第三話 梶之助達、東京へ行く(初日)

「ぅおーい、梶之助ぇ、今度の日曜から何が始まるか知っておるかのう?」

 連休明け、翌々日火曜日の夕方、梶之助は帰宅し茶の間に足を踏み入れるや否や、いきなり五郎次爺ちゃんからこんな質問をされた。

「大相撲夏場所だろ」

 梶之助は呆れ顔でため息混じりに答える。毎場所始まる直前になると、決まってこんな質問をしてくるのだ。

「その通りじゃ。さすが僕の孫息子。わきまえておるな。梶之助、これやるっ! 受け取れ」

 五郎次爺ちゃんから突如、福沢諭吉の札束をぽんっと手渡された。

「えっ!」

 梶之助はあっと驚く。

 三〇万円はあったのだ。

「今度の日曜から両国国技館で始まる夏場所、梶之助もお友達連れて一度生で観戦して来い」

 五郎次爺ちゃんがポンッと肩を叩いてくる。

「その前に、この大金は、どこから?」

 梶之助は呆れ顔で訊いた。

「権太左衛門の預金通帳から勝手に下ろして来たのじゃ」

 五郎次爺ちゃんはきっぱりと言い張る。

「やっぱり。ダメだろ、それは」 

「まあ良いではないか。僕の自慢の一人息子なんだし。それにしても、権太左衛門のやつももう五六にもなるくせにまだ月収八〇万くらいしかないのは残念じゃのう。平成生まれの十両力士ですらそれ以上稼いどるのに」

「五郎次爺ちゃん、その時って、中間テスト直前になるんだけど」

「まあまあ梶之助、若い頃に両国国技館で大相撲見るのはテスト勉強なんかよりもずっといい勉強になるぞ。泊りがけで行って前相撲……は三日目からじゃから序ノ口の最初の取組から観戦して来い。未来の横綱に出会えるかも知れんぞ。高級ホテルももうツインルーム二部屋は予約してある。もちろん、おまえと麗ちゃんは同部屋じゃ!」

「ちょっ、ちょっと待て」

 五郎次爺ちゃんにきりっとした表情で言われ、梶之助はたじろぐ。

「ぜひ、子孫作りにも励んで来い」

 にやけ顔で、肩をポンポンッと叩かれた。

「……」

 梶之助は呆れ顔。彼は自室に向かうと、さっそく麗と光洋と秀平にラインでこのことを伝える。

『夏場所を見に行くのっ!! 行く、行く。私も絶対行くぅーっ。生で見る機会、大阪場所しかないからね』

 麗は快く誘いに乗ってくれた。

『もちろん行くぜ。アキバ巡りしたいからな』

 光洋も同じく。

『東京か。ボクも行くよん』

 秀平も参加する気満々だった。彼への電話を切ってから五分ほど後、梶之助のスマホに麗から電話がかかってくる。

『利佳子ちゃんと秋穂ちゃんも東京旅行に参加するって』

「それじゃ、六人で行くことになるのか」

 他にもいろいろ連絡を受け、

「――というわけで五郎次爺ちゃん。俺含めて六人で東京行くことになったんだ」

 電話を切ったあと梶之助は、すぐさま茶の間にいる五郎次爺ちゃんに報告しに行く。

「そうか。そりゃぁ良い! また権太左衛門の預金通帳から勝手に三〇万ほど」

「いやっ、参加費はあの子達が全額負担するからいいって」

「まあまあ。良いではないか」

 すると五郎次爺ちゃんは気前よく、追加メンバー分のホテルの予約もすぐにネットでしてくれたのであった。


       ※


同じ週、金曜日の帰りのホームルームにて、

「いよいよ高校生活最初の中間テスト、一週間前になりました。この土日は皆さんしっかりテスト勉強に励まなきゃダメよ。入学式の日にも言ったけど、高校は義務教育じゃないから、成績があまりに悪いと進級出来なくて留年しちゃうからね。三〇点未満を取ったら赤点、追試よ。あと、うちの高校では皆さんが中学の時みたいに教科書や問題集の丸暗記、一夜漬けで通用するような簡単な問題はどの教科もほとんど出ないからね。大学入試レベルの問題もけっこう出ますよ」

 担任から中間テストの日程範囲表が配布され、こう告げられた。部活動も今日から禁止だ。

「こんな大事な時に東京なんかに遊びに行って、大丈夫かなぁ? 勉強道具も持っていかないと」

解散後、後ろめたい気分の梶之助に対し、

「梶之助殿、テストは来週の金曜からではないかぁ。まだまだ時間はたっぷりあるぜ」

「梶之助くん、この土日はめいっぱい遊んで、来週から本気で頑張ればいいじゃない」

 光洋と麗は遊ぶ気満々だった。

 このあと、麗が代表して生徒指導部長の先生に旅行届を提出。

帰りに梶之助が代表して学校最寄り駅みどりの窓口で六人分の、東京駅までの在来線と新幹線の往復乗車券(学割適用)を購入し、参加者の五人に渡したのであった。

  

      ☆


翌日、五月一〇日、土曜日。

朝七時頃、鬼柳宅玄関先。

「私服姿の麗さんも、とっても可愛らしいわね」

「ありがとうございます、寿美おば様」

 麗は青色のサロペットを身に着けて、梶之助を呼びに来ていた。

「梶之助、お泊りデート、思いっきり楽しんで来なさいよ」

「母さん、デートじゃないって。光洋や秀平、世良田さんと南中さんもいるし、修学旅行の班行動のようなものだって」

 梶之助は照れくさそうに否定する。彼はデニムのジーパンに、グレーと白の縞柄セーターという格好だった。

「じゃあ行こう、梶之助くん」

「うっ、うん。今日は東京の方も天気いいみたいだね」

それほど派手な服装ではないそんな二人は家を出て、集合場所に指定した最寄りのJR西宮駅前へと向かって歩いていく。

今日は五郎次爺ちゃん、まだ寝ていたため麗の前に姿を現さなかった。


「おはよー、ウララちゃん、カジノスケくん」

「おはよう麗さんに梶之助さん。今日は半袖でもじゅうぶんなくらい暑いですね。東京都心は三〇℃近くまで上がるみたいですよ」

 梶之助と麗が集合場所に辿り着いた時には、すでに秋穂と利佳子が待っていた。

「おはよう」

 梶之助は少し緊張気味に、

「おはよう、秋穂ちゃんも利佳子ちゃんも、かわいい服だね」

 麗は爽やかな表情で挨拶を返す。

秋穂は鶯色の夏用ワンピース、利佳子は山吹色のサマーニットにデニムのホットパンツというスタイルだった。

「光洋と秀平は、まだ来てないのか。まだ約束の時間まで五分以上あるけど」

 駅構内で、梶之助が周りをきょろきょろ見渡していたその時、彼のスマホ着信音が鳴った。

「光洋か。迷ったのかな?」

 番号を見るとこう呟いて、通話アイコンをタップする。

『梶之助殿、今どこおるん? おいら、新大阪駅におるねんけど』

『ボクも同じだよーん』

 秀平の声も聞こえた。

「おいおい、昨日の晩、集合場所はJR西宮駅って伝えただろ」

 梶之助はちょっぴり呆れる。

『知ってたぜ。でもさぁ、おいら、その、女子となるべく一緒に動きたくないんだよね』

『ボクもだよん。あの三名方は三次元としては性格がすこぶる良いとは思うのですが、近くにいられたらボク、異様に緊張してしまいますしぃ。では鬼柳君。後でおみやげ街道の所で落ち合いましょう』

「おーい、光洋、秀平、旅行先で勝手な行動はとるなよ」

 梶之助は呆れ顔で忠告しておき、電話を切った。

「あっ、あのさ、光洋と秀平、もう新大阪駅にいるってさ」

 そしてすぐに女の子三人に伝える。

「光ちゃんと秀ちゃん、先に行くなんて、東京旅行にかなり気合入ってるみたいだね」

 麗は笑顔で突っ込んだ。

「わたし達を避けてるようで、心配ね」

「コウちゃんとシュウちゃん、東京で迷子にならないかワタシも心配だよ」

利佳子と秋穂は不安そうに呟く。

四人は改札を抜け、ほどなくしてやって来た快速電車に乗り、新大阪駅で降りて待ち合わせ場所のおみやげ街道の所へ。光洋と秀平はちゃんと待ってくれていた。

「それでは点呼を取ります。光洋さん」

「はっ、はい」

「秀平さん」

「はいぃ」

「麗さん」

「はーいっ!」

「秋穂さん」

「はい」

「梶之助さん」

「はい」

「全員揃ってるわね。では、これから新幹線に乗るので、はぐれないようにね」

 利佳子が指揮を執る。一同が新幹線乗換口へ移動しようとした際、

「ありり?」

 突如、光洋が呟いた。

「どうかしたのですか? 大迎君」

 すぐ隣にいた秀平が尋ねる。

「あのさ、おいらの乗車券が見つからないんだ。すぐ取り出せるようにポケットに入れておいたんだけど」

 光洋はズボンの両ポケットに手を突っ込みながら、やや動揺していた。

「あららら、さっそくトラブリング」

 秀平は苦笑いする。

「光洋……」

「光洋さん、いきなりハプニング起こさないで」

 梶之助と利佳子は呆れ顔になった。

「この駅でさっき確かめた時はちゃんとあったんだ。そのあと、ポケットに入れて……だから、まだ近くにあるはずなのだが……」

 焦り顔で言い訳する光洋。周囲もぐるぐる見渡してみる。

「きっとその辺に落ちてるよ。そういえば光ちゃんって、小学校の時の遠足や、中学の修学旅行の時も途中で財布やデジカメを落としてたね。私も探すの手伝うよ」

「コウちゃん、ワタシも探してあげるよ」

 麗と秋穂は彼を責めるのではなく、優しく接してくれた。

「どっ、どうも」

 光洋は緊張気味に礼を言う。その刹那、

「おーい、光洋。階段の所に落ちてたぞ」

 梶之助が彼のもとへ近寄りながら叫んで知らせてくれた。在来線ホームからここに来るまでに利用する階段の所に落ちていたのだ。

「すまねえな、梶之助殿。頼りになるぜ」

 光洋は深々とお辞儀してから受け取る。

「光ちゃんらしいね」

「コウちゃん、自分の持ち物はしっかり管理しなきゃダメだよ」

 麗と秋穂はにっこり微笑む。

「光洋さん、乗車券はポケットにそのまま突っ込むんじゃなくて、財布に入れてリュックに入れてきちんと管理してね。そうすれば落としにくくなるので。使う直前に取り出すのよ」

