死からの逃亡

@snk

第1話 出会い

運命とは何だ。避けられないものを運命と呼ぶのか、自分で切り開いた結果を運命と呼ぶのか。






田村京介は家を出た。ドアの鍵を閉め、ノブを二回ほど引き、閉まっていることを確認する。いつもの習慣だ。

一人暮らしを始めてはや四ヶ月、大学まで徒歩二十分のこの道も大分歩き慣れた。

今は七月中旬。蝉の鳴き声で充満している。まったく住宅街で木もあまり無いというのに、どこにとまっているのやら。

その煩さを遮るようにイヤホンをつけた。流すのはいつも聴いてるロックソング。流行りのポップやアイドルソングは嫌いだ。それどころか、最近の、ちょっと小洒落たロックミュージシャンのちょっと小洒落た音楽も嫌い。だから聴くのは少し昔のロックソングだ。決して上手くはないが、心から叫んでるボーカルの歌声が心地いい。


大学に向かって歩いていると、一人のサラリーマンとすれ違う。ハンカチで汗を拭っている。

(あっ…)

京介は心の中で少し声を出した。

靄だ。黒い靄。サラリーマンの体を覆っている。色は薄い。

いつ頃からだろう、この黒い靄が見えるようになったのは。正確には覚えていないが、多分、母が死んでからだ。

靄の正体はわかっている。そう、それは‘‘死”。

京介には‘‘死”が見える。それは黒い靄になって、死期の近い人間を覆う。その色が濃ければ濃いほど死期は近く、真っ黒な墨のようになった頃には、もう死は目の前だ。

朝から嫌なものを見てしまった。だが、背中にかいている汗は緊張からくるものでは無い。単に暑いからだ。

別段自分を薄情者だとは思わない。見ず知らずのオヤジの死を悟ったところで、自分にできることなんて何も無いし、それは誰にでも訪れる必然的なものであり、人にどうこうできるものではないのだ。もし、今すぐ死ぬとなったら、何かしらの行動は起こすかもしれないが、そうでもない以上、つきっきりであのオヤジを見守るなんてことをするわけがない。人なんて案外そんなものだろう。



大学に着き、教室に入る。大学というと階段教室を想像しがちだが、ここは普通の教室だ。出入り口は二つ。二つとも黒板と向かい合う形でついている。教室自体はそれなりに広く、出入り口から黒板に向かって少し狭くなっている。これは、声がよく通るように、そうなっているのだろう。それにしても、少し肌寒い。いくら夏だからといって、冷房をきかせすぎだ。上に一枚、羽織るものでも持ってくれば良かったか。

京介は定位置である、黒板から見て一番右で一番前の席に座った。別に真剣に講義を聞きたくて仕方ないわけではない。ただここが一番人と関わらなくて済むのだ。

昔から人と付き合うのは苦手だ。どいつもこいつも上面ばかりの群れたがっている連中にしか見えない。いや、群れることを否定しているわけではないが、自分の心を満たすため、或いは単純な損得感情のためにお互いに利用し合い、それでいて友情だのとほざくのが気持ち悪くて仕方ないのだ。

いざとなれば自分をとるくせに。

まあ、それは自分も同じだ。問題なのは自分の醜さを認めない人間が多いこと。特に大学生なんて若い連中には多い。臆面もなく自分という存在が美しいと思っていやがる。自惚れるな。


講義が始まった。特に興味もない内容だが、奨学金で大学に来ている以上、成績を落とすわけにはいかない。

後ろの方でコソコソ笑い声が聞こえてきた。

「おい、後ろの喋ってる奴ら、五月蝿くするなら出てけ」

先生が言った。冷淡な言い方だが、少しありがたい。まったく大学生にもなって、私語で怒られるなんて、お前らは小学生か。

京介はふと横を見た。教卓から見て一番左で一番前の席、つまり、京介と真反対の位置だ。そこには京介と同じ事を思っていそうな女子が座っていた。おそらく地毛であろう、少し茶色がかったショートヘアに、整った顔立ち。だが、性格は少しきつそうだ。後ろの喋っていた奴らを睨んだ目でわかった。しかし何だあの格好は、黒いパーカーに、だぼっとしたスウェット。ちょっとコンビニに行くスタイルじゃないか。せっかく可愛いのにオシャレをしないのか。

ふと自分の格好が気になった。白いシンプルなVネックの七分袖に、ジーンズ素材のクロップドパンツ。別にこだわりはないが、短パンを履くのだけは少し抵抗があるため、夏でも長めのパンツなのだ。

(別にださくないよな…?)


