四章05:墓標は、看過せし非道を示して

「――そんな方がいらっしゃるのですね。わたくしとしゃべり方がそっくり」

 くすくすと笑いながら、ユーティラは僕の与太話に相槌を打つ。


 ナヴィク外遊の夜。エメリアは家族と、シンシアらは孤児たちと、それぞれが半年ぶりの再会を祝しながら過ごしていた。つまりは必然的にその輪から外れるのが部外者のユーティラで、今このホテルの一室には、僕と彼女を置いて人影は無い。


 本来であれば僕も孤児院のパーティに出たい所ではあったが、既に公式にはララトという人間は死んでいる。信のおける限られた人物を除き、素顔を明かすわけにはいかなかった。


「いやいや、ユーティのほうが百倍はおしとやかだぞ。アレも今日は可愛げがあったが、普段は傲慢で獰猛どうもうなヤツだからな」


 僕は僕のクラスメイト、フローベルの話をユーティラに聞かせていた。二人は武門の名家出と出自は似通っていながら、他方で性格は真逆と言っていい。

 

「結局は可愛いくていらっしゃるのですね。陛下の周りはいつもそう」

 僕がフローベルを褒めた事に機嫌を損ねたのか、些かに頬を膨らませてユーティラは窓から空を見上げた。


「ユーティだって可愛いさ。だからこうして連れてきたんじゃないか。二人きりの部屋を取ってまで」

 半分冗談で言ったつもりだったが、寸時に赤面したユーティラは「や、やはりそういう……」と途端にもじもじと仕出し、上目遣いで僕を見てきた。


「ああ」

 マスクを取ったままの僕が、椅子を立ってユーティラの元に向かう。目を閉じて肩を震わせる彼女を抱き上げ、耳元で僕は囁いた「――半分本気だが、その前に少し付き合ってくれ」と。


「え?」

 戸惑うユーティラを抱えたまま、僕は窓を開け空に翔んだ。




*          *




「ここは……どこですの?」

 ナヴィクの郊外、二人以外に誰も居ない夜の片隅で、ユーティラは怯える様に辺りを見回した。道端には一本の巨木が、黒い影を映し聳えている。


「別にキスを迫ろうって訳じゃないさ」

 僕はつかつかとその木の根まで歩くと、指を鳴らし火を灯した。


「――マティルダ・トーシャ・シャムロック。かつて幼い聖騎士が命を落としたのが、この場所だ」

 僕の意図せぬ言葉に、ユーティラははっとして口を抑える。


「僕が君を連れて来たのは、マティルダの墓の所在を伝える為だ。ルドミラは帝都を離れられない。君が、君の目でマティルダの散った場所を記憶に刻んで帰って欲しい」


「……そうでしたのね……だのにわたくしったら、勝手に舞い上がってしまって……」

 言うやユーティラも、また僕の隣に歩いてきてそして屈んだ。


「マティルダ……許してとは言いませんわ。ただわたくしが振るう剣の先の未来を、どうか遠くから見守っていて頂戴……」

 

 だが手を合わせたユーティラが、次に目を開いて顔を上げようとしたその時だった。雑草の中に混じり、三枚葉のクローバーが顔を覗かせていたのは。


「シャム……ロック……」

 ユーティラが呟く。シャムロック、すなわち三枚葉のクローバーは、ルドミラとマティルダの家の家紋を示す、所縁ある野草だった。


「ああ……マティルダ」

 愛おしそうに三枚葉を手で包むユーティラは「陛下……マティルダが」と僕の顔を見やる。




 ――マティルダ・トーシャ・シャムロック。あの日勇者たちエイセスにゴミの様に捨てられ、息絶えた黒き肌の聖騎士。無力だった日々の象徴の様に脳裏にこびり付くそれを、僕は懺悔する様に口にした。


「――聞いてくれ、ユーティ」

 何事かを察したのか、ユーティラもまた無言のまま僕を見上げる。そして僕は、皇帝レイヴリーヒとしてでは無く、一人のララトとして言葉を紡いだ。


「あの日、僕はマティルダの死を確かに看取った。ルドミラには言っていない。余りに悲惨な姿だったからだ。勇者たちエイセス蹂躙じゅうりんされ、生前の溌剌はつらつさは見る陰も無かったんだ……」

 

 ぽつぽつと語る僕を見るユーティラの金色の瞳は、かつてレオハルトの側で哀しみを湛えていた時の様に切なく潤んでいる。


「だけど僕は、エメリアたちが無事で済むのなら、それ以外の誰かが犠牲になる事を看過しようとすら思ってしまった。――怒るより先に、楯突くより先に」


「……仕方が……無いですわ。将軍たちドゥーチェスのお父さまでさえ何も出来なかったんですもの。もちろん、わたくしも」

 静かに響くユーティラの言の葉が、深い闇のなか僕を包む。




「――そう、あの日の僕は弱かった。どうしようも無く、目の前の悪に抗う事すらも出来ず……でも、今は違う。今の僕は人の世の誰よりも強い。だから、だから……もう二度とこんな事を起こさせはしない、しないんだ」

 

 それはもう殆ど独り言に近かった。拳を握りしめながら震える僕の背中を、隣で立ち上がったユーティラが、赤ん坊をあやす様にさすっている。


「……あのアルバの夜、陛下はわたくしを励まし、勇気づけて下さいました。今度はわたくしが陛下の支えになる番ですわ」


 優しく微笑むユーティラは「全部を背負い込まないで下さいませ。陛下はお強いですわ。きっと誰よりも。――でも心は違います。心は違いますから、だから」と続け、ひしと僕を抱く。


「……少しは重荷を背負わせて下さい。わたくしはエスベルカの剣、ベルリオーズ。戦場で今は足かせになるのなら、せめて夜のお側にてお力添えを」

 

 最後のほうでうっすらと涙声になったユーティラを僕もまた強く抱いた。真紅のライトメイルに包まれた靭やかなな彼女の身体が、黒い甲冑の中で柔らかく軋む。




「……ありがとう。本当は誰かに許しを請いたかったのだ。あの少女の名を知る誰かに。私の弱さを。私の罪を。何も出来なかった過日の罰を」


 そのとき僕の口調は、エスベルカ皇帝レイヴリーヒに戻っていた。比類の無い力を得たつもりではいたが、心は結局は弱かった人のままなのだ。改めて知らされた事実を噛み締めながら、僕は瞼を閉じてユーティラを求める。


「いいえ、わたくしも知れて良かったですわ。マティルダの死に場所を、彼女の最後を。これからもきっと、マティルダはわたくしを見ていてくれる……」


「――ああ。必ずや非道のない世界を作って見せる。そして君たちが、ずっと笑顔で暮らせる未来を」


「はい。陛下……」

真紅の鎧の裏に隠れる、ユーティラの鼓動がとくとくと聞こえてくる。そのまま自然に重なり合った唇は、貪る様に互いを求めた。




*          *




 やがて半刻後、窓から部屋に戻った僕たちを待ち受けていたのは、机に突っ伏して寝るケイだった。微かに入る夜風に彼女の黒髪が揺れて、目の前には殴り書きしたメモが残っている。


「まったく! センパイが一人じゃ寂しいだろうからって戻ってきたのに。ボクもう知らないから!」


 書いている間に眠気に襲われたのだろう。最後のほうは判別出来ない程ぐにゃぐにゃになっている。くすくすと笑うユーティラに釣られ僕も笑いを零し、ナヴィクの夜は更けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る