セシリア-1-
薄暗い部屋の中で目を覚ました少年は深い溜息を吐きつつ頭を覆うヘッドギアを外すとだるそうに起き上がる。
直後、まるで示し合わせたかのようなタイミングでデスクトップPCのスピーカーから音声が流れた。
「お勤ご苦労さま」
一度大きく伸びをした後にベッドを降り、つけっぱなしのデスクトップに歩み寄ってマイクつきのヘッドホンを被る。
「今日は普通の人だったけどね。常識的な範囲で真剣に迫られるのはちょっと罪悪感あるかも」
フルダイブシステムを使った直後は深い眠りから強制的に起こされたような不快感を伴う事も多い。
少年が生あくびを噛み殺しながら答えると、ネットワークの向こうにいる相手は実に楽しそうにからからと笑った。
「しっかし良い趣味してるよ。それで、例のイベントの日取りはもう決まったの?」
「うん。来週の土曜日、朝11時決行の予定。ここまで十全に準備してきたし、ストックも十分にたまったから。これ以上続けてもリスクが増えるだけだと思う」
「そっか。まさか誰もセシリアの『中身』がこんな奴だとは思ってないだろうし、今から何が起こるか楽しみで仕方ないよ」
「盛大な祭りになる。ううん、してみせる! 楽しみにしててよね」
そう言って少年もまた悪巧みを思いついた子どものようにくすりと笑みを漏らした。
先の世界の出来事が、並々ならぬ努力の末に作り出した少年のもう一つの顔である。
目的はあの日から少しも変わっていない。
かつて女キャラを使っていただけの自分を一方的に『ネカマ』と罵り、あろうことか擁護してくれた知人にまで害を及ぼすような、下半身でしか物事を考えられない直結厨への復讐である。
彼らがネカマと罵るなら本物のネカマになってやる。その上で多くの直結厨達をたぶらかし地獄と絶望の底に突き落としてやるのだ。
少年はその為だけに多くの歳月を費やし、多くのことを学んできた。
例えば、ネカマについて。
ネカマとはネットオカマの略である。
その名の通り、インターネットを始めとした電子上の世界で、現実の性別が男性であるにもかかわらず女性だと偽る人達へ送られる名誉ある称号だ。
当然ながらこの称号は生粋の男性にしか与えられない。
女性が性別を男と偽ってもそれはネットオナベ、略してネナベという別の生き物になってしまうからだ。
どちらも『現実とは異なる性別を名乗る』という点では同じなのだけれど根本からして扱いが違うのが面白いところである。
言うなれば『汚らわしいドブネズミ』と『愛らしいハムスター』であろうか。
勿論、ネカマがドブネズミでネナベがハムスターである。
本質的には同じ行為であっても、女性専用車両があるのに男性専用車両が存在しないように、レディースデーが受け入れられてメンズデーが批判されるように、男性が女性と偽るネカマには市民権が認められていない。
判明すればかつての少年のように迫害され、虐げられ、晒しあげられ、笑い者にされる運命にある。
反してネナベは判明しても喜ばれるケースが多く、手厚く保護される例は枚挙に暇がないが迫害されることは稀有と言っていい。
両者にここまで酷い格差があるのは何故か。勝手な期待を抱く男どもが数多いからだ。
男性であれば少なからず可愛らしい女性とお近づきになりたいと思うものだ。
学校でも会社でもそれは変わらないが、とりわけ仮想世界におけるゲームの中ではそうした欲求がより顕著になる。
お互いの顔も素性も知らない分だけ現実のしがらみに捕らわれず交流できるし、同じゲームという共通点が大前提として備わっているので会話に困ったりもしないからだ。
誰だって趣味の合う人間の方が付き合いやすい。同じ目的で集まっている集団が打ち解けやすいのも当然と言える。
特に完全感覚同期(フルダイブ)機構(システム)で作られた『World's End Online』のキャラは恐ろしいほど精緻でリアルだ。
おまけに現実と仮想世界の性別が異なることにより何らかの問題が起こるのではないかと懸念されている影響でアカウントの申し込み時に送付した住民票の性別しか選択できなくなっている。
