第2話 挑戦

部屋の中に夏の日差しが入って来る。…暑い。

体が汗ばんでいるのがわかる。その気持ち悪さに、京介は目を覚ました。

「……はっ!?」

しまった!今は何時だ!?昨日はシャワーも浴びずに、寝てしまったんだ。慌てて時計を見る、時刻は十一時五十分。完全なる遅刻だ。しかし、そこではっとした。

(今日は土曜日だ)

よかった。バイトも夜からだし、焦る必要はない。

京介は布団から起き上がると、風呂場に行き、シャワーを浴びた。


体を拭き終えると、京介はパンツ一丁で布団にあぐらをかく。

昨日の男は捕まったのだろうか?伊藤の‘‘死”は消えていたが、不安要素が消えたわけではない。

京介はテレビをつけた。チャンネルを回し、ニュース番組にする。丁度昨日の男のことがやっていた。

「船津市内で起こっている、連続通り魔事件ですが、犯人の男は、昨晩も女子大生をターゲットにし、殺害を目論みました。しかし、現場に居合わせた男子大学生と一般男性の行動により、女子大学生の殺害は未遂で終わったとのことです。男子大学生らの証言によると、犯人の男は身長185cmほどの長身で、筋肉質な体型をしているらしく、依然、逃走中とのことです。」

逃走中…か。どうやらまだ捕まってないらしい。だが、あんな特徴的ながたいをしているんだ、すぐに捕まるだろう。

それにしても、矢嶋さんは一体何者なんだ。今度ちゃんとお礼がしたい。気になることも言っていたしな。


ピーンポーン

家のチャイムがなった。誰だ?

ドアの覗き穴から見てみる。そこには黒月が立っていた。黒月?なんの用だ?

ガチャ

「よう。昨日はありがとな。なんか用か?」

「……」

黒月は黙っている。

「…変態」

「あっ!」

しまったパンツのままだった。

「悪りい!ちょっと待ってて」

急いでスボンと、Tシャツを着て、再び玄関へ行く。

「で、なんの用だ?」

「…上がってもいいかしら?」

「え!?お、おう…」

(黒月が俺の部屋に…)

なんだか不思議な気分だ。まともに会話したのは、昨日が初めてだというのに。

「言っておくけど、変なことしたら許さないから」

「しねえよ」

女の子が部屋に来るなんてことは初めてのことで、少しどきっとしたが、こいつ相手に下手なことを考えたらすぐにばれてしまうのは、重々承知である。

しかし、何かする気など一切ないが、思考というのはとめどないもので、意識的に考えないようにしなければならない。

「ちょっと待ってて、今座布団出すから」

「ありがとう」

黒月に座布団を渡し、自分は布団の上に座った。

「伊藤はどうしたんだ?」

「もう平気だからって、朝帰ったわ」

昨日あんなことがあったばかりなのに、意外と強い子だな。

「あんたを起こしちゃ悪いからって、改めてお礼を言うように頼まれたわ」

「そっか。で、話はそれだけ?」

「…いいえ、あんたの能力ちからのことについて、聞きたいと思って…」

なるほど、それか。

「んーと、お前はどこまで把握してんの?」

「あんたには、死期が近い人間に靄が見えるってことは、把握してるわ」

「じゃあ、何がわからないんだ?」

「色の濃さ云々とかね。私は人の目を見ると、その人の考えていることが聞こえてくるんだけど、本人がちゃんと文章にしていない思考は、単語単語でしか聞こえないの」

なるほど、何もかも把握できる訳ではないようだ。

「なるほどな。俺はお前の言うように、死期の近い人間に靄が見えるんだけど、その靄ってのが最初は薄い半透明な黒で始まって、死期が近くなるほど色が濃くなるんだ。だけど、伊藤のだけは違くてな、いきなり死ぬ直前の真っ黒だったんだよ。だから焦ってたんだ」