講義が終了し、学生たちはゾロゾロと教室を出て行く。今日は二限目からだから、皆お昼を食べに行くのだ。

京介は家で作ってきた弁当を取り出すと、机の上に広げ、黙って食べ始めた。

学費はかからないが、一人暮らしに必要な金を、独りでなんとかするのは大変なのだ。高校のときから一人暮らしのために、バイトでコツコツ貯めていた貯金と、現在のバイトでの給料で、家賃と光熱費、そして、食費を賄わなければならない。そのため、学食などで食べることはできないのである。まあ、学食は和気藹々としている学生たちで溢れているため、教室に残って食べるほうが落ち着くのだが。

教室には、楽しそうに弁当を食べている数人の女の子と、京介、そしてさっきのコンビニスタイルが残っていた。

(あいつも独りで弁当か)

なぜかあいつが気になる。自分と似たものを感じたからか?それとも、整った顔立ちをしているのに、コンビニスタイルだからか?わからない。だが気になるのだ。

ふと、あいつの方を見ると目が合ってしまった。

(やばい!目が合った!)

京介は、すぐに視線を手元の弁当に戻す。

(だせえな俺…)

京介は目つきが悪い。だから目が合った人は、だいたいすぐに目を逸らす。そうでなくとも、意地っ張りなため、相手が逸らすまで自分からは逸らさない。だが、逸らしてしまった。一瞬、彼女の大きくて強い目に、吸い込まれそうな気がした。とても怖かった。得体のしれない恐怖を感じてしまったのだ。

気をとりなおして弁当を食べていると、「ガタッ」と音がした。

ふと目を横にやる。あいつだ。コンビニスタイルが弁当を食べ終わり、立ち上がったのだ。しかし、おかしい。なぜかコンビニスタイルの姿が近づいてくる。なぜだ。

堂々としていて迫力があったため気づかなかったが、意外と背が小さい。いや、特別小さいわけではないのだが、女の子の身長という感じだ。着ている服がだぼっとしているため、首の細さが目立つ。

そんなことを考えているうちにコンビニスタイルは目の前に立っていた。弁当を食べていた他の数人の女子たちも、箸を止めてこちらを見ている。なんだ、一体何が起こるというのだ。

コンビニスタイルは京介の目を見つめる。京介の頭の中は‘‘困惑”の二文字だ。

(なんだ?俺がなんかしたか?このコンビニスタイルめ)

「コンビニスタイルで悪かったわね」

「へっ!?」

思わず声を出してしまった。今、この女なんと言った?コンビニスタイル?そんなこと、口に出しては言っていない。一体何なんだこいつは。

すると、彼女はすぐに歩き出した。そして、教室から出て行く。

「おい、ちょっとまてよ!お前一体なんなんだよ!」

京介の声は届いていない。

「なんなんだよ、本当に…」

周りの女子たちの視線に気づいた京介は、慌てて弁当を片付け、教室から出て行った。少し顔が熱かった。


「今の何だったんだろうね」

「わかんない」

二人の女子は言う。

伊藤菜々子は京介の出て行った扉の方を見つめていた。

「菜々子?」

「あっ、なんでもない」

(京介くんが喋ってるとこ、初めて見た)


その後の講義は全て違う席に座ることにした。しかし、あいつは定位置を変えていない。

(くそっ、俺が逃げたみたいじゃないか)


今日一日、京介はモヤモヤしていた。いや、イライラというべきか。なんとも言えない感情である。

(さっさと帰ろう)

時刻は六時をまわっていた。あたりは夕焼けで赤く染まっている。

住宅街を歩いていると、前を見覚えのある人影が歩いていた。まさかな。

しかし、自分のほうが歩くのが早いためか、すぐに距離が縮まった。やはりそうだ。この格好。

(コンビニスタイルだ!)

