第20話 変身



「まずは御身を清めさせて頂きますっ!」

 レーナさんの言葉に私を拘束する女官さんたちが動く。連れられて移動した場所には、湯をはった浴槽が用意されていた。

 お風呂に入るのは、煤を被った身としてはありがたい。けれど、私の服を脱がしにかかるレーナさんたちに、悲鳴を上げたくなる気持ちはこちらの人たちにはわからないだろう。

 こちらの世界では貴族階級ともなれば服も使用人に着せて貰うのが当たり前だ。

 私自身は働いている方の気持ちでいるけれど、レーナさんたちからすればやはり皇太子さまの保護を受けているお客人という感覚らしい。

 この一年で、割と気軽にジェスチャーを交えコミュニケーションをとるようになったけれど、やっぱり私はレーナさんたちからすれば、お世話しなければならない対象のようだ。

 でも、私は自分のことは自分でできるし、第一にこちらの人たちと感覚が違う。

 一応、日常生活では理解を得て、お風呂は一人で入らせて貰っているけれど、今回は事情が違うと思っているのか、服を引き剥がそうとするレーナさんたちに私は慌てて首を横に振った。

「ひ、一人で大丈夫ですっ!」

 思わずそう叫びたくなる私の抵抗に、レーナさんは手を止めた。

「……一人で入れますから、あの出て行ってください」

 私は声を出さない代わりに口をパクパクと動かし、精一杯腕を振り回して、ジェスチャーで意思を伝えた。

「わかりました。では、蒼天の君。湯から上がられましたら、こちらの下着を身につけ、ローブに着替えてくださいまし。お召し物は別のものを用意しておりますから」

 ジェスチャーで説明され手渡された薄手のローブに、私は頷いた。服も一人で着られるのだけれど、とりあえず、煤まみれの身体を洗うことにしよう。

 皆が出て行くのを確かめて、服を脱いで用意されていた石鹸を泡立て身体をこする。髪も洗って、バスタブに身を沈める。煤がとれて綺麗になるとホッと息がもれた。

 飾る、飾らないはともかくも、エスクードや皇太子さまの前でいつまでも煤まみれの姿はさすがに抵抗あった。特に、エスクードには真っ黒な顔を見られたし……。

 あの姿を忘れて貰うにはどうしたらいいだろう。やっぱりお化粧とか、した方がいいかな? 湯船の内で一人、小首を傾げる。

 今までお化粧なんて殆どしてこなかった私だから、少しメイクをしただけでも印象は変えられるかもしれない。でも、急に慣れないことをし出したら、かえって勘繰られる気がするけれど。

 うーむ?

 首を捻って悩んでみても答えが出てこない。女として既に駄目人間の領域に入っている気がした。

 とにかく、レーナさんたちが何かする気らしいので、ここは任せてみようかな?

 美人になって貰うと宣言されたところで、私は私だ。どれだけ変われるか、はなはだ疑問だけれど。

 お風呂場から出ると、女官さんたちがすかさず私を取り囲んだ。髪の水分を取り、いい匂いがする香水が吹きつけられる。

 あっという間もなく、ローブが脱がされた。一応、袖なしのシュミーズを着ているからいいけれど……。

 恥じらう私にお構いなく、一人の女の人が巻尺のようなもので身長やウェスト、バストなどを計る。皇太子さまが言っていた舞踏会用のドレスの採寸だろう。

 私はこわれるままに背筋を伸ばしたり、腕を上げたりした。時々、青や赤色といった布地が当てられる。あれ? エスクード好みの白いドレスを作るのじゃなかったのかな。

 レーナさんは読み上げられる数字をノートに書き込んでいく。あらかたの採寸が終わったかと思うと、コルセットとふんだんにフリルがついたペチコートを着せられた。

 そして、スカートを膨らませる腰当てが付けられる。心配したほど、大きなものじゃなくて安心した。

「息を吸ってください」

 レーナさんが身振りを交えて伝えてくる指示に私が息を吸えば、コルセットを後ろ側で締め付けられた。ウェストが少しばかり細くなったような気がするけれど、胸の締め付けも苦しい。

 綺麗になるということは、こんなに大変なことなんだと、思い知らされた気がした。

 レーナさんたちは貴族のご令嬢がたと違って動きやすい服装を身につけているけれど、お仕着せのワンピースの下にはやっぱり、コルセットをしている。

 そんな彼女たちからすれば、コルセットもフープもつけない私はお叱りを受けてもしょうがないかもしれない。

 お洒落に気を使っている女の子からしてみたら、私の化粧気のなさは許しがたいものだっただろう。彼女たちはきっと、自分に似合うものを探して、情報を集めたり、ダイエットしたりと日々、綺麗に見えるようにがんばっていたのだろうから。

