セシリア-2-
『このネカマ野郎が!』
罵声の言葉から既に3年。恨み辛みを薄れさせるのに十分な時間が経っても少年の目標が変わることはなかった。
凄まじいまでの執念が一体どこから来るのか。きっと、協力者がいなければ途中で挫折していたことだろう。
彼らの罵倒の数々を忘れた日はない。理不尽な仕打ちの数々を許すつもりもない。
だけど今となっては感謝すらしていた。こうしてネカマとして覚醒を果たせたのだから。
今の彼の心境を語るとこうなる。
『あの時の皆様、今更になりますが本当にありがとうございます!
皆様のおかげで今日、プロネカマとして『World's End Online』で名を馳せるに至りました!
聞け、世に溢れる直結厨どもよ!
粛清の日は近い!
虐げられた白ネカマだった俺がプロネカマとなり世界に混沌と絶望をもたらすのだ!
恐れ、そして慄くが良い! ふぅははははははははははははははは!
かつて散々な言葉で嘲った奴らと同じ根を持つ輩への復讐。つまりはただの自己満足の宴を楽しむが良い!
この身を女と思い慕う連中どもに真実を告げ絶望の淵に叩き落したのち、今度はこちらから、世界の中心で声高々に叫ぼう!
ざっまぁぁぁぁぁぁ! ねぇねぇ、男と愛を語らってたって知って今どんな気持ち? ねぇねぇ今どんな気持ち!?
セシリアさんってリアルもほんわかした温かい女性なんでしょうねとか真顔で言ってたけど、掠りもしない正反対の腹黒ネカマだったわけだけどさ、ねぇねぇ今どんな気持ち! 教えて教えて!
今まで君達が囁いた愛の言葉の数々は余すことなく録画してありますからね!
全部ネットに流してやんよ!
コメ付き動画サイトで生放送して解説までつけてやんよ!
一生ゲーム内でネカマに騙されて歯の浮くような口説き文句を垂れ流した可愛そうな人として後ろ指をさされ笑われながら生きるがいい!』
完全にこじれきっているのは、もはや言うまでもないだろう。
アバター総選挙の優勝を飾ったことが猛烈な後押しになり、僅か1年という期間しかなかったにも関わらず、今では覚えきれないほどの信者に囲まれている。
収支管理の為に纏めた貢物リストのエクセルファイルは立ち上げるのが億劫なサイズだ。
見た目の良さ、作ってる性格の良さから、少年のリアルをお淑やかな箱入りお嬢様と妄信している奴は多い。いや、妄信させたというべきか。
だから少年がネカマの布教用に作成したダミーブログで『今度のオフラインイベントへ一緒に行きませんか?』と宣言した瞬間、驚くべき人数からの応募があった。
公式のイベントにかこつけたオフ会である。
この場を利用し全てをカミングアウトすることで『World's End Online』史上に名を遺す偉業を打ち立てるのだ。
用意した資料を考えれば祭りが1日で終わるとも思えない。
まだまだやるべき事は残っているが、復讐の完遂はまず間違いないだろう。
これまでの血が滲むような努力がようやく実を結ぶのだ。
流石に全員を一か所に集める事なんてできるわけもないので10人程度まで絞った。
有名な信者、ネトゲ界の情報を配信しているサイトの管理人、動画サイトで有名な配信者など、人選には情報を多数の第三者へ拡散する伝手を持った相手に拘ったつもりだ。
特に信者が多すぎると、怒り狂った暁に刺されるかもわからないので気をつけなければならない。
何せ彼らのデイバッグの中には縄や睡眠薬、ねとねとする液体を始めとした犯罪グッズが詰め込まれていないとも限らないのだ。
いや、断言しよう。絶対にやばいものが詰まっていると。
入念に準備を整えながら迎えた作戦決行の当日。協力者に散々外出を強要されたおかげで外に出ることに慣れつつある。もはや引きこもりの定義から外れているのかもしれない。