「なるほどね。で、その靄は、本来なんとかならないものなの?」

「ああ、多分な。つっても、俺も過去に一回だけしか、救おうとしたことはないんだけどさ。その時は失敗だった」

「それが恭弥って人ね。お兄さんなの?」

凄いな。そんなことまで分かってたのか。…あまり話したい話ではないが。

「…ごめん。無神経だったわ」

「いや、いいんだ。兄ちゃんって言っても、従兄だけどな」

「…あんたも色々複雑なのね」

あんたか、やっぱりこいつもこんな能力ちからがあるんだ。過去に色々あるのだろう。

「でも、なんで今回は助けることができたのかしら」

「わかんないけど、偶然上手くいったんじゃないか?」

「いや、『偶然』なんてことはないと思うわ。あんたの能力ちからは一種の未来予知。でも、毎回あんたが‘‘死”にとっての不確定要素になり得ているのなら、過去に失敗することもなかったはずよ。だから、過去に失敗したときと今回とじゃ、何か違いがあるはず…」

「なるほど…」

すごい分析力だな。

「もしかして、今回の靄がいつもと違かったことが関係あるのかも知れないわね」

「……確かに…」

それはあるかも知れない。

長いことこの能力ちからと過ごしてきた自分より、鋭いところをつく。しかし、それ以上に気になることがある。

「でもよ、なんでそんなに俺の能力ちからについて考えてるんだ?昨日助けて貰っておいて、こういうこと言うのもあれだけど、お前には関係ないだろ」

京介がそういうと、黒月は少し間を開けて口を開いた。

「昨日あんたとスーパーで話しているとき、あんたって意外と人懐っこいんだなって思った」

「はぁ!?」

「しかも、話すのが苦手って訳でもなさそうだし。なら、何で人と関わろうとしないのか、気になったの。それであんたの心の声を聞いたら、奥の方で、『俺と関わった人は、皆死んでしまう』って言っていたわ」

それが、人と関わろうとしない原因だと言いたいのか?深層心理ってやつか。頭では、ただ、『口先だけの馴れ合いが嫌い』なだけだと思っていたが、心ではそんなことを思っていたんだな。黒月が言うのなら本当のことなのだろう。だが、それが何だと言うのだ。

「きっと、あんたのその能力ちからも、自分の周りで人に死んで欲しくないっていう、あんたの想いから来てるんじゃないかしら」

それはそうかも知れない。…それで?

「だから、あんたがその能力ちからで、しっかり人を救えるようになったら、あんたももっと人との関わりを持てて、楽しい人生が送れるんじゃないかと思って。私が協力してあげようと思ったのよ」

……なるほど、そういうことか。

なんだろう、この気持ちは。こいつは親切で言ってくれているんだろうが、その親切が何故か鬱陶しい。

「…余計なお世話だ」

「へっ?」

「余計なお世話だって言ってんだよ」

「私はあんたのためを思って…」

(俺はこの能力ちからともう何年も付き合ってきてるんだ。昨日おととい知り合ったばかりのやつに、干渉されたくない)

「俺のため?ふざけんな。誰目線でもの言ってんだ!?人のためなんて言うやつにかぎって自分のことしか考えてない偽善者なんだよ!黒月、お前も俺と同じ、他人のことなんて考えてないタイプだろ?お前はそれを認めてる気がしてて…だから俺はお前とは気が合うような気がしてたんだ。それなのに、『あんたのため』だと!?がっかりさせんなよ!」

黒月は黙ってしまった。

言ってから少し考えた。

(何を言っているんだ、俺は…)

…最悪だ。いくらなんでも言い過ぎた。昨日あんなに協力してくれたやつが、少なくとも偽善者なわけない。

(本当に自分のことしか考えてないな俺は)

「…すまん。言い過ぎた…」

「…あんたって本当、性格ひん曲がってるわね」

「……そうだな…、すまん…」

黒月はまた少し間をおくと、話し始めた。

「昨日のあんたの必死な姿を見てて、昔ある人が言ってた言葉を思い出したの」

「…どんな?」

「『見知らぬ人にも手を差し伸べてあげるのが、ヒーローだ』って言葉」

……何故だろう、どこかで聞いたことがあるセリフだ。凄く懐かしい気がする。

「もちろん私はヒーローになる気なんてないわ。でも、『他人のために命を張ることのできる、身近な人』に、手を差し伸べてあげられないような、格好悪い人間にはなりたくないのよ」