なぜこんな所を歩いている?この近くに住んでいるのか?色々と疑問は浮かんだが、とにかく歩く速度を緩めることにした。

早く歩け、早く。いや、女にしては歩くのは早い方だ。自分が早く歩きすぎたのか?

どちらにせよ不自然な距離まで詰めてしまった。作戦変更だ。

京介は歩く速度を再び早めた。変に意識せず追い抜く作戦である。しかし、どういうわけか追い抜けない。よく見るとコンビニスタイルも歩くのを早めていた。

(こいつ、追い抜かせない気だ)

少し腹が立った。普段歩く速度や、人を追い抜く、追い抜かないなんてことは、大して気にしないのだが、こうも頑なに追い抜かせないようにされると、勝ちたくなる。

(俺は負けず嫌いなんだ)

無言の攻防戦は続く。しかし、一向に距離は縮まらない。かと言って開くわけでもない。なんなんだこれは。

そんなことをやってる間に、自身のアパートに着いていた。しかし、なにかがおかしい。なぜ彼女もこの場所にいる?

答えは至極簡単なことだった。

彼女は鍵を取り出すと102号屋に入って行った。同じアパートだったのだ。しかも隣の部屋である。

「嘘だろ…」

四ヶ月も住んでいて気付かなかったのか。そう思うとなんだか不思議な感情になる。

京介も自身の部屋、103号室に入った。

少しして小さな笑いがこみ上げてきた。

「ばかかよ」

京介は隣の部屋に聞こえないよう、小さな声で笑った。


その日は深夜までバイトがあった。京介はネットカフェの店員をしている。

(明日もし会ったら、話しかけてみよう)

そんなことを考えながらレジに立っていた。

バイトを終え家に帰ると、時刻は深夜二時をまわっていた。

明日も学校だ。早く寝よう。

シャワーを浴び終えると、そそくさと布団に入り、目を閉じた。



「ピピピッ ピピピッ」

スマホのアラームがなる。アラームにしてはかなり小さい音だが、京介はこれで目覚めるのだ。時刻は7時半。

アラームを止め、体を起こす。朝は苦手だ。どうしてももう少し寝ていたくなる。だが夏は暑いため、比較的起きやすい。

布団から出ると、京介はのろのろと支度を始めた。顔を洗い、頭をそのまま洗面台に突き出す。キンと冷たい水の感覚が、頭から首元まで来た。冬には最悪だが、夏には良い目覚ましである。

頭をタオルで拭き、ドライヤーでてきとうに乾かす。

布団にあぐらをかきながら、歯を磨く。

眠い。水で一瞬覚めた目もしばしばしてきた。金を稼ぐためとはいえ、大学がある以上、深夜のバイトも考え物だな。

着替えを済ませ、家を出ると、夏の日差しが降ってくる。今日も暑い。

鍵を閉めて、ノブを二回引く。閉まっていることを確認すると、京介はふと102号室を見た。あいつはもう大学に向かったのだろうか。

京介は歩き出した。

しばらく歩くと、京介ははっとした。あいつが前を歩いている。今日はコンビニスタイルではなく、てきとうなTシャツを着て、少し短めのホットパンツを履いている。すらっと伸びた脚が際立っていた。

女のおしゃれは分からないが、今日は昨日よりはましだな。だが、服装にこだわりはなさそうだ。

しかし、つくづくあいつに縁があるな。昨日のことも気になるし、思い切って話しかけてみるか。

京介は軽く小走りをし、彼女の肩を叩いた。

「おはよう」

彼女の顔がこちらを向く。不機嫌そうな顔だ。

「なに?なんか用?」

きつい言い方だが、なんとなくそんなことを言われる気はしていたので怯まない。

「お前、俺と同じアパートだって、知ってたか?しかも隣」

「昨日知った」

やはり、こいつも同じ口だ。しかし、淡白な喋り方だな。もう少し可愛げは無いものか。

「悪かったわね」

ん?今のは何に対しての謝罪だ?