要するに現実の性別が男なら男キャラしか、女なら女キャラしか使うことが出来ないのだ。
例外的にネット上でべらぼうに高いアカウントを買うか、もしくはVRMMOに興味のない兄妹が居れば名前を借りる事で異性アカウントを作る抜け道は存在している。
ただし、そうした抜け道を利用した際に何らかの不具合が生じたとしても企業は一切の責任を取らないとゲーム開始時にアナウンスされていた。
とはいえ、普通に遊ぶだけなら『World's End Online』の中で性差を意識する機会はない。
性的なあれこれに関する機能が実装されていない上、相手に一定以上の力で触れようとするとハラスメント行為として強制ノックバックが発生するからだ。
場合によってはGMコールを使われ監獄部屋へご案内、説教の後お金やアイテムの剥奪、最悪アカウントの永久停止(BAN)さえあり得る。
プレイヤーにとってアカウントの永久停止は悪夢だ。
品薄のロットを確保できたとしても同じ住所と氏名では再登録できないから、転居するか別の誰かの名前を借りる必要が出てくる。
だからどんなプレイヤーでも、例えば【ワイルド・キャット】の討伐を妨害してきた悪名高い彼らでさえも、規約違反に接触する行為だけは絶対にしてこない。
襲う事も襲われる事も不可能。自他ともに刺激を与える事も不可能。
脳の信号を全て管理できる完全感覚同期(フルダイブ)機構(システム)に例外はない。
そもそも痛覚の相互変換機能は危険だとされている事から、『World's End Online』の触覚及び感覚機能は限定的にしか実装されていないのだ。
モンスターからダメージを受けても『あ、今なんかちょっと押されたっぽい』程度の緩やかな衝撃で表現されている。
一部のプレイヤーは盛大に嘆いている仕様だが、この手の機能に関しては実装しない方が平和であろう。
なにせ、MMORPGでは2D時代からチャHや見抜きなる文化が形成されていたのだ。
もしVRでこれらの機能が実装されれば法規制のメスが加速するのは想像に難くない。
そもそもオンラインゲーム界隈には女性が圧倒的に少ない。
『World's End Online』ではネカマもアカウント剥奪の可能性を考慮すると手を出すのに相当のリスクを伴う。
そういった理由から『World's End Online』は女性キャラの比率が極端に少なくなっていた。
可憐な容姿をしたプレイヤーキャラクターに恋愛感情を抱く輩は腐るほどたくさん居る。
今までのMMORPGにも出会い厨、直結厨と呼ばれる、下半身と脳みそが繋がったエロスの権化とも言うべき残念な方々は沢山いたが、史上初のVR技術であることも手伝って輪をかけた多さになっていた。
少年が復讐の舞台に準備の手間が増えてでもVRMMOを選んだのはそんな理由も含まれている
MMORPGの楽しみ方は千差万別、十人十色、かくあるべきと言う定義は存在しない。
リアルを生贄に捧げ廃人となり一般ユーザーを背景に俺つえええええを満喫してもいいし、生産職で俺すげえええええを満喫してもいい。
初心者同士で集まって少しずつレベルアップしていくのも乙なものだし、リア友同士で馬鹿笑いしながらプレイするのだって楽しいだろう。
故に、少年が全力でネカマプレイをするのだって楽しみ方の一つのと言えなくもない。
実際、他のゲームのキャラになりきってロールプレイをする集団も居るくらいだ。
一口に『ネカマ』と言っても種類は色々とある。
大まかに分ければ『黒ネカマ』、『白ネカマ』、『プロネカマ』の3カテゴリだろう。
黒ネカマは地雷の頂点であり、迷惑プレイヤーの筆頭でもあり、トラブルメーカーの代名詞でもある。
見かけたら好きなだけ貶そうが罵ろうが好きにしていい。ただしBANされても責任は取れないが。
彼等は一様に貢がれる事、ちやほやされる事を目的に「女の子」を演じている。
別にそれ自体をどうこう言うつもりはない。それだって一つの楽しみ方だからだ。
画面の向こうに居るのが30、40代のおっさんだろうと、中身は男、性格はテンプレ的性悪女というゲテモノ趣味をチヤホヤしようと、迷惑さえかけなければそれでいい。