「わっ、分かりましたぁ」

 利佳子に困惑顔で注意され、光洋はかなり緊張してしまう。

ともあれ一件落着。

梶之助、麗、秋穂、光洋、秀平、利佳子の順に改札を抜けて、一同は新幹線ホームへと向かっていく。全員、柄は異なるもののリュックサックを背負っていた。

無事辿り着くと、一同は当駅始発のためすでに停車していた東京行きのぞみ号、自由席となっている二号車に乗り込む。

 女の子三人は富士山が見られる進行方向左側の二列席を回転させ、秋穂と利佳子が隣り合い、利佳子の向かいに麗が座った。

「梶之助くん、私の隣に来ない?」

「ここでいい」

男子三人は右側の三列席に、通路側から数えて光洋、秀平、梶之助の並びで座る。

「大迎君も、一シート分で足りましたね」

「ハハハッ、当たり前ではないかぁ。座席けっこう横幅あるだろ」

 秀平にさっそく突っ込まれ、光洋は苦笑いする。

「確かに力士でも巡業とか本場所が始まる前、新幹線で移動してるけど一人一席分でちゃんと座れてるからな」

 梶之助は意外にゆったり座れている光洋を横目に見ながらこう呟いた。

まもなくのぞみ号の扉が閉まり、動き出す。

「私、新幹線で東京方面へ行くのは初めてだよ。富士山、すごく楽しみだなあ。なんてったって日本の山の横綱だもん」

 麗はまだ次の京都駅にも辿り着いていない今から興奮気味。

「麗さん、はしゃぎ過ぎ。わたしは昔家族旅行で東京行った時にも乗ったことがあるけど、雨が降ってたので富士山は全然見えなかったよ。今日は静岡の方もお天気いいみたいだから、くっきりと見られそうね」

「ワタシもウララちゃんと同じで新幹線で東京へ行くのは初めてだよ。小学校の頃、家族旅行で行った時は飛行機だったから。ワタシも富士山楽しみ♪ さてと、お菓子食べようっと」

 秋穂はそう呟いて、自分のリュックから菓子袋を取り出した。

「秋穂ちゃん、お菓子も持って来たんだね」

 麗はにこにこしながら秋穂のリュックを覗き込む。スナック菓子やキャンディー、グミなどが十種類近く入ってあった。

「だって、遠足気分が味わいたかったんだもん。ちゃんと消費税込みで五〇〇円以内に収まってるよ」

 秋穂は照れくさがった。

「秋穂さんはお菓子が大好きだもんね。ビ○コも持って来るなんて幼稚園児みたい」

 利佳子はにこにこ笑いながら言う。

「ワタシこれ、昔から大好物なの」

 秋穂は美味しそうに齧りながら、照れくさそうに打ち明けた。

「じつは私もお菓子持って来てるんだ。カ○ムーチョとわさび味のポテチ」

 麗も自分のリュックから取り出し二人に見せる。

「麗さん、お菓子まで辛い物揃いとは」

 利佳子は少し呆れ気味に笑った。

「ウララちゃんらしいチョイスだね。お菓子食べながらだと、テスト勉強も楽しく出来るよね」

秋穂は続いて、古文のワークをリュックから取り出した。

「秋穂ちゃぁん、私、こんな所でそんなの見たくないよぅ」

 麗は苦い表情を浮かべ、嘆きの声を上げる。

「さすが秋穂さん、いい心構えね。わたしも当然のように勉強道具一式持って来てるよ。麗さん、今日現在、中間テスト六日前だってこと忘れてない?」

 利佳子も自分のリュックから英語のワークを取り出し麗の眼前にかざした。

「旅行中くらい、容赦なくやって来るその現実思い出させないでぇー。二人とも真面目過ぎるよぅ。私はこれ読んで過ごすよ」

 麗はリュックから、最近発売されたばかりの児童文学書を取り出す。

「ウララちゃん、赤点取ってもワタシ知らないよ」

「麗さん、そうなっても自己責任よ」

「大丈夫だよ。これだって現代文の勉強になるし」

こんな風に、楽しそうに会話を弾ませる女の子三人に対し、男子三人は家から持って来たラノベやアニメ雑誌、漫画などを読み、ほとんど会話を交わさず過ごしていた。


「おおおおおっ、富士山だぁーっ! やっぱ生はいいね。今年の夏こそは登りたいよ」

 途中、京都と名古屋に停車し、のぞみ号がまもなく静岡駅に差し掛かろうという頃、世界遺産『富士山』の雄大な姿が車窓に見えて来た。麗は興奮気味に叫びながら、スマホのカメラを窓に向け撮影する。

「帰りは真っ暗で見えないと思うので、今撮影しとかないと」

「山頂の方、まだ雪がけっこう残ってるんだね」

 利佳子と秋穂も楽しそうにスマホで撮影した。

男子三人は、それほど興味を示さず。

のぞみ号が新横浜、品川と停車し、まもなく東京駅に到着するという車内アナウンスが流れると、

「みんな、ちゃんと切符は持ってる? 特に光洋さん」

 利佳子は確認を取った。

「もっ、持ってます。ちゃんと財布に入れて、リュックに入れて」

 光洋は俯き加減で緊張気味に答える。利佳子も他の四人も当然のようにきちんと所持していた。

やがて、のぞみ号は終点、東京駅に到着。

利佳子は自分以外を先に下車させ、車内に忘れ物がないかの確認をしてから下車した。

「ホームにも人、新大阪以上にめちゃくちゃ多いね。さすが日本の都市の横綱」

 麗は好奇心いっぱいに人々を眺める。

「あっ、光洋さんに秀平さーん、勝手に先に行かないでーっ!」

 利佳子がやや大きな声で注意すると、

「わっ、分かり、ました」

「申し訳ないでありますぅ」

 二人とも素直に従い、ぴたりと立ち止まってくれた。

「はぐれないように、なるべく固まって歩きましょう」

 利佳子は念を押して注意する。

一同は階段を降りていき、梶之助、光洋、秀平、麗、秋穂、利佳子の順に改札出口を抜ける。

「まだ早いけど、正午頃になると混んでくるからもうお昼ご飯食べよう」

 その後、麗はこう提案した。

 他のみんなも賛成し、一同は東京駅構内の飲食店街を散策する。

「ここの洋食レストランでいいかな?」

 十数店舗の看板や食品サンプルを見てみて出した麗の希望に、

「うん、周りのお店と比較して入り易そうな雰囲気なので」

「ワタシもそこがいい」

「まあ、いいんじゃないか。店が他にもいっぱいあり過ぎて選んでるとキリがないし」

利佳子も秋穂も梶之助も大いに賛成。

「あの、おいらは、ラーメンストリートで食うから」

「ボクも、そっちがいいです。そこはボクにはおしゃれ過ぎて似合わないよん」

 光洋と秀平も緊張気味に希望を述べてみる。

「はぐれないようにみんな一緒に行動するべきなんだけど、秀平さんと一緒なら問題ないか。あとで銀の鈴の所で待ち合わせしましょう」

 利佳子が許可を出すと、二人はすぐさま目的地へと逃げるように早歩きで向かっていった。銀の鈴とは、東京駅で最も有名な待ち合わせスポットだ。

「じゃあ、俺も、そっちにしようかな」

 梶之助もこの二人に付き合おうと後を追う。

「ダーメ! 梶之助くんは私達と付き合って」

 ところが麗にすぐに追いつかれ、腕をぐいっと引っ張られ阻止された。

「いてててぇっ。でっ、でもさぁ。女の子は女の子同士で食事した方が楽しいかと……」

「ワタシ、東京で女の子だけで動くのは危険だと思うの」

「わたしも秋穂さんと同じ意見です。安全のため、梶之助さんもご同行お願いします」

 秋穂と利佳子からも強く頼まれる。

「俺がいても変わらないでしょ」

「いやいやー、頼りにしてるよ、梶之助くん。防犯対策には全く役に立たないだろうけど、道案内と荷物持ちで」

「……」

 麗に笑顔でこう言われ、梶之助はほんの少しだけイラッとしまった。

 こうしてこの四人は麗の希望した洋食レストランへ。

「四名様ですね。こちらへどうぞ」

店内に入ると、ウェイトレスに四人掛けテーブル席へと案内された。麗と利佳子、秋穂と梶之助が向かい合うような形に座ると、麗がメニュー表を手に取る。

「私、グリーンカレーにする!」

「麗ちゃん、やっぱりそれか。俺は、天ざる蕎麦で」

「梶之助さん、渋いですね。わたしも渋めにかき揚げうどんにしよう。出汁が真っ黒で関東風だから、関西との文化の違いを感じるわ」

 三人はすんなりとメニューを決めた。

「……」

 まだ迷っていた秋穂に、

「秋穂さんはどれにする? いっぱいあり過ぎて迷っちゃうよね? じっくり決めていいわよ」

 利佳子は優しく話しかける。

「あっ、あのね、ワタシ……お子様、ランチが、食べたいなぁって思って」

 秋穂は顔をやや下に向けて、照れくさそうに小声でポツリと呟いた。

「秋穂ちゃん、今でもお子様ランチ食べたがるなんてかっわいい!」

「秋穂さん、幼稚園児みたい」

麗と利佳子はにっこり微笑みかける。

「でも、さすがに高校生ともなると、恥ずかしいから、やっぱりトルコライスにする」

 秋穂はさらに照れくさくなったのか、希望を変更。

「秋穂ちゃん、本当は食べたいんでしょ? 食べないときっと後悔するよ。ここでは年齢制限ないみたいだし」

「俺も、気兼ねすることなく食べた方がいいと思う」

麗と梶之助がこうアドバイスすると、

「じゃあワタシ、これに決めた!」

秋穂は顔をクイッと上げて、意志を固めた。

「私が注文するね」

 麗は呼びボタンを押し、ウェイトレスに注文する。

 それから五分ほどして、

「お待たせしました。お子様ランチでございます。はい、お嬢ちゃん。ではごゆっくりどうぞ」

 秋穂の分が最初にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られている。さらにはおまけのシャボン玉セットも付いて来た。

