二章 二人の闖入者
祭の本番当日を、フキナラシと呼ぶ。
この日は村中が大わらわになる。当日に村人総出で祭具を作り上げなければならないし、しかもそれを夜に行われる本番の舞いまでに仕上げなければならない。
それに合わせ、風溜も最終準備に入る。
祭具作りが始まる前に、風太夫によって清めが行われる。前日滝から汲んだ水を桶に入れ、そこに塩を加えて祭文を上げながら風溜となった神社の部屋を回り水を振りかけていく。
次に風溜から見て鬼門の方角の小さな丘に簡素な祭壇を設け、幣帛を立て供物を供える。これと同時に裏鬼門の方角では筵を敷いて幣帛を立て、同様に供物を供える。鬼門が天よりの霊を下ろすのに対し、裏鬼門は大地の霊を迎える。
坂部が裏鬼門で他の壱師達と儀式を済ませると、まゆらが顔を見せに来た。
「お疲れ様です。やっぱりすごいなあ。出来れば舞いも見学したいです」
「舞いは見れないの?」
まゆらは力なく笑う。
「一応風流しを未然に防ぐために来てる訳ですから。舞いの間は村の中を警戒しないと」
昨日話した通り、風流しは祭の間――つまり本番の舞いも含まれる――に限定される。
「お、久遠さん。湯山の爺さんの家に泊まったんだって?」
宇津木が坂部とまゆらの会話に入ってきた。
「はい。湯山さんにはお世話になりっぱなしで」
「ははは。霊能者の先生なんだからそんなに謙遜しなくてもいいだろ」
それより坂部――と宇津木が声を低くして坂部に言葉を向ける。
「妙な奴が村をうろついてるって、聞いたか?」
「いや、聞いてないですけど」
「あの、それって私のことじゃ――ないですよね?」
まゆらが申し訳なさそうに言うと、宇津木は明るい声で違う違うと否定した。
「話じゃ若い男だって話だ。で――」
そこで宇津木はまゆらを疎むような目で見た。部外者の前では話しにくい話題なのかもしれない。
「あ、私のことはお気になさらずに」
愛想よく笑うが、その場を離れる気はないらしい。
宇津木は声を潜め、まゆらに聞かれないように坂部に耳打ちする。
「
「えっ! 村上の火事って――」
それは坂部達にとって、決して口にしてはならない話だ。
「なんですか、それ?」
宇津木が責めるような目付きで自分を見ていることに坂部は漸く気付いた。宇津木は声を潜めていたが、それを聞いた坂部は思わず大きな声で聞き返していたのだ。
しかしまゆらは村内の秘である風流しを知っている。どうせただでは帰せないのだから、話しても問題はないだろう。
「俺が生まれる前の話だけど……宇津木さんは生まれてましたっけ?」
「生まれてたけど、まだガキだったんで覚えてねえよ」
今から三十年以上前のことになるが、村の中で一番大きかった家が火事で全焼したことがあった。夜中で住人が全員眠っていたことから、家の中にいた人間は全員死亡した。
これだけの凄惨ではあるがありふれた話を村の中ですることは暗黙の了解で禁じられていた。どういう理由でかは若い部類に入る坂部は知らない。だが、厳しいタブーであることは身に染みている。
それをまゆらに伝えると、何か感じ入るように声を漏らした。
「とんでもない奴がいたもんですね。確かに今日は風の本番で村には人がたくさん入ってきますけど……」
「ああ、なんで村上の火事の話なんか――第一どこで聞いて知ったんだって話だよ」
「やあまゆらちゃん、久しぶりだね」
そこに場違いに大きな声が割って入った。
こちらに向かって歩いてきている若い男を見て、まゆらは言葉を失っている。
落ち窪んだ目に、それに見合った骨と皮ばかりの身体。防寒着で着ぶくれているのにすぐに病的に痩せていることがわかる。髪は薄い茶色で、乱雑に伸びている。
男は軽い足取りでまゆらの前まで来ると、底意地の悪そうな笑顔を見せた。
「ちょ――」
まゆらが何か言いかけるが、すぐさまそれを遮る。坂部達の方を向いて、口を開いた。
「ここは寒いですね。地球温暖化なんて言って、日本はもはや亜熱帯だなんて言い出す人もいますが、亜熱帯で雪が降るかって話ですよ。しかしヒートアイランド現象とドーナツ化現象って図で示されるとなんか似ててややこしいですよね。コンクリートジャングルを破壊しつくして原始に帰れと叫ぶ人が必要なんでしょうね」