ただ、今日ばかりは気が沈むことも、憂鬱げな溜息を吐くこともなかった。
今までの人生で一番イイ笑顔を浮かべながらハイテンションで待ち合わせ場所に向かう。
イベント会場から少しばかり距離を置いた駅前のターミナルを指定したのだけど、端末片手に柱やら壁やらに寄りかかった黒服の男が大量に湧いていた。
「なにこれ怖い、超怖い、まるで台所に出てくるかさこそ動くあれじゃん。若干きもい」
通勤途中の人ガン見してるから、女子校生とか写メ取ってるから、主婦とか子供に見ちゃだめって囁いてるから。
しかし彼らはそんな余人の視線に少しも気を払わず、ただ一点だけを、集合場所に指定した歩道橋の柱を凝視している。
5分前に指定場所へ訪れると、10人のはずが30人は集まっていた。どうしてこうなったなんて考えるまでもあるまい。
開催場所を告知した内の誰かが情報を漏らしたのだ。
周りを見渡せば物陰からこちらを監視している人までいる始末である。
どうやら多数のオチャーまで派遣されているらしい。
一言で表すなら「異様」の二文字が最も合う。通報されるのも時間の問題だろうか。
想定以上の人数に少年は一瞬の躊躇いを見せたものの、覚悟を決めて足を踏み出す。
計画は万全だ。破綻はあり得ない。逃走経路だってばっちり考えている。
赤の他人に『こんちゃーす』と声をかけたのは何年ぶりだろうか。
『でゅふふ、君も参加者でござるか』とか聞かれた。テンションは上がりっぱなしだった。
『でゅふふ、そっす』と返すと互いにでゅふでゅふ笑いあう。なにここ異空間なんですけど。
「もう全員集まってますか?」
普段の引きこもりに加えて人見知りのきらいまであるというのに、今日だけは怯みも噛みもせず、するすると言葉が出てくる。練習した甲斐があったという事か。
活力もアドレナリンも初めから全開で、多分今が人生で一番輝いてる瞬間だ。
それはそれでどうなんだろうと思いはするが、少年は気にしないことに決めた。
「まだセシリアたんが来てないでござる。きっともう少しで来るでござるよ」
でゅふふふふ。なんだ、なら全員いるではござらんか。
「今のうちによかったらキャラネーム教えてもらってもいいっすか?」
少年が自然と切り出して誰が誰だかを整理する。この場に呼ばれていない奴も多数居た。
たまたま通りかかったから参加したいとか死ねばいいのに、なんだその偶然、ただの必然だろ。
しかも名前を聞けば『ワイルド・キャット』との戦闘を妨害してくださった方々だ。
どこかそわそわした様子で、ガイアにもっと輝けと囁やかれた様な恰好をしている。明らかに異質だ。
でもま、今は寛大な心で許そうじゃないかと少年はほくそ笑む。
「ちょっとみんなに聞いてほしいことがあるんすよ」
何度か大きく深呼吸して空咳をした後、これ以上ない笑顔を作る。
「おうふ、唐突にどうしたでござるか」
それとなく背後の退路を確保してから、少年はいよいよ復讐劇の幕を引き上げにかかった。
「アベルさんから頂いた死神の宝珠はいいお金になりました!」
少年の口から飛び出した言葉に、キャラネームをアベルと名乗った幸の薄そうな青年がぎしりと硬直した。
「リザイアさんから頂いた女神の涙もいいお金になりました!」
再び出てきた名前に同じくリザイアと名乗った中年の男性が目を剥く。
それから次、また次。気にも留めずに続ける端からみんな硬直してしまった。耐性ないなぁと他人事のように嘲笑う。
最終的に集まっていた全員へ『セシリア』しか知らないはずの最近貢がれたアイテムとその用途―全て売却済み―を告げると、場は完全な静寂に包まれる。
「どういうことでござるか……」
初めに話しかけた小太りの男性が震える声色で尋ねる。