「……私のじゃ、ないんだけど」

 麗の前に置かれてしまった。麗は軽く苦笑いする。

「あらあらっ、麗さんが頼んだように思われちゃったのね」

 利佳子はくすくす笑う。

「ウララちゃん、若手に見られてるってことだから、気にしちゃダメだよ」

秋穂は少し申し訳なさそうに、お子様ランチを自分の手前に引っ張った。

(ウェイトレス、普通はそう思うよな)

 梶之助は笑いを堪えていた。

「……確かに私、小学生に見えるよね」

 麗は内心ちょっぴり落ち込んでしまったようだ。

さらに一分ほど後、他の三人の分も続々運ばれてくる。

 こうして四人のランチタイムが始まった。

「エビフライは、ワタシの大好物なの」

 秋穂はしっぽの部分を手でつかんで持ち、豪快にパクリとかじりつく。

「美味しいーっ!」

 その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。

「モグモグ食べてる秋穂ちゃんって、なんかキンカンの葉っぱを食べてるアオムシさんみたいですごくかわいいね」

「秋穂さん、あんまり一気に入れすぎたら喉に詰まらせちゃうかもしれないよ」

麗と利佳子はその様子を微笑ましく眺める。

「秋穂ちゃん、食べさせてあげるよ。はい、あーんして」

 麗はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、秋穂の口元へ近づけた。

「ありがとう、ウララちゃん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」

 秋穂はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。

「梶之助くん、育ち盛りなんだし天ざる蕎麦だけじゃ足りないでしょう? 私のも分けてあげるよ。はい、あーん」

 麗は、今度はグリーンカレーの中にあったチキンの一片をフォークで突き刺し、梶之助の口元へ近づけた。

「いや、いいよ」

 梶之助は右手で箸を持ち、麺を啜ったまま左手を振りかざして拒否する。

「梶之助さん、顔が赤くなっていませんけど、心の中では照れてますね」

「梶之助くん、そんなに小食じゃこれ以上背が伸びないし体重も増えないよ」

 利佳子と麗はにこっと笑いながらそんな彼を見つめた。


昼食を取り終え、レストランから出た四人は待ち合わせ場所の銀の鈴広場へ。

「まだ光ちゃんと秀ちゃん、食べ終わってないみたいだね。あの、私、おトイレ行って来る」 

麗は少しもじもじしながら伝える。

「ワタシも行きたいと思ってたところだよ」

「わたしもー。漏れそうです」

 秋穂と利佳子も同調した。

「じゃあ荷物、持っててあげるよ」

 梶之助は気遣う。

「ありがとうカジノスケくん。頼りになるね」

「申し訳ないです梶之助さん、なるべく早く戻って来るので」

「サーンキュ、梶之助くん、さっそく役に立ってくれたね」

こうして三人は荷物を梶之助に預け、最寄りの女子トイレの方へ向かっていった。

 梶之助は三人から受け取ったリュックサックを自分の側に固め、近くの長椅子に腰掛ける。

(早く、戻ってこないかなぁ。人多過ぎて落ち着かないよ)

 待っている間、そわそわしていた。

 見知らぬ土地なので、緊張感がかなり高まっていたのだ。

 多くの人々がひっきりなしに彼の目の前を通り過ぎていく。

「梶之助殿ぉー。ラーメンすこぶる美味かったぜ」

「どうもー」

タイミング良く、光洋と秀平が戻って来てくれた。

「光洋、満足げな表情だな」

梶之助は一安心する。

「大迎君は三種類、つまり三人分も食べていましたよん」

 秀平は笑顔で報告。

「光洋、食べ過ぎだろ」

「おいらにとっては、まだ腹六分目といったところだぜ」

 呆れる梶之助に、光洋はにっこり笑いながら言う。

 そんな時、

「お待たせーっ、梶之助くん。光ちゃんと秀ちゃんも来たんだね」

「お待たせしました」

「コウちゃんとシュウちゃん、ちゃんと来てくれて良かった」

女の子三人も戻って来た。

「あっ、あのう、おいらは、これからアキバへ行くから」

「ボクも同じであります。というか、ボクが今回の旅行に参加した一番の理由は、アキバへ行くためでしたからぁ」

 光洋と秀平はすぐに希望を伝える。

「やっぱり。まあ東京駅から両国行くまでに、秋葉原で乗り換えるからな」

 梶之助は呆れ顔で呟いた。

「でっ、ではぁ、これからも、別行動ということでー」

「梶之助殿も、おいら達と動こうぜ」

 秀平と光洋が在来線切符売り場へ向かおうとしたところを、

「待って! 東京観光は、もしもの時のためにみんなで動いた方がいいと思います」

 利佳子は意見し、二人を引き止める。

「リカコちゃんの言う通りだよ。コウちゃん、シュウちゃん、ワタシ達と一緒に動こう」

「見知らぬ土地なんだし、その方が絶対いいよ」

 秋穂と麗も利佳子と同じ考えだ。

「でもぉ、きみ達はアキバには興味ないでしょう?」

 秀平は困惑顔で質問した。

「いや、あるよ。わたしも、一度秋葉原へ行ってみたかったの」

「私もーっ。アキバはオタク街の横綱だもんね」

「ワタシも、ちょっとだけ興味ある」

 女の子三人とも乗り気だった。

「「……」」

 光洋と秀平はげんなりとした表情を浮かべたが、一緒に行動せざるを得なかった。

六人とも大阪環状線にも何度か乗ったことがあるためか、山手線内回りに迷うことなく間違えず乗り込むことが出来、二駅隣の秋葉原で下車した。

電気街口から出た瞬間、

「ついに来たぜ、アキバ。一六年の人生で初上陸だ」

「ボクもこの地へ降り立ったのは生まれて初めてですが、やはりガイドブックに書かれてある通り良い雰囲気の街ですね。ポンバシよりも遥かに良いです」

 光洋と秀平は興奮気味に呟く。

「ここが秋葉原かぁ。理系の街って感じだね。それに、すごい人ぉ! みんなアニメが大好きなのかなぁ?」

 麗も大興奮していた。

「なんか、落ち着かないよぅ」

「わたしもです。人があまりに多過ぎるので」

「俺も、なんとなーく居づらい。早くこの街から出たい」

 秋穂と利佳子と梶之助の率直な感想。

「梶之助殿、二次元世界にどっぷり嵌ればきっとアキバが好きになるぜ」

「アニメ系ショップの本店がいっぱいありますからね。イベントも多いですしぃ」

 光洋と秀平はとても機嫌良さそうに言う。

「光ちゃん、秀ちゃん、アキバ案内は任せたよ。どこか面白そうなお店、案内してね」

 麗ににこやかな表情で頼まれ、

「わっ、分かりました。では……」

 秀平はやや緊張気味に承諾した。

「あのさ秀平、女の子達が引かないような店に入れよ」

 梶之助は耳打ちする。

「ゲー○ーズや、メ○ンブックスや、ら○んばんや、と○のあなや、ソ○マップは、ダメでございましょうか?」 

 秀平も囁くような声で訊き返す。

「あそこは絶対ダメだ。もっと、親子連れや、小学生くらいの子でも楽しめる店だ」

 梶之助は再度、耳打ちした。

「梶之助殿、無難に、ここか? 客の三次元女率が高いから、おいらはあまり好きではないのだが」

 光洋は秋葉原のガイドブックの該当箇所を手で指し示す。

「それがいいな」

 梶之助はオーケイを出した。

 こうして一同は中央通り沿いにある、大型アニメショップに立ち寄ることに。

発売中または近日発売予定のアニメソングBGMなどが流れる、賑やかな店内。

 彼らと同い年くらいの子達は他にも大勢いた。

「ワタシ、こういう系の店初めて入ったよ。お店の名前見るとアニメグッズしか売ってなさそうだけど、お菓子もいっぱい売ってるんだね」 

「これって、東京でしか売られてないよね。美味しそう。わたし、このお饅頭買おう」

「私は、十二個中十個が激辛のクッキー買おうっと。あっ、このメイドさんの激辛クッキーも美味しそうじゃん。これも買おうっと!」

 女の子三人が一階土産物コーナーの商品を眺めているうちに、男子三人は三階ラノベコーナーへ。

「おう、電○の新刊、出ているではないかぁ」

「今月はけっこう読みたい作品が多いですね。GAやM○やファン○ジアの新刊も今月は良さそうなのが揃っていますし出費がかさみそうです」

 光洋と秀平はお目当てのラノベを手に取り、次々と籠に詰めていく。

「これって、そんなに面白いか? 表紙のキャラクター、全部同じ絵に見えるぞ」

 梶之助は商品に手を触れず、ただ眺めているだけだった。

「梶之助殿、全く違うではないかぁ。まだまだ稽古不足であるな」

「鬼柳君、これらのキャラの見分けが簡単につくようになれば、これから習う、似たようなのが多い三角関数の公式や、有機化合物の化学式や性質を暗記するのも楽に出来るようになるよーん」

 光洋と秀平はにこにこ顔でそう言って、上機嫌でレジへ会計を済ませに行った。

「教科の勉強とこれとは全く関係ないだろ」

 梶之助は呆れ顔。

男子三人は続いて七階アニメDVD/ブルーレイコーナーへと移動していく。

「おいら、この作品のブルーレイすげえ集めたい。三話収録で八千は高いけど、五郎次さんからポケットマネー貰ったし、買おうかな」

光洋はそこにあった、店内設置の小型モニターに目を留めた。今年一月から三月まで放送されていた深夜アニメのブルーレイのCMが流れていたのだ。

「光洋、五郎次爺ちゃんのじゃなくて父さんの金だから」

 梶之助が苦笑顔で伝えると、

「そうであったかぁ。ではやめた方が良いな。自分の小遣いの範囲内で済ませることにしよう」

 光洋は残念そうに告げた。

 三人はここでは何も買わずに五階へ。

「おいら、このフィグマ欲しい。けど二五〇〇円もするのかぁ。やっぱ高いなぁ。これ買ったら今月分の小遣い半分無くなるし」

光洋は商品の箱を手に取り、全方向からじっくり観察する。

「買おう!」

 約五秒後、魅力に負けあっさり購入することに決めた。

「大迎君、やりますねえ。ボクも喉から手が出るほど欲しいグッズがあるのだよん。あのトレカとかステッカーとか」

「おいらもあれめっちゃ欲しいぜ」

 欲しいグッズを見つけては次々と買い物籠に詰めていく光洋と秀平に、

「あんまり無駄遣いするなよ」

梶之助は呆れ顔で忠告しておいた。

光洋と秀平は当初買う予定の無かった商品もカゴに入れ、レジに商品を持っていく。

「八七五〇円になります」

 店員さんから申されると、代金は二人で出し合った。

 同じ頃、

「このTシャツ、大関級に格好いいな、買おうかな?」

「ワタシ、このマグカップとお皿が欲しい。あっ、あのシールも」

「麗さん、秋穂さん、お気持ちはよく分かるけど、無駄遣いは程ほどにしましょうね。きっと後悔するわよ。さっきも画材けっこういっぱい買ってたでしょう。どれか一つだけにしなさい。千円以内で」 