(それは俺の事を言っているのか?だとしたら買いかぶりだ…)

「黒月、俺は…」

「そう!だから私もあんたと同じ口よ。結局は自分のために、あんたを救いたいの!でも、あんたを救いたいって気持ちは嘘じゃない。それじゃだめ?」

「黒月…」

本当に誰かを救いたいという気持ちがあるのならば、その誰かを救うことは、百パーセント自分のためでもあり、そして、百パーセントその人のためだ。だとすれば、それこそが、本当の意味での‘‘善”なのかも知れない。

こんな気持ちになったのはいつ以来だ?こいつは、こんなどうしようもない人間に手を差し伸べてくれるというのか。

「田村は、どうしようもない人間なんかじゃないわ」

くそっ、黒月を一瞬でも偽善者扱いした自分を殴りたい。

ありがとう、黒月。

「どういたしまして」

黒月は笑顔で、京介が感謝を口に出す前に言った。

「ありがとう、黒月」

京介はもう一度、今度は口に出して言った。

「…それじゃ、私はそろそろ行くわ」

黒月が立ち上がる。

「えっ、もう帰るのか?」

「ええ。私はあなたと能力ちからの話をしに来ただけで、談笑しに来たわけじゃないから」

「…そうか」

京介は、少し笑いながら言った。

なんだか黒月の性格が少し分かって来た気がする。

「でも、帰るって言っても、隣だよな」

それが、何だかとても可笑しい。

「だからって、男の人の部屋に長居したくはないから。それに今からバイトがあるのよ」

バイトか。別に普通のことだが、黒月がやったら、余計に大変そうだな。なんせ、人の心の声が聞こえるんだ。当然聞きたくないことも聞こえてくるだろう。そう考えると、普段の大学生活もかなり大変なんじゃ…

「別に平気よ。目を見なければ聞こえてこないから」

「…そっか」

だとしても、まったく見ないなんてことはないだろう。

自分の能力ちからのことで頭がいっぱいだったが、黒月も、きっと能力ちからのことで、色々大変だったはずだ…

ふと、なんとかしてやりたいと思った。

(黒月が俺に対して抱いた気持ちは、きっとこれなんだ)

黒月は立ったまま、少し黙っていた。…また、心の声を聞かれたか?

「『余計なお世話』とは、言えないわね」

黒月は笑いながら言った。

その通りだ。そんなこと言わせない。

「俺がなんとかしてやる」

京介は言った。強い言葉だった。自分が、こんなにはっきりとした言葉を言うなんて。

「でも、まずはあんたからよ」

黒月は笑顔でそう言うと、玄関の方に歩いていき、お邪魔しましたと言って、出て行った。

黒月のたまに見せる笑顔って、可愛いよな。なんてことを、一人で思った。黒月が帰った後でよかった。


その後は、夜からバイトに行った。そこまで、忙しなく動かなければいけないバイトではないため、京介は色々と考えていた。

黒月が言っていた、靄が段階を踏まずに真っ黒だったことが、恭弥兄ちゃんのときと、今回との違いという説が、どうも当たっている気がする。だとすれば、普段通りの靄のときは、助けられないということになってしまう。やはり、本来助けることのできないものなのだろうか。過去のたった一度の失敗だが、なんせ兄が死んでしまっている、そこまで前向きには考えられない。だが黒月は、本気でなんとかしようとしてくれているんだ。今は、なんとかなると信じて動こう。明日から、身近に靄で覆われている人がいないか、探してみるか。自分から見たいものではないが、仕方ない。

京介は、その日のバイトを終えると自宅へ帰り、早めに就寝した。


日曜日、京介は朝早く起き、商店街を歩き回ってみた。だが、靄に覆われた人を見つけることはなく、バイトの時間になった。


月曜日。

京介はいつも通りの時間に家を出た。いつもの道を歩いていると、黒月が前を歩いている。

(あいつって、大学に行く時間ばらばらだよな)