「なにが?」

京介が聞き返すと、彼女は黙った。しばらくそのまま歩いていると、彼女の方から話し出した。

「意外ね、あんたって人に話しかけないタイプだと思っていたわ」

言われて自分でも、確かになと思う。

「昨日のことが気になったんだ。お前コンビニスタイルって、俺はそんなこと一言も言ってないだろ」

「言ってたじゃない、心の中で何回も」

真顔で冗談を言うやつだな。

「ああ、そうか。心の声が聞こえるのか」

こっちも冗談っぽく笑いながら言う。

「ええ、そうよ」

即答された。本気で言っているのか、てきとうに流しているのか、分からない言い方だ。

「それより、私はあんたと一緒に登校しないと行けないのかしら?」

それもそうだな。

「いや、悪い。先行っていいぞ」

彼女は歩を早め、先に行こうとした。

そうだ、名前を聞かねば。

「おい、お前、おれは田村京介っていうんだ。お前は?」

彼女は少し間を空けて応えた。

「黒月玲花」

そういうと、スタスタと先に行ってしまった。

黒月玲花か。変わったやつだな。



大学に着き教室に入ると、黒月は定位置に座っていた。

京介も定位置に座る。

ふと黒月の言っていたことが気になった。心の声が聞こえる?そんな馬鹿な。

普通に考えればありえないが、自分自身が特殊な能力ちからを持っているため、一概にありえないとは言えないのだ。それに、実際、心の中でしか言っていないことを当てられている。そう考えると、無性に試してみたくなった。ここまで他人に興味を示したのは久しぶりである。

講義が終わったら黒月のところへ行こう。そう思いながら、京介は黒月の方をみた。黒月と目があった。今度は目を逸らさない。すると、彼女のほうがすぐに目を逸らした。まるで、京介に目を逸らす気がないのを、わかっているかの様な素振りだった。やはり、本当に心の声が聞こえているのか?


講義が終了し、京介が立ち上がると、黒月は教室から出て行ってしまった。

次の講義は同じ教室で行う。

(トイレかな?)

まあ、いい。二限目が終われば、お昼だ。黒月が弁当を食べているときに話しかけよう。


しかし、二限目の講義が終了しても、黒月の姿はなかった。まさか避けられているのか?

(やっぱり、本当に心の声が聞こえているのかも知れない。俺が話しかけようとしているのを知って、逃げているのか?)

こうなったら何がなんでも確かめてやるぞ。京介は何故かやる気に満ち溢れていた。

だが、講義が終わるたびに黒月は姿をくらまし、講義が始まる直前に現れては、講義が終わるとまた消えるの繰り返しだった。やはり避けられているようだ。確かめるべきではないのか?しかし、気になる。そんなことを考えながら、悶々としているうちに、今日の講義が全て終了していた。

結局、話せなかった。だが、そのうち機会があるだろう。京介は立ち上がると、リュックを背負って教室を出た。


いつもの帰路を歩いていると、京介は家に食材が無いことに気がついた。スーパーに寄って行こう。そこで京介はUターンして、いつもとは違う道を歩き出した。

家に帰るには住宅街を通るが、スーパーに行くには、大通りに出なければならない。京介は、狭い路地や、密集した商店街などが好きだ。だから、車が通るだけの大通りに隣接しているスーパーなどはあまり好きではない。だが、やはり値段が安いのだ。一人暮らしの味方である。


スーパーに入り、食材を見ていると同じ大学の人間が多いことに気がついた。今更だが、やはりこの近くで一人暮らしをしている者たちにとって、ここのスーパーの値段は魅力的なのだ。

黒月もいないだろうか。

(いやいや、なにを考えているんだ。俺はストーカーか?)

今日一日、黒月のことを考えすぎだ。今更だが自分らしくない。

しかし、やはり気になる。もしいたら、話しかけるチャンスだ。そしたら、さっさと聞きたいことを聞いて、すっきりしよう。

店内を見渡す。

するとそこには、自分の今一番見たい人の姿があった。

京介は目を疑った。

(いた!何でいるんだ!?)

