十一章04:剣豪は、目を細め兄を語り

 こうして将軍たちドゥーチェスの説得を経て、エスベルカ枢要の根回しは済んだと判断した僕は、バートレット釈放の報を告げるべく最後の相手の前に姿を現していた。


 ――ユリ・オヴニル。

 火の勇者バートレット・オヴニルの義妹にして、元エルジアの百人隊長。長い黒髪を後ろに束ねるポニーテールは、一見するにたおやかな撫子そのものといった風貌だが、剣筋はさにあらず。義兄バートレットの奥義を模倣し放つ程度には習熟した、一廉ひとかど武士もののふである。


「兄者に……恩赦を……? それは誠にござるか? 御館様!」


 頓狂な声を出し、目を丸くするのはユリ・オヴニル本人。今日も今日とて一人稽古に没頭する彼女の頬に、一筋の汗に混じった別の何かが伝う。


「ああ本当だ。たった今全員の同意は取り付けてきた所だ。明日を以て君の兄バートレット・オヴニルは、エスベルカ帝国軍に騎士として編入される」


 侍としての挟持からか、或いは慣れた武具に対する信頼からか、ユリは相変わらずエルジアの鎧を身にまとっている。額には鉢金、腰には鞘と、その出で立ちはベルカの騎士とは趣を異にする。


「そ、それがしは……不届きながらも嬉しいと感じておりまする……御館様……あ、兄者が……」


 そんな生粋の侍たるユリ・オヴニルは、殊勝にも僕の事を御館様と呼び接してくれる。もちろん祖国であるエルジアから放逐されている以上、現在の盟主は僕自身という事になる訳だが……陛下という呼び名にようやっと慣れ始めた所の、この御館様なる呼称には、少々むず痒さを感じぬでもない。


「気にすることはない。これは感情的な温情ではなく、単純な戦術上の理由に依る。――まだまだ使える戦力の一つを、わざわざ牢に繋いだままにしておくなど、人材の浪費にも程があるからな」


 そう大仰に肩をすくめる僕だが、実際その通りなのだから仕方がない。なにより万が一に備えての人質すら、こうして僕の眼の前に居てくれるのだ。洗脳に闇堕ちと余程の事情が加わらない限り、バートレットが叛意を見せる事はないだろう。


「で……あるなれば、そうでござれば……」


 しかしてぶつぶつと口を動かすだけのユリは、暫くすると覚悟を決めたように、髪を結うかんざしを外し僕に渡した。


「これは……?」

それがしの命を絶つ毒にござる。万が一にも兄者が不穏な態度を見せるものなれば……その毒で以てそれがしを」


 だが。いやいや待てと、僕は内心で首を振る。確かに格好のカモネギ――、もとい人質と見定めた僕ではあるが、まさか先にユリから命を預けられるとは。予期せぬ事態に困惑を隠しきれないまま、その表情を隠す仮面があった事に安堵しつつ僕は応じる。


「私に君の命を奪えと言うのか? ――これは返す。もし命を断ちたいと願うのであれば、それは自らの手で為す事だ」

「で、ですがそれでは……御館様」


 今度はユリが困惑し、申し訳なさそうに簪を受け取る。まったく、侍という人種は兎にも角にも切腹自刃だ。もう少し生きようと足掻いてもよかろうと胸底で毒を吐きつつ、僕は続くユリの言葉を待つ。


「か、かくなる上は……」


 が。続きユリが取った行動はさらに僕の予想の斜め上にあった。


「おい……ユリ」


 鎧を外し、袴姿になったかと思うと、ユリはおもむろに胸元を開き――、またたく間にその上半身は、さらし一枚のあられもない姿になる。


それがしを……御館様の側室に迎えて頂く……ござる。夜伽の術は幼少期に手解きが……か、身体も、いや、胸も……さらしを取れば相応に……ござる」


 余りの急転直下に唖然とする僕。察するにユリ・オヴニルとは、その手の話題には奥手の、武道一本の初心な女ではなかったか。


「どういう……事だ?」


 当然とも思える疑問を口にする僕に、ユリは重い口を開いた。





*          *




「もともとオヴニル家は、外から流れ着いた異国の者にござる」


 ユリの曰く、剣技に依ってのみ家名を築き上げてきたオヴニル家は、自明の如く世継ぎにも武勲を求めた。だが本家唯一の嫡子であったバートレットは、剣など握れぬ病床の子。魔法の才は人並み外れてあったらしいが、刀こそが至上のエルジアにあって、その肩身は相当に狭いものだったのだそうだ。――委細までを知る事はできないが、かの魔法都市ノーデンナヴィクで、看板たる魔法を使えない義妹を持った僕には、二人の立場が痛いくらいに分かってしまった。