女の子三人は四階の、有名週刊少年誌に登場するキャラクターグッズなどが多数売られているコーナーでけっこう楽しんでいた。

「分かったよリカコちゃん。旅行中、まだまだお金使う機会いっぱいあるもんね」

「利佳子ちゃん、なんかおもちゃやお菓子売り場とかで幼い子どもに、これ買うんやったらあれは買わへんよって言うママみたいだね」

秋穂と麗は利佳子の忠告をきちんと守り、どうしても欲しいグッズを一つだけ選んで会計を済ませる。

「それにしても光洋さんと秀平さん、今度は梶之助さんも、また勝手に動いちゃって」

 利佳子はため息混じりに呟いた。

「お店が広過ぎて、コウちゃん達どこへ行ったのか分からないよ」

 秋穂は周囲をぐるりと見渡してみる。

「たぶんまだお店の中にいるよ。一階の出入口で待っておこう!」

麗はそう告げて、エレベーター横の《→》ボタンを押した。

しばらく待ち扉が開かれると、

「あっ!」

 中にいた一人が思わず呟く。

 梶之助だった。当然のように他に光洋と秀平もいた。

「やっほー、カジノスケくん達」

「おう、なんという偶然!」

「噂をすれば影が立つ、のことわざ通りですね」

 女の子三人も思わず声を漏らした。そして乗り込む。

「「……」」

 光洋と秀平は緊張からか、黙ったままだった。

 こうして一同は一階へと下り店から出、中央通りをさらに北へ向かって歩いていく。

「ねえっ、アキバはしょっちゅうテレビで特集されてるのに、ポンバシはほとんど注目されないのは寂しいよね?」

 信号待ちをしている際、麗は光洋に話しかけてみた。

「うっ、うん。まあ、二番目ってのは、注目されないからな」

 光洋は俯き加減で緊張気味に意見する。

「日本で二番目に高い山とか、広い湖とか訊かれて、即答出来る人は少ないと思う」

「……言われてみれば、確かに。大相撲でも歴代二位の記録の人はあまり目立たないし」

 梶之助のツッコミに、麗はハッと気付かされた。

「鬼柳君の質問の答は北岳と霞ヶ浦だけど、定めし知名度は落ちますね。京大も東大に比べれば注目されませんしぃ。オリンピックの銀メダリストも同じですね。二番目の方が有名なものといえば、鳥取砂丘とエアーズロックくらいかなぁ」

 秀平の呟きに、

「鳥取砂丘とエアーズロックって二番目だったの?」

 麗は少し驚く。

「イェス。砂丘の広さ日本一は、青森県にある猿ヶ森砂丘だけど、防衛省の弾道試験場になってて民間人は立ち入り禁止ゆえに、知名度が低いようです。岩の大きさ世界一も、マウント・オーガスタスだし」

「へー、私初めて知ったよ」

「秀平殿、相当物知りなのだな」

 光洋も感心していた。

「シュウちゃん、小学校の頃のあだ名、『博士』だったもんね」

「……」

 秋穂ににこっと微笑みかけられた秀平は、照れてしまう。

「秀平さんの雑学の豊富さには、わたしも適わないわ」

 利佳子は尊敬の念を抱いているようだった。

「ねえねえ、光ちゃんと秀ちゃんは、メイド喫茶にもよく行ってるんでしょ?」

 麗がこう問いかけると、光洋と秀平は手をぶんぶん振りかざし、ノーの合図を取った。

「メイド喫茶のメイドは、三次元なんだぜ」

「そんな不健全な空間に、ボク達が立ち寄るわけがないじゃないですか」

 続けて苦い表情を浮かべながらこう主張する。

「そうなんだ。楽しそうなんだけどな。このあとどこ行く? 渋谷と原宿はどう? ハチ公とモヤイ像見て、毎年お正月に横綱の土俵入りしてる明治神宮参拝して、竹下通りを歩かない?」

 麗の誘いを、

「一番あり得ないぜ」

「リア充の溜り場じゃないですかぁー」

 光洋と秀平は困惑顔で即、拒否した。

「ワタシも、渋谷原宿はちょっと、家族旅行で行った時、人が多過ぎて落ち着かなかったから。ワタシは、池袋のサンシャイン水族館に行きたいな。リニューアルしてからは、まだ行ってないから」

「いいねえ、池袋といえばナン○ャタウンも面白そうだよ」

 秋穂の希望に、麗は大賛成。

「あの、わたし、どうしても行きたい所があるのっ!」

 利佳子は強く言った。

 結局、他のみんなも快く利佳子の希望に賛同し、全会一致で池袋は止めてそこへ向かうことにした。

一同は末広町駅から地下鉄を乗り継ぎ、本郷三丁目駅へ。

 構内を出ると、本郷通りを北へ向かって歩いていく。

 目的地へ辿り着くと、

「めっちゃ格好いいね。さすが日本の大学の東の横綱なだけはあるね」

 麗はスマホで門を撮影しながら興奮気味に呟いた。

一同が訪れたのは、かの〝東大赤門〟だ。

「リカコちゃん、ここを目指してるんだね。やっぱすごいね。ワタシには絶対無理だよ」

 秋穂は尊敬の眼差しを向けた。

「いや、わたし、京大第一志望だから。でも、東大は一度見ておきたかったの」

 利佳子は嬉しそうに言う。

「利佳子ちゃん、秀ちゃんと同じく西の横綱狙いかぁ。東大も京大も私には絶対入れないよ」

「俺も百パー無理だな。父さんは東大の中でも理Ⅲは別格の難しさだって言ってたけど、秀平なら、あの理Ⅲにも受かるんじゃないか?」

「いやいや鬼柳君、ボクなんかには絶対無理だよーん。日本の大学受験において、東大理Ⅲに次ぐ難易度と謳われる京大医学部医学科もね」

 梶之助の質問に、秀平は謙遜気味に答える。

「秀平殿でもはっきりと無理と言い張るとは。でも、東京藝大は理Ⅲより難しいらしいな。別の意味で」

 光洋の呟き。

「あそこは生まれつきの才能がなきゃ無理らしいですからね。宝塚音楽学校も同様に」

 秀平はすかさず突っ込む。

「学力じゃ測れない最難関か。力士で例えるなら……雷電爲右エ門だね」

「麗さんらしい例え方ね」

 利佳子は少し感心した。

「赤門前、私達の他にも観光客いっぱいだね。私達もみんなで一緒に赤門を背景に記念撮影しようよ」

 麗の提案に、

「いいわね、撮りましょう」

「せっかく来たもんね。撮らなきゃ勿体無いよね」

利佳子と秋穂は快く賛成したが、

「俺はいいよ」

「おいらも結構」

「ボクも結構ですよん。女性方だけでお撮り下さいませー」

 男子三人は嫌がっていた。

「まあまあ、そう言わずに」

「うっ、麗ちゃん、いたたたぁ……」

 梶之助は麗に〝とったり〟のような形で腕をぐいっと引っ張られ、無理やり赤門前に並ばされる。

「梶之助殿が写るというのであれば……」

「ボクも、鬼柳君が写るので一緒に写りますよん」

 光洋と秀平はしぶしぶ加わることにした。

利佳子が近くにいた他の観光客に撮影をお願いし、無事記念撮影完了。

撮られた写真の並びは左から順に光洋、秀平、梶之助、麗、利佳子、秋穂。男子は三人とも緊張しているのか若干硬い表情であったが、女の子は三人ともとても満足そうな表情だった。

 一同はこのあとさらにもう少し北へ歩き、赤茶色の煉瓦造りの外観が特徴的な安田講堂も見学する。

「ここは学業向上祈願に関しては、北野天満宮のなで牛以上の横綱級パワースポットに違いないよ。東大頭脳パワーを授からなくては」

 麗は安田講堂に向かって両手をかざし、大きく深呼吸した。

「ワタシもやるよ。これで次のマーク模試は九割超えれそう」

 秋穂もつられて真似をする。

「わたしは、恥ずかしいのでやめておきます」

 利佳子は周りにいる東大生達が気になって、苦笑顔で呟いた。

ここをあとにした一同が続いて訪れた場所は、浅草。

「やっぱ東京見物は東側エリアに限るな」

「ボクも同意です。渋谷や原宿はリア充DQN専用ですよん」

「コウちゃんとシュウちゃん、また先々行ってるよ」

 秋穂は雷門前から、仲見世通りを奥へと歩き進むその二人を目で追いながら伝える。

「仲見世通りも人多過ぎるし、迷子になるわよーっ」

 利佳子も雷門前から大声で叫びかけるが、彼らは聞こえなかったのかはたまた無視しているのかさらに奥へ奥へと進んでいく。

「光ちゃんは体大きいし、目印になるからきっと大丈夫だよ」

「確かにね」

 麗の意見に、利佳子は概ね納得出来た。

 雷門をしばし眺めたり撮影したりして、梶之助達四人も仲見世通りへ。土産物屋を覗きながら浅草寺本堂に向かってゆっくり歩き進んでいく。

 光洋と秀平はきちんと本堂の前で待ってくれていた。

「勝手に動いちゃダメでしょ」

 利佳子は困惑顔で注意。

「わっ、分かってたけど、おいら、つい本堂の概観に見惚れて」

「ボクも、人ごみに流されて足が勝手にぃ」

 光洋と秀平は緊張気味に言い訳になってない言い訳をする。

「次は花やしきに行かない? ここのすぐ近くだし。お化け屋敷が和風で面白そうだよ」

 麗が提案すると、

「そこは、絶対ダメだ。渋谷原宿並に」

 光洋は即、拒否した。顔がやや蒼白していた。

「さては光ちゃん、今でもお化け屋敷苦手なんでしょう? 小学校の遠足でひ○パー行った時、班行動から逃げ出したもんね」

 麗はにやけ顔で問い詰める。

「いっ、いや、今は、さすがに、そんな、ことはぁ……」

 光洋は首を左右にぶんぶん振る。

「もう、隠さなくても。お顔を見れば一目瞭然だよ。梶之助くんと同じで臆病だね」

 麗はくすくす笑う。

「コウちゃん、ワタシも今でもお化け屋敷苦手だから、そこには入らないようにするよ」

 秋穂は優しく話しかける。

(わたしも今でも苦手だなぁ。光洋さんのこと笑えないです)