「よう、黒月。おはよう」

京介が話しかけると、黒月が振り向いた。

「おはよう。たしか先週の金曜日も、朝会ったわね。田村って、いつもこんなぎりぎりなの?」

一限目、つまり九時から講義があるときは、二十五分前の八時三十五分に家を出る。大学まで二十分、大学に着いてから教室まで行くのに五分かかる計算である。しかし、これは早歩きをして、ぎりきりの時間だ。

「ああ、まあな。お前は、朝決まった時間に出ないのか?」

「……朝、起きるのが苦手なの…。本当はもう少し早く出るつもりなんだけど…」

黒月は、少し恥ずかしそうに言った。だから、大学に行く時間が、ばらばらなのか。

(朝起きるのが苦手なんて、意外だな)

京介が少しにやっとしたのを、黒月は睨んだ。

「…それより、靄に覆われている人は見つけた?」

「いや、昨日夜まで探してたんだけど、見つからなかった」

「そう。まあ、本来見つからない方がいいんだけどね」

それはそうだ。

「とりあえず、もう少し探してみる」

「そうね」


五分ほど歩いていると、京介ははっとした。普通に二人で大学に向かっている!いいのか?

「別にもういいわよ。今更そんなこと気にしないでくれる?」

…それもそうだな。

「悪るい。……あっ!」

京介の視界に、こちらに向かって歩いてくる一人の男性が入った。この間見た、靄で覆われているサラリーマンの男性である。

「黒月…見つけた…!」

「え?見つけたって、靄で覆われている人?」

「ああ…。ちょっと前に見たときより、色が濃くなってる…」

「伊藤さんのときとは違うタイプね?」

「そうだ」

…って、どうすればいいんだ?色的には、今日死ぬというわけではなさそうだが、なんて声をかければいい?もうすぐ死にますよとでも言うのか。

「ばか。そんなこと言って何になるのよ。とりあえず、後をつけるわよ」

「…そうだな」

京介と黒月は、サラリーマンとすれ違った後、怪しまれないよう、ある程度距離が開くまでゆっくり歩き、距離が開くと彼の尾行を開始した。人を尾行するなんて、初めての経験である。

しばらく後をつけていると、素朴な疑問が浮かんだ。

「なあ黒月、今の段階であのおっさんを尾行して、何の意味があるんだ?」

「行動パターンを把握するのよ。あの人が死んでしまう日に、どんな死因があり得るのか、予想できるでしょ」

「…なるほど」

京介たちの徒歩範囲内には二つの駅があり、一つは、京介たちの通う大学の目の前にある、「船津大学前駅」もう一つは、商店街をぬけた所にある、「北習井駅」である。東京などの都心に行くには、「北習井駅」の方が少し安い。おそらく、あのサラリーマンは、「北習井駅」に向かっているのだろう。

二十分ほど歩くと、商店街に着いた。それから五分ほどで商店街をぬけ、駅に到着。

京介と黒月は、サラリーマンと一定の距離を保ちつつ、彼と同じ電車に乗ることに成功した。


サラリーマンは秋葉原で降りた。京介と黒月も一緒に降りる。

現在の時刻は十時を回っていた。ん?少しおかしい。

「なあ黒月、もう十時過ぎだぞ。サラリーマンにしては、出勤時間が遅すぎないか?」

「私も思ったわ。…あの人、仕事しているのかしら」

(降りた場所もアキバだし、あのおっさん、少し怪しいぞ…)

サラリーマンは、電気街の方に降りて行った。いわずと知れた、オタクの聖地である。見渡す限り、アイドルや美少女キャラなどの、いわゆる‘‘萌え’’で溢れている。好きな人には、たまらない場所なのだろうが、京介には分からない。黒月はこういったものを、どう思っているのだろうか。…べつにどうとも思ってないわ。とか言いそうだな。

「あら、よく分かったわね」

「…やっぱそうか」

黒月に心の声を聞かれることには、だいぶ慣れたが、如何せん聞き過ぎな気がするとふと思った。

(というか、俺の目を見過ぎだろ)

「……ごめん…」

しまった!