「もう、いい加減気づいてよねっ。おっすおらセシリア、よろしくな! というわけで、君たちはネカマにせっせと貢いでた訳でござるよ。何が言いたいかっていうと……」
一度言葉を区切ってから大きく息を吸う。
歓喜で昂る感情に全身が震えていた。ようやくだ。ようやくこの台詞を口にする日が来たのだ。
さて、それでは世界の中心で叫びましょうかね。
「ざっまぁあああぁあぁぁぁッ! ネカマに騙されてほいほい貢いで、ねぇねぇ今どんな気持ちwww どんな気持ちですかーwww」
逃げた。ひたすら逃げた。逆上した直結厨はどうも現実とゲームの区別がつかないらしい。
ここでもし少年が殴られ怪我でもすれば世間はこぞってゲーム脳を叩く流れに傾くだろう。
それはダメだ! ゲームが悪いわけではない、何もかも人が悪いのだ。
世界の為にも、ゲームを愛する60億人の為にも逃げなければならない! と都合のいい妄想が少年の脳内劇場で繰り広げられる。
敵は団子状態で我先に追いかけてくるから今のところ危険はないけど、足の速い誰かが突出するのは時間の問題。
引きこもってばかりの少年は走って逃げられるなんて幻想を抱いているはずもなく、すぐ近くの路肩に泊められた車のドアが少年を招き入れるかのように開いた。
「乗った、出して!」
助手席に乗り込みシートベルトを引いた瞬間から車体は一気に加速。追いかけてくる直結厨達から大きく距離をとる。
街中で奇声を上げて走る彼らが通報されるのは時間の問題だろう。
「レンタカーだからナンバーが拡散されても気にしないけど、変なのに追いかけられるのは困るしちょっと振り切るよ」
運転席でハンドルを握る年若い女性がそう言い放つと、車はランダムにカーブを介しながら突き進む。
「ありがと、乗り込みの練習しておいて良かったぁ」
たった十メートル程度の距離を走っただけなのに少年の心臓は今にも爆発しそうだった。
一世一代の晴れ舞台というにはいささか内容が酷い気もするけれど、文句なしの大成功に頬が緩む。
「折角なら女装して近づいたうえで男だってばらせばもっと盛り上がったと思うけどなー」
運転席の女性はそんな少年の様子をちらりと盗み見ると未練の残る声でこれ見よがしに呟いた。
「絶対嫌だし……。ていうか男だって思われなかったらどうするのさ」
「あらー、自信満々じゃない。流石プロネカマさん、現実でも十分通用するってことね」
「そう仕込んだのはどなたでしたっけね」
「ま、その時は手を握ってナニを触らせれば理解してくれるんじゃない?」
「絶対に嫌です。これ以上トラウマを増やそうとしないでください」
彼女は家族でも友人……でもない。少年を庇ったネナベにして現役女子大生の協力者である。
訓練と称して行われたえげつない行為の数々は記憶に新しい。見た目は長い黒髪をハーフアップに編み込んだ清楚なお嬢様だというのに遠慮というものがないのだ。
初めて会った時には年上の綺麗なお姉さん然とした姿に随分と緊張したものだが、2度目に会う時はすっかりと残念さを理解させられ今に至る。
きっと金輪際、少年が彼女に特別な感情を抱くことはないだろう。当然、ネカマとしての指南を頼まれた女性にしても同じことを思っているであろうが。
それくらい、彼女と少年のファーストコンタクトは色々な問題に満ち溢れていた。一刻も早く記憶の彼方に忘却したいと思うくらいには。
助手席で揺られながら携帯端末で某巨大掲示板を覗いてみると既に先ほどの激白に関してのスレが幾つも立っていた。
書かれている情報は見事に錯綜しており、セシリアが男だと分かった派と嘘情報乙派で分かれているようだ。
まずは携帯端末で録画した先程の告白の一部始終のデータをサーバーにアップロードする。