 利佳子の今の心境。

「ボクも、お化け屋敷は幼少期から大変苦手でございます。鬼柳君もでしょう?」

 秀平は尋ねてみた。

「まあね。あの、皆、もうすぐ五時になるし、今から花やしき行ってもアトラクションあまり楽しめないと思う。そろそろ両国行こう」

 梶之助は呼びかける。

「もうそんな時間かぁ。じゃ、しょうがない。私も両国大好きだし、花やしきは諦めよう」

 麗がそう言うと、光洋はホッと一息ついた。

 こうして一同は浅草をあとにしてJR両国駅へ。

「ママーッ、お相撲さーん」

 駅構内にて、光洋は幼い女の子に指を指された。

 ママの方は、

「本当だぁ。テレビでは見ないから、三段目くらいの子かなぁ?」

 その娘に向かってこう話しかけていた。

「光ちゃん、やっぱり力士に間違われちゃったね」

「コウちゃん、力士の風格があるよ」

「光洋さん、間違えられても不思議ではないです」

 女の子三人はついつい笑ってしまった。

「おいら、浴衣じゃなくて、私服姿なんだが……」

 光洋は苦笑いを浮かべる。

「光洋、両国歩いてたらまた力士に間違われるかもなぁ」

「リアル力士も今の時期は特に多いですからねー」

梶之助と秀平も思わず笑ってしまった。

「おいら、両国はなるべく出歩きたくないぜ」

 光洋は肩身の狭い思いになり、ため息混じりに呟く。

「そういや両国っていうと、父さんから聞いたんだけど昔、両国予備校っていうスパルタ式のめっちゃ厳しい大学受験予備校があったんだって」

 梶之助が伝えると、

「両国予備校かぁ。ボクも小耳に挟んだことがあるよん」

「わたしもありますよ。全寮制で、校則や寮の規則も軍隊のようにとても厳しかったらしいですね」

 秀平と利佳子はすぐに反応した。

「私も知ってるぅっ。五郎次お爺様からお借りした大相撲のビデオで、貴乃花の取組の懸賞にかかってたのを見たよ。相撲部屋よりも厳しかったのかなぁ?」

 麗の呟きに、

「大相撲の取組で存在知るなんて、麗ちゃんらしいね」

 梶之助は微笑み顔で突っ込んだ。

「怖そうだなぁ。ワタシがそこの授業に出たら、一分足らずでPTSDになりそうだよ。アウシュビッツみたいな感じなのかなぁ」

「おいらは、看板眺めただけで逃げ出しそうだぜ」

 秋穂と光洋はいろいろ想像して、恐怖心が芽生えていた。

一同はこのあと、両国国技館のすぐ隣にある江戸東京博物館を訪れた。普段は午後五時半閉館だが、土曜日は午後七時半まで開いているのだ。

館内を、光洋と秀平は展示物にあまり興味ないのかまたも先々進んで行ってしまった。

他の四人は閉館時刻に気を付けながらも展示物をゆっくりと鑑賞する。

「私、この絵、めっちゃ大好き。世界史Aの教科書にもカラーで載ってるよね」

 江戸時代末期の展示がされてある場所で、麗は興奮気味に叫んだ。

「この中に、俺のご先祖様がいるらしい。五郎次爺ちゃんが自慢げに言ってた」

 梶之助はぽつりと呟く。

 ペリーに対抗にして、力士達が米俵を担ぎ上げている様子が描かれたものだった。

「すごいね、カジノスケくんのご先祖様」

「そういえば梶之助さんちって、大昔は力士一家だったのよね」

 秋穂と利佳子は彼にほんの少し敬意を示したようだ。

 江戸ゾーンでは力士の浮世絵も多数展示されていたため、六人の中で麗が一番楽しめたようである。

夜七時過ぎ、江戸東京博物館をあとにした一同はそこのすぐ近くにある、今夜宿泊する高級ホテルへチェックイン。

フロント係員からルームキーを手渡されると、エレベーターを利用してお部屋へ向かっていく。三部屋ともツインルームかつ予約日時も近かったためか、同じフロア十八階に割り当てられていた。梶之助と麗は1805号室、利佳子と秋穂は1807号室、光洋と秀平は1813号室だ。

「わぁーっ、お部屋広くてすごくきれーいっ!」

麗は1805号室に入りルームキーを差し込んで電気をつけるや、嬉しそうに叫ぶ。

「一人当たり一泊一万以上するからな。高校生がこんな高級な所に泊まっていいのかな?」

 梶之助は少し罪悪感にも駆られていた。

「景色も横綱級にきれーい。スカイツリーが見えるよ!」

 麗は荷物を置くと窓に近寄り、興奮気味に叫びながらぴょんぴょん飛び跳ねる。

「確かに、すごくいいね」

 梶之助も景色を眺め、共感した。

「ロマンチックだね」

「うっ、うん」

 麗に上目遣いで見つめられ、梶之助はちょっぴりドキッとしてしまう。

「スカイツリーが塔の横綱になったから、東京タワーは大関に格下げかな。でも横綱からの格下げは出来ないし、けど差が大き過ぎるし。梶之助くんは東京タワーを大関に格下げすべきだと思う?」

「どっちでも、いいんじゃないかな。あっ、あの、おっ、俺。ちょっとトイレ」

 麗にえくぼ交じりの無邪気な表情で見つめられ、気まずくなった梶之助はそっちへ向かおうとしたら、

「梶之助くん、私もおトイレ行きたぁい。おしっこ漏れそう」

 腕をぐいっと引っ張られた。麗はもじもじしていた。

「さっ、先にどうぞ」

「ありがとう梶之助くん。さすが男の子だね」

 麗は嬉しそうにトイレの中へ。

「あっ、ここもやっぱり洋式かぁ。私は和式の方が好きなんだけど、最近はあまり見かけなくなって寂しいよ」

 ちょっぴり不満そうに呟きながら便器に背を向け、サロペットとパンダさん柄のショーツを脱ぎ下ろして便座にちょこんと腰掛けた。

(テスト勉強しないと)

 梶之助は待っている間、家から持って来た化学の教科書とワークをリュックから取り出し、テスト範囲となっている範囲を黙読する。

 その最中、彼のスマホ着信音が鳴った。

「五郎次爺ちゃんか」

 番号を見ると梶之助はため息混じりに呟いて、通話アイコンをタップした。

『ぅおーい、梶之助ぇ。子孫作りには励んでおるかのう?』

 いきなりされたこんな質問。五郎次爺ちゃんはとても機嫌良さそうだった。 

「五郎次爺ちゃん、もう切るね」

『待て待て梶之助、今どこじゃ?』

「さっきホテルに着いたところ」

『そうか、そうか。麗ちゃんはそばにおるかのう?』

「今トイレに入ってるけど」

『そうか。ということは、ウォシュレットで尻と、赤ん坊の生まれいずる場所を清めておるな。梶之助、これは誘いの合図じゃぞ。梶之助も麗ちゃんももう十五。赤とんぼの歌では嫁に行くお年頃じゃから、そろそろ子作りしても良いじゃろう。麗ちゃんは体こそ小さいが、いいヒップラインをしておるし、きっと強い男子を産むぞ。梶之助に鬼柳家流子孫作りのやり方を伝授してやろう。まず風呂に入る時のスタイルになってから女の方と相撲を取り、布団の上に浴びせ倒すのじゃ。まあ、梶之助の場合は立場が逆になるじゃろうけど問題無かろう』

「……」

 五郎次爺ちゃんからどうでもいいアドバイスを長々と聞かされ、梶之助はほとほと呆れ返る。

『五郎次さん』

 そんな彼の耳元に、電話の向こうから女性の声が聞こえて来た。

『こっ、寿美さん、待て。今僕は梶之助に、鬼柳家の将来に関わる非常ぉに大事な話をしとるんじゃ』

『はい、はい』

 声の主は母だった。

『梶之助、変な電話をしないように五郎次さんの携帯没収しておいたからね。あと、固定電話の方も梶之助の携帯の短縮ダイヤル、解除しておいたから』

『オウマイゴッド。プリーズリターンミー、寿美さぁん』

 五郎次爺ちゃんの嘆き声が電話の向こうから聞こえてくる。

「ありがとう母さん。五郎次爺ちゃんは俺の携帯番号はちゃんと覚えてないもんな。じゃあ、切るね」

 梶之助は礼を言って、清清しい気分で電話を切った。気を取り直して再び化学のワークを開き、テスト勉強に戻る。

「ふぅ、すっきりした」

 ほどなくして、水を流す音が聞こえて来て麗がトイレから出て来た。ほっこりとした表情を浮かべながら。

「じゃ、俺も行くか」

「あっ、あと五分くらい待って……大きい方も、ついでにしたから」

 麗はちょっぴり俯き加減で、囁くような声で言った。恥じらいを持っているようだった。

「……分かった。待っててあげる」

 状況を察し、梶之助は紳士的な対応を取る。

「サーンキュ。それにしても梶之助くん、お勉強道具なんか持って来て、真面目な子だねぇ。これは旅行終わるまで没収ぅ!」

 麗は梶之助の手元からパッと奪い取った。

「返せよ、麗ちゃん」

 梶之助は取り戻そうとするが、麗の素早い手の動きについていけない。

「動き遅いよ梶之助くん、それぇ、浴びせ倒しぃーっ」

 麗は化学のワークを傍らにポンッと投げ捨てると、梶之助にガバッと抱き付きベッドの上に倒した。

「うわっ!」

 今、梶之助は麗に上から乗っかられた状態だ。

「どう梶之助くん、動けないでしょ?」

 麗はにやりと微笑む。

「のっ、退けって。重い」

「梶之助くん、女の子に重いは失礼だよ。私、まだ三〇キロ台なのに」

「いたたたっ」

 さらに強く密着された。

 ベッドがギシギシと軋む。

「うっ、麗ちゃん、おっ、俺、トイレ、行きたいから」

「そういや、そうだったね。ごめんね梶之助くん。そろそろ行ってもいいよ」

 麗はすぐに梶之助の体から離れてあげる。

「やっと解放されたぁ」

 梶之助はくたびれた様子で立ち上がり、トイレに入る。それとほぼ同じタイミングで、コンコンッと1805号室の出入口扉がノックされる音が聞こえて来た。

「はーい」

 麗が対応する。

「ウララちゃん、夕食バイキングに行こう」

「食事代も宿泊料金に含まれてるので、食べ放題よ」

 訪れて来たのは、秋穂と利佳子だった。

「オーケイ。ねえ、梶之助くん。夕食はバイキングだって」

 麗はこう伝えて、出入口すぐ横のトイレの扉を開けた。

「うっ、うわぁっ!」

 タイミング悪く、梶之助はちょうど用を足している最中だった。

「きゃっ!」

「あらまあ」

 梶之助の男のあの部分を、秋穂と利佳子にもばっちり見られてしまったのだ。

「ごめんね、梶之助くん」

 麗はにこにこ笑いながらこう言ってトイレの扉を閉める。

「思ったよりちっちゃかったね。それに、まだほとんど生えてなかったよ」

 利佳子はくすくす笑ってしまう。

「リカコちゃん、失礼だよ。カジノスケくん、気にしてるかもしれないのに」

 秋穂は頬を少し赤らめながら注意する。

「鍵掛けるの、忘れてたよ」

 ほどなくして出て来た梶之助、悲しげな表情を浮かべていた。

「まあまあ梶之助くん、気にせずに。そのうち立派になるよ。それじゃ、バイキングに行こう」

「コウちゃんとシュウちゃんも呼びに行かなくちゃ」

 四人がこの部屋を出た後、1813号室へ光洋と秀平を呼びに行こうとしたら、梶之助のスマホ宛に一通のメールが届く。

「光洋と秀平、もうレストランにいるって」 

 確認し、梶之助はすぐに伝えた。

「あの子達、また勝手に行動して」

 利佳子は困惑顔。

 四人もレストランへ。

 三人掛けの円形テーブル席に梶之助、光洋、秀平。女の子三人はそのすぐ隣の三人掛け円形テーブル席に固まって座る。

「光洋、予想通りのものを選んでるな。野菜もちゃんと食べろよ」

 光洋の目の前の皿を見て、梶之助はやや呆れた。

「そりゃあおいらの大好物だからな」

 光洋はナイフとフォークを使って美味しそうに頬張る。彼は牛ステーキやローストチキン、北京ダックなどの肉料理を中心に選んでいたのだ。

「量もすごいな。五人前はあるだろ」

「大迎君の選んだものを全て合わせると、三千キロカロリー以上はありそうです。現役力士の一食の摂取量に匹敵しますね」

 梶之助と秀平は海鮮料理、

「あー、唐辛子が効いてて美味しい♪ 利佳子ちゃんと秋穂ちゃんもどう? 一口」

麗はトムヤムクン、ケジャン、麻婆豆腐などの激辛料理、

「いいです」

「ワタシ、辛過ぎるのは無理だよぅ」

利佳子と秋穂はフルーツやモンブランなどのデザートが中心だ。

「ところで光洋さん、秀平さん、お部屋の鍵は持ってる? オートロックよ」

「ボクが持ってるよーん」

 利佳子が問いかけると秀平はそう答え、鍵をかざした。

「さすが秀平さん、しっかりしてるわね」

「いえぇ、当たり前のことですのでぇ」

 褒められると、いつもの癖で謙遜。

「ここのホテル、大浴場もあるみたいなので、ご飯済んだら入ってみませんか?」

 利佳子は誘ってみる。

「いいねえ。部屋にもお風呂付いてるけど、それじゃワタシ物足りないよ」

「私も大浴場に入るぅ。広いお風呂は最高だよね。梶之助くん達もそっちを利用してみたら?」

 秋穂と麗は快く乗った。

「光洋、秀平、どうする?」

「入ってみようかな。せっかくあるのだし」

「ボクもそっちに行ってみるよん」

 こうして男子三人も利用することに。食事を済ませるとすぐに男湯へと向かっていく。

 女の子三人も食事を済ませたあと、女湯へと向かっていった。

 女湯脱衣場。

「麗さん、腹筋背筋がさらに引き締まったわね」

「ウララちゃんますます陸上選手みたいな体つきになってるね」

「私は脂肪ももう少し蓄えたいなぁって思ってるよ。ここの湯船、横綱級に広いみたいだからクロールの練習しようっと」

「麗さん、ここで泳ぐのは禁止よ。注意書きを見なさい」

「ウララちゃん、ここではゆったり浸かるのがマナーだよ。泳ぐのはプールでね」

三人とも幼い子どものように、恥ずかしげも無く服を脱いで堂々と裸体をさらけ出し、ハンドタオルは手に持っていた。入浴後に体を拭くためのバスタオルは、麗は普段から愛用している逸ノ城のイラストがプリントされたものを持って来ていた。お菓子のプレゼントキャンペーンで当てたもので、光洋の快い協力もあって応募券をたくさん集めることが出来たのだ。 

「秋穂ちゃん、おっぱい大きいね。いい体つきしてるし。秋穂ちゃんもお相撲やってみない?」

「やらなーい。絶対怪我するもん。そもそもお相撲は、やんちゃな男の子のするスポーツだよ」

「秋穂ちゃん、それは偏見だよ。お相撲はお淑やかな女の子にも人気のあるスポーツだよ。秋穂ちゃんも鍛えれば絶対強くなれるよ!」

「あんっ! んっ」

 秋穂は十五センチくらい背の低い麗におっぱいを両手でわし掴みにされ、あっという間に壁際に押し込まれてしまった。

「麗さん、やめなさい。秋穂さん嫌がってるわよ」

 利佳子は優しく注意しながら麗に背後から近寄る。

「それっ、小股掬いっ!」

「きゃんっ!」

 利佳子はステンッと転び床にびたーんと尻餅をついた。さらには足がM字開脚状態になりあられもない姿に。

「利佳子ちゃん、足腰もっと鍛えた方がいいよ」

 麗は片方の手で秋穂を壁に押さえ付けたまま、もう片方の手で利佳子の太ももの内側を抱え込み、バランスを崩すという器用な技を繰り出したのだ。

「麗さん、動き速すぎ」

 利佳子はあっと驚く。

「ウララちゃん、あんまりイタズラしちゃダメだよ」

秋穂は麗の両腕をしっかり抱え、宙にふわっと浮かした。さらに左右に振り子のようにぶらんぶらん揺らす。

「あーん、秋穂ちゃぁん。離してぇー。わっ、私、吊り上げられると何にも抵抗出来なくなっちゃうの」

「それが麗さんの弱点ね」

 利佳子はにこっと笑い、麗の脇腹をこちょこちょくすぐり始めた。

「りっ、利佳子ちゃぁん。やめて、やめてぇ。キャハハハッ。私、くすぐられるのもすごく苦手なんだぁーっ」

「ウララちゃん、もうお相撲の技掛けちゃダメだよ」

「わっ、分かりましたぁ」

「いい子だね」

 麗が苦し紛れに返事をすると、秋穂はそっと下ろしてあげた。利佳子もくすぐり攻撃を止めてあげる。

「私、女の子としてもちっちゃいから、小学校の頃はよく吊り上げられて一回戦負けしてたよ。それで悔しくて、足腰と瞬発力も鍛えようと思うようになったんだ」

 麗は照れ笑いしながら打ち明ける。実際、彼女が女相撲大会で準々決勝進出以上の好成績を収められるようになったのは中学以降なのだ。突き押し上手投げ中心の相撲を取っていた小学生の部出場時代は、良くて二回戦止まりだった。(それでも梶之助よりは強かったが)

浴室へ入った三人は、隣り合って洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。出入口に近い側から利佳子、秋穂、麗という並びだ。

「麗さん、まだシャンプーハット卒業してなかったのね。幼稚園児みたいよ」

 利佳子はくすくす笑う。

「ワタシも、今はさすがに使ってないな」

 秋穂は、麗の方をちらりと眺めた。

「べつにいいじゃん。目にシャンプーが入らないように安全のためだもん」

麗は笑顔で堂々と言い張り、シャンプーを出して髪の毛を擦り始める。

「ウララちゃん、かわいい! 妹に欲しいよぅ。髪の毛洗うの手伝ってあげよっか?」

 秋穂は麗のその仕草に、きゅんっ♪ と時めいた。

「それはいい、自分でやるから」

 麗は頬をポッと赤らめた。

「ウララちゃんますますかわいいよ。リカコちゃんも、眼鏡外したお顔かわいいね」

 今度は利佳子の方を振り向く。

「あっ、ありがとう、秋穂さん。あの、秋穂さんは来月からの水泳の授業、楽しみにしていますか?」

「うーん、どちらとも言えないよ。プールで遊ぶのは楽しいんだけど、泳ぐとなると。ワタシまだクロール五〇メートル泳ぎ切れたことがないし。絶対途中で足付いちゃう」

「わたしも同じ。高校生になったし、今年はなんとしても泳ぎ切りたいなぁ。泳ぎ切れなかったら、夏休み補習に呼ばれるらしいので」

「そうなの? 淳高は勉強だけじゃなく体育も厳しいんだね。ワタシも頑張らなきゃ」

「麗さんはクロール二キロ以上ノンストップで泳げるみたいなので羨ましいです」

 秋穂と利佳子が小声でおしゃべりしながら体を洗い流している最中、

「それーっ!」

 麗のはしゃぎ声と共に、ザブーッンと飛沫が上がる。なんと、前方宙返りを見事に決めて湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。さらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「ウララちゃん、はしゃぎ過ぎだよ」

「麗さん、小学校低学年の子みたいね」

 秋穂と利佳子は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

「周りのお客様に迷惑かけちゃダメだよ」

 体を洗い終えると秋穂は再度麗に注意して、湯船に静かに浸かった。

「ちょうどいい湯加減だし、広くて最高♪ わたし、お風呂大好きなの。夏は朝と学校から帰ってからと、夜の一日三回入ってるよ」

 利佳子も同じようにして浸かると、湯船に足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに語る。

「リカコちゃん、し○かちゃん並だね。でもあんまり入り過ぎるとお肌ふやけちゃうよ」

 秋穂はにっこり微笑んだ。

「そういえば梶之助さん、背がけっこう伸びたよね。去年の二学期頃までは、わたしより低かったような。中学の間に二〇センチくらいは伸びてると思う」

「私も中一の終わり頃に梶之助くんに背、追い抜かれちゃったよ。秀ちゃんも中学入りたての頃は私と同じくらいだったし」

「ワタシもシュウちゃんにいつの間にか追い抜かれてたな。やっぱ男の子は中学でぐんぐん伸びるよね。ところで明日はどこを観光する? ワタシ、上野動物園へ行きたいな」

「私もそこ行きたぁい。日本の動物園の横綱だもんね。梶之助くんは序ノ口の最初の取組から見るから、朝からずっと両国国技館で過ごす予定って言ってたけど、大相撲はテレビ中継されない下の方の力士の取組見ても、迫力なくてあんまり面白くないからね。十両以上からだよ、面白いのは」

「わたしも上野へ行きたいので、あとで梶之助さんに相談してみましょう」

「ところで話は変わるけど利佳子ちゃん、秀ちゃんのこと好きでしょう?」

「もう、麗さん。幼稚園時代からもう何十回、いや何百回その質問してるのよ。いつも言うけど、あの子はわたしの勉強のライバルなの」

 利佳子は淡々とした口調で即否定する。

「シュウちゃん、昔からすごくいい子で真面目で賢いもんね。リカコちゃんが好きになっちゃう気持ちはワタシにもよく分かるよ」

 秋穂はほんわかとした表情で言った。

「だから違うって」

 利佳子は困惑顔だ。

「利佳子ちゃん、もういい加減、秀ちゃんと付き合っちゃいなよ。見た目と運動神経はの○太くん、頭脳は出○杉くんなところが気に入ってるんでしょ? 両親のお仕事もお互い大学教授なんだしさぁ」

 麗はにこにこ笑いながら、利佳子の肩をペチペチ叩く。

「いいって」

 利佳子は俯き加減で言う。

「利佳子ちゃん、お顔赤いよ」

 麗はにやけ顔で指摘した。

「これは、体が火照って来たからなの。わたし、もう出るね」

 利佳子はそう告げて慌て気味に湯船から飛び出し、脱衣場へと向かっていく。

「今何キロあるかなあ?」

 そしてすっぽんぽんのまんま、そこに置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗った。

「……えええええっ!? 身体測定の時より、二キロも増えてるぅ。なっ、なんでぇ!? バイキング食べ過ぎた?」

 目盛を眺めた途端、利佳子は目を見開き大きな叫び声を上げた。

「利佳子ちゃん、贅沢な悩みだね。少々太ったっていいじゃない。私は突進力高めるためにあと五キロくらいは増やしたいのに」

 麗も駆け寄って来て、利佳子に慰めの言葉をかけてあげる。

「麗さんはお相撲やってるからそれでいいけど、わたしは違うもん」

「体重気にした時の利佳子ちゃん表情、狸っぽくってかわいかったよ」

「もう、ひっどーい。罰としてくすぐり攻撃しちゃおう」

「あーん、やだぁ」

 すっぽんぽんの利佳子に追われ、麗もすっぽんぽんで逃げ惑う。

「ウララちゃん、サ○エさんに追われてるカ○オくんみたいだね」

 秋穂も脱衣場へ上がって来て、にこにこ微笑みながら眺めていた。

同じ頃、

「一三八キロかぁ。さらに増えてしまったな。夏コミまでに一四〇オーバー確実だぜ」

 男湯脱衣場にて、光洋も自分の体重を量っていた。トランクス一丁で。

「光洋、太り過ぎ。光洋の身長でも八〇キロくらいが理想だろ。これ以上太ると絶対体壊すぞ。あの女の子達三人合わせた体重よりも多いんじゃないのか?」

「きっとそうであろうな」

 光洋は苦笑顔で語る。

「ボクは今日歩き回ったせいか、少し減って四九キロになっていました。ボクは鬼柳君と同じく太りにくい体質でありますからぁ」

 秀平からの報告。

「俺も五〇キロないよ。光洋はますますぶよんぶよんになっていくなぁ」

 梶之助は光洋の上半身を眺め、にこにこ笑う。

「おいら、疑問に思うんだが、リアル力士って、おいらより背が低くて体重は多いのに、おいらよりずっと体が引き締まってるやつも多いだろ」

「そりゃあ大迎君とはトレーニング量が天と地ほど違いますからぁ。力士って体脂肪率は意外と低いですよん。大迎君も力士の稽古のような猛トレーニングを長期的に積めば、現役時代の朝青龍みたいな体つきになれますよん。そのお方と身長・体重の値が近いですしぃ」

 光洋の疑問を秀平はすかさず一刀両断する。さらに助言もしてあげた。

「トレーニングなんて、おいらには百パー無理ぽ。三日坊主どころか三秒坊主だぜ」

 光洋はそう言ってにっこり笑う。

 男子三人がこうしているうちに、女の子三人組は大浴場から出てすぐの休憩所へ移動していた。

「どれにしようかな? ジンジャーエールかな」

「わたしはレモンティーにするわ」

「ワタシは、メロンクリームソーダにしよう」

 自販機でお目当てのドリンクを買うと椅子に腰掛け、お風呂上りの一杯を楽しんでいたところへ、

「いい湯でござったぁー」

「ホテルに大浴場があるのはけっこう珍しいかも」

「あれれっ、女性方は先に出ていたのですか」

 男子三人も休憩所に姿を現した。 

「お風呂上りの光ちゃん、力士っぽさがますます醸し出されてるね」

 麗は浴衣姿の光洋を楽しそうにじーっと眺める。

「光洋さん、どう見ても相撲取りよ」

 利佳子は思わず笑ってしまった。

「浴衣だもんね。コウちゃん、すごく格好いいよ」

「そっ、そんなことはぁ」(なんか、女の子特有の匂いが……)

 秋穂に褒められ、光洋はかなり動揺する。女の子三人の体から漂ってくる、ラベンダーやオレンジ、オリーブ、ミントのシャンプーや石鹸の香りが、彼の鼻腔をくすぐっていた。

「ねえ、今からゲームコーナーで遊ぼう。あそこにプリクラがあるよ。みんなで一緒に写ろう!」

 麗は今いる場所から数十メートル先を手で指し示す。

 ホテル内の、アミューズメント施設であった。

「けっ、結構です。おいら、フレーム内に収まらないだろうし」

「ボクもいいですぅ」

 光洋と秀平は速やかにその場から逃げ出した。

 しかし、

「走るの遅いよ、光ちゃん、秀ちゃん」

 麗にあっという間に追いつかれ前に回られてしまう。

 次の瞬間、

「うおっ!」

 光洋は前につんのめるようにして倒れ、

「あーれー」

 秀平は尻餅をついた。

「ただいまの決まり手は、引っ掛けで光洋さんに、突き倒しで秀平さんに、麗ちゃんの勝ちね」

 利佳子は微笑み顔で決まり手を告げる。

 麗はさっき、光洋の腕をぐいっと前へ引っ張りバランスを崩させてこかし、秀平の胸をとんっと突いて倒したのだ。

「なんという、パワー」

「ひいいい、恐ろしやぁー」

 光洋と秀平はびくびく怯える。

「光ちゃん、もっと足腰鍛えなきゃ。まるで晩年の小錦さんみたいだよ」

麗はにこにこ微笑む。光洋との身長四〇センチ、体重百キロ以上もの体格差も全く物ともしなかったのだ。

「梶之助くんは、もちろん一緒に写ってくれるよねえーっ?」

「おっ、俺も、いい。プリクラは、女の子だけで撮った方が、楽しいよ」

 麗ににじり寄られた梶之助は苦笑いを浮かべながらそう伝えて、エレベーター乗車口へ向かってタタタッと走り出す。

「待って!」

「はやっ!」

 しかし彼もあっという間に追いつかれてしまった。

「そりゃぁっ!」

「うわぁっ」

 そして一瞬のうちに麗に体を掴まれ、豪快な捻り技を食らわされてしまった。梶之助はごろーんと床に転がる。

「ただいまの決まり手は……内無双ね」

 利佳子は少し考えてから告げた。

「その通りだよ」

 麗は嬉しそうに言う。右手で梶之助のズボンの裾をガシッとつかみ、左腕を梶之助の太ももの内側に通した状態で捻り倒したのだ。

 光洋と秀平は梶之助が技を掛けられている間にエレベーターに乗り込んでしまった。

「腰思いっきり打った。ひどいよ、麗ちゃん」

「大丈夫? カジノスケくん。ウララちゃん、痛がるようなことしちゃダメだよ」

 秋穂は手を差し出してくれた。

「あの、世良田さん、俺、一人で起きれるから」

けれども梶之助は照れくささからか拒否し、自力で立ち上がる。

「ごめんねー梶之助くん。一応、手加減して投げたつもりだけど」

 麗は申し訳なさそうに謝っておいた。

「けっこう効いたよ。それにしてもプリクラか……」

 梶之助は気が進まなかったが、

「ご当地限定のプリクラあるかなぁ?」 

「梶之助さん、高校時代の思い出になるので一緒に写りましょう」

 秋穂と利佳子はかなり乗り気であった。

四人はいくつかあるうち最寄りのプリクラ専用機内に足を踏み入れる。

前側に麗と梶之助が並んだ。

「このフレームにしよう!」

麗の選んだ東京スカイツリーのフレームに、他の三人も快く賛成。

「一回五百円か。けっこう高いね」

梶之助はこう感じながらも気前よくお金を出してあげた。

 撮影落書き完了後、

「おう、めっちゃきれいに撮れてるじゃん!」

 取出口から出て来た、十六分割されたプリクラをじっと眺める麗。自分が見たあと他の三人にも見せる。

「麗ちゃん、梶之助くんとデート、ハートマークとかって落書きしないで」

 梶之助は少し顔をしかめる。

「いいじゃん、梶之助くん、ほとんど事実なんだし」

 麗はてへっと笑い、舌をペロッと出した。

「リカコちゃんは、相変わらず写真写りの表情がちょっと硬いね」

「本当だ。なんか弁護士みたーい」

 秋穂と麗が微笑みながら突っ込むと、

「あれれ? 笑ったつもりなんだけどな」

 利佳子は少し照れくさそうにする。

「利佳子ちゃん、鏡を使って笑顔作りの稽古を積むべきだよ。そうすれば秀ちゃんはきっと振り向いてくれるよ」

 麗はにこっと笑ってアドバイスした。

「麗さん、その話はもういいから」

「いたたたたぁ、ごめん利佳子ちゃん」

 利佳子はニカッと笑って麗のぷにぷにほっぺを両サイドからぎゅーっとつねる。

「リカコちゃんのさっきの表情、けっこう素敵だったよ。あの、ワタシ、次はこれがやりたいな」

 秋穂は、プリクラ専用機向かいに設置されていた筐体を指差した。

「秋穂ちゃん、動物のぬいぐるみが欲しいんだね?」

「うん!」

 麗からの問いかけに、秋穂は満面の笑みを浮かべて弾んだ気分で答える。秋穂がやりたがっていたのはお馴染みのクレーンゲームだ。

「動物さんのぬいぐるみは特にかわいいよね」

 利佳子は同調する。

「あっ! あのナマケモノのぬいぐるみさんとってもかわいい! お部屋に飾りたぁい」

 お気に入りのものを見つけると、秋穂は透明ケースに手のひらを張り付けて叫び、ぴょんぴょん飛び跳ねる。

 めちゃくちゃかわいいな。

 梶之助はその幼さ溢れるしぐさに見惚れてしまったようだ。

「秋穂ちゃん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるから、難易度は横綱級だよ」

「大丈夫!」

 麗のアドバイスに対し、秋穂はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、操作ボタンに両手を添える。

「秋穂ちゃん、頑張れーっ!」

「秋穂さん、落ち着いてやれば、きっと取れるわよ」

「世良田さん、頑張って」

 三人はすぐ後ろ側で応援する。

「ワタシ、絶対取るよーっ!」

秋穂は真剣な眼差しで慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持っていくことが出来た。

 続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。 

「あっ、失敗しちゃった」

 ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。

秋穂が再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは自動的に最初の位置へと戻っていく。

「もう一回やるもん!」

 秋穂はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。

「今度こそ絶対とるよ!」

この作業をさらに繰り返す。

秋穂は一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。

けれども回を得るごとに、

「全然取れなぁい……」

 徐々に泣き出しそうな表情へと変わっていく。

「あのう、秋穂さん、他のお客さんも利用するので、そろそろ諦めた方がいいかもです」

 利佳子は慰めるように言った。

「諦めたくない」

 秋穂は諦め切れない様子。お目当てのぬいぐるみを見つめながら、悔しそうに唇を噛み締める。

「気持ちは分かるのですが……わたしも一度やると決めたことは、最後までやり遂げたいから」

 利佳子は深く同情した。

「このままだと秋穂ちゃんかわいそう。ねえ梶之助くん、小学五年生の頃、秋穂ちゃんに裁縫セットを秋穂ちゃんに貸してもらったことがあるでしょ。恩返ししてあげなよ」

 麗に肩をポンッと添えられ命令されると、

「……よく覚えてるね。でも俺も、クレーンゲーム得意じゃないし、真ん中ら辺のサイのやつはなんとかなりそうだけど、あれはちょっと無理だな」

 梶之助は困惑顔で呟いた。

「カジノスケくん、お願ぁい!」

「……分かった。取ってあげる」

 それでも秋穂にうるうるとした瞳で見つめられると、梶之助のやる気が急激に高まった。クレーンゲームの操作ボタン前へと歩み寄る。

「ありがとう、カジノスケくん。大好き♪」

 するとたちまち秋穂のお顔に、笑みがこぼれた。

「さすが梶之助くん、鬼柳家の男だね」

「梶之助さん、心優しいですね」

 麗と利佳子も、彼に対する好感度が高まったようだ。

(まずい。全く取れる気がしない)

 梶之助の一回目、秋穂お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。

「カジノスケくんなら、絶対取れるはず♪」

 背後から秋穂に、期待の眼差しで見つめられる。

(どうしよう)

 当然のように、梶之助はプレッシャーを感じてしまう。

「梶之助くん、頑張れーっ!」

「梶之助さん、ご健闘を祈ります!」

(よぉし、やってやるぞ)

 麗と利佳子からの声援を糧に梶之助は精神を研ぎ澄ませ、再び挑戦する。

 しかしまた失敗した。アームには触れたものの。

けれども梶之助はめげない。

「カジノスケくん、頑張ってーっ。さっきよりは惜しいところまでいったよ」

 秋穂からも熱いエールが送られ、

「任せて世良田さん。次こそは取るから」

梶之助はさらにやる気が上がった。

 三度目の挑戦後。

「……まさか、本当にこんなにあっさりいけるとは思わなかった」

 取出口に、ポトリと落ちたナマケモノのぬいぐるみ。

梶之助は、秋穂お目当ての景品をゲットすることが出来た。ついにやり遂げたのだ。

「やったぁ! さすがカジノスケくん」

 秋穂は大喜びし、バンザーイのポーズを取った。

「梶之助くん、おめでとう! 日馬富士の綱取りと同じく三度目の正直だね」

「梶之助さん、素晴らしいプレイでしたね」

 麗と利佳子がパチパチ拍手しながら褒めてくれる。

「たまたま取れただけだよ。先に、世良田さんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげだよ。はい、世良田さん」

 梶之助は照れくさそうに言い、秋穂に手渡す。

「ありがとう、カジノスケくん。ナマちゃん、こんばんは」

 秋穂はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。

「秋穂ちゃん、幸せそうだね」

 麗はにこやかな表情で話しかけた。

「うん、とっても幸せだよ。ワタシ、コウちゃんのぬいぐるみもあったら欲しいなぁ。だってコウちゃん、ト○ロみたいだもん。癒し系だよ」

「確かに光ちゃん、ト○ロっぽいよね。私も光ちゃんの等身大ぬいぐるみがあったら欲しいーっ! 相撲ごっこに最適だから。秀ちゃんもの○太くんっぽいからぬいぐるみにしたら見栄え良さそう」

「シュウちゃんは、お勉強のすごく出来るの○太くんだね」

「二人とも、光洋さんと秀平さんにちょっと失礼でしょ」

 利佳子はくすくす笑いながら注意する。

「光洋と秀平のぬいぐるみかぁ」

 梶之助も想像し、思わず笑ってしまった。

 その頃、当の光洋と秀平は1813号室でウェブサイトを見て遊んでいたのであった。

ここにいる四人はこのあと最後の締めくくりとしてモグラ叩きゲームをすることに。

「麗さん、反射神経も凄まじくすごいわね」

「ウララちゃん、手が四本あるみたい」

「俺達三人で挑んでも、麗ちゃんのスコア出せそうに無いな」

 麗の機敏な手の動きに、他の三人は唖然。麗は制限時間内に穴から出て来たモグラを一匹も逃さず叩き、見事パーフェクトスコアを出したのだ。

「このゲーム、横綱級の爽快感だよ」

 麗は満面の笑みを浮かべ、快哉を叫ぶ。

 こんな風に楽しみ、それぞれの部屋へと戻っていった。

「よぉし、やるぞぉ!」

 麗は1805号室に入るとそのままベッドの上に乗っかり、足をガバッと大きく広げて股割りをし始めた。

「トレーニング、今日も欠かさずやるんだね」

「うん、寝る前の日課だから。梶之助くんが飽きもせず毎日勉強してるのと同じことだよ」

「勉強は毎日必要だと思うけどね」

 梶之助はこう言いながら、英語のワークの確認をしていた。

 麗はその後も腕立て伏せ、腹筋背筋運動、屈伸、すり足、四股踏みをこなしていき、ベッドにごろんと寝転がった時にはまもなく日付が変わろうという頃。

梶之助も勉強道具を片付け、就寝準備を整える。電気を消して麗の隣のベッドに上がると、

「ねえ梶之助くん、一緒に寝て」

 麗が突然こんなことをお願いして来て、同じベッドに移動してくる。

「ダッ、ダメだよ」

 梶之助はきっぱりと断った。

「あーん。私、ぬいぐるみさん抱いてないとぐっすり眠れないの。持ってこようと思ったんだけど、大き過ぎて入らなかったから。だから」

「俺をぬいぐるみの代わりにしようと思ったのか。ダメダメ。一緒に寝るのだけはダメ」

 さらに強くせがまれても、断固拒否する。

「それじゃ、送り吊り落としの刑にしちゃおうっと」

 麗はにやりと微笑んだ。

「えっ!」

 梶之助はびくっとなった。彼にとって一番掛けられたくない屈辱的な技なのだ。

 ちょうどその時だった。

ピカピカピカッとジグザクに走る稲光が窓の外に見えた。

その約三秒後、

ドゴォゴォーンと強烈な爆音が鳴り響いた。

「びっくりしたぁー。かっ、梶之助くん。さっきの雷、めっちゃすごかったね。近くに落ちたのかも……」

「あっ……あの、麗ちゃん」

 梶之助は気まずい気分になる。麗が梶之助の膝の辺りにコアラのようにしがみ付いて来たのだ。

「ごめんね梶之助くん、私、今でも雷さんが怖いの」

 麗は顔をこわばらせ、プルプル震えていた。

「そっ、そうだったんだ」

 梶之助は意外に思った。

 その時、

ドゴォーンと強烈なのがさらにもう一発。

「梶之助くぅん、怖いよう」

 麗はさらに強く抱きしめて来た。

「いっ、痛いよ麗ちゃん」

「一緒に寝てぇぇぇー。お願い、お願ぁい」

「……しょっ、しょうがないなあ。今回だけだよ」

 甘えるような声で言われ、梶之助はしぶしぶ承諾した。

「ありがとう梶之助くん。恩に尽きるよ。おへそしっかり隠さなきゃ」

 こうして麗は、梶之助と同じ布団にしっかりと潜り込む。

「あの、麗ちゃん、あんまり密着しないでね。暑いし」

「うん!」

 雷はまだ、数十秒おきに鳴り続けていた。

 同じ頃、1807号室の秋穂と利佳子は、

「リカコちゃぁん、雷怖いよぅ」

「大丈夫よ秋穂さん。寒冷前線によるものだから短時間で止むと思うので」

ベッドの布団に二人(間に先ほど梶之助に取ってもらったナマケモノのぬいぐるみ)で包まって過ごしていた。

 1813号室の光洋と秀平は、

「雷の音、うるさ過ぎる。テレビの音が聞こえにくいではないかぁ」

「天気予報通りになっちゃいましたか。どうせ鳴るならあと二時間くらい後にして欲しかったですね」

 U局で関西よりも先行で放送されている深夜アニメを熱心に視聴していた。

「早く、治まって欲しいものだな」

 光洋は若干、雷に怯えていたのであった。

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