そう、迷惑さえかけなければ。
しかし調子に乗った黒ネカマは大抵が周囲に大災害を振りまく悪鬼が如き存在に進化してしまうのだ。無論、Bボタンキャンセルなんて都合の良い機能はない。
黒ネカマが欲しいのはレアアイテムや周囲の人望といった、自分の利益に直結する立場だ。
よって、自分のギルドやパーティーを始めとするコミュニティーに他の女性が加わる事を毛嫌いする傾向にある。
ふとした拍子に女性にしか分からない質問をされて答えたところ、てんで的外れだった事からネカマがばれることだってあるし、折角作った取り巻きが第三者の女性に流れてしまったらちやほやして貰えない。
故に、彼等は自分の地位を守るべくリアル女性を迫害する事がままあるのだ。
面倒な仕事を押し付ける、小さなミスを突く、悪口を言い触らすといった陰湿な手管ばかりが唯一の女性らしさでは目も当てられない。
男なら『あたしの花園に入ってこないで!』くらい、ドストレートに告げて欲しいものだ。
他にも殆ど口をきいたことのない相手がレア装備を手に入れたと知るやいなや、厚顔無恥さを前面に押し出してアイテムを強請り始める光景もよく見られる。
「レア装備持ってるんだってね、貸してほしいなぁ」は黒ネカマの伝家の宝刀であり、「姫ちゃんが借りたがってるんだから少しくらいいいだろ、空気嫁」は取り巻きの常套句だ。
どちらも脳みそがいい具合に発酵しているとしか思えない。キャラを発光(*1)させる前に脳を発酵させてどうするのか。
勿論高額な装備をほいほいと他人に貸すプレイヤーはそう居ない。相手が取り巻きを侍らせているとすれば尚更だ。
警戒して担保があるなら貸してもいいと返せば、「ケチ! 信じられない」と平気で仰る腐った根性には眩暈を感じざるを得ない。
ネトゲに慣れていないお人好しだと要求に応じて貸してしまう事もあり、総じて悲惨な展開を辿ってしまう。
何故なら黒ネカマにとって『借りる』と『貰う』は同義であり、貸した装備が返って来る確率はボスのレアドロップよりずっと低いからだ。
それどころか返さないのを正当化するケースも少なくない。言い訳は決まってこうだ。
「ごめん、借りてたアイテムを倉庫に入れたらロストしちゃった><;。でもあたし悪くないよね;▽;? 悪いのは運営だもん! だから弁済なんてしないよっ! あ、ところで最近レアでたから借りたのと同じアイテム買えちゃったんだ♪」
訳が分からないかもしれないが受け入れてほしい。これが黒ネカマの日常なのだ。
取り巻きどもに聞きたい。お前らこいつのどこがいいの? と。
といっても、下半身が脳みそなお方に聞いたところでまともな答えなど返ってくるはずもないが。
もしくは取り巻きに扮したオチャー(*2)でした、というオチがつくかのどちらかだろう。
こうした黒ネカマがいかに有害な産業廃棄物であるか良く理解していただけたと思う。
もし見かけても興味本位で関わらない事をお勧めしたい。付かず離れずで見守っている分には面白いかもしれないが。
ネカマに悪しきイメージが付き纏うのはこうした輩の責任によるところが大きい。
対する白ネカマはさして特徴がない、路傍の石ころのような存在なのでもし見つけてもそっとしてあげて欲しい。
初めてのネトゲだったので丁寧語を使っていたらいつの間にか女認定されてしまい、なんとなく否定できない雰囲気になってしまったプレイヤーが大半を占める。
女アッピルしたとしても黒ネカマのように周りへ迷惑をかけたりしないのが特徴だ。
貢がれそうになっても断るし、誰かに装備を強請る事もなければ、誰かを迫害したりすることもない。
出会い目的でないプレイヤーからすると、物腰が丁寧で大人の対応を貫く白ネカマは一緒に過ごしていて負担も少ない充実した時間を共有できるだろう。
ただ、この手のタイプは一見すると物静かで大人しそうなイメージが付き纏う為、直結に絡まれることも多い。
そういう時はそっと手を差し伸べてあげると好感度が上がり、場合によってはフラグが立つかもしれない。
