第31話 唯一無二
「何者だ、お前はっ? どうして、そんなにアリィと似ているっ? アリィはどこだ? 奴らはアリィを何処に隠した? お前はオレを騙すためにあいつらに用意された偽物だろうっ?」
苛立ち交じりの声が私の鼓膜を突き刺した瞬間、私は反射的にエスパーダを平手打ちしていた。
ぱんと、弾かれた頬に顔が反る。
私の頭が、己が仕出かしたことを理解するに数秒費やす間、エスパーダも自分に起こったことが信じられなかったのだろう。
永遠と錯覚しそうな不穏な刹那、ゆっくりとエスパーダが顔を元の位置に戻した。
「――――お前っ」
エスパーダの怒りが爆発する寸前、私は声を割り込ませた。
「あの人たちは私を利用したりしないわっ!」
聞く耳を持っていないとしても、怒りに駆られたエスパーダにこれから私がどんな目に会うのだとしても、これだけは言っておかなければならないと思った。
皇太子さまには舞踏会の人避けに利用されたと思った。でも、私のことをきちんと考えてくれていた。
素性が明らかにならなくても後々困らないように、私をアスール・シエロとしてこの国の、一人の人間としての居場所を作ってくれた。
私をアリスエールの代わりとしてではなく、一人の人間として認めてくれた。
優しく私を迎え入れてくれたあの人たちの厚意を、算段があったかのように侮辱しないで欲しい。
「私は別の世界からやって来たの! こことは違う世界よ。そして、私を呼んだのはあなただわ」
「――オレだと?」
蒼い瞳が瞬き、一瞬呆気にとられたように口が半開きになる。
「アリスエールはいないわ。彼女は病で亡くなった。それはあなたも知っているでしょ?」
私の言葉にエスパーダの顔が痛いところを突かれたかのように歪む。
「違うっ! それは奴らがばらまいた嘘だっ!」
大きく頭を振って、否定した。肩までの金髪が乱れた。
「嘘なんかじゃないわ。彼女はいない……。いないのよっ!」
彼女の喪失がどれだけ多くの人に悲しみと深い傷を残したか。
皇太子さまが一人、悲しみを堪え、それを知るエスクードやレーナさんたちが何もできない自分たちを責めながら、日々を過ごしていたか、エスパーダは知らないだろう。
だけど、私はそれを目にした。
なかったことに出来れば、どれだけいいだろう?
アリスエールが帰ってくることをどれだけの人が願っただろう?
でもそれは叶わない現実だから皆、涙を流し、唇を噛んで悲しみを乗り越えてきた。
その事実を、現実を受け入れられないエスパーダの一言でなかったことには出来ない。
アリスエールは愛する人を得ながら、幸せを目の前にしながら、病に倒れて亡くなった。
その事実を受け入れることがどんなに苦しくても、どれだけ時間が掛かっても、悲しみに耐えきれず泣き暮らすことになっても、認めなければならない。
でなければ、最期まで病と戦ったアリスエールを否定することになる。
彼女はもうこの世にいない。
そして、誰も代わりができないから、アリスエールは唯一無二の存在として皆の胸に刻まれているのだ。
私が私であるように、アリスエールはアリスエールなの。
「あなたはいなくなった彼女を取り戻そうとして、術を実行したと言ったわね? 多分、私はその術でこちらの世界に引っ張りこまれたのよ」
私とアリスエールの相似。似ている二人が時間差はあったものの、同じ場所に立つというのは、何かしらの意志が働いたと考えるのが妥当だろう。
アリスエールが亡くなった直後ではなく、暫く経ってから私がこの世界に迷い込んだ。だから私はアリスエールの痕跡を知らず、つい先日まで彼女の存在を知らなかった。
その空白時間はエスパーダが、アリスエールを冥界から連れ戻すための術を探したという時間でもあったのだろう。
「……お前がアリィの代わりに……。お前がオレの術を邪魔したのかっ!」
エスパーダは歯を剥いて、叫んだ。握った拳が震えている。それが私の顔面に飛んでこなかっただけ良かったと思っていいのだろうか。
いつエスパーダの逆鱗に触れるか、気が気じゃない。自我を押し通す彼は、自分の感情を抑えるということを、第三者の私が戸惑ってしまうくらいに知らない。
しかも私がアリスエールの代わりにエスパーダの術に捕まらなければ、成功していたとでも言いたげだ。
無茶苦茶な論理に唖然となる。
死者を蘇らせるなんて、無理に決まっているでしょ?
