第10話

 じきにやってくるはずだった自分の番は、なかなか迫ってこなかった。

 十五歳になったら――

 期日が迫ってくるにつれて、恐怖はじりじりと増していった。あんなに死ぬことが怖かったというのに、おかしなもので、今度は自分がなかなか死なないことが怖かった。

 見知らぬ部屋に怪物と一緒に閉じ込められて、おびえながら逃げ回る夢を見た。自分の腹を食い破って、小さな怪物が飛び出してくる夢を見た。眠りはつねに浅く、睡眠不足のためにいつも頭が重かった。

 反対に皆は、そわそわと落ち着かないようすを見せ始めた。浮かれたようにはしゃぐ子もいた――新しい生活に想像を膨らませて、まだ見ぬ夫や我が子のことを、ああでもないこうでもないと語り合う子たちも。どうやら生きてその日を迎えられそうだということを、彼女らは喜んでいた。

 どうして彼女らがそんなふうに楽天的になれるのか、わたしにはわからなかった。クラスメイトたちは相変わらず、言葉の通じない異様な存在にしか思えなかった。

 卒業のその朝がやってきたとき、どうしてもその事実が信じられなかった。

 この日まで生き延びたということに、何の喜びもなかった。こんなはずはなかったのにという、裏切られたような感情だけが胸を占めていた。

 生き残ったクラスメイトたちは、卒業セレモニーに列席して、その足でそれぞれの新しい暮らしに向かってゆくはずだった。シスター方がいうところの、定められた伴侶の元に。

 部屋に立てこもったのは、ほとんど発作的な行動だった。

 電子鍵なんか簡単に開けられてしまうから、衣装だんすだの寝台だのを動かせるかぎり強引に動かして、ドアを内側からふさいだ。無理に寝台を引きずった痕が、床にひっかいたような傷を残した。その反抗の爪痕が、いかにもささやかな悪あがきに思えて、忌々しかった。

 いつまでも姿を見せないことで、しびれを切らしたのだろう、シスター・マリアから端末に連絡が入ったけれど、それも無視した。

 部屋にはシャワーもトイレもあるから水の心配はないけれど、食べるものがない。たんすに手をかけたあたりでそのことに気づきはしたけれど、思いとどまるつもりはなかった。

 飢えれば人は死ぬのだということを、知識としては知っていたけれど、それでもいいと思っていた。

 動かせるものがなくなってしまうと、ドアから少し距離を置いて、床の上に座り込んだ。そのままいっとき、ぼんやりと膝を抱えていた。疲れていたけれど、目は冴えていて、眠気はちっともおとずれなかった。

 卒業式のはじまる一時間ほど前になって、次から次に通信が入った。それがあまりにうっとうしかったので、いっそドアに隙間をあけて端末を部屋の外に放り出そうかと思ったけれど、実行する直前で思いとどまった。これを手放してしまえば、本を読めなくなる。死んでもいいと言いながら、いまさらそんなことに未練があるというのも、おかしな話なのだけれど。

 通信機能をすべて切ってしまうと、今度は端末ではなく網膜表示のほうに、緊急通信の赤い表示が浮かび上がった。これもオフに出来たらいいのにと思ったけれど、やり方が判らなかった。それでも、自分の目をえぐりだしてやりたいと思うほどわずらわしかったのは最初の三十分ばかりのことで、あとはほとんど気にならなくなった。