或いは古きよきネカマ、と表現する事もできる。ネットアイドルのようなものだ。
そして最後はプロネカマ。少年が目指すべき到達点として掲げたある種の境地だ。
廃人はレベル上げやレアアイテムの獲得に時間と金、時には誇りや睡眠時間(いのち)ですら惜しむことなくつぎ込む。
だがプロネカマはゲーム内で最高の女性を演じることに最大限の時間と金、誇りや命を惜しむことなくつぎ込む。
奇人? 変人? そうした言葉を彼等は否定しないどころか、最上級の褒め言葉として承るだろう。
あくなき探求と研究、理想の実現の為とあらばゲームの内外を問わずあらゆる努力を欠かさない。
生半可な覚悟ではなく完全無欠の女性をロールプレイし続ける人達を総じて『プロネカマ』と言う。
ネカマとしての拘りは山より高く海溝よりも深い。胸の中に熱く滾る想いは宇宙のエントロピーさえ凌駕しよう。
プロネカマとネカマの違いがどこにあるかと聞かれた時、真っ先に上げられるのは知識量の差だろう。
要するに見破られるのはただのネカマ、全く見破られないのがよく訓練されたプロネカマという事だ。
男性と女性は違う。
小学生中学年程度までは似通った知識だとしても、そこから大人になるにつれて得なければならない知識に深い隔たりが生まれるのだ。
メジャーなところで言えば化粧品や服装。
普段自分が使わない品物の知識がある人はそう居ないだろう。これが両者の明確な差異だ。
故に、プロネカマはこういった知識の差を埋めるところから始まる。
自分がどんな性格で、どんな人生を歩んできたのかを架空の設定として作り上げ、もう一人の自分を描き出す。
足りない知識は山ほどある。それを一つ一つ丁寧に身につけ、より完璧な理想に近づける。
女性が集うチャットルームは模擬戦であり試験会場でもある。日夜足を運んで積極的に会話に参加してもボロを出さないか何度も何度も突撃しては反省点を纏めて次に活かす。
どうしてそこまでするのかと問われればこう答えよう。
それがネカマを演(や)るという事なのだ、と。
プロネカマを目指すのであれば下手な恥など早々にかなぐり捨てるべきである。
よって、化粧品なんて使わなーいという発言は全国のネカマと女性に100回転生して土下座で謝っても足りない。
確かに使わない人はいる。だから女性が使わないと言う分には全く問題ない。
だが、ネカマが知識不足から使わないと言うのはただの怠慢であり、職務放棄に等しい暴挙だ。
ネカマとは命をかけて演(や)るものであり、事前知識なしのなんちゃってネカマは今すぐ疾く去ぬべきである。
特に普段どんな服着るのという質問に、揃いも揃ってワンピと答えるのもマイナスだ。
無難ではあるのだろうが、果てしないファッションの世界が広がっているというのにそれだけで完結するのは愚の骨頂。
敢えて言おう。馬鹿の一つ覚えか、ネカマじゃなくて海賊王にでもなってろ、と。
他にも女アッピルの手段として「あたし今生理で機嫌悪いの」と平気でのたまう奴も死ねばいい。
この話題で食いつくのはよく訓練されたオチャー(*2)か直結厨だけで、大抵の一般人は画面の向こうでドン引いている。
その派生として安易な病弱アッピルを繰り返す輩も多い。
もうね、そんなに気分が悪いならネトゲなんてしてないでとっとと休めと。
もしこうした台詞を飽きもせず繰り返す輩が居るなら、それは間違いなく黒ネカマか黒姫だ。
関わり合いにならない方が良いと断言しよう。
吐きそうで辛いなんて口走る奴がいたら笑顔でこう言ってやると言い。
『よう、ゲロ吐き大将軍! 元気か!』と。
そのギルドに居場所は無くなるが、オチャーから惜しみない称賛を得られるはずだ。
ネカマの定義が本来の性別が男なのに女と偽る行為だと説明したと思う。
けれど、自分から『女の子です』と周りに触れ回る時点でプロネカマ的にはアウトー、はい死んだよー! 今ネカマルート死んだよー! と言わざるを得ない。
周りに女性と言ったから女性と思われる。当たり前すぎて全く面白みがない。
目指すべき至高はそんな低次元のハードルでいいのか? 違うだろう?
