三章10:氷剣は、副団長たる青騎士の

「ああっセンパイ! 女の子部屋に連れ込んで、何してんのさー!」

 さも怒っているぞ、という素振りを見せながら、頭から湯気を出すのはメイド服姿の僕の後輩、ケイ・ナガセ。

 

「ううっ、悲しいよボクは。センパイの部屋とか頑張ってお掃除したのに……肝心のセンパイは女の子を部屋に……ううっ」


 わざとらしい演技で泣いた真似をしたケイは「そんなに欲求不満なら、センパイの身体のお掃除も、ボクがしてあげようか?」と次には悪戯めいた表情で身体をすり寄せてくる。


「冗談は後だケイ。ルドミラが貧血を起こしたみたいでな。暫くここで休ませる」

 そう言って頭をぼふと叩くと、猫の様にふみゅうとしたケイは、些か不機嫌そうに僕を見上げた。


「これからエメリアたちの所に行くぞ。お前も来い」

 そうして「べー」と舌を出したケイが僕の背に続き、二人の影は地下の訓練所に向かったのだった。




*          *




 ベルカの城に三つある訓練所の一つ、地下一階の鍛錬場は、武器庫と兵士の駐屯所も兼ねている。広さは三百畳程度で、全面の採光窓を取り入れている所為か、湿気やカビ臭さといった異臭とは縁がない。


 僕とケイが訓練場に足を踏み入れた時、迎え出てくれたのはブリジット・S・フィッツジェラルド。グレースメリア騎士団の副長を務める蒼銀の騎士だった。


「陛下!」

 他の騎士たちの訓練に付き合うブリジットは、淡く青い髪から滴る汗を拭い、恐縮した表情で敬礼を向ける。


「ご苦労、ブリジット。時にエメリアとユーティラは居るか」

 他の騎士たちも一様に剣を置き敬礼する中、ブリジットは「今お二人は、レオハルト殿と一緒に鍛錬の最中です!」と返した。――短いボブカットの、後ろだけを三つ編みにした尻尾の様な長髪がふわりと揺れる。


「ちょうど良いな、ブリジット。君も一緒に来てくれ」

 実際には魔眼でエメリアの位置は把握済みだったが、それはそれとしてブリジットの手を引くと、僕は鍛錬場とは別の特別室に向かった。――なお特別室とは、将軍たちドゥーチェスの様な卓抜した騎士たちが打ち合っても良いよう、四方の壁をとりわけ分厚く強固にした一角の事だ。


「へ、陛下……?」

 突然の出来事に、ブリジットの髪よりも深い青の瞳に困惑が浮かぶ。

 

「すまないな皆。少しばかりブリジットを借りる。鍛錬に励め」

 そう言い残した僕に十人の騎士たちは一礼し、またお互いの訓練に戻って行く。




「火急にて許せ。これから一週間ほどになるが、お前にはグレースメリアの団長代行として働いて貰う」


「えっ、あ、あたしがっ?」

 上ずった声で答えるブリジットに、僕は歩きながら続ける「ああ、詳細はエメリアたちの前で話そう」と。


 平民出のブリジットは、ルドミラの曰くでは己が才能によってのみ、今の地位にまで伸し上がったのだと言う。力量はユーティラと同格、すなわち俗な騎士団長よりは格上という事になる。




 特別室のドアを開けると、そこではエメリアがレオハルトとユーティラの二人を相手に剣を振るっていて、汗だくのまま肩で息をするエメリアは、唐突な僕の来訪に気づいてはいない様だった。


「陛下」

 最も余裕があるであろうレオハルトが先に一礼し、エメリアの剣撃を辛うじて躱したユーティラも「陛下!」と嬉しそうにこちらを見て微笑んだ。


「はぁはぁ……えっ、あっ、陛下!」

 一人遅れたエメリアが、振り返り急ぎ敬礼する。白の法衣からは湯気が立ち上り、彼女が発していた熱気の質量が見て取れる。とは言え壁に加え僕の結界でコーティングを施した特別室は、仮にレオハルトが全力を出したとしても突破は出来ない。