それはそうと――男は支離滅裂な言葉をぽいと脇に放って、口を動かし続ける。
「一九七八年二月十八日にこの村で起こった火事についての話を伺いたいんですけど」
「あ、あんたか。変なことを聞いて回ってるのは」
「ちょ――」
まゆらがまた何かを言おうとするが、男は再びそれを遮った。
「名前というのは記号ですよ。使い手によっていか様にも意味を変えるし、ある人には意味があっても大多数の人にはまるで意味を成さない。DQNネーム――今はキラキラネームですか? あれも記号ですね。でも記号は一度設定されると変えるのは案外難しくて、特にそれを背負わざるを得ない子供に無茶苦茶な記号を付けるのはやはり考え物ですよ。子供はペットじゃないなんて言いますが、ペットだって大事な家族ですしね。名前はやはりきっちりまともに考えないと駄目ですよ。ふざけた名前は創作上のキャラクターか、ペンネームくらいに止めておかないと。という訳で、
呆気に取られている内に自己紹介を終え、久保と名乗ったその男は小馬鹿にしたような会釈をする。
「あの火事のことは他言無用になっているので、聞いても無駄だよ」
久保の話のせいで調子が狂う中、坂部は何とかそう言った。
「今、村は祭の準備で忙しいんだ」
宇津木も坂部に発言に後押しされて厳しい口調で言う。
「祭? お祭りですか。地元の方では基本夏祭りしかなかったですね。暑いのも困りますが寒いのも厳しいですね。大変でしょう」
「ええ……まあ」
坂部と宇津木がどう反応すればいいのかわからずに曖昧な返事をすると、まゆらが久保の前に躍り出た。
「ちょっと! ちょ――」
「久保若葉ね。それで通してるから」
まゆらは少し考えるような素振りを見せてから溜め息を吐き、「じゃあ久保君」と口を開いた。
「なんでここに来てるの? どうも風祭の見物って訳でもなさそうだし」
確かに久保は祭のことを知っている様子がなかった。
「ライターの仕事。取材だよ。
「だって、ちょ……久保君の仕事って――」
しっ、と久保がまゆらを諫める。
「ちょっとややこしくてね。俺がどういう記事を書いてるかは内密に願うよ。ばれたら皆殺しだって話だからね」
さて――と久保は坂部達に向き合う。
「なにせ三十七年前の事件ですから、覚えておられる方も少ないんでしょうね。ただお歳を召した方にも訊いてみたんですが、こちらもどうもにべもない。限界集落なんて言ったりしますが、なかなかどうして皆さん元気、村も活気に満ちてるじゃないですか。あ、お祭りの日だからですかね。ネタの時点で他言無用ということは知っていたんですが、ここまで緘口令が敷かれているとは思いませんでしたよ。だから若い方にも聞いて回ってるんですが、こちらも教育が徹底されているようで。教育は大事ですよね。江戸時代から識字率が高いというのは驚きですよ」
「何が言いたいんです」
「言いたいことも言えないこんな世の中ですからね。誰も彼もが口を閉ざすこんな寒村ですからね。でも俺も俺でこうして車飛ばしてはるばる来た訳ですよ。腹を割って話せる友人もいない寂しい男ですよ。恋はスリルとショックとサスペンスですからね。そりゃあ恋に恋してたら愛想も尽きるもんですよ」
ああ、この男は駄目だ――坂部はもう匙を投げた。久保とまともな会話を行うことは不可能だ。
「まあ俺も殺されるのはご勘弁願いたいですから、何が言いたいかはまだ伏せておきます。とんずら決め込む準備が整ったら、ぱっと聞いてさっと帰りますよ。それまではまゆらちゃんの助手みたいな扱いにしておいてもらおうかな」
「ええっ?」
まゆらが困惑の声を上げる。どうもこの二人は知り合いのようだが、まゆらは久保を歓迎していないのがよくわかる。
「ご安心ください。まゆらちゃんの助手に落ち着いたからには村の中を引っ掻き回すような真似は控えさせていただきますよ。そうだね、まゆらちゃん」
「う、うーん……?」
久保とまともに会話が出来ないのは初対面の坂部もまゆらも同じようだった。
「じゃあ俺はいないものと思って、どうぞお話を続けてくださいな。しっかり聞いてますんで」