きちんと再生できることを確認してからスレに投下した。立ち位置的に本人が撮影していたのが分かるはずである。
10分後には板が落ちそうになるほどのカオスが舞い降りた。
情報が入り乱れスレは20分も掛からずに1000を越え、てんやわんやの大騒ぎになる。
現時点では少年の目論見通りに事が進んでいた。寧ろ完璧すぎて怖い程である。
だがまだだ。大部分はこれが第三者のねつ造だと、偽の情報だと否定しにかかっている頭の固い輩のようだ。
オフ会に参加できなかった哀れな男共が妬みで作った完成度の低い自作自演に違いないと決めてかかっている。
少年は誓う。いいぜ、てめえが妄想に溺れるっていうなら、まずはそのふざけた妄想をぶち殺す(笑)。
おおよそ一時間のドライブを経て少年は家の近くまで送り届けられた。
「じゃ、私はこれを返してくるから。また夜にゲーム内で」
手を振る協力者に向かって、少年は暫し考え込んだ後、ぺこりと頭を下げた。
「……今まで色々とありがとうございました」
2人は計画の為に手を組んで今までやってきたのだ。完遂すればもう二度と会うこともないかもしれないと思うと、生身の人間に直接お礼を言える最後の機会だった。
「こちらこそ楽しませてもらえたわ。でも本番はまだでしょ? 楽しみにしてるから」
「もちろん」
彼女は少年の返事に一度だけ頷いてから車を発進させる。随分とドライな別れ方だがこれくらいが丁度いいとも感じていた。
残りのフェーズはすべて家から行える。もはや誰にも止めることは叶うまい。
まず少年はセシリアの布教用に使っていたリアル情報を小出しにするブログに事の顛末を書き込んだ。
文章の末尾には話がしたい人は17時に幻想桜の木の下にログインしてねと残す。
セシリアから公式の発表があったことで捏造だと決め込んでいたスレは更なるカオスの様相を呈し、もはや流れを追うのは困難になった。
いずれ纏めが作られたら読めばいいか、とスレを閉じ、コツコツ撮り溜めていたセシリアへの告白全集を見直しながら、さてどういうコメントをつけて生放送するべきか、と頭を悩ませる。
全ての直結厨に制裁を!
彼の飽くなきネカマへの拘りはすべてこの日、この瞬間の為にあった。
虐げられた我々の恨みを、痛みを、今日からは彼らが背負う番になる。
愛の告白、凄いと思われたいが為の各種ミサワ台詞、貢物リスト。準備はとっくに万端で、後は午後五時の瞬間を待つばかり。
最終チェックに念を押していると微かなアラーム音が鳴り響く。
どれだけ集中していたのか、いつの間にか約束の時間の5分前になっていた。
喉からは勝手にくつくつと笑い声が溢れ出し、脳汁がどばどば垂れ流れ、ハイテンションを乗算したかのような気持ちで少年はヘッドセット被る。
「さぁ、最後の仕事を始めましょうか」
既に慣れ親しんだ意識の変革。セシリアの口調によって紡がれた言葉が少年の意識をパチリと切り替える。
今この瞬間に自分はセシリアとなったのだと自覚しながらフルダイブシステムを起動した。
本当に楽しい気分だった。
3年分の抑圧が一気に解放されたようなものだ。
彼らが泣き叫ぶ姿も、絶望に染まる姿も、激昂する姿も、あらゆる事象が少年にとっての快楽になりえる。
罵りたければ罵るがいい。
幾ら喚いても叫んでもこれはただのゲーム。殴られようと魔法を使われようと現実に影響があるわけではない。
ハラスメント行為と認定され勝手にBANでもなんでもされてしまえ。
絶対の安全圏から直結厨を見下し、愉悦に浸りながら罵詈雑言を並べ立て、復讐はようやく幕を閉じるのだ。
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