第19話 まな板の鯉



「褒美は別として、アリスに用意したものがある。探していたんだ」

 皇太子さまはそう言って、私の腰に腕を回して城内にエスコートしようとする。近すぎる距離に私は慌てて、エスクードを振り返った。

 蒼い瞳と視線がかち合うと、

「俺を待っていたのでは?」

 エスクードの腕が皇太子さまと私の間に割り込んでくれた。

 開いた隙間に肩を割り込ませて、エスクードは私を皇太子さまから解放してくれる。ほっと胸を撫で下ろして、エスクードの背中に隠れた。

 皇太子さまにその気はないとしても、あまり親しげにしていると、朝の件といい、誤解を増長させるだろう。

 別に、エスクード以外に誤解されても平気だけれど。誤解されることをエスクードが気にしているのなら、私としても慎重になりたい。

 皇太子さまは紅い瞳で私からエスクードに視線を移すと、むっとしたように眉間に皺を寄せた。

「よもや、お前がアリスを連れ出しているとは思わなかったぞ」

「アリスが一緒に行きたいと言いましたもので」

「それで空中散歩にアリスを連れ出したのというのか。私が幾度もねだったところで、連れて行ってはくれぬ癖に」

「散歩ではありません」

 エスクードの返した声が思いもよらず刺々しい。仕事の一貫としているパトロールを散歩と称されたら、それは不機嫌になるだろう。私は少しだけ抗議するように、皇太子さまを睨みつけた。

「第一に、殿下には俺がパトロールに出ている時間、朝議に出席しなければならない義務があるでしょう?」

 エスクードの背中に隠れて彼の言葉に、心の中でうんうんと頷く。皆、それぞれにお仕事があるんです。わがままを言ってはいけません。

「今日は違っただろうが。私にも声をかけてくれたとしても罰は当たらぬと思うが」

 皇太子さまは恨めしそうに言った。

 ドラゴンの背にはそう誰彼と乗れないという話だったから、皇太子さま一人では騎竜することが出来ないのかもしれない。

 となれば、空中散歩も――散歩ではないけれど――ままならないとすれば、空を飛ぶ気持ちよさを味わった後だと、ちょっと申し訳ない。

 確かにフレチャの背中から見下ろした光景は、展望台から見下ろした光景とは比べ物にならない世界の広さを感じさせた。

 自分がちっぽけな存在であるのを思い知られると同時に、世界の広さに好奇心を覚える。

 どこまで世界は広がっているんだろう。どこまで行けるのだろう、と。

 日常という狭い範囲から、一歩を踏み出したくなる解放感。

 私自身にも今日の経験から、変化を感じる。

 気持ちの問題だけれど、昨日の私より今日の私が好きだと思う。

 それもこれも、空を飛んだ経験から来たのだとすれば、鬱屈した気分から皇太子さまも解放されたいと望んで、当然なのかもしれない。

 アリスエールを亡くしてまだ一年。なのに、花嫁探しに周りが気に病み、舞踏会を開くというのだから、皇太子さまにも発散したい鬱屈があるだろう。

 エスクードもその辺りに思考が行ったのか、小さく唸ったけれど、直ぐに考え直して皇太子さまの嘆願を退けた。

「二日酔いで朝議を欠席した人をどうして連れていけると考えるんです?」

 確かに、途中で気分が悪くなられたら困る。

「常識に基づいて発言しないと、アリスに呆れられますよ」

 嘆息をつきつつ口にした言葉に、皇太子さまがエスクードの肩越しに私を覗き込む。

 目が合うとニッコリと笑う皇太子さまに、私は小首を傾げた。

「ふむ……なるほど」

 皇太子さまが呟くのに対して、私は目を瞬かせる。なるほどと、納得するような何があったのだろう?

「まだ、自覚はないらしいな」

「何の自覚です?」

 そう問いながら皇太子さまの肩に手を置くと、エスクードは腕を突っ張って、距離を取る。

「あまり近づかないでください。男の顔が傍にあるのは気持ち悪い」

「ふん、私をアリスに近づけたくないだけだろう。独占欲が強い男は嫌われるぞ」

 皇太子さまの軽口に、エスクードはちょっとだけ顔を顰めた。双子の弟であるエスパーダのことを思い浮かべたんじゃないかと思う。

 アリスエールを愛しすぎて、彼女を独占しようとした彼と同じ血がエスクードにも流れているのだ。彼としては無軌道なエスパーダと同一視されたくないに違いない。

「まあ、良い。それよりアリスだ。アリス、来なさい」

 皇太子さまが私を見つめて手招くけれど、近づいて良いのかどうか、私は悩む。エスクードの背中からなかなか離れられない私に、皇太子さまは軽く肩を竦めた。

「エスクードも関係あることだ。一緒に来るがよい」

 皇太子さまはそう言って、先頭に立って歩き出す。エスクードが後を追うので、私も続いた。

 展望塔から城内へと移動しながら、エスクードは皇太子さまに問いかけた。

「何を企んでいるんです?」

「企むなど、何だか人聞きが悪いではないか。アリスの舞踏会用ドレスを仕立てるために、採寸が必要だろうと思ってな。同時に、本番ではその格好で踊るわけではないだろう?」