あまりにも都合が良すぎる。まあ、探していたのは自分だが、まさかいるとは思わない。

(どうやら、そうとう縁があるみたいだな…)

そう思いながら、京介は黒月のもとへ駆け寄ろうとした。そのとき、

「京介くん?」

誰かに呼ばれた。声のした方を向く。

そこには、黒いロングのストレートヘアに、黒月とは対照的とも言える可愛らしい服装をした、背の小さめな女の子が立っていた。まん丸の目でこちらを見ている。

……誰だ?

「あの…どちら様ですか?」

「ああ、ごめんなさい!いきなり話しかけて。私、京介くんと同じ科の伊藤菜々子っていいます」

伊藤菜々子?科のやつらが、ちやほやしている子か。嫌でも聞こえてくる。

「ああ、どうも。……あの、なんか用っすか?」

早く黒月に話しかけたい。

「あ、えっと、用とかは無いんだけど、たまたま見かけたから…」

たまたま見かけたからなんだ?それで、用も無いのに話しかけて来るなんて、変なやつだな。

どうするか。スーパーでのんびり買い物をしておきながら、急いでいるなんて言うのは流石に不自然だろう。正直に言うか。

「あの、あそこに黒月玲花ってやつがいるんだ」

「あ!同じ科の黒月さんだね!」

「そうそう。そんで俺、あいつに用があるんだけど…」

「そうなんだ!昨日もなんか話してたよね。京介くんも黒月さんも、あんまり話してるとこ見たことなかったから、少しびっくりしたよ!」

ああこの子、昨日教室で弁当を食べていた子だ。というか、そんなことはどうでもいい。

「えーっと、だから、俺ちょっと行くわ」

そう言うと、京介は黒月のところへ向かおうとした。

すると、

「私も行っていい?」

伊藤菜々子が尋ねてきた。何を言っているんだこいつは。

(お前は俺のことを知ってたみたいだけど、俺にとっても黒月にとってもお前は初対面なんだよ!)

京介は無視して黒月のところへ向かった。無視したためか、伊藤菜々子はついて来なかった。

「黒月!」

呼びながら黒月の肩を叩く。すると黒月が振り向いた。

「…ストーカー」

「ちげえよ」

やはり、そんな風に思われていたか。まあ、いい。さっさと本題に入ろう。

「なあ、お前さ、本当に心の声が聞こえるのか?」

「まさか、あんた信じてるわけ?」

「まあ、半分な。実際心でしか言ってないことを当てられてるし。嘘なのか?」

「……、本当のことを言っても信じないだろうと思ったから言ったのよ」

ということは、本当なんだな。試してみるか。

(本当なら、俺の心の声と会話しろよ)

黒月は返答しない。それはそうか、相手の思考のプロセスが聞こえているのなら、こんな言葉に受け応えするわけがない。なら、

(今日はコンビニスタイルじゃないんだな。俺は年中あんな格好なのかと思って心配したぜ)

「余計なお世話よ」

黒月が応えた。

(ビンゴ!当たりだ!)

やはり、本当だった。黒月は本当に人の心の声が聞こえるんだ。凄い。

(これなら俺のことも信じて貰えるかも…!!)

黒月の顔を見ると、少し複雑な表情をしていた。

「あんた、怖がらないの…?」

「なんで?すげえ能力ちからじゃん!」

京介は純粋な少年のように答えた。いつになく真っ直ぐな瞳だ。黒月は少し驚いた顔をした後に言った。

「……、変なやつ…」

「お前に言われたくねえよ」

「クスッ」

黒月が少し笑った。京介は不覚にも可愛いと思ってしまった。

ドカッ

肩を殴られた。しまった、読まれたか。

「実を言うと、この能力ちからのことを凄いって言われたの、これで二回目なの」

黒月が言った。

「へえ。前は誰に言われたんだ?」

「前も『きょうすけ』って人に言われたわ。あんたとは似ても似つかないけど。ちょっと驚いた」

「そうなんだ」

似ても似つかないってのが、悪い方の意味であるのはなんとなくわかったが、同じことを言った同じ名前のやつが少し気になった。


その後は黒月と一緒に買い物をした。あんたと一緒に買い物するわけ?なんてこと言われないか少しビクビクしていたが、黒月は時々おれの心を読んでか、ほんの少しだけ笑っていた。