こんなちっぽけなハードルじゃ萌えたぎる熱いパトスは満たされないだろう?
本当の高みを目指すなら女キャラを使いつつも中身は男だと公言して回るべきなのだ。
ネカマの定義と矛盾しているんじゃないかと思うなかれ。
普段の会話で「あれ、自分じゃ男なんて言ってるけど、本当は女の子なんじゃないの?」と自然に思わせるのが目指すべき極致だと言っているのだ。
人間という生き物は実に都合よくできていて、他人の意見よりも自分の意見の方が正しいと新られるようにできている。
『女です』、と言えば『本当か?』と疑われるが、『男だ』と言って女っぽい言動、行動、話題を提供していれば、逆に『本当に男なのか?』と疑ってくれる寸法だ。
それが積み重なり、いつしか相手の中で「違うだろ、こいつは絶対に女だ」と変わった瞬間、思い込みは絶対的な妄信と化し、否定しようとさえ思わなくなる。
女キャラを使いながら中身が男ですと公言するリアル女性は潜在的に多いのだ。
女性とバレてもネトゲじゃ姫プレイでもしない限りいい事なんてないから、身を守るためにも男性と詐称するべきと指南書に書かれていることさえある。
つまり女性と公言する奴は初心者か、よほどの天然か、性別を利用しようと考えている地雷のいずれかに該当する。
ならばこその「男」発言。
自分の身を守ってるんだなと思わせつつ親密度を稼いだ所で『実は女なんです、騙しててごめんなさい』と言う。これがプロの犯行である。
ネカマをしていれば自然と取り巻きができるし、周囲の黒姫、黒ネカマからの反感を買って晒されることもままある。
初めから男を公言していれば、晒されても「そいつ自分で男って言ってるじゃん、妬み乙」的な第三者のフォローも期待できるのだ。
他に大きな問題を起こしていないとなればなおさら。
その後に「絶対中身女だけどな」と尾ひれが付くようになれば目指すべき極致へ足を踏み入れたことになる。
一方で信者は「俺だけは彼女が本当は女性だって真実を知ってるんだ」という優越感に浸れることでますます親密さを感じてくれるわけだ。
掴まされた真実が偽物だとは微塵も考えずに。
これぞまさに一石三鳥の極意。
欲しいアイテムが出た時に催促するネカマなんてのも盛りのついた犬と同じ。否、犬ほど可愛くないからそれ以下のゲテモノだと断言しよう。
言わなきゃもらえない時点でネカマなんて辞めてしまえ。既にランク外だ。
きっとアイテムを貰うばかりで何のお返しもしてこなかったのだろう。ネカマとして実に怠惰である。
親密度大量獲得のイベントが大口開けて待ってるのに稼がずして何がネカマか。
貰ったアイテムの転売は基本だが、売り上げの大部分は使わずに貯めておくに限る。
ネトゲをやっていれば誰しも一度くらい欲しいアイテムがあるのに手持ちが足りない事態に遭遇したことだろう。
アイテムをくれた誰かだって同じだ。そういう時にこっそり用意して渡してやれないで何がネカマか。
○○さんにはいつも助けてもらってるから、みたいな感じで頬を染めつつ渡すまで行ってようやく50点。
渡す金額は今まで貰ったアイテムより価値が劣る範囲で選択できて+10点。
誰から何を貰ったのかをきちんと帳簿で管理し、誰が何を欲しがっているのか小まめに目を光らせつつ、月ごとの収支は常にプラスを維持させる。ここまでできて+20点。
人間は見返りがあるから頑張れる生き物なのだ。
互いにプレゼントを交換する一連の行為は奇妙な連帯感と言うか、幸福感というか、また何か渡してあげようという雰囲気を作ってくれる。
何も言わずとも彼らはこれがギブ&テイクだと思い込んでくれるのだ。
現実はイーブンどころかこっちが常にプラスになってるのだが、本人が幸せならわざわざ言う必要はあるまい。
困ってる時に手を差し伸べてくれれば誰だって嬉しい。
それが少なからず想いを寄せている相手だったら尚の事だろう。差額は気を払うサービス料として懐にしまっても文句はあるまい。
それからプロネカマたるもの、取り巻きの扱いにも注意を払わねばならない。
知名度が上がり交友の輪が広がると頭が宜しくない連中も紛れ込んでくるので時々暴走する。いわゆる、直結厨である。