 やがて足音が近づいてくるのがわかった。誰かがやってくる。

 シスター・マリアの声がした。

「サーシャ? 中にいるの?」

 白々しい、と思った。居場所はどうせモニタしているのだろうに。これまでだって、どこに隠れていても、いざとなったら誰かしら嗅ぎつけてやってきたのだ。

「もう卒業式が始まりますよ。具合が悪いの? ねえ、声が出せるなら返事をして」

「わたしのことは、放っておいていただけませんか。シスターこそ、急いでお戻りにならないといけないのでは?」

 皮肉まじりの声で、そう答えた。安堵の気配が、ドア越しに伝わってくる。強攻策に出るのは、ひとまず待つつもりになったらしい。

「お式が終わったら、みんな、もう出発してしまうのよ。会えるのは今日が最後なのよ、あなた、わかっていて?」

「承知しておりますとも、シスター。誰とも会いたくなんかないんです。クラスの皆とも、もちろん花婿なんていうものにも」

 言いながら、アマーリアの顔が一瞬頭をよぎった。彼女はどんな表情をしているだろう――今日の日を喜んでいるだろうか。それともあの日のように、自分が嬉しいのかどうかもよくわからないような顔をしているだろうか。

 わたしは首を振って、それ以上彼女のことを考えるのをやめた。どのみち顔を見たところで、話すことなどなにもない。

「サーシャ……」

 何か言いかけるシスターの口をふさぎたくて、わたしは叫んだ。「結婚なんてごめんだわ。子供を産むのもまっぴらよ。それくらいなら、もう、ここで死んでしまったほうがましだわ」

「――そんなことを言うものではありません。サーシャ、みんな悲しみます」

 その声は、まるで本当に悲しんでいるように聞こえたけれど、わたしは笑って取り合わなかった。「みんな? みんなって誰?」

「わたしや、ほかのシスター方や、クラスの皆です」

 シスター・マリアの言葉はいかにも空々しく響いた。いつも生徒思いのふりをして、恩着せがましい顔をしておきながら、この人はいったい生徒たちの何を見てきたのだろうと思った。わたしとの別れを惜しんでくれる子が、ひとりでもいるとは思えなかった。皆の様子を注意して見ていたのなら、そんなことは明らかだっただろうに。

 自分の善良さをつゆほども疑っていないシスター・マリアは、誠実そのものの口調で続けた。「――それから、あなたを待っている伴侶も」

 あまりにも白々しい言い分に、わたしは失笑した。「顔さえ見たことがないのに?」

「サーシャ、困らせないで――そうじゃないと」

「そうじゃないと、どうなんです。警備ロボットか係官が大挙してやってきて、わたしの首に縄でもつけて引きずってゆくのかしら」

 言っているうちに、怒りが腹の底から突き上げてきて、わたしは声を張り上げた。「それとも言うことを聞かない子供ひとりなんか、どこかにやってしまう? ジョゼのように!」

 はじけるように、悲しみがあふれた。ジョゼ――可哀想なジョゼ。どうしてだろう、わたしはちっともあの子のことが好きではなかったのに。彼女は本当に、天命とやらによって死んだのだろうか? それとも――

「ジョゼ? 何のことをいっているんです、サーシャ。それに、縄なんて、とんでもない」

「そうかしら」

 気がついたときには、涙が頬を伝っていた。「どうにでも、お好きなようになさるといいわ。どうせそこにも警備ロボットがいるんでしょう。それが規則ですものね」

「サーシャ……」

 途方に暮れたようなシスターの声に、足音が重なった。また誰かがやってきたらしかった。

「シスター・マリア。あなたは式典のほうへ。大事なお役目があるのでしょう」

 メリルの声だった。焦りも苦々しさもない、いつもの快活な調子だった――場違いなほど明るい、気楽な声。

「ええ、だけど……」

「わたしなら、抜けたところで進行に支障もありませんから」

 ひとしきりやりとりがあって、やがて、ひとつの足音が遠ざかっていった。「さて、聞いているかい、サーシャ、気むずかし屋のお姫様?」

「――そのふざけた話し方はよしていただけます?」

 たっぷり棘をはらんだ言葉にも、メリルは動じなかった。笑い含みの声がした。「わたしもよく意固地だと言われるが、サーシャ、あんたの根性まがりもたいしたもんだ」

 むっとしたけれど、それについて言い返す気はなかった。自分の性格がねじ曲がっていることは、いやになるほどわかっている。

「――いいのかい。このまま二時間もしたら、皆、行ってしまうよ。セレモニーなんかどうだっていいが、お別れを言っておきたい子が、いるんじゃないのか」

「お別れなんて!」

 吐き捨てるように言って、わたしは頬の涙を乱暴にぬぐった。「何をどう言っても無駄です。わたしは結婚なんてまっぴらだし、これ以上あなた方の都合に振り回されるのは、もういやなの。どうしてもというなら、力ずくで引きずっていったらいかがです。これまでそうしてきたように」