しかし、事態は急変する。


スーパーを出てすぐだった。

目を疑った。

前方を歩いているのは、伊藤菜々子だ。彼女の体をどす黒い靄が覆っている。そんなばかな。さっきまでは覆っていなかったのに、こんな急に。しかもあの黒さは死ぬ直前の黒さだ。まるで黒という色が飽和状態にあるかのように、とにかくどす黒い。こんなことは今までなかった。靄は段階を追って黒くなっていくはずなのに。

「なに?どうしたの。靄?黒?死?一体何のこと?」

黒月は京介の心を読んで、事態の深刻さを理解したようである。

「説明はあとだ!とにかく伊藤が危ない!」



一人の老人が京介たちを後ろから見ていた。彼の名前は矢嶋照彦。

「買い物に来たはいいが、えらいことになっとるな。あの少年、あの慌てよう怪しいぞ」

矢嶋は京介たちの後を追った。



「おーい、伊藤ー!」

京介が言った。伊藤がこちらを向く。

「えっ、京介くん!?…と、黒月さんも」

伊藤がそう言うと、黒月は軽く会釈した。

「なに?どうかしたの?」

京介はどう説明しようか迷った。だが、そんなことを考えている場合ではない。命がかかっているのだ。今日話したばかりの、同じ科というだけの女の子だが、面識のある子だ。今すぐ死ぬとなっては、放っておくわけにはいかない。なんとかせねば。

「伊藤、上手く説明できないけど、とにかくお前の身が危ないんだ。お前、この辺りに住んでるのか?」

「えっ!?危ないってどういうこと?」

「いいから、家は近いか?」

「う、うん。ここから二十分くらいだよ」

「よし。じゃあ、俺が送る」

「ええ!?」

伊藤が素っ頓狂な声をだした。黒月は黙って話を聞いている。いや、話よりも心の声を聞いているのかも知れないが。

「えっと…、そんな急に言われても…」

「大丈夫だ、黒月も一緒だから俺と二人になることはない。お願いだ、とにかく家まで送らせてくれ」

「う、うん…」

伊藤はかなり困惑しているようである。それはそうだ。いきなり「身が危ない」などと言われ、今日初めて喋ったような相手に家までついてこられるなど、困惑しない方がおかしい。だが、そんなことを言っている場合ではない。とにかく助けなければ。

「よし、じゃあ行こう」

三人は歩き出した。京介は辺りに注意を払いながら慎重に歩く。嫌に冷たい汗が脇から腹にかけて伝うのが分かった。怖い。今まで何度か人に‘‘死”を見てきたが、本気で救おうとしたことは過去に一度しかない。結果救えず、そのショックで具体的なことを忘れてしまったが、どう足掻いても救えなかった事実だけは、はっきり覚えている。

(恭弥兄ちゃん、俺この子を救えるのかな…)

その時、ポンッと黒月に肩を叩かれた。

「きっと大丈夫よ。今回は私もいる」

俺の心を読み、おそらく事態を理解したであろう黒月が、そう言った。

黒月の顔も真剣そのものである。

「黒月…」

ありがとう。

五分ほど歩いて、住宅街に入る。京介と黒月の住んでいる方とは、大学、大通りをはさんで反対側である。

三人は終始無言だ。京介と黒月の真剣な顔つきに、伊藤は少し怯えていた。

(これから何が起こるの?)

伊藤は心の中で思った。

三人は狭い路地に入った。古民家が密集していて、電柱も少なくかなり暗い。

京介は、大方死の予想を立てていた。まず見たところ、伊藤は元気そうだから、急に病死ということはないだろう。そして、こんな狭い路地で交通事故なんてことも考えにくい。だとしたら、考えられるのは殺人だ。この路地なら、身を隠す場所などいくらでもある。

そう思った途端、また怖くなった。どうやってその殺人犯を追い払えばいい?