「…あ!いや、悪るい。べつに嫌なわけじゃないんだ、意思疎通簡単だし。すまん、忘れてくれ」

京介は慌てて弁明する。

「……田村の心はもっと知りたいって思っちゃうの、だからすぐ目を見てしまって…ごめんなさい」

(…俺の心は知りたいのか)

黒月にそう言われ、京介は少しドキッとした。黒月はそんなことを思ってくれていたのか。少し嬉しい…

「…嬉しい…?なんでよ…」

「…なんでもない」


しばらく歩くと、サラリーマンはある店に入った。敷地自体は狭いが、一階から七階まである、アニメの専門店である。

「……こりゃ本格的に無職じゃないか?」

「いい大人が平日の朝っぱらから、働きもせずあんな店に入るなんて、キモイ」

…ストレートだな。

京介と黒月もその店に入った。見渡す限りアニメ、アニメ、アニメである。サラリーマンは、一階から全ての棚を見て二階へ、そこでまた全ての棚を見て三階へと、最上階の七階までの全ての棚を見て、再び下の階へと降りていった。中にはあまり黒月とは見たくないアニメグッズなどもあり、無心になるためにわざと別のことを考えたりしていた。最終的にサラリーマンは何も買わずに店を出て行いく。

「あんだけ周って結局なにも買わなかったな。すげえ見てたけど」

「…最悪の気分だったわ。中年男性が、アニメの女の子を見て卑猥なことを考えているとこなんて、もう二度と見たくない」

「ははは。目ぇ見ちゃったか」

「笑い事じゃないわよ。頭の中の言葉ほど無秩序なものは無いわ」

黒月は割と本気で不機嫌になっている。やはり人の心など読めても、良いことは無いのか。

…こいつは長年この能力ちからと付き合ってきたんだな…でも…

「…なによ」

「いや、確かに嫌な能力ちからかも知れないけど、おかげで俺たちが出会えたんだなって思って」

「…!!」

黒月は何も言わない。まずい、怒らせたか?

すると、少し間を空けて黒月は、

「うん…」

と笑顔で呟いた。京介にはその笑顔が、すごく印象的だった。


その後もサラリーマンは、秋葉原の街を歩き回り、様々な店に入って行った。その度に黒月は顔をしかめていた。そんなに聞きたくないのなら、見なければいいのに。

時刻が十二時を回った所で、サラリーマンは喫茶店に入った。おそらく、お昼を食べるのだろう。後に続いて京介と黒月も店に入り、サラリーマンが見える位置に座った。

「メイドカフェじゃなくて良かったな」

京介が少し笑いながら言う。

「そしたら、入るのを断念していたわ」

黒月は真顔で言った。

京介はアイスコーヒーを一杯注文した。喫茶店は高いので、しっかりとした食事をとるつもりはない。黒月はアイスココアを頼んでいる。黒月もここで食事をとる気はないみたいだ。