「頑張っているな、エメリア」

 エメリアを僕は一言だけ労うと、相手をしてくれたレオハルトたちにも礼を言う「二人とも、連日付き合って貰って、すまない」と。


「いえ……ユリシーズ卿の力は日を追って増しております。いずれは私一人では太刀打ちが出来なくなりましょうな」


 レオハルトがかぶりを振るや、隣のユーティラは「本当に……わたくしではもう全然」と、一瞬前のほころんだ顔は何処へやら、項垂れて溜息をついた。


「経過が順調な様で良かったよ。皆よくやってくれた」

 ブリジットとケイが両隣に並び終えた所で、僕は本題に入る「今日私がここに来たのは、他でもない」と。




「明日から約一週間。私は三都市国家の外遊に発つ。ついてはエメリア、ユーティラ、それからここに居るケイを連れて行こうと思う」

 

 僕が左隣のケイの肩をぽんと叩くと、相変わらず日に焼けた肌の小柄なメイドは、ぱっとしてリスの様にこちらを見上げた。


「なお私が不在の間だが、首都の防衛はレオハルト旗下国境騎士団アルバプレナに、邸内の警備をグレースメリアの面々に任せたい。その際の団長代行は――」


 ここで僕は右隣のブリジットの肩に手を置き「――彼女で行こうと思う」と付け加えた。まだ少女の匂いが抜け切らないあどけない表情で、ブリジットは「はっ」と頷くと、それに合わせて周囲の面々も敬礼で続いた。




「――ところでレオハルト。将軍たちドゥーチェスの召集についてはどうなっている?」


 前皇帝ディジョンの放逐に伴い、各地に散らされていた将軍たちドゥーチェスたちを、もう一度首都に呼び戻す話はついていた。


 外交や文官相手であればルドミラを通せばよかったが、蛇の道は蛇。武官同士の連絡に限れば、やはりそこは頭目のレオハルトに分があった。


「既に早馬は出しましたからな。引き継ぎを終えこちらに至るまで……やはり陛下の外遊と同程度の期間を見る形にはなるかと」


 西のアマジーグ。

 東のマクスロク。

 そして南のフランシスカ。


 レオハルトの話によれば、エルジアとの国境線に飛んだマクスロクが最も早く戻れるとの事らしい。マクスロク・セロ・ローゼンタール。敬虔なるグレースメリアの信徒たる彼は、将軍たちドゥーチェスでは唯一の魔道士タイプと聞いている。




「なるほどな。ローゼンタール卿が加われば首都の守りもより堅固になるだろう。一ヶ月後の式典と、それからの戦いに向け組織を再編したい。宜しく頼む」


 僕の言葉にもう一度礼を返すレオハルトに続き、その隣に立つユーティラも「ユーティラ・E・ベルリオーズ、エスベルカの剣として、この度は微力を尽くさせて頂きます」と、淡い紫の髪を揺らしながら敬礼で応える。


「そんな訳だからエメリア、ユーティラ。明日に備えて今日は早く休む様に。明朝七時。ベルカの城の正門にて待つ」


「はっ」

 二人の掛け声を背に踵を返す僕は、ケイの手を握り特別室を後にした。 




*          *




「あっ、あれがエメリアの特訓……すごいね、センパイ……」

 熱気に当てられたのか、僅かに汗ばんだメイド服の胸元をひらひらとさせケイは言う。


「ボクももっと頑張らないと……センパイ、今日の晩もお願いします」

 最後だけやけに丁寧な言葉遣いに変わったケイの頭を、廊下に誰も居ない事をいい事に、僕はわしゃわしゃとした。


「ちょっ……やめてよセンパイ。猫じゃ無いんだから!」

 寸時にムキになったケイだったが、その様は猫だかリスだか、どっちにしても小動物のそれだった。


「それじゃあケイ、これからフィオたちに出立の件を伝えて来てくれ。勇者エイセスは全員連れて行くから、実験を続けたければ器具も一緒に持つ様に、ってね」

 

 頬を上気させたままのケイを従え、僕は一階に戻った。――背後に響く戦乙女の、剣撃の音だけを残して。

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