「田村、わざわざ三人でいるところを狙うかしら?」

黒月が伊藤に聞こえないよう、小さな声で言った。

「だけど、靄は消えてないんだ。もし殺人によって死んでしまうのなら、その犯人は必ず襲ってくる」

京介も小さな声で返す。

「あの、もうちょっとで着くよ」

伊藤が言った。

何もないなんてことは絶対にない。そして靄の色的に、必ずもうすぐ‘‘死”が襲ってくる。

その時だった。伊藤を覆っていた黒い靄が、伊藤の腹部に集中した。

(これは…!!)

京介は慌てて前を向く。前方に黒いフードを被った、長身の怪しい男が立っていた。そういえば、近頃通り魔が出たとニュースでやっていたのを思い出す。

京介は直感でわかった。

(まちがいない、あいつだ!)

京介の考えは黒月にも伝わっていた。

「田村!」

「ああ、わかってる!逃げるぞ!」

そう言うと京介は伊藤の手をとった。

「きゃっ!」

伊藤が声をあげた。

三人は元来た道を走る。ただ、ひたすらに、奴に追いつかれないように。

京介が振り向く。奴も走って来ている。物凄い足の速さだ。

(まずい!このままじゃ追いつかれる!)

三人いてもお構いなしで襲ってくるほどだ、相当腕に自信がなければそんなことはしない。だが、あくまでターゲットは伊藤のみのようである。黒月を靄が覆っていないのが、その証拠だ。仮に自分に靄が覆っているとして、それが見えるのか見えないのかはわからないが、ここはもう、一か八かにかけるしかない。幸い大通りまでは、走ればすぐだ。

京介は立ち止まり、伊藤の手を離すと、伊藤の前に出た。

「田村!なにやってるの!」

「黒月、早く伊藤を連れて走れ」

「でも!」

「いいから、早く!」

黒月は少し躊躇したが、フードの男が目前に迫って来ているのを見て、それしかないとわかったようだ。

「田村…」

「大丈夫だ、俺に靄はかかってない。早く行け」

本当はわからない。

黒月に嘘が通用しないのはわかっているが、こう言うしかないのだ。

黒月は伊藤の手を引いて走り出した。

「京介くん!」

伊藤にとってはあまりにも突然の出来事で、全てを理解はしていないようだが、追ってきたフードの男が危険であることと、京介が足止め役を買って出たことは理解しているようだ。

「ねえ、黒月さん!あの人は誰なの!?京介くんは大丈夫なの!?」

黒月は答えない。

京介は震えていた。目の前にフードの男が立っている。

右手にナイフが見えた。ここで自分は死ぬのだろうか。だが、あいつらが見えなくなるまでは、通すわけにはいかない。

すると、フードの男が口を開いた。

「俺は男を殺す趣味はねえんだ。お前が今すぐどくなら、命は助けてやるぜ」

そういえば、若い女性だけをターゲットにするってニュースで言っていた。

「ここの路地は今日見つけたんだ。絶好の狩場だろ?人はほとんど来ねえし、明るくもないしな。だからいつもみたく待ってたらよ、すげえ可愛い子が歩いてくるじゃねえか。どっちにするかなあ、どっちを殺そうかなあ?だけど、一日に殺す人数は一人って決めてるんだ。あの小さい方の子にしよう!」

こいつ、完全に狂ってやがる。

「さっさと、どけよ!!」

男が叫んだ。だめだ、立っているのもやっとだ。怖い、死ぬのが怖くてしかたない。もうどいてしまおうか。一瞬よぎっては消えるその考えを、食い止めるので精一杯だ。

「はい、時間切れ」

男がナイフを振りかざす。

(ああ、死んだ…)

京介が諦めた、その時だった。

ガッ!