「代わりじゃないわ。それに術は絶対に成功なんてしなかったわよ」
「何だとっ?」
「アリスエールはもう何処にもいないんだから、あなたがどれだけ求めたって彼女には会えないわ」
私は努めて冷静に声を出した。エスパーダに釣られてこちらも興奮していたら、論理が破綻しかねない。
「そんなことはない! お前さえ邪魔をしなければっ! いつだってそうだ。皆がオレの邪魔をする。兄貴もあいつも、そしてお前もっ! どうして、オレの邪魔をするんだっ?」
エスパーダは不都合なことを他人に責任転嫁する。自分の非を認めない以上、周りの人たちの説教を理解しようがない。
エスクードから聞かされていたけれど、本当に厄介だ。
彼のこの性格を周囲が持て余して、それによってエスパーダは増長したのではないかしら? そんなことをふと思った。
エスパーダが周りを切り捨てたと思っていた。
でも本当は、エスパーダが切り捨てられたのではないの?
「オレが何をしたって言うんだ? ただアリィと一緒に居たいと願っただけだろ?」
どこまでも自分に非がないと主張する面差しは、被害者のように傷ついていた。
ズルイと思う。アリスエールに対する想いだけは純粋なだけに一瞬、こちらが間違っている気がしてくる。
「……でも、それはあなたの都合だわ。アリスエールは皇太子さまと一緒になることを望んだのよ」
「違うっ! 奴らに無理矢理に引き合わされただけだ。アリィは養女だったから、奴らに逆らえなくて」
エスパーダのいう奴らとは、多分、エスクードの両親だろう。
アリスエールが社交界に出て、皇太子さまと巡り合ったことを、エスパーダは策略があったと考えていたの?
確かに上流階級なら、恋愛結婚より身分による政略結婚が主流なのかもしれないけれど。
――でも、彼女は幸せそうに笑っていたわ。
肖像画に描かれたアリスエールは、世界中で一番、自分が幸せだと訴えるかのように微笑んでいた。皇太子さまの筆が意図的に描いたというの?
違う、そうじゃない。
エスクードやレーナさん、お城の人たちが皆、皇太子さまとアリスエールのことを見ていたんだもの。
一方的な、形だけの感情なら、あの優しい人たちは皇太子さまの悲しみを自分のことのように受け止めはしなかっただろう。
「アリィは、本当はオレを選びたかったはずだ。オレならアリィを助けてやれたっ! 助かる方法がわかっていて、どうして死ぬことを選ぶ? そんな馬鹿なことがあるはずないだろう!」
エスパーダはそう一見正論をぶつけてくるけれど、私は先程のことを思い出した。
彼の頬を叩いた感触が残る自分の手のひらを見下ろして拳を握る。
そして、蒼い瞳を真正面に見据えて告げた。
「守りたいものがあったとき、生きることとか死ぬこととか、そんなこと考えている余裕なんてないわ」
私を偽物だと言って、皇太子さまたちの狡さを語ったとき、私はその侮辱が許せなかった。私は自分がどんな目に会うのだとしても、お城の人たちの親切を汚されたくなかった。
同じように、アリスエールも皇太子さまとの恋を最後まで守りたかったのだと思う。
どれだけ死の恐怖に襲われても、エスパーダの手をとらず、皇太子さまの元に留まることで愛したこと愛されたことを命がけで証明した。
それがアリスエールの愛し方だった。
「死と隣り合わせでも、それでもアリスエールが選んだのは、皇太子さまだった。あなたじゃない。あなたは選ばれなかったの!」
残酷だとわかっていても、私はエスパーダに事実を突き付けた。
この現実を認めない限り、エスパーダは自分が作り出した虚構の箱庭で、一人で居続けることになるだろう。
誰かを請い求めるのなら――それが今はもういないアリスエールだとしても、彼は変わらなければいけないと思う。
でなければ、アリスエールの真実が見えない。
「ねぇ、本当に彼女が好きだったというのなら、ちゃんと彼女の真実を見てあげて。そうすれば、皇太子さまやエスクードと同じように、あなたにもアリスエールは微笑んでくれるわ。あなたは、彼女の笑顔を見たことがある?」
肖像画の向こうからも伝わって来た、とても幸せそうなあの微笑みを。
胸に刻まれたのなら、二度と忘れられない永遠の少女を。
「――――っ!」
私の言葉に、エスパーダの瞳が歪み次の瞬間、彼は踵を返して部屋を出て行った。
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