 振り返った皇太子さまの目が私の服を見る。動きやすいシンプルな服装は、皇太子さまが最初に私に用意しようとしてくれたものとは違う。

 私がお城で暮らすことになった最初の頃は、それこそお姫様が着るような華やかなドレスだった。

 パニエだかフープだか、クリノリンだか、私の知識では厳密なところはよく分からない、スカートを思いっきり膨らませるものを内に着込むものが用意されていた。

 ドアを抜ける際には、正面ではなくカニ歩きのような格好で移動しなければならないようなスカートの膨らみに、私は目が点になった。

 お世話になるからには、何かしら働いて返したいと思っていた私には、そのドレスはとても自由に動け回れるようには見えなかった。ドレスに着なれた貴婦人ならそうでもないのかもしれないし、大体ドレスを着ている女の子はポット片手にお給仕なんてしないだろう。

 私は身振り手振りで、もっと質素な格好の服が欲しいと懇願した次第だった。

 皇太子さまもエスクードも、私をお客様として預かるつもりだったらしく、難色を示したけれど、何とか私が働きたがっていることを伝えて、簡単なお仕事を貰った。そうして用意して貰ったのは、動きづらいドレスではなく、ワンピースや胴着にスカートという服装だ。もっとも、服の布地は高級素材なのだけれど。

 皇太子さまの視線を受けて私は自分の服を見た。火事の現場にいたからか、煤で薄汚れていた。それ以前の問題で、皇太子さまが懸念していることが私にもわかった。

 舞踏会本番には、当然ながらあの動きにくいドレスを着ることになるだろう。着慣れないもので動きまわる苦労を思えば、目の前が暗くなる。

 ダンスが上手く踊れるかどうかより、あの膨らんだドレスで人の間を立ち回れるのか心配だ。

 皇太子さまに導かれ、私たちは一つの部屋に辿りつく。

「……殿下」

 エスクードの声が僅かに低くなった。怒っているのとは違う、緊張に強張ったかのような声だ。

 そんなエスクードに気付かないふりをして、皇太子さまは自ら部屋のドアを開けると、そこには数人の女官さんが待機していた。私の身の回りの世話をしてくれているレーナさんもいた。

「皆、揃っているな。先ほどの打ち合わせ通りに、アリスを飾ってやってくれ」

 皇太子さまはそう宣言すると、私をレーナさんの方へ押し出しながら、エスクードの腕を掴んで部屋の外へと踵を返した。

 慌てて私もエスクードの跡を追いかけようとしたら、四方からがっしりと手や腕を掴まれた。

 圧し掛かって来た背後霊に――皆さん、幽霊みたいに気配がなかったんだものっ! ――私はそろりと首を巡らせる。

「ずっと前から思っていたのです、「蒼天の君」は飾らなすぎますっ!」

 レーナさんが鬼気迫る顔つきで、私に近づいてくる。

 言葉が通じないことなど構っていないというか、私ではなく他の女官さんたちに訴えているようだ。それに対して、皆さんも私を睨んで、こくこくと首を頷かせている。

 あの、何だか目つきが……もの凄く怖いんですけれど。

 私は頬を引きつらせた。

 飾らないって、身だしなみのことですか。確かに装いはシンプルで、色気も洒落っ気もありませんけれど。

 ……それって、怒られることかな?

「殿下やエスクード様のお傍におられながら、どうしてそんなに無頓着になれるんですか。これは同じ女として、許しがたい所業です!」

 怒鳴られても、わかりません。

 ごめんなさい、私はとうの昔に女を捨てた人間なんですっ!

 泣いて謝りたいけれど、それは出来ない相談だ。ただひたすら恐縮する私にレーナさんはぴしりと言った。

「蒼天の君には、これから目も眩むような美人になって頂きますっ! ご覚悟、あそばせ!」

 鬼のように宣言するレーナさんに、私はまな板の鯉と化した。


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