「!?」

何者かが、男の右手を止めた。老人?だれだこの人は。

「少年を疑っていたが、どうやらあの子を殺そうとしたのは、こいつのようだな」

老人は男の手を押さえながら言った。

「誰だてめえは!?邪魔すんじゃねえよ!」

男が叫ぶ。

「ほう、すごい力だ」

そう言いながらも老人は男を抑えている。

京介は後ろを振り向いた。二人の姿はもう見えない。すると、どこからかパトカーの音か聞こえたきた。

「俺がさっき呼んでおいた『時間切れ』だ」

「……ちっ」

男は舌打ちをすると、腕を振りほどき、走って何処かへ逃げて行った。

……助かった…。

「あの、おじいさん。なんてお礼を言えばいいのやら…」

「いいんだ、気にするな。それより少年を疑ってしまった、すまない。少年はなぜ襲われることがわかったんだ?」

「いや、その…」

「もしや、少年にも見えているのか?」

「えっ!?」

見えているって靄のことか?まさかこのおじいさんにも…

「いや、何でもない。それより、警察が来たら事情聴取をされる。俺はめんどくさいのが嫌いだから、よろしく頼むぞ」

そう言うと、おじいさんは歩き出した。

「あの!お名前は?」

おじいさんは振り返る。

「矢嶋照彦だ。少年は?」

「田村、京介です」

「では、京介。また会おう!」

矢嶋さんは歩いて行ってしまった。



「京介か…どうやら君も『因果のレール』に乗ってしまったようだな。だが、あんな好青年を死なせるわけにはいかん。俺がなんとかせねば」



その後警察が来て、パトカーの中で事情聴取をされた。

京介は通り魔のこと、矢嶋さんのこと、能力ちからについての話以外の、知ってることを全て話した。


早く伊藤の顔が見たい。あいつの無事を確認したいのだ。

京介は黒月に連絡を取ろうとしたが、連絡先を知らないことを思い出した。だが、部屋は隣だ。自分のアパートに行けば会えるだろう。

警察がパトカーでアパートまで送ってくれたため、すぐに着いた。

黒月と伊藤が立っていた。京介は伊藤を見る。靄が消えている。やった!死の運命に打ち勝ったんだ!

京介はふと泣きそうになる。涙を無理やり抑えた。どうしようもないと思っていた‘‘死”を振り払うことができたのだ。

「田村!」

「京介くん!」

黒月と伊藤が、ほぼ同時に呼ぶ。

すると、伊藤が京介のもとに駆け寄り、京介に抱きついた。

「よかった!京介くん!無事だったんだね!」

「ちょっ、おい!離せ!」

くそっ、顔が赤くなるのが自分でもわかる。やめろ、黒月も見ているんだぞ。

「京介くん怪我してない?走ってる時にあの人がナイフ持ってるの見えたから…私京介くんが死んじゃうんじゃないかと思って…」

伊藤が言う。死にかけていたのはお前もなんだぞ。

「俺は平気だ。それよりお前が無事でよかったよ」

「京介くん…」

(なんだ俺は?いつからこんな良い奴になったんだ?)

いや、良いやつなんかじゃない。ただ顔見知りの女の子の‘‘死”を、見て見ぬ振りをして、後味が悪くなるのが嫌だっただけだ。結局は自分のため。もうこんな危ない真似は絶対しない。

「クスッ」

黒月が笑った。

黒月め、また心を読んで笑ったな。

「なにはともあれ、全員無事でよかったわ」

黒月が言った。

「ああ。黒月も協力してくれてありがとう。助かったよ」

「いいわよ礼なんて」


その後、黒月と伊藤も警察の事情聴取を受けた。しばらくの間は、伊藤の住んでいるアパートの周辺を、警察が捜査も兼ねて見回るらしい。

この日は、伊藤は黒月の部屋に泊まることになった。隣が京介の部屋であることに驚いていたようだ。京介は自分の部屋に入るなり布団に倒れこんだ。自分の匂いのする布団がいやに安心する。


京介は深い眠りについた。





この後、さらなる運命の悪戯に翻弄されることを、京介たちはまだ知らない。






















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る