何せ彼らの脳みそは下半身についているのだ。正常な思考など望むべくもない。
取り巻き同士で争うのはともかく、狩場でちょっとばかしタゲ被りした相手にねちねちと文句言ったりするのは論外である。
こんな時に頭の足りない姫やら黒ネカマは身内を優遇する愚を犯すのだが、ぶれない糞っぷりは称賛に値するとしても、ネカマとしてこの選択だけはありえない。
プロネカマに必要なのは常識的な判断であり、あからさまな悪に対して、例え身内とはいえ肩を持ってはならないのだ。
こっちが悪ければ謝ること。見ず知らずの第三者に悪印象を持たれて良い事なんて何一つない。
事を起こしたトラブルメイカーが不貞腐れることはあるけど、こちらは後で幾らでもフォローできるしその方が好感度も上がる。
自分の事しか考えられない奴に魅力なんて生まれるはずもないと知るべきなのだ。
プロネカマが目指すべきは『特定の誰か』にとっての理想じゃない。誰にとっても理想と思える存在である。
そうでなければ果たすべき目的に届かない。
次に気にするのはネカマにとって、いや、ネカマに限らずともプレイヤーにとって最も重要となるキャラクターのグラフィックだ。
ゲーム内のキャラ、或いはアバターと表現されるグラフィックはオンラインゲームの場合、自分でカスタマイズできるケースが多い。
『World's End Online』もその例に違わず、キャラクタークリエイト機能に定評のあるSAGAという大企業が全面的に監修した非常に充実した物になっている。
手間をかけたくない人は初回ログイン時のキャラクリエイト画面でパーツを選ぶだけでお手軽に作れるのだけれど、似たり寄ったり感は否めない。
満足のいかないプレイヤーにはもっと凝ったものを作れる専用グラフィックスソフトがあろうことか外付で用意されていた。
ローカル環境で細かい作りこんでからアバターデータとしてコンバート可能な3Dモデリング機能を搭載するという無茶っぷりである。
ゲーム内のキャラクリエイトで用意されているパレットやパーツは膨大だが、専用ソフトによる調整にはどうしたって勝てない。
しかしながら専用ソフトを使うには制作者の絵心のほか、難解な3D処理を始めとする高度な知識も相当必要になるので専門の企業に発注するのが基本だ。
特に発注者の欲望を存分に注ぎ込んだ完全オーダーメイドの需要は高く、安定した功績で知名度を高めているデザイン会社では常に待ちが発生していた。
専用ソフトで作成したアバターデータ登録は新規キャラクター作成時にしか行えず、細かな造形の再変更はキャラクターを消して作り直す必要があった。
運営もなるべくゲーム内で再変更できる機能を提供したいと話しているのだが、専用ツールを外付で作ったせいで精緻になった反面、機能として実装するのは難しいらしい。
キャラクターを作らなければゲームも始められない。しかし精緻なキャラクターを作ってくれる企業は予約でいっぱい。おまけに途中変更もできない。
ゲーマーなら分かると思うが、楽しみにしているゲームが今すぐできるのに指を咥えて待つのは大変な忍耐力を必要とする。
それが史上初のVRMMOならなおさらで、多少お金をかけてでも出来合いのアバターを企業へ発注しようという人は多かったのだ。
こうしたジレンマに挟まれたユーザーの大部分は数日と待っていられなかった。
デフォルトのキャラクタークリエイト機能を使うか、不慣れでも自分で専用ツールを使うかして、真っ先にゲームを始める選択をしたのである。
おかげでどこか似たような、没個性キャラクターが大部分を占めるのは否定できない。
有名企業の創り上げた精緻なアバターはそれだけで注目を集めるくらいだ。
ネカマとしての技量が足りず、正式サービスと同時に始められなかった少年にとってこの状況はプラスに働くこととなる。
仮想世界でも違和感なく女性として振る舞えるまで早くても半年、入念に鍛えるなら倍の1年近い猶予があるのだ。
これだけの時間をたった一つのアバターの作成に注ぎ込めるのは彼をおいて他にいない。