そこからの切り替えはまゆらの方が速かった。坂部に向き合うと、おずおずとだが口を開いた。
「あの、もしお時間があれば村の中をもう少し案内してもらいたいんですけど……」
久保がにやついた笑みを浮かべているのが目に入るが、坂部はこの場は気に留めないことにした。
「ああ、時間は――あるね。さっきので壱師としての役目は一旦落ち着いたから。でも昨日で村の中の大まかなところは案内し終わったけど」
根津村は狭い。神社から坂部の家への帰り道の途中で目に入る建物を説明するだけで、大体の説明は終わってしまう。
「いえ、今日は祭の儀礼に使われるような場所を見せていただけたらと。勿論、お邪魔でなければ」
なるほど、風祭の儀式のために設けられる場所は風溜を別にすれば村の中心からは離れた場所が多い。今筵を敷いて儀式を済ませたこの裏鬼門に当たる場所も、普段は人の立ち入りも殆どないようなところだ。
「じゃあ鬼門の方を見に行く? あっちももう終わったと思うし」
まゆらは頷き、坂部と並んで風溜を挟んで反対側の丘を目指す。当然のように久保もついてきたが、坂部はそちらを見ないようにした。
丘の方に着くと、そこには祭壇が設けられ、既に幣帛と供物は供えられていた。数人の壱師がまだ残って何事か喋っている。
まゆらが姿を見せると壱師達が奇異の目を送る。その中の一人が坂部とまゆらの後ろをついてくる久保を見止めると、あっと声を上げた。
「ほら、あの男じゃないか。村上の火事について聞き回ってるってのは」
当の久保はそんな声もまるで気にならないのか、あるいは最初から想定済みなのか、底意地の悪そうな笑顔で歓迎に応えた。
「坂部君、一体どういうことだこれは」
その場にいた仙内が咎めるような口調で言う。
坂部の方が無視しても、他の村民が久保を無視する訳ではないのだ。こうなるのなら無理にでもついてくるなと押しとどめた方が賢明だった。
「やあ皆さん。祭はいいですね。祭と言えば金と暴力とセックスですよ。やりたい子とやったもん勝ちという訳ですね。ああ、俺はこちらのまゆらちゃんの助手と思っていただければ結構ですんで」
「えっ、霊能者の先生の……?」
「いやいやいや違います! ただの知り合いで――」
まゆらは慌てて否定する。助手ということになれば、久保の行動がまゆらの指示によるものだと認識されてしまう。そうなれば久保への非難はまゆらへの非難にそのまま移行しかねない。
「なに、霊能者の先生が村上の火事を聞いて回ってるのか」
事態は思わぬ悪い方向へと向かいだした。人づてに広まった情報はどうしても摩耗する。村上の火事について調べているのが若い男――久保だという情報はどうやらここからはもう無視されるものとなったようだった。
まゆらも話が独り歩きしていく様に冷や汗を浮かべている。何とかしてこの誤聞を止めなければならないが、下手に言葉を発すると火に油を注ぐ結果になりかねない。
「なにを騒いどる」
ぴしりと引き締まった声が皆を緊張させる。
千葉が腕を組みながら丘を上がってきていた。険のある目付きでまゆらに一瞥をくれると、仙内が慌てて事情――無論間違って拡散したものだ――を耳打ちする。
「聞かせとけばええ」
まゆらを睨み付けるが、敵意は剥き出していない。
「栄吉が雇ったんだろう。つまりは自由にさせてもええという訳じゃ。それに、この娘は風流しを知っておる」
壱師達がざわつく。まゆらが最初に姿を現した時に饌事場にいなかった者も多いのだ。
「それを今更村上の火事について隠し立てしても始まらん。聞きたければ聞け。聞かれたら答えればええ」
千葉はまゆらから目を逸らし、その場の壱師達を一喝する。
「お前らもいつまでぶらぶらしとるつもりじゃ。やることがなくとも次の準備はちゃんとしておかんか」
集まった壱師達ははいと声を上げて散っていく。
千葉はまゆらをもう一度睨み、踵を返して風溜の方へ戻っていった。
「おお、こいつは重畳。まゆらちゃんのおかげで聞き込み出来る名目が出来ちゃったよ。持つべきものは霊能者だね」
だけど、と久保は周囲を見渡す。
「みんなばらけちゃったみたいだし、俺が人畜無害なまゆらちゃんの助手という話が広まるまで待つかな。果報は寝てまたないと。で、次はどこに行くんですか」