「ココアか、なんか可愛いな」

「なによ、いいでしょ別に」

「いや、なんか黒月甘いもの苦手なイメージあったから、コーヒーとか頼むと思ってたよ」

「…苦いもの苦手なのよ」

「そうなんだ。意外と可愛いとこあるよなお前って」

京介は笑いながら言った。黒月は怒りそうだが、どうせ頭で思っても聞かれてしまうのだ。だから関係ない。

「…う、うるさいな…」

黒月は少し赤くなっている。なんだよその反応は、

「可愛いな」

黒月は少し上目遣いでこちらを見ながら言った。

「口に出すな、ばか…」

…こいつ、意外と照れ屋だな。


黒月は、サラリーマンの方を見た。凝視している。…長い。

「おい、そんなに見たら怪しまれるぞ」

京介が言っても黒月はやめない。

しばらくして、黒月が口を開いた。

「なるほどね。あの人の事情がわかったわ」

そうか、あの人の事情を知るために、今までずっと目を見ていたのか。

「あの人、ついこないだリストラされたみたいね。でも、奥さんに言えずにいる。だから会社に行くふりをして、毎朝八時に家を出て、ふらふらしているのよ」

「なるほど、そういうことか。じゃあ、毎日アキバに来てるわけじゃないのか?」

「そうみたいね。でも、アニメ趣味は昔からあるみたい。奥さんには、隠してるけど」

こういう時には、凄く役立つ能力ちからだな。探偵とかに向いてそうだ。

「…すごく、思いつめているわね。奥さんに知られたら、その瞬間別れ話をされると思っているわ。…子供は、娘が一人いるけど、親権も向こうのものになりそうね」

「だったらなおのこと、こんな所でふらふらしてないで、再就職先を見つけろよ」

「少し前に、面接に行ってきたみたい。結果は今日届くそうよ」

「…そうか」

彼を覆う靄の色は、朝より少しだが、濃くなってきている。だいたいの濃さが三段階だとすると、今は二と三の中間くらいだ。

…なんとなく分かってしまった。

…自殺か…

「……!でも現段階では、思いつめてはいるけど、死にたいとは思ってないわよ!」

「…だけど今、着々と色が濃くなっているんだ。おそらく、今日届く面接結果はダメなんだろう」

そして、色的に……明日。

「……死んでしまうの…?」

「…ああ、おそらくは…」

二人はしばらく黙った。京介はどう救えばいいのか、色々考えていた。黒月はなにを思っているのだろう。


元サラリーマンが席を立った。会計を済まし、店の外へ出て行く。京介と黒月も後に続いて会計を済まし、店を出て行った。その後も元サラリーマンの後をつけていたが、黒月曰く、緊張を紛らわすために秋葉原に来たみたいだ。

元サラリーマンは、秋葉原から錦糸町まで電車で移動した。京介と黒月も後をつける。錦糸町についてから、元サラリーマンの後を追いかけて歩いていると、辺りにスナックやキャバクラ、パブなどが建ち並ぶ場所へと来ていた。現在の時刻は午後二時半である。こういった店にくるには早すぎる時間だ。すると元サラリーマンは、ある店の前で立ち止まった。

(ソープだ!!)

京介はとっさに黒月の目を塞いだ。

「…きゃっ!な、なに!?どうしたの!?」

「いや、黒月…今あのおっさんの目は、絶対に見ない方がいい…」

「えっ、な、なによ!?どうしたのよ!?」

「…いいから見るな…」

元サラリーマンが店の中に入っていくのを確認して、京介は手をどけた。

「…まったく…なんなのよ急に…」

「…あの店見てみろ」

黒月が、京介の指差す方向を見る。

「…あん中に、入ってった」

「…信じらんない!あの人奥さんいるのに!最低ね!」

まったくその通りだ。こちらとしても救ってあげようとしているのだから、もう少し行動に気をつけて欲しい。

(さっきから黒月と行きたくない所ばかり行きやがって…!これ以上、この子を不快にさせてたまるか!)

「黒月、帰ろう」

「え?」

「いや、もう十分あいつの情報は手に入ったから。後は家の場所さえ判ればいいだろ?なら北習井で待機してればいい」

「…それもそうね」


京介と黒月は北習井へ帰った。着いたのは四時である。

駅のすぐそばにあるファミレスに入り、窓際に座った。ここなら改札から出てくる人を見ることができる。

京介と黒月は、ドリンクバーを注文した。

「ふー、疲れたなー」

「そうね、一日中歩き回ったし」

「しかし、あのおっさんの行く店には参るよな」

「本当よ」

黒月はそう言うと、ため息をついた。顔が疲れている。きっと能力ちからのせいで、普通の人より神経を使うのだろう。

京介は頬杖をつきながら、窓から外を見た。

しばらく改札口の方を見ていると、黒月は喋らなくなる。ふと黒月の方を見ると、黒月はうとうとしていた。頭がカクンと下に落ちるたびに、慌てて元の位置に戻す。その動作を繰り返している。