企業に基礎部分の発注をかける傍らで専用ツールの扱い方を理解し、2か月で納品されたデータを更にブラッシュアップし続ける。
専用ツールといえども、グラフィックに利用可能な容量は制限されてしまっている。
各制作会社はこの制限の中で表現できる最高を世に送り続けていた。納品されたキャラの出来も素晴らしく、そのまま使うだけでも十分な脚光を得られたはずだ。
しかし、専用のソフトで作り上げたグラフィックをアバターとして使うには『World's End Online』が認識できる特殊な拡張子にコンバートする必要が出てくる。
コンピュータと人間では情報の処理の仕方が違うのだからどうしようもないのだが、ソフトで作ったグラフィックをコンバートすると、どうしても余分なゴミ情報が詰まってしまいかなりの容量が無駄になるのだ。
例えば、おおよそ全ての拡張子にはヘッダー行という領域が用意されている。
このデータはこういう拡張子で、いついつ作られて、著作権は誰々で……といった情報が人の目に映らない部分に書き込まれているのだ。
それがなければファイル名や更新日時、作成日といった情報が分からなくなってしまうし、場合によっては破損したファイルとみなされ開けなくなる。
こうした重要なデータだけなら良いのだが、物によっては領域確保の為に無駄な空白文字が詰め込まれるケースもあるのだ。いわゆるゴミデータである。
少年にはそれがどうしても我慢ならなかった。
プロネカマたるもの、使用するアバターも至高でなければならない。
ゴミが入り混じったデータなど言語道断。認められない。認められるわけがない。
故に少年は専用ソフトを使って細部まで作り上げてからデータをコンバートした後、バイナリデータを直接編集する事で可能な限りの無駄を排除、最後の1バイトに至るまで情報を付け足した。
そんな真似が出来たのは彼がこのゲームの製作に一部とはいえ関わっていた事が大きい。
とある事情で家に引きこもるようになってからというもの、プログラムの勉強に寝る間も惜しむほどの心血を注いだのがきっかけだ。
才能もあったのだろう。気付けばフリーランスとして自宅で仕事を受注できるほどの技術を身に着けていた。
顔も知らない誰かにWEB上から仕事を依頼するクラウドソーシングが普及して久しい。銀行口座さえあればメールのやり取りだけで仕事を受けられる。
結果を残して実績を積めばリピーターも得られるし、そうしてできた繋がりから大口の仕事を任されることも多い。
今までの成果を買われ、よく仕事をくれるクライアントから『World's End Online』の機能作成を持ち掛けられたのは2年ほど前の話である。
送られてきた開発専用フルダイブシステムには一般にはない数多くのデバッグ機能が搭載されており、これがなければアバターのデータをバイナリ編集する事で無駄を最大まで省くなんて真似もできなかっただろう。
この1年は今までにないくらい充実した毎日だった。
少年が若くして引きこもりを認められ過度に干渉されてもいないのは、曲がりなりにも仕事をして金銭を稼ぎ、その一部を生活費として納めているからだ。
仕事は欠かせなかったし、ネカマとしての修練も山ほどあったし、時間を見つけてはできる限りアバターを弄ったし、本当に寝る暇もないくらいだった。
もうそろそろ本格的に計画を進めてもいいかもしれない。
踏ん切りがついたのは1周年を記念するイベントがゲーム内で告知された時だった。
第一回アバター総選挙。
専用ソフトを利用して作成されたアバター同士で最も出来のいいのは誰かを決める、ユーザー参加型の大型イベントである。
アバターは専門の企業に発注することが殆どで自作する人は少ない。
このゲームは容量の問題でキャラクタースロットも一つしかなく、アバターを変更するには一度キャラデータを削除しなければならなかった。
勿論そんな事をすればレベルは1に戻り、今までの苦労は水の泡。基本職からやり直しだ。
このイベントは専用ソフトを使っていない、ゲーム内のキャラクタークリエイトで作成したアバターでは参加できない為、応募してきたのは優勝すれば大きな宣伝になると踏んだ強豪デザイン会社ばかりだった。