坂部はそう言われて考えた。他に見に行く場所はそうはない。
「火無川の方も見ておきたいんですけど……お時間ありますか?」
まゆらが言って、坂部は頷く。
「まだ大丈夫だよ。火無川というと、滝の方? それとも本流?」
「出来ればどちらも」
「わかった。じゃあまずは滝の方に行こう」
火無川は大きな本流の他に、多数の支流が存在する。昨日湯立てに用いる水を取りに向かったのはその支流の一つで、滝が出来ている。
雪に埋もれているのでわからないが、今歩く道は既に舗装されていないものになっている。山の奥とは言え、根津村の道の大部分はきちんとアスファルトで舗装されている。線路も通っていない山の中では当然自動車が必要不可欠になるので、舗装されていなければ利便性は下がってしまう。
ただしそれは家々に面する道や国道へ続くメインストリート――と呼ぶには小さすぎるが――に限定され、人の通らない道に逸れれば剥き出しの地面が見える。
滝へと向かう道は風祭の際に重要な意味を持つが、日常生活で使われることはない。なので獣道という訳ではないが、綺麗に切り開かれている訳でもない。
雪が積もっているので歩きにくさは一層増す。昨日風太夫と壱師達が列を成して往復したことで、大部分の雪は踏み固められているのがそれを助長していた。
暫く行くと水の落ちる音と流れる音が聞こえてくる。
「見えてきましたね」
久保があまり興味がないように呟く。
落差は三メートル程の小さな滝だ。支流はそのまま山の中を通り、本流の火無川へと注ぐ。
「あんまり近付かないで。一応神聖な場所だから」
「おお、綺麗な川だなあ。一口飲んでみてもいいですかね?」
久保は相変わらずだった。禊として水を口に含むし、酸性雨も降らないような山奥の川なので安全は保証出来るが、部外者が気軽に飲んでいいようなものではない。
坂部が呆れながらそう言おうとするが、久保はもう興味をなくしたようで、滝から離れたところをふらふらと歩いている。
まゆらは滝壺の近くを暫く見た後、下流へと歩いていく。
「坂部さん、あれ……」
まゆらはきちんと歩ける範囲の終わり辺りで足を止め、川の中を指差す。
川の中に、四本の朽ちた木の棒が立っている。点を結ぶと四角形になるように見えた。
「あの木が何か?」
「どのくらい前からあるんですか?」
「さあ――」
坂部は今までそんな木の端など気に留めたこともないので、判断しかねた。だが見た限りでは相当古いものに思える。
「俺じゃあわからないな。湯山の爺さんに訊いてみたら?」
しかしあんなもにが何だというのだろう。川に意味のない木の杭が立っていることなどどこにでもあるし、それをいちいち覚えている者もいない。
火無川の本流は、根津村から向かう場合は断崖絶壁に面することになる。根津村の果てはちょうど谷になっていて、その切り立った斜面の下を流れるのが火無川だ。
なので坂部はまゆら――と久保――をどう案内するか少し迷った。崖を降りる道がない訳ではないが、かなり遠回りをすることになる。坂部がそう言うと、まゆらは崖の上から見るだけでいいと笑った。
「すごい――」
眼下に流れる火無川を眺め、まゆらは呟く。その顔はどこか蒼褪めており、見てはならない何かを見たような切迫感を帯びている。
「いやあ、綺麗な川ですねえ」
対する久保は相変わらずで、そう言うなり視線を川から逸らす。
「やっぱり子供か――厄介だなあ……」
「うん、子供は厄介だね。言っても聞かない。殴れば泣く。加減を間違えればぽっくりだ」
「そうなんだよね……」
支離滅裂な会話だが、まゆらは無意識に呟いているように思われた。久保が適当なことを言っただけで、まゆらの方はただの独り言だったのかもしれない。
「――離れた方がいいですね。すみません案内してもらったのに」
まゆらは踵を返し、舗装されていない道を戻っていく。坂部は釈然としないまま後を追い、久保はいつの間にか二人の後ろをついてきていた。
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