「黒月、眠いのか?」

黒月は、はっとして顔を上げる。

「…ごめん、少し疲れちゃって…コーヒーでも汲んでくるわ…」

「お前、苦いの苦手だろ?」

「そうだった…」

「……ぷっ」

京介は不意に笑ってしまった。

「なっ…なによ!?」

「…いや…なんでもねえよ。眠いなら寝ててもいいぞ」

「…そういうわけにはいかないわ」

まったく、意地っ張りだな。

「そういうとこが、可愛いとこでもあるんだけどさ」

「…!あんた、可愛いって言いすぎよ!馬鹿にしてるでしょ?」

「してねえよ。仕方ないだろ、心で言ってもバレちまうんだから」

「じゃあ、そんなこと思うな」

「…わかったよ…」

まあ、無理だけど。

黒月は京介を睨んだ。


五時を十分ほど過ぎたところで、元サラリーマンが改札から出て来るのが見えた。

「…黒月、行こう」

「ええ」

京介と黒月は、ピッタリの値段をレジに出すと、すぐに店を出て行った。

元サラリーマンがこちらに向かって歩いてくるので、しばらく店の前で待機する。そして、元サラリーマンが目の前を通過して、少し距離が開いた所で、京介と黒月も歩き出した。


四十分ほど歩くと、京介たちが通っている大学の前を通過した。そして、大通りの方へ出て行く。

大通り沿いにあるスーパーから、少し歩いた所に船津大学前駅の東口があり、そのすぐ隣に大きなマンションがある。金持ちが住んでいるであろう、大きなマンションだ。元サラリーマンはそのマンションの中に入って行った。

「…あのおっさん、こんな高そうなマンションに住んでんのか…」

「お偉いさんだったのかしら…?何でリストラされたのかまでは分からなかったけど」

何か相当な失敗でもしたのだろうか。

「まあ、とにかく家もわかったし、俺はあそこのベンチで見張ることにするよ」

京介はベンチを指差しながら言った。

「え?ここで一晩過ごすの?」

「まあ、色的には今晩中に死ぬってことは無いと思うけど、一応な」

「何よ、朝は『今の段階で尾行して何の意味があるんだ?』とか言ってたくせに」

「朝は、まだ平気だと思ってたんだよ。だけど、結構濃くなってくのが早くてな」

正直、あんなスケベおやじのために、ここまでするとは自分でも驚きだ。だけど、ここまで一日中動いておいて、途中で妥協したくない。

(…それに、黒月の協力を絶対無駄にしたくないんだ)

「……そう。じゃあ、私も残るわ」

「え?」

「当たり前でしょ?…私も私の協力を無駄にしたくないしね」

黒月はニコッと笑った。

「そのかわり、ちょっとシャワーを浴びて来てもいい?」

「…勿論。黒月、ありがとな」

「…なによ今更。それじゃあ、後でね」

黒月は歩き始めた。

「おう」

京介はベンチに歩いて行き、座った。


二時間後、黒月が戻って来た。

「随分おそかったな。寝ちまったのかと思ったよ」

京介は笑いながら言った。

「しょうがないでしょ、往復するだけでも時間がかかるんだから。それより…はい、これ」

黒月は、京介にハンバーガーを差し出した。チーズバーガーである。

「来る時に買ってきたの。あんたどうせ動かないつもりでしょ?」

「…おお…!ありがとう黒月。ちょうど腹へってたんだよ…!」

京介は、黒月から受け取ると、すぐに食べ始めた。

黒月は京介の隣に座る。

「他にもあるからね」

そう言うと、黒月は袋からひとつハンバーガーを取り出して、自分も食べ始めた。

「本当、何から何までありがとな」

「いいわよ、別に」

「今度なんか恩返しさせてくれよ。なんでもするぜ」

「…そうね、何か考えておくわ」

「おう」



その晩、元サラリーマンがマンションから出てくることは無かった。


そして、朝を迎える。

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