「いや、まあ、その話はあとにしよう。そんなことのために来たわけじゃないよ」

 メリルの言葉に、わたしは眉をひそめた。だけどシスターは気にしないようすで、あっさりと続けた。「わたしは、あんたと話がしたくて来たんだよ。大丈夫、隙を見てドアをこじ開けたりはしないから」

「話なんて、何をいまさら――」

「まあ、そう言わない。あんた、言いたいこと、あるんだろ。ずっと怒ってるんだろ。――聞くよ」

 シスターの声の位置が、心なしか低くなった。ドアの前に座ったのかもしれない。

 その見透かすようなものの言い方が癇に障った。けれど、そのままじっと黙り込んだシスター・メリルに、わたしは結局のところ根負けした。

「――わたしにはわかりません。結婚だの、子供を産むだの、そんなことに、何の意味があるんです? 次の世代を残すことが使命だなんて――シスター方はみんなそう仰るけれど、そんなこと、いったいどこの誰が決めたっていうんです。あなたがたの自己満足に、どうしてわたしが付き合わされなくてはならないんです?」

「子供ができてみりゃわかる――ったって、納得しないんだろうね」

 頭を掻くような気配があって、少しの間の後に、シスターは低い声を出した。「サーシャ。あんた、生まれてきてよかったと思うことはあるかい。生きてきてよかったと、そう感じたことは?」

「――何です、急に」

「いいから答えな」

 そう言われても、とっさに何も浮かばなかった。そんなことをまともに考えたことが、これまでにたったの一度でもあっただろうか?

 わたしが答えないでいると、シスター・メリルは低い声で続けた。「これから先でもいい。そういう日が、死ぬまでに一日でもあったなら、あんたが生まれてきたことに、意味はあるさ。いつか生まれてくるあんたの子供にも、きっとそういう日があると、わたしは思う……」

「すぐに死んでしまっても?」

「そうと決まったわけじゃない」

「決まっているも同然じゃありませんか。最初にわたしと同じクラスだった子たちが、今日のセレモニーに、どれだけ出ていると思うんです」

「だけどあんたは、生きている」

 その言葉に、かっとなった。好きでここにいるわけではなかった。

 どうしてわたしだったのだろう。

 エリではなく、ジョゼでもなく、あんなに死ぬのを怖がっていたイルマでもなく。いつか出会う伴侶とやらを、楽しみにしたはずのみんなではなく、なぜわたしが生き残らなくてはならなかったのか。

「ええ。まだ、いまは。だけどそれだって――」

「先のことは、誰にもわからない。誰にもだ、サーシャ」

 メリルは言った。心にもないことを――そう声を上げかけたわたしを制するように、シスターは疲れた声を出した。

「男の子たちのことについて、どんなふうに聞いているかい。――いや、どうせわたしが学生だったころと同じだろう。わたしたち女とは、体のつくりが違っていて、子供を産めるようにはできていない。頑丈で、たいていはわたしたちよりももう少しばかり長生きする。それくらいのことしか教わっていない、あとは当たりさわりのない恋愛小説に書かれているようなことばっかりだ。そうだね?」

 彼女が何を言おうとしているのかわからなくて、わたしは眉をひそめた。メリルはわたしの返事を待たずに続けた。

「あんたが怒るのも、わかるんだ。大人はいつだって、肝心なことを隠す。嘘をつくか、そうでなければ黙っている」

 自分自身が怒っているような口調で、メリルは言った。「わたしたちの多くが短命で死ぬのは、病気のせいだっていうのは、もうわかっているだろう、サーシャ。そいつはね、女だけが罹る、病気なんだ」

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