「ゆえにそれがしは、兄者の代わりとして男装を強いられ、オヴニル家の当主たるべく教育を受けて参った」

 

 長男の不甲斐なさに分家から呼ばれたユリは、かくして装いを改め、剣士としての生を余儀なくされる。――だが人生の歪曲は、それだけに留まらなかったらしい。


「人とは貪欲なものでござるな。当時の誰かがこう言ったのでござる。お前ならまだ、子を孕めるな、と」


 それからのユリを待ち受けていたのは、昼は次期当主として毅然と振る舞い、夜は一族郎党、果てには名だたる剣士の子種を宿すべく母体候補として、日々陵辱の限りを尽くされたという。


「ゆえに、でござる。それがしが性の手解きを受けているのは」


 そう自嘲げに微笑むユリ。さらしを外した事で見事に盛り上がった双丘は、なるほど確かに、彼女が一人の女である事実を、雄弁に物語ってやまない。


「だがバートレットは勇者エイセスとして目覚めた。――それで君は、運命の軛から解き放たれたのか」


 こくりと頷くユリ。その瞳には涙が浮かんでいる。


「ある日勇者エイセスとして覚醒した兄者は、それがしを辱めた郎党を一人残らず屠り申した……ゆえに兄者は、世の何人にとって悪人であれども、それがしにとっては恩人なのでござる。掛け替えの無い……家族なのでござる」


 


*          *




 途中から、ユリの話を呆然と聞き流していた僕。まるで、まるでこれでは。フィオナを守ろうと必死だった僕ではないか。或いは、逆境を跳ね除けようと努力を重ねた、フィオナそのものではないか。いや……むしろ親族のゴタゴタが絡む限りにおいて、彼女たちの境遇は、僕ら兄妹より遥かに悲惨だ。憎き勇者エイセスの一角に立つバートレットの、思いもよらない過去の物語に、僕は慄然としながら立ちすくむ。きっと今仮面が外れれば、自失した顔が露わになっていたことだろう。


「なればそれがしは、御館様に衷心より感謝申し上げておりまする。あの日、切腹を仰せつかったあの日――、それがしと兄者を拾い上げて下さった御館様には……なれど」


 はっと我に返った僕が視線を落とすと、ユリは肩を震わせながら嗚咽を堪えている。簪を取った事でしなだれた髪が、白い柔肌を覆うように包んでいる。


「剣技ではユリシーズ卿はおろか、将軍たちドゥーチェスの御仁にすら及びませぬ。重ねて奪命すらも憚られると御館様が仰るのであれば、それがしに残されたのはこの身体以外にはございませぬ……若しそれにすら価値が無いともなれば、それがしは、それがしは……」


 結局のところ、抱える悩みはみな同じか……そう内心で頷いて、僕はユリの肩に外套をかける。見上げるユリの、年相応の少女めいた瞳に向かって、僕は気を取り直して告げる。


「案ずるまでもなく、君は十分に魅力的だ。それに慣れない土地で、十分に腕を奮っていると感謝している。――だからもう二度と、自分の身体を売り渡すような真似はしちゃいけない。それは、君を守ろうとした兄上の気持ちを、きっと踏みにじる行為でもあるだろう」


 そのままに抱きしめる僕の腕の中で、すすり泣くユリの声が聞こえる。


「やがて君は強くなる。そのように私が仕込む。だから今日はゆっくりと休め。明日、君の兄と顔を合わせる時、泣き腫らしたままではバツが悪かろう」


 だが言い聞かせる僕の胸中には、複雑な想いが過っていた。バートレットならばまだいい。だがもし、他の勇者エイセスにも、共通の悲劇が横たわっているとしたら、どうするのだろうと。そのとき僕は、相も変わらず彼らを、真っ黒な敵として憎み続けられるのか、と。――ユリの部屋を出た僕の背中には、答えの出ない問いが亡霊のようにへばり付いていた。

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