 価値観は人それぞれだけれど、相手の努力を何とも思わない顔で素通りしていた自分が少し申し訳なくなった。

 私はお洒落をすることに価値を見つけ出せなくって、自分は違うのだと境界線を作った。そして、理解することも理解して貰うこともしなかった。

 飾らない自分を――これが私のスタイルですと、レーナさんたちに理解して貰えれば、皆さんを怒らせることもなかったんじゃないかなと思った。

 会社の同僚の女子のなかで、私一人が浮いていたのもあながち、私自身のせいかもしれない。馴染めないと、境界線を作っていたんだ。

 今さら気づいても彼女たちとの距離を縮めるのには遅いけれど、でもこれからレーナさんたちと仲良くやって行きたいと思うなら、気づけて良かった。

 まあ、こちらで怒られている要因は、エスクードと皇太子さまの二人にあるみたいだけれど。

 ……確かにあの見目麗しい二人の美青年の間に、お洒落の「お」の字も知らないような人間がいたら、ガッカリするわよね。

 ……こんな私が、皇太子さまのお相手を務めて、目的が達成できるのかしら?

 不安になっている私に、レーナさんが淡い水色のドレスを片手に近づいてきた。

「腕を上げてくださいまし」

 万歳する私の上から、ドレスが降って来る。袖を通すと、背中に付いたボタンをレーナさんが締めていく。

 きゅっと身体が締め付けられ、背筋が伸びる。

 コルセットで締め付けられた部分の肉が寄せ集められたかのように、胸は谷間を作っていた。

 そんなに小さい方ではないけれど、こんなに大きかったかしら? と、私は思わず自分の胸元を見つめる。これは容姿に気を使っていない私でも、ちょっとした感動かもしれない。

 でも、脱いだら、減るわよね……。現実は儚い。

 大きく開いた胸元を花模様の透かしが入った繊細なレースが波を打つように飾り、幅広のリボンが襟元を縁取る。くびれた腰から膨らんだスカートは、逆さにしたワイングラス。恐れていたほど、幅がなくてホッとした。

 スカートは二重になっていて、下のスカートには小さな花が、まるで雪が降っているかのように散らされている。上のスカートはドレープを作って、真中から左右にカーテンのように持ち上げられている。ところどころに光っているのは、宝石?

 光沢のある素材に滑らかな質感。上等な布であることは間違いない。

 上着の袖は細く七分丈で、袖からはレースが何重もたれている。

「蒼天の君、暫く我慢してくださいね」

 レーナさんが私を椅子に座らせるとドレスの上から、美容室でするようなケープで覆った。足元では宝石を縫い付けた華奢な靴が履かされる。

 ぐいっと髪を後ろに引っ張られ、思わず仰け反りそうになるところを前方から延びてきた手が、がしっと私の頬を掴んだ。

 後ろでは髪のセットが行われ、前方ではメイクが始まるらしい。

 白粉がはたかれたり、アイメイクをされたり、口紅を塗られたり。

 まさに……まな板の鯉です。なされるがまま、首が引っ張られ、頬を叩かれ、肉が揉まれる。

「こうすると、薔薇色の頬が出来上がるんですよ」

 頬をつねられた時は、何かの苛めかと勘繰りそうになったけれど、こちらの化粧品はあちらほど豊富ではない。色々と工夫を凝らして、綺麗に魅せようとして生まれたんだろうな。

 首に大きな宝石がついたチョーカーが巻かれ、耳にもイヤリングが装着された。

「さあ、出来ましたよ。これで殿下とエスクード様を思いっきり悩殺してくださいませ。きっとお二方とも、蒼天の君に夢中になられるはずですわ」

 レーナさんが言って、周りの女官さんもコクコクと頷く。親切にも女官さんが私にもジェスチャーで伝えてくれるけれど……。

 ――はい?

 レーナさんの言葉に目を瞬かせる。驚く私にレーナさんは「特に、エスクード様を」と、ニッコリ笑って見せる。

 ――エスクードっ?

 唖然としている私の前に蔦薔薇を淵に象嵌した大きな鏡を二人の女官さんが両サイドを抱えながら持ってきた。曇り一つなく磨かれた鏡面に映り込んだ姿に、今度は目が点になる。

 黒髪は一つにまとめられ、側頭部でポニーテールを作っていた。流れる髪は鏝が当てられ、くるくるとカールしている。まとめた部分にはドレスの色に合わせた花のコサージュが飾られた。小粒の真珠が鎖のように連なっているのが、アクセントになっている。そして黒髪はキラキラした髪粉がまかれて所々、七色に輝いていた。

 ドレスという、今までにない恰好をしているのだから、別人に見えても当然と言えば当然なのだけれど。

 本当に、これが私かと、思わず目を疑ってしまった。


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