ビジネスとして参加している会社は個人よりも時間やお金を存分につぎこめる。
予選は書類選考形式で、運営会社が応募されたアバターの完成度を総合的に判断するのだが、やはり突破した大部分は有名な製作会社で占められていた。
少年を含んだ個人参加者も幾人かは予選を突破したのだが、当日のサプライズの為にデータは公開されなかったのでゲーム内や掲示板でも話題に上がる事は殆どなく、期待されているとはとても言えない。
本選では予選通過したアバターが一人ずつイベント会場に姿を現してアピールを行い、最終的に参加者であるユーザーが投票する形式が取られた。
強豪会社が舞台上でアピールをする度に観客は黄色い歓声を木霊させるものの、個人参加の少年が登場してきた時は期待の声など1つもなかった。
これまでの個人参加者の出来が、悪くはないものの強豪会社には今一つ及ばなかったのも一つの原因であろう。
個人には資金力がない。趣味として作る以上、金銭的価値も生まれない。それに対して企業は作れば儲かる。
この差は埋め難いほどに大きい。
確かに趣味はあらゆる価値観を捨てさせる。
企業ではかけられない程の長い期間を注ぎ込む事だって出来る。
企業の力が資金力だというのなら、趣味の力はその逆、採算など気にも留めない純粋な欲望(あい)だろう。
しかしながら、この企画が告知されたのは僅か3か月前だった。
アバターの製作期間は短く、趣味が一番力を発揮できる長丁場はそもそも用意されていなかったのだ。
これでは企業陣が圧勝するのも頷ける。
ところが少年だけは趣味の持つ利点を存分に発揮できるだけの時間と、それを補佐して有り余る開発用フルダイブシステムという強力な武器を持っていた。
元より引きこもりである彼は企業が仕事で取りかかるのと同じ時間を費やせる。
否、残業という概念が存在しないのだからそれ以上だろう。
目的の為に1年という歳月を犠牲にして作り上げた『セシリア』というアバターに籠められた欲望(あい)が準備期間3か月の企業に負ける筈もない。
司会者の呼び声と共に壇上に現れたセシリアが少し歩いただけで観衆は怪訝な表情に変わり、一陣の風が吹き抜けた瞬間、先ほどの沈黙とは正反対の意味で言葉を失っていたのを見た時は、プロネカマを演じきっている少年でさえキャラを忘れて『ふぅはははは!』と叫びそうになった。
キャライメージの為に自重せざるを得なかったのは言うまでもなかろう。
アバターの中で一番表現しにくいのは髪の毛だ。
1本1本をきめ細かく作りこんでいたのでは容量が足りない為、どうしたってある程度の束になってしまう。
ユーザーはそれをスパゲッティヘアと揶揄していた。
暗黙の了解、改善のしようがない現実との相違点。そう言われてきたはずの要素が、壇上に上がったアバターの中でセシリアだけは違っていた。
風に躍った絹のような細さの長髪が一本一本までふわりと浮きあがる様を精緻に描写して見せる。
それだけでも瞠目に値する完成度だったが、データを編集及び圧縮する事で空けた容量に詰め込んだ総量は他人の限度の実に1.3倍。
表情にしろ動作にしろ、強豪だったデザイン会社を青どころか蒼白にさせるほどの圧倒的な完成度によって投票は完全な一極化を辿り、他の追随を許さない独壇場に終わった。
得票率59%。第二位の13%が不憫に思えるほどの完勝である。
こうしてセシリアは『World's End Online』デビュー当日から一つの伝説を打ち立てたのだ。
キャラ目当てで粘着を受ける事もあったし、罵倒される事もあったし、逆にべたべたされる事もあったが、知名度を得られた事で少年の計画はスタート時点で大きく前進する。
慌てず焦らず丁寧に人脈の形成とプロネカマとしての布教活動に勤しみ、優勝したアバターに対してではなく、中身についての専用スレが立ったのがつい半年前。
中堅層以上で『セシリア』の名を知らぬ者は殆ど居なくなる。
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