三章09:喪服は、自らを縛る決意の黒

「――やはり私だけでは無かったのですね。いいえそれは別に良いのですが」

 僕に背を向けたまま早足で歩くルドミラは、些かの不機嫌を込めて僕に言った。黒いミリタリーワンピースの裾が、すらりと伸びた足の動きに合わせひらひらと舞う。


「まったく誤解だ、ルドミラ」

 融通が効かない分、ユーティラの時よりも面倒だなと思いながら僕は声を掛ける。おまけに昨日の今日ともなれば、バツの悪い事この上ない。


「陛下が何をなさろうと私は構いませんが、仮にも神聖な教会ですから。ベルカの皇帝としての節度はわきまえて下さい」


 そこで足を止め振り返ったルドミラの頬は膨れていて、いつもの仏頂面が一層に頑なに見えた。――場所はフィオナの研究所アナトリアにほど近い裏庭の噴水。昨日地下水道を歩く為に、僕が下ったその場所だ。




「ふぅ、分かった。気をつけよう……現に君に見られてしまった訳だからな」

 抗弁こうべんを止め素直に謝った僕に「その、私がもう少し――いえ、なんでもありません」と、何かを言いかけたルドミラは吃ったまま俯く。

 彼女は自らの胸に手を置き(あんなには……きくない……)そう独り言の様に呟いた。


「なにがだ?」

 噴水の音にかき消された所為で最後を聞き取れずに問う僕に「い、いえ。日程のお話ですから。陛下」と、ルドミラは我に返った様に赤面し返した。


「そうか……それで、首尾は?」

 ルドミラには対魔族の諸国間同盟を結ぶべく外遊の手続きを、各国の外交官を通じ行う様に伝えていた。


 魔法都市ノーデンナヴィク。

 刀剣都市エルジア。

 そして工業都市マクミラン。


 大陸でも屈指の軍事力を誇る都市国家群と協調する事で、勇者エイセス一辺倒の対魔戦線の意識そのものを根底から覆す。それが僕の目論見の一つだった。




「はい。ナヴィク、マクミランと続き、今朝エルジアより返答が届きました。どの国家も可と」


 さっきまでの仏頂面からは幾分か落ち着いた様に、ルドミラは淡々と成り行きを告げる。


「ルート上の理由と返答の順番をかんがみ、ナヴィク、マクミラン、最後にエルジアの日程で調整中です。早ければ明日にはと考えていますが、陛下のご意向をと思いまして」


 位置的にはナヴィクが最西端で、帝都との間にマクミラン。エルジアは逆に東端の都市になるから、そのルートで特に問題は無かった。




「分かった。明日出れるよう準備にかかろう。人数は最低限で良い。エメリアとケイ、それにフィオナ、シンシアにユーティラを連れて行く。グレースメリアの二人にはルドミラから話を通しておいてくれ」


「あのメイドも連れて行くのですね……分かりました。ではその様に伝えて参ります」

 一瞬不服と言った風に俯いたルドミラは、しかしすぐに表情を戻すと「食料やその他の人員はどうしますか」と、いつも通りの口調で訊ねる。


「身辺の世話はケイとシンシアにやらせるから増員は要らないな。食料も一食分あれば良い。馬車は一台。ただし葬儀用ハースでだ。御者はエメリアとユーティラに任せる」

  



 ――今回の外遊は、人を抱えずに手早く終わらせるつもりだった。

 具体的には一都市につき滞在は一泊二日。なにせ帝都では成すべき事が山積としている。


「私が不在の間は、レオハルトの国境騎士団アルバプレナに首都の治安維持を、グレースメリアにお前たちの警護を頼んでおく。臨時の指揮は……ブリジットだな」


「分かりました。午後にはご報告に伺えるかと思いますので、暫しお時間を」

 一礼したルドミラが踵を返した時「あっ」と呻くと、彼女はふらりと倒れ噴水に落ちた。水しぶきが飛び「ああ……」と項垂れるルドミラを、僕は駆け寄って抱きかかえる。




「大丈夫か!?」

 僕の腕の中で所在無げに顔を向けるルドミラの、黒のミリタリーワンピースは水でじっとりと濡れていた。


「申し訳……ありません陛下。少し立ちくらみがしただけですので」 

 そう言って立ち上がろうとするルドミラの手からするすると落ちた数枚の紙が、水面の上でゆらゆらと浮かんだ。


「あ、ああ……」

 悔しそうな表情を浮かべるルドミラの視線の先にたゆたう紙には、びっしりと僕の外交日程と、不在の間の内政について書き込まれていた。


「私が取る。お前は少し休んでいろ」

 慌てて紙を取ろうと身をかがめるルドミラを、僕は抱き上げて外に置いた。


「おおかた夜通しで資料でも作っていたな」

 水分を吸って歪んでしまった紙の束を、僕は弱い火の魔法で即座に乾燥させた。昨晩魔眼で視た時には確かにぐっすり寝ていた筈だが、この様子だと深夜に起きて作業でもしていたのだろう。


「寄れはどうにもならないが」

 そう言って手渡す僕に「二日に渡って醜態を……申し訳ありません」とルドミラは謝る。




「謝るな。お前はよくやってるよ。ありがとう」

 濡れたままのルドミラの身体を抱きしめて僕が言うと「ま、また陛下は……」とルドミラは頬を染め俯いた。


「全く、これじゃお前が無理をしない様、私の側に居続けて貰うしかなくなるぞ」

 冗談めいた僕の言葉に「えっ……ええっ」と困惑したルドミラは「そっ、その……」と吃ってしまった。


「それが嫌なら適度に休め。待ってろよ。今乾かしてやるから」

 ルドミラを抱いたまま火の魔力を与え続ける僕の前で、彼女のミリタリーワンピースは湯気を上げて水気を撥ねていく。気のせいか、紅潮したルドミラの顔の、頭からも水蒸気が立ち上っている様に見える。


「いっ、嫌ではありませんが」

 咄嗟に顔を上げかけたルドミラを制し「もうちょっとだ、我慢しろ」と僕はさらに強く抱きしめた。


「ああっ……こんなの……」

 観念したのかそうとだけ呟くや、ルドミラはもう押し黙って言葉を発さなかった。




*          *




「よし乾いたな……風邪だけは引くなよ」

 二分後。水分を完全に失って、元の状態に衣服を戻したルドミラは、慌てて僕から離れると「ありがとうございました……陛下」そう恥ずかしそうに俯くや、目も合わせずにしどろもどろとしている。


「気にするな。エメリアたちにも私から伝えておこう。お前は午前中休んでおけ」


 放っておけば拒絶するであろうルドミラの手を強引に僕は引き「私のフロアなら、誰にも気づかれずに休めるだろう」と、皇妃用の部屋まで連れて行く事にした。なんというか、父親に続き妹の死を突きつけられて、元気でいられる事の方がおかしい。こちらとしては、こうして職務に励んで貰っているだけで感謝以外にありえないのだ。


「陛下……そちらはその……へ、陛下と契りを結ばれる方の……」


 皇妃用の部屋のドアを目の当たりにした瞬間、畏れ多いとルドミラは否定しかけたが「命令だ。休め」そう告げた僕に遂に折れたらしく、少女一人では些かに広過ぎる天蓋付きのキングベッドに寝転んだ。


「昼過ぎには戻る。湯浴みをし服を乾かし、午後から職務に復帰しろ。分かったな?」


 何かを言いかけたルドミラの言葉を聞く前にドアノブに手をかけた僕は、彼女に背を向けたまま部屋を出た。――そしてそこに立っていたのは、腕を組んでぷんすかとする、メイド服姿のケイだった。




 褐色の肌の宰相代行と、日に焼けた肌の後輩メイド。

 シルエットにさしたる違いは無かったが、その性格はと言うと真逆と言って良かった。――それは或いはルドミラの持つ白い髪と、ケイの持つ黒い髪のそれぞれの様に。

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