おばあちゃんを探せ!

月生

第1話 おばあちゃんはいつも決まってこう言う

「こんにちは」

 僕とソウタは毎朝このおばあちゃんに挨拶をする。

 おばあちゃんは優しい目で僕達に答える。

「こんにちは」

 そして、いつも決まってこう言うんだ。

「君達は誰?」


 水泳教室の休み時間にソウタが言った。

「あのおばあちゃん、なんですぐに忘れちゃうのかな?」

「うーん、なんでかなあ」

 市民プールに行く途中にある家の庭先で、おばあちゃんはいつもぼんやり道を眺めている。

 僕達は夏休みに入ってからおばあちゃんに挨拶をするようになったけど、いつも「誰?」って聞かれる。

 しょうがないから毎回名前を教えてたけど、今日は面倒くさくなって答えずに行ってしまった。

 自転車を止めてちらっと振り返ったら、行ってしまった僕達のことをおばあちゃんはずっと見ていた。

 自分たちの冷たい態度に後ろめたくなった僕達は、次の日からなんとなくおばあちゃんの家の前を通らないでプールに行くようになった。


 数日後、いつものようにソウタを迎えに来た。

 蝉がうるさく鳴いている。その声に負けないように自転車のベルを鳴らした。

「ソウタ! 早く来いよー!」

 すると、ソウタの家のドアが開いた。

「ごめんごめん、今行く」

 戦隊ヒーロー物が好きなソウタは、今日もヒーローがプリントされたTシャツを着て出てきた。

 自転車の鍵をガチャンと外すと、急に体を起こしてずれた眼鏡を直した。そして真ん丸いレンズの奥で目を真ん丸くして言った。

「タカシ、ちょっと待ってて。カード忘れた!」

 そう言って、また家に引っ込んだ。

 次に出てきたとき、ソウタは右手にカードを持っていた。それを僕に見せつけるように言った。

「今日で20個になるね」

 僕達は毎日、市民プールの水泳教室に通っている。夏休みの日課だ。

 僕はクロールで1,000メートル泳げるようになった。頭はいいけど運動が苦手なソウタは25メートルが精一杯だ。運動が得意な(頭はそこそこな)僕はともかく、ソウタがヒーローになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 僕達はこの日もおばあちゃんの家を避けてプールに向かっていた。

 自転車をこぎながらソウタが言った。

「あのおばあちゃん、最近どうしてるかなあ」

「さあ」

「お母さんが言ってたんだけど、あのおばあちゃん、何でもかんでもすぐに忘れちゃう病気なんだって」

「へえ」

「だから何度名前を教えても無駄だってさ」

 最後におばあちゃんに会ったときのことを思い出していた。

 さっさと行ってしまった僕達のことをずっと見ていたっけ。でも、何回教えても僕達のことを覚えないんだ。付き合いきれないよ。

 そう思いながら、自転車をこぎ続けた。


 その日のプールの帰り道、大きな通り沿いにある横断歩道でおばあちゃんが女の人と二人で信号待ちをしているのを見つけた。

 おばあちゃんは首から携帯電話をぶら下げていた。それは目立つピンク色をしていた。

 横断歩道の少し手前に小さな中古車屋がある。古い建物とは裏腹に、ピカピカに磨かれたレトロな赤いオープンカーがガラス越しに見える。

 対照的に店の外には、白とオレンジのツートンカラーのひどく古ぼけたワゴン車があった。その他にも数台の古い車が置いてある。

 その店の隣にはバス停があり、ちょうど路線バスが停まっていた。中古車屋の店先で、柔和な面持ちの中年の男主人がバスに乗り込む知人らしき人物を見送っていた。

 バスが発車し、横断歩道で待っている二人の前を通り過ぎて行った。おばあちゃんはぼんやりした眼差しでそのバスを見送っていた。その目にはいったい何が見えているのだろう。

 僕達はちょっとためらったけど、その横断歩道を渡らないと家に帰れないから、一緒に信号待ちをすることにした。

「こんにちは」

 僕達は少し小さな声で挨拶をした。おばあちゃんは僕達に気づいてこっちをちらっと見たけど、何も答えずに無表情のままよそを向いてしまった。

 その代わり、一緒にいた女の人が答えてくれた。僕のお母さんより少し若い感じがした。

「こんにちは。うちのおばあちゃんに毎日声をかけてくれる子たちね」

「あ、えっと……」

「いつもありがとうね」

 そう言われて、僕達はちょっと返事に困って苦笑いをした。

「タカシ君とソウタ君だよね」

「え?」

「いつもおばあちゃんに名前を教えてくれてるの聞こえてたよ」

 僕達は思わず顔を見合わせた。

「私はチカっていうの。君達は何年生?」

「五年生」

「二人は仲良しなのね」

 チカはそう言って笑った。

「そう?」

 そう? だなんてとぼけてみせたけど、確かによく言われる。

 学年で一番足が速い僕と、学年で一番頭がいいソウタ(お互いの一番いいところだけをアピールしておこう)は、幼稚園からの腐れ縁だ。僕が今乗っている自転車との付き合いが二年だから、その何倍も長い。

 そんなことを考えていたら、横断歩道の信号が変わった。

「青になったよ」

 チカと名乗った女の人に言われて、僕達は自転車をこぎ出した。

「自転車、気をつけてね」

 チカの声を背に、僕達は二人の元を去った。振り返ったら、横断歩道を渡った所でチカが手を振っているのが見えた。

 でも、おばあちゃんは走り去っていった路線バスの遠い後ろ姿を見つめ続けていて、僕達のことを見ることはなかった。


 おばあちゃん達と別れた後、ソウタを連れて家に帰った。

 縁側に並んで座り、お母さんが切ってくれたスイカを二人で食べ始めた。

 真夏の午後の暑い日差しが照りつけている。二人の間に置かれた蚊取り線香の煙が風に煽られている。

「タカシ、明日どうする?」

 ソウタはそう言うと、口の中にある2~3個のスイカの種を庭に向かって飛ばした。庭先にそびえ立つ二本の大きなひまわりの花を狙ったようだけど、さすがにそこまでは飛ばない。

「んー」

 僕がはっきりと答えなかったのは、答がすぐに見つからなかったということもあるけど、本当の理由は他にあった。僕はほっぺたを膨らませたまま、口を動かしていた。

 僕はソウタの顔を見た。ソウタが僕を見ていることを確認すると、口をすぼめてスイカの種を飛ばし始めた。

 僕の口の中には大量のスイカの種が貯められていた。それはまるで機関銃のように、プププププッと次々に庭に向かって連射された。

「おー!」

 ソウタが感嘆の声を上げた。僕は得意げな顔をしてみせた。

 明日どうする? という問いかけが何を意味するかは十分わかっていた。まだ手をつけていない夏休みの宿題を明日やるのかという意味じゃない。明日空き地に行って作りかけの基地を仕上げるのかという意味でもない。

 口の中が空になった僕はしばらく考え込んだ後、ようやくソウタの質問に答えた。

「明日からはまたおばあちゃんちの前を通ろうか」

 僕はソウタにそう答えた。だけど彼は何も答えなかった。

 不審に思ってソウタを見たら、僕を見ながら口をモグモグさせていた。彼のほっぺたはすごく膨らんでいた。そして挑戦的な目でニヤリと笑った。

 僕も再びスイカにかじりついた。

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