなことに中身も無事、そのままだった。被害は猫の涎と、歯形だけで済んだ。

「光ちゃん、見つかってよかったね」

 麗は優しく声を掛ける。

「うっ、うん」

 光洋は嬉しさのあまり、再び涙をぽろぽろ流す。

「光洋さん、相変わらず泣き虫ね」

「光ちゃん、あんまり泣くと『あー○あん』の絵本みたいにお魚さんになっちゃうよ」

 利佳子と麗はにこっと微笑みかけた。

「コウちゃん、よちよち」

 秋穂はハンカチを手渡そうとした。

「……」

けれども光洋は拒否の態度を示し、ようやく泣き止んだのであった。

「もう五時半過ぎてるな。今から相撲見に行っても、結びの取組にも間に合わないから、そのまま東京駅に向かおう」

 JR秋葉原駅に向かって歩きながら、梶之助は提案する。

「すまねえ梶之助殿、相撲まで見れなくなってしまって」

「いやいや、自由席で上の方からどうせ良く見えないし。テレビで見た方がよっぽどいいよ」

 梶之助も、

「ボクも、相撲見る気なんて微塵もなかったからね」

「わたしも、べつにいいですよ」

「ワタシもだよ。コウちゃん、気にしないでね」

秀平も利佳子も秋穂も、そのことを咎める気はなかった。

ただ、

「残念だなぁ。生で見たかったなぁ。せっかくの機会だったのに」

 麗だけはこんな様子だった。

「……」

 光洋はさらに強い罪悪感に駆られる。

「光ちゃん、明日、掃除当番代わってね。それで許してあげるよ」

 麗はウィンクをしながら言う。

「どっ、どうも」

 光洋はやや緊張気味に深々と頭を下げて、礼を言った。

 こうして一同はJR秋葉原駅から山手線外回りで東京駅へ。キャラクターストリートなどでお土産と、駅弁を買い、午後六時半頃に発車する新大阪行きのぞみ号、自由席二号車に乗り込む。

「東京観光、横綱級にめっちゃんこ楽しかったよ。また行きたぁい」

「ワタシもすごく楽しかったー。特に上野動物園」

「お台場とか東京タワーとかスカイツリーとか、皇居とか国会議事堂とか、築地とか、テレビ局とか、他にも行きたい所、いっぱいあったけど、やっぱり一泊二日じゃ回り切れないわね」

三列席に通路側から数えて麗、秋穂、利佳子。

男子三人組はそのすぐ前の三列席に通路側から光洋、秀平、梶之助の順に座った。

「帰ったら十時頃だな。今夜は見たい深夜アニメないし、早めに寝て、疲れを取らねば……あっ、そういえば、おいら、まだ明日までに提出の数ⅠAと古文と英語の宿題、全然やってねえ」

「私もだぁっ。やばいよ。大関級のやばさだよ。ねえ梶之助くん、明日の朝でいいから写させてね」 

 光洋と麗は、ふとその現実に気づかされてしまった。

「そう来ると思ってた。俺はもう金曜のうちに全部済ませたよ」

「わたしも当然のように済ませました」

「ワタシも済ませてから来たー」

「ボクもだよーん」

「梶之助くんに、利佳子ちゃんに秋穂ちゃん、秀ちゃんは横綱級に真面目だね」

「おいらには到底真似出来ないぜ」

 四人にとっては当たり前の行いに、麗と光洋は深く感心していた。

       

午後九時過ぎ、のぞみ号は終点、新大阪駅に到着。一同は在来線快速に乗り換え、それぞれの自宅最寄りのJR西宮駅へ。ここで別れを告げて、それぞれの自宅へと帰っていった。

「ウェルカムホーム。梶之助ぇ、生で見る大相撲は凄かったじゃろう?」

 梶之助が自宅に帰り着き茶の間に向かうと、さっそく五郎次爺ちゃんから生き生きとした表情で尋ねられる。

「うん、上の方の自由席だったから、見えにくかったけど」

(本当は東京名所巡りしてて、大相撲は観戦しなかった。とは言えない)

 梶之助の今の心境。彼は一応、新幹線乗車中に携帯をネットに繋ぎ、十両以上の全ての取組結果を確認していた。

「なーんじゃ、資金いっぱい渡したんじゃし高い席で見れば良かったのに」

 五郎次爺ちゃんは上機嫌だ。

「おれの金なんだけど」

 権太左衛門は顔を顰める。

「父さん、これ返しておくね」

「さすが梶之助。あまり使わずに済んでくれたんだな」

 梶之助は東京土産を卓袱台に置き、余ったお金を権太左衛門に全額きちんと返してから、風呂に入り自室へ向かう。月曜にある授業の準備も金曜のうちに既に済ませていたため、すぐに就